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『女のからだ――フェミニズム以後』
荻野 美穂
20140320 岩波書店(岩波新書新赤版1476),248p.
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last update: 20181103
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荻野 美穂
20140320 『女のからだ――フェミニズム以後』,岩波書店(岩波新書新赤版1476),248p. ISBN-10:4004314763 ISBN-13:978-4004314769 780+
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[kinokuniya]
※ f03
■内容
◆岩波書店Webサイト内の本書情報ページ
https://www.iwanami.co.jp/book/b226263.html
「1960―70年代の女性解放運動のなか、「女のからだ」をめぐる諸問題――性・生理・生殖・妊娠や中絶を、恥や非難を恐れず語り、知識を獲得し、女たちは自らの意識変革を経験した。市場商品と生殖技術の溢れる選択肢という新たな難問に立ちすくむ今こそ、「からだをとりもどした」あの時代を振り返ってみよう。」
◆紀伊國屋書店ウェブストア
[kinokuniya]
◇内容説明
「女性解放運動/フェミニズムの諸潮流の中でも、1970年代に全米から展開した「女の健康運動」は、男性医師の管理下にあった性や生殖を女の手に取り戻す、生身の実践だった。日本ではウーマン・リブの優生保護法改定反対運動、さらには生殖技術をめぐる議論へつながっていく。意識変革の時代を振り返り、女のからだの現在と未来を考える。」
◇著者等紹介
「荻野美穂[オギノミホ]
1945年生まれ。神戸女学院大学文学部卒業、奈良女子大学大学院中退、お茶の水女子大学より博士号取得(人文科学博士)。大阪大学大学院教授を経て、同志社大学教授(歴史学、ジェンダー研究)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)」
■目次
はじめに――フェミニズムと女のからだ
第1章 女の健康運動――一九七〇年代のアメリカ
第2章 地球を旅する本――『私たちのからだ・私たち自身』の軌跡
第3章 日本のウーマン・リブと女のからだ
第4章 一九八〇年代の攻防と、その後
第5章 生殖技術という難問
おわりに――女のからだは誰のもの
■引用
この〔1972年の〕
優生保護法改定の動き
に対し、〔リブとは〕別の集団からも批判の声があがった。脳性マヒ者の団体
「青い芝の会」
(以下、青い芝)である。リブの表舞台への登場と同じ一九七〇年、横浜で母親による重度脳性マヒ児殺し事件があった。一九五〇年代末に障害者の親睦団体として発足した青▽△い芝は、母親への同情から起きた減刑嘆願運動や「死んだほうが子どもにとっても幸せ」といった世間の声に対し、「障害児なら殺されても良いのか」と反発し、横浜地裁・地検に「意見書」を提出するなど、障害者の生存権を主張する障害者差別反対運動を立ち上げた。(pp.114-115)
青い芝の障害者たちは、こうした〔遺伝性の心身障害・疾患をもつ人々に対する強制も含めた不妊手術や中絶手術の〕規定に加えてさらに中絶を認める要件として
胎児条項
を新設することは、障害者を胎児の段階から抹殺しようとすること、ひいては「本来生まれてくるべきでなかった命」として、現に生きている障害者の存在そのものを否定することにほかならないと、激しい反対運動を展開した。(p.115)
青い芝の糾弾の矛先は、リブの女たちにも向けられた。彼女たちの主張する「中絶の権利」とか「産む産まないは女[わたし]が決める」というスローガンは、障害児なら中絶することも含むのかと、問いをつきつけたのである。リブの女たちがこのスローガンで表現しようとしたのは「国は女に対し、産めとか産むなとか管理するな」ということだったが、障害者たちにはそのように受け取られなかった。|障害者運動のなかにはもちろん女性障害者もいたのだが、彼女たちにとっては産まないことを選ぶ権利よりも、むしろ、たとえ結婚したとしても、不妊手術や中絶の強制によって生殖の機会を奪われることのほうが身近な問題だった。さらに、当時の青い芝で中心となって活動していたのは男たちで、彼らにとって女とは何よりもまず自分たちを孕み、産み落とす存在とし▽△ての「母」としてイメージされていた。多くの場合、障害を持った子どもの一番身近にいて、実際にその世話を担っていたのも母親だった。[…]そうした彼らにとってウーマン・リブがかかげた女の自己決定権の主張は自分たちの生きる可能性を否定するもののように感じられ、「ものすごい恐怖感と不信感」を引き起こしたのである。女を自分たちの潜在的抹殺者とみる同様の感情は、[…]
横塚晃一
が一九七五年に出版した[…]
『母よ!殺すな』
にも強烈に反映されていた。(pp.116-117)
一九七三年三月二九日の改悪阻止集会では、参加した青い芝の男性会員から「障害者を堕すのは女のエゴ。我々は健全者と安易に連帯しない」と、女たちに敵対的な発言がおこなわれ[…]、それ以後も集会の度に同じような光景がくり返された。(p.117)
こうしてリブの女たちは優生保護法をめぐって、障害や
優生思想
の問題と否応なく向き合わざるをえなくなった。だが、リブの側も、青い芝に糾弾されるまでこの問題についてまったく無関心だったわけではない。たとえば『リブニュース』は創刊号の巻頭記事[…]ですでに
出生前診断
に言及し、優生保護法への胎児条項新設の意図を分析している。(p.118)
この後も、羊水チェック[…]によって生まれる前から人間の選別をはかることを批判した記事は何度もニュースに登場している。生殖を受け持つ女のからだが権力によって人間の質の管理手段として利用されるのではないかという警戒心は、リブの女たちの側にも強く存在していたのである。|また
田中美津
は、障害者運動からの問題提起を受けて、中絶を単純に「女の権利」と呼ぶことへの疑問をくり返し表明するようになった。(p.119)
すなわち、リブの女たちはたんに経済条項の削除に反対して中絶の既得権を守ろうとしたのではなく、日本のいわゆる「中絶天国」とGNP世界第二位の高度成長の背景には、「優生保護法と堕胎罪の二人三脚で達成されてきた」、女の性と身体の管理を通じて人口の量と質を国家が管理しようとする仕組みが存在することを、当初から鋭く見抜いていたのである。(p.120)
そこ〔廃案〕に至る約二年の間、女たちと障害者たちは互いへの不満や利害の不一致をかかえつつも、しばしば共闘態勢を組んで反対集会やデモ、抗議行動を続けた。(p.120)
当初の「産む産まないは女[わたし]が決める」に代わってこの頃に新たに登場した、「産める社会を! 産みたい社会を!」という「産む」ことに力点を置いたスローガンも、女性運動と障害者運動との緊張に満ちた共闘関係の産物であった。(p.121)
優生保護法をめぐる障害者側からの問題提起はリブの女たちの間に亀裂をもたらした。だが、女が中絶を選べる状態を確保することの重要性は十分に認識しながらも、その一方で女の選択権の主張が優生思想や障害者差別に結びつきかねない危険性に対して意識的、自省的であろうとしたことは、アメリカの場合とは異なる、この時期の日本の女の運動の大きな特徴だったと言ってよいだろう。そして[…]優生保護法改定の動きが再燃する一九八〇年代の女たちの活動では、この傾向はいっそう鮮明になっていくのである。(p.122)
リブの議論をつぶさに見てみれば、リブがけっして妊娠・出産を神秘化・特権化したり、母性本能や母子一体感を賛美したりするような「母性主義」ではなかったことがわかる。リブの女たちは確かに、妊娠や出産、育児、あるいは中絶――いわゆる
「母性」
にかかわるもろもろの現象を、女がしばしば否応なくその身をもって直面せざるをえない現実として重視していた。(p.123)
彼女たちが「産む性」にこだわったのは母性賛美のためではなく、むしろ母性を女の「自然」として押しつけようとする社会の「母幻想」に対して真っ向から反撃を試みるためだったのであり、だからこそリブは、当時の男性中心のマスメディアからの激しい敵意や揶揄の対象となったのである。(p.124)
〔1996年、〕障害者運動と女性運動の長年の悲願だった優生保護法の改定が突如現実のものとなったときには、両者の間で再び葛藤が生じることになった。(p.186)
この問題に関する温度差は、女性障害者との間にもまったくなかったわけではないようだ。二〇〇八年、[…]
DPI
の
堤愛子
は九六年当時をふり返って、自分にとって「女性」や「母性」の問題は、「障害があったら生まれて来ちゃいけない」という差別に比べれば、かなり表層にあると述べている。[…]|彼女にとっては、「女」という以上に「障害者」というアイデンティティのほうが、より切▽△実で優先されるべきものとしてあったというのである。(pp.188-189)
阻止連
は東京を中心とした実働一〇人ほどの少人数のグループだが、七〇年代のリブの理念を引き継ぎ、八〇年代以降の女のからだをめぐる政治と医療状況に対してつねに積極的に発言▽△と批判をおこない、他の女たちのグループと連携しながら一定の影響力を行使し続けてきた。その意味で、日本における女の健康運動の一つの重要な核となってきた。優生保護法改定問題を重要なきっかけとして誕生した阻止連が、女の自己決定権の問題をつねに障害や優生思想とのかかわりで考え、選別中絶や出生前診断に一貫して批判的な立場をとってきたことは、日本の運動の大きな特徴となっている。これは日本の女の健康運動が七〇年代以降、たえず障害者運動との緊張をはらんだ共闘関係のなかで育ってきたことがもらたらした結果であったと言えるだろう。(pp.190-191)
日本では中絶はすでに一九四〇年代末から合法化されていたが、七〇年代はじめに優生保護法改定の動きによってその既得権が奪われそうになったことが、女たちの運動が燃え上がるきっかけとなった。その意味ではアメリカでも日本でも、中絶の問題は同じように女の健康運動の中核を占めていたと言える。|だが日本の場合には、優生保護法という法律の特異な性格と障害者運動からの批判ゆえに、女たちの運動は、女にとっての中絶の「解放」の側面だけでなく、優生学的選別への利用というもう一つの側面をも強く意識せざるをえなかったことは、第4章で述べたとおりである。そして阻止連の活動に典型的に見られるように、日本ではこの優生思想に対する警戒や批判的姿勢は女たちの運動における一種の「伝統」となって、現代の先端生殖技術をめぐる議論にも引き継がれている。(p.236)
━━━
リブ運動の開始はアメリカのほうがいくらか早かったし、日本の女たちがアメリカの運動からさまざまな刺激を受けた面があることは事実であるにせよ、この時期(1970年代初頭)に日本各地で沸き上がったウーマン・リブはたんなる模倣や借り物だったのではなく、起こるべくして起きた、強い内発性と必然性を持った現象だったと考えられる。(p.110)
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ウーマン・リブの大きな特徴の一つは、女の性とからだの問題が当初から運動の中心的な柱となっていたことである。リブは、一見中立的に見える「人間」という言葉が、そのじつ男の考え方や価値観を代弁しているにすぎないことへの失望と怒りから出発し、あくまでも「女」という性の側から世界をとらえ直そうとする運動だったから、もともと男とは異質な女の性やからだに対するこだわりが強くあった。(p.111)
社会は、女に子産み、子育てを当然のこととして要求しながら、それにともなうさまざまな負担は「すべては産んだ女の責任」として顧みようとしない。東京こむうぬのメンバーの一人である武田美由紀は、こうした「女・子どもはヒッソリ生きよ」という世間の視線がどのように女たちを追いつめていくかを、次のように告発した。(p.136)
武田はのちにこのベビーカー禁止問題をふりかえって、「こういう日常的なことで、具体的な事柄として女性の問題、女性にとって一番身近な問題を取り上げたということは画期的なことだった」と、自分たちの活動を評価している。武田の言うとおり、こうした女の日常的かつ身体的な現実に根ざした問題提起は、性についての露悪的とさえ言えるほど率直な語りともども、「婦人運動」と呼ばれたそれまでの運動にはほとんど見られなかったもので、「女の運動」としてのリブが新しく切り開いた▽△地平だった。(pp.137-138)
リブは、抽象ではなく生身のからだを生きる存在としての「女」に徹底してこだわることによって、一見、私的で些末な問題にすぎないと思われがちな避妊や中絶、セックス、出産や育児、あるいは子殺し等々が、じつはきわめて政治的・権力的な問題にほかならないことを、赤裸々に暴いてみせた。政治や権力の問題は、公的な場にだけ存在するのではない。女の性とからだは、まさにそれを通して国家や資本の論理と女自身の意思や欲望とがぶつかり合い、支配権をめぐって攻防をくり返す、日常のなかの「戦場」にほかならないことを、リブの女たちは明らかにしようとしたのである。(p.138)
━━━
〔社会学者のバーバラ・カッツ・〕ロスマンは『母性をつくりなおす』の新版(2000)で、テクノロジーそのものがつねに悪いわけではないが、個人の選択肢を増やしてくれるはずのテクノロジーが、同時に国家/市場/社会による支配や管理を増大させもするという側面に、もっと注意を向けるべきだと警告している。(p.230)
■書評・紹介
・朝日新聞(朝刊):2014年4月27日
・産経新聞:2014年4月27日
■言及
◆立命館大学産業社会学部2018年度後期科目《比較家族論(S)》(担当:村上潔)
「現代日本におけるオルタナティヴな「子産み・子育て」の思想と実践――「母」なるものをめぐって」
*作成:
安田 智博
/増補:
村上 潔
UP: 20150302 REV: 20150311, 20181027, 1103
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フェミニズム (feminism)/家族/性…
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産・生
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年表:出生に関わる技術・政策(総合)
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