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『障害学のリハビリテーション――障害の社会モデルその射程と限界』

川越敏司・川島聡・星加良司編 20130830 生活書院,192p.


last update:20131026
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『障害学のリハビリテーション』


■川越 敏司 ・ 川島 聡星加 良司 編 20130830 『障害学のリハビリテーション――障害の社会モデルその射程と限界』,生活書院,192p. ISBN-10: 4865000135 ISBN-13: 978-4865000139 \2000+tax [amazon][kinokuniya] ※


◆生活書院のHP http://www.seikatsushoin.com/bk/113%20shogaigakunorehabili.html

■内容(「BOOK」データベースより)

障害学は、何のために、どのようなものとして存在する(べき)か―その基本的な問いへの応答はあまりにも深められていない!!障害学にとっての基礎的な視点である「社会モデル」の分析を手掛かりに、「当事者性」「実践性」「学術的厳密性」の間の緊張関係に正面から向き合い、開かれた討議を通じて「学」として自己を鍛え、潜んでいるポテンシャルを引き出そうとする問題提起の書。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

川越/敏司
1970年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科前期博士課程修了、博士(経済学)。埼玉大学経済学部社会環境設計学科助手などを経て、現在、公立はこだて未来大学システム情報科学部複雑系知能学科教授

川島/聡
1974年生まれ。新潟大学大学院現代社会文化研究科修了、博士(法学)。現在、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員。主な研究分野は、国際人権法、ディスアビリティ法学(障害と法)

星加/良司
1975年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士(社会学)。東京大学先端科学技術研究センターリサーチフェロー、特任助教などを経て、現在、東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター専任講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

序章 障害学の「リハビリテーション」という企て 川島聡・星加良司
1  障害学の今
2  本書の狙い

  第1部 基調論文とコメント――社会モデルの分析と障害学への処方

第1章 社会モデルの分岐点――実践性は諸刃の剣? 星加良司
はじめに
1 矮小化された社会モデル理解
2 内在的な限界は存在するか
3 実践性の陥穽
4 実践性を再考する

[コメント]障害学とジェンダー論と 菊地夏野
1 ジェンダー論における「矮小化された社会モデル」
2 見覚えのある二元論批判
3 理論・学問は実践ではないのか?
4 能力主義と障害者と女性と

第2章 障害の社会モデルと集団的責任論 川越敏司
1 障害の社会モデル
2 合理的配慮の根拠としての責任に基づく平等論
3 集団的責任と障害者への配慮の提供
4 集団的責任論の基本論点
5 協調問題としての障害者支援
6 アファーマティブ・アクションの経済的帰結

[コメント]〈個人〉対〈社会〉の対立モデルからの脱却――「アファーマティブ・アクション論」による障害の社会モデルの復権 後藤吉彦
はじめに
1 理論的な武器としての、社会的構築主義
2  フーコーの権力分析からみた規範的主張の問題点
3  障害者を他者化する「神話」の問題
4  アファーマティブ・アクション論の意義
おわりに

第3 章権利条約時代の障害学――社会モデルを活かし、越える 川島聡
はじめに
1 社会モデルと障害の理論
2 社会モデルと多様な知見
3 社会モデルと統合モデル
4 社会モデルと障害学

[コメント]障害者権利条約実行のツール――社会モデルか統合(ICF)モデルか 佐藤久夫
はじめに
1 「抵抗の障害学」と「制度の障害学」
2 「英国型社会モデル」やICFより「米国型社会モデル」が妥当、という点 
3 「社会モデル」の二つの型
4 ICFが示す相互作用
5 現実の「相互作用」の多様な姿
6 障害者権利条約実現のためのICFの活用

第2部 ディスカッション――「社会」に開かれた障害学の可能性
 飯野由里子/川越敏司/川島聡杉野昭博中根成寿星加良司
1 基調論文とそれぞれの立場
2 障害学の現在
3 「社会」の責任を問うことの根拠
4 「社会モデル」の鍛え方
5 「社会」の区分とダイナミズム
6  障害「学」を実践する

あとがき


■引用


星加良司 20130830 「社会モデルの分岐点――実践性は諸刃の剣?」,川越・川島・星加編[2013:20-40]

 「もちろん、このようにエレべーターの不在や入店・入学拒否といったあからさまな非余り不当性を説明するために社会モデルを使用すること自体が、必ずしも間違いなのではない。社会モデルはその名のとおり「モデル」でしかなく、物事を理解するための簡便で分かりやすいツール、もしくは意味のある洞察を得るための出発点となる枠組みとして価値があればよいのだから(Oliver 1996, Thomas 1999, Finkelstein 2001)、そのような説明が有効である限りにおいて、それは利用されてしかるべきである。  しかしその半面、思わぬ副作用をもたらしてしまったのも確かであるように思う。それは第一に、社会モデルの射程を、特定の種類の問題に対する特定の種類の働きかけに関わるものに限定する理解を助長してしまった点である。上記の例のように、社会モデルに基づく説明が利用されるのが、社会の側にある障壁(エべーターの不在や教育提供者の差別的態度等)と障害者の被る不利益との対応関係が比較的見えやすい問題であり、しかもその解決策が明確に示されうるようなケースに偏っていたことによって、そうした具体的で個別的な問題への処方箋を与えるもの、あるいはそのために有効なレトリックとして、社会モデルを理解している人は意外に多い。しかし、上で確認したように、社会モデルによって焦点化される「社会」とは、何も個々の障害者が直面している個別的な社会的場面だけではなく、その背後にある福祉国家システムや市場経済済システムをも含むものである。このことは、本来そうしたマクロな社会構造とディスアビリティとの関係についての理解を進展させることが仕事であるはずの障害学の研究者の間でさえ、看過される傾向にある。
 第二に、このように直感的な理解に訴えやすい事例が取り上げられることで、問題に対する因果論的な説明と責任帰属の議論とを同一視する理解が、無自覚なまま広まってしまったことである(星加 2007a)。確かにこの種の理解のあり方は、「社会的要因にって規制されている」ことと「社会的環境を変更すべきである」こととを無媒介に結びつける認識論的な誤謬(立岩 2004)として、障害学に限らず多くの社会学的研究の中に見出されるものではある。しかし、「『障害者』に『問題』や『障害』を抱えこませた原因は、社会のし△024 にあるのだから、それを補填する責任が社会の側にあって当然だろう」(中西・上野 2003:10)といった言い方がほとんど抵抗なく受け入れられているとするなら、障害問題に関わる領域においてこの病弊は相当進行してしまっているといわざるをえない。
 これらが混合することによって、社会モデルとはエレべーター設置の新しい切り札だという思い込みが障害学研究者の内外に広まってしまったとすれば、それは悲劇的なことだ。結果的に社会モデルをどのように評価するにせよ、これではその真価を適切に測ることはできない。我々はまずこうした思い込みを乗り越え、本来社会モデルが持っている可能性に光を当てなければならない。」(星加[2013:24-25])

◆川越 敏司 20130830 「障害の社会モデルと集団的責任論」,川越・川島・星加編[2013:52-76]

川島 聡 20130830 「権利条約時代の障害学――社会モデルを活かし、越える」,川越・川島・星加編[2013:90-117]

■書評・紹介


■言及



UP:20131005 REV:20131026
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