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『蘇生した魂をのせて』
石牟礼 道子 20130420 河出書房新社,222p.
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last update: 20181121
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石牟礼 道子
20130420 『蘇生した魂をのせて』,河出書房新社,222p. ISBN-10: 4309021778 ISBN-13: 978-4309021775 1800+
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■内容
▼河出書房新社Webサイト内の本書ページより
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309021775/
「人間とは何か、私たちはどこへ行くのか――破壊し尽くされた自然や人間の悲劇と、その闇の奥底に立ち上がる新しき叡智を語る対談・講演集。受難の時代にこそ響きわたる水俣からの言魂集。」
■目次
[対談]深遠な「自給自足」の暮らし――田上義春さんとの対話
[講演]蘇生した魂をのせて
[講演]来水前に話しておきたいこと
[講演]水俣・水天荘にて
[講演]日月の舟
[講演]私たちは何処へ行くのか
[対談]加害・被害の枠組みをどう超えるか――緒方正人さんとの対話
[インタヴュー]魂が揺れる場所
■引用
▼[講演]蘇生した魂をのせて 〔*1994年5月14日の講演〕
わたくしどもは、たとえば「闘う患者さん」と言いますときに、つい病苦を抱えておられることを忘れてしまいます。つい忘れて「闘う患者さんだから、いい患者さんだ」とか。それから六〇年代を体験したわたくしどもは、なんとなく人民戦線に対する一種の憧憬と言いますか、戦後日本の疑似的な革命幻想のようなものがございまして、それで「闘う庶民」「闘う民衆」の姿を水俣の患者さんに見出して、自分たちの幻想を患者さんたちに預けてしまっていないでしょうか。患者は闘っていなければならないという期待を持ちがちではないでしょうか。自分は前面に出て闘えないから患者さんたちに仮託して、そこに参集したいというのがあったと思うんです。今もあると思います。|そうして患者さんたちひとりひとりがどういう日常の中におられるか、夜お休みになった後、どういう苦しみの中で一夜を過ごされるかというのを、あまり想像しないのではないかと思われます。でもわたくしはやはりそれを思いたいですね。いちばんつらいところをです。思うだけで、代わってさしあげることはできませんけれども。┃(p.35)
わたくしのテーマは日本の近代が、何故このような姿になったのかを辿り直すことなんです。[…]日本人の原像探しなんです。その暮らし、日本の近代というものをもっとよく考えたいと思っております。|わたくしなんかは紛れもなく近代人の側面をもっております。進歩的な思想というのがありますよね。近代的な諸概念というのがあります。戦後民主主義というのもございますね。それからさっき人民戦線と言いましたが、そういうものが六〇年代以降、ひとつの概念として進歩▽△的な陣営の中で根付いております。さまざまな地域住民闘争など権利を取り戻す運動は今も続いておりますし、女性の側で言いますとフェミニズムなどが起きておりますね。これはそれぞれ歴史の必然があるわけで、わたくしはその元をずっと考えております。どういうところからこういうふうになったのかと。人間がものを考えていく上でのその大本はどこから出てきたのか、そしてそれはどういう方向に向いているのかと思うんです。それを水俣に沿って考えてみたいと思っているわけです。┃(pp.38-39)
山や海や川や渚で生きている人たちは、人前で率先して自分たちのことを言いません。その辺で流通している言葉を知ってはいても、それを使うことには恥じらいを感じるような人たちの存在は、まだ滅びてはいませんが、どんどん少なくなっております。しかしその存在の深層が水俣では露出して見えていると思います。ですから、これを読み解くのがわたくしや支援される人たちの仕事なんですね。それが読み解けなくなったときには、わたくしたちに宿っているはずの叡智、ご先祖から受け継いできた非常に達成度をもった叡智が死ぬときだろうと思います。そういうことがわたくしたちの課題ではないでしょうか。深層として読み解くこと。深層というのは深く深く隠れておりますが、しかしそれは暴き出されていると思うんです。胎児性の患者さんなんかを見ていてもそう思います。常ならぬ姿で深層から生まれてこられた精霊たち。わたくしどもはその絶対的受難の前に少し近づくことができる。恩着せがましくない形で、多少の思いやりを持って、密かな片思いで。あの方々、特に胎児性の人たちの姿を見ます▽△ときに、これは現代や未来に対するある発せられない言葉をもった精霊たちが出現しておられる、そうわたくしは思っております。┃(pp.42-43)
近代人はこの世に自分たちが存在しているということを読み解こうとして必死です。どういうことであるかを読み解きたい。しかし、この世には読み解けないことがあるんだということをですね、読み解けないことがあるからこそ、だからこそ、わたくしどもは志や課題を後世に託すことができると思うんです。ですから、せめてその課題はどういう方向に向いているかということを、明確にはできませんけれども、いくらかは形にしたいというふうに思っております。┃(p.43)
▼[講演]来水前に話しておきたいこと 〔*1994年12月26日の講演〕
これも〔1994年〕一一月のことでございますが、その「環境創造みなまた実行委員会」がやりました行事を受けて、水俣市が水俣病を意味付けしたんです。市が水俣病のことを避けては水俣市の復▽△興はあり得ないんだということを表明されました。その中で市はいろいろ分析をされているんですが、たとえば「どんなことでも水俣病は好かん」「どんなことでも水俣病の支援者は好かん」「石牟礼の本は絶対に読まん」そう思っている水俣市民は三分の二くらいいるんだそうです。ですけど少なくとも三分の一くらいは前向きに考え始めたそうです。[…]|その委員会が主催する市民大会で驚くべきことがありました。色川大吉先生が団長を務められた不知火海総合学術調査団の『水俣の啓示』という本がございます。わたくしは水俣の人はまさか読まないだろうと思っていたんです。そうしたら三日目の最終日、それを読んだという女性が壇上に登場しましたんです。その人はまだ訴訟が始まらないごくごく初期に、細川先生のカルテやノートの中にだけ名前がある、水俣の保健所の初期の名簿の中にだけ名前がある患者さんの娘さんだったんです。┃(pp.65-66)
それで、先程のその女性の話ですけれど、彼女の井戸の話は非常に感動的なんです。自分の▽△家族が水俣病の被害者であったということを今初めて話す気になったのは、『水俣の啓示』という本を読んだからだっておっしゃるんです。あれを読んだからだって。友達が図書館から借りて読んで「これ、よか本」と言って又借りして、非常にびっくりして「こういうわけだったのか」とわかった。┃(pp.71-72)
これはつい最近のことです。水俣病をきちんとせねば、水俣は世界に対して次の世代に対して顔向けできんし恥ずかしいという人たちが三分の一。[…]三分の二の市民は強硬に、あそこ〔水銀ヘドロの埋立地と沖の恋路島〕はレジャー基地にしろと言っているんですね。その中で患者さんたちは「あそこは絶対に銭金[ぜにかね]で考えたらいかん」とおっしゃっているんです。この水俣は恥ずかしいけどやっぱり環境破壊の見本です。患者さんたちやわたくしたちの生きている間に意志を伝えなければいけない。┃(p.76)
今、あの人の具合が悪くなった、あの人が死んだという最後の時期に、やっぱり人に会った印を引き継いでおきたいんです。人に会い、人の縁を結んで、この世で縁を結び直すことができたんだ。縁もゆかりもなかった人々がどうして自分たちを訪ねて、そうして支援してくださるのだろうか。これはやっぱり神さまか仏さまのお使いに違いない。神さまや仏さまはどこか遠いところで飾ったところにいらっしゃるんじゃなくて、人が来て「神さまか仏さまが来てくださったに違いない」とおっしゃいます。これを信ぜずして何を信じることがあろうか。人の縁というのはこういうことに違いない。「そういうふうに人さまに会わせていただいて、初めて私たちは蘇ります」「私たちは蘇りたい」そうおっしゃいます。┃(p.78)
昨日の晩、杉本栄子さんを中心に魂入れの儀式をしたんです。この構想の前に、わたくしは色川大吉先生に久高島に連れていってもらって、最後の久高島の行事を見てきたんです。そういたしましたのは、質が全然違いますけれど、水俣も、まだ女の患者さんたちが生きている間▽△に、久高島のような魂を呼ぶ聖域と言いますかメッカのようなものにならないかと思いましたからなんです。これはなります。もうなります。一遍やってみましたが、なりました。そのときは栄子さんひとりでございましたけど、死んだ者たち、人間だけじゃなく死んだものたちの気持ちになって、あそこでその人たちを呼び寄せてくださいと栄子さんに頼みましてね。装束なども久高島とはあまりそっくりにもできませんけどやってもらいました。ビデオを撮ってくれた土本さんが「すごかったなぁ」とおっしゃっていましたし、見た人は相当なショックを受けたみたいでした。魂を呼ぶために火を二千本くらい飛ばしたんですけど、来年から栄子さんの後に続く巫女さんを増やしていこうと考えております。巫女になる資格はいりませんから。その人たちが「こういう意味です」と言えば、その気持ちになんなさると思います。実に美しい迫力のある第一回ができました。┃(pp.80-81)
▼[講演]日月の舟 〔*1996年4月29日の講演〕
今、環境問題が盛んに言われておりますけど、いまひとつ環境問題には魂が入られんなあとわたくしは思うんです。しかし魂というのはどうしたらいいのか。あの水銀がどぼどぼになってしまった百間排水溝の跡は埋立てられましたけど、皆さん「俺たちの魂の帰ってくるところ▽△じゃもんな」とおっしゃいます。死んでからもそうですし、今生きていても魂が帰っていくところなんですね。水俣病の被害地帯はたくさん広がっていますから、皆どこか別々のところで死ぬんですけれども、やっぱりいちばんよかったあの場所に帰っていく。そのよかったところがいちばん濃厚な水銀汚染地帯なんです。[…]そこでたくさんの魚をとっていた人たちの多くが水俣病になっておられます。その人たちがやっぱり水銀の排水溝があったところに帰りたい、水俣弁で言うと「魂はあそこに帰るもんね。死んでからもそこにおるもんな」とおっしゃいます。|支援者の方々は一生懸命やってくださるんですけど、中にはやっぱりそこが理解できないとおっしゃる方もおられます。[…]それで「患者の気持ちが分からん。患者は闘いを捨てたのか」と思う人もいるんです。そう思われるのも無理がないと思います。水俣の自然に親しんだことのない、昔の姿をご存知ないわけですから、それは仕方がないと思うんです。けれどもあそこに魂を入れ直したいと思う患者さんの気持ちになって、魂をどうやって入れ直そうかとお考えになってみていただきたいんです。┃(pp.108-109)
水俣病の思いを託す本とか研究所とかそういうものも必要ですけど、患者さんたちは字をお読みになりませんから。患者さん自分自身の思いを託する場所として、あそこに自分たちの生き形見を、生き手形を置いて残しておきたい。[…]そういう手形を、水俣流の手形をあそこに残しておきたい。そこであそこに仏様を置きたい、という発想になったんです。┃(p.110)
患者さんたちは[…]あそこ〔埋立地〕は本当の意味での受難の地であると。水俣病の受難を今までも引き受けてきたし、これからも引き受けていく、死んだ後も引き受けていくんだから、その思いはあそこで完結させたい。後世あの場所に来てくださる方が、あるいは自分たちが生きている間に来てくださる方が、患者さんたちの魂の軌跡を辿っていってくださろうとするときに目で見て分かるような姿にしておきたいと、そう考えておられます。┃(p.110)
わたくしも、魂と言えば、どう言えばいいでしょうかね。東京辺りからいらっしゃる学校の先生方は子どもたちに魂というのを伝えにくいと聞いたことがあります。近代的な合理主義から言えば「死んだ後に魂が残るなんて、そんな……」「死後の世界を信じるんですか……」ということになりますよ。|でも、水俣の人たちは、わたくしもそうですけど、魂というのがあると思っているんです。民俗学とか文化人類学とか、何か未開民族の宗教的な習俗の中にそのままあるなとか、あるいは文学作品や柳田国男さんの物語とかを読んだりすると魂というのがあるとお分かりになるかと思います。けれども魂はそういう文献の中にあるものじゃなくて、実際生きて、今、魂が働いているんです。特に水俣の患者さんたちが魂と言われるときには、「あの人たちの魂とあんたたちの魂は違うもんな」とおっしゃるのは意味があるんです。┃(p.111)
▼[講演]私たちは何処へ行くのか 〔*1996年9月28日の講演〕
不知火海総合学術調査団の先生かたがいらしたときも、大変熱心にご研究くださったんですけども、研究された患者さんたちのほうもまた先生方の仕草や動作や言葉や、「はあ、こういう人たちが学者ちいうもんばいな」と、大変大変楽しまれて、何と言いますか……ごちそうするんです。違うごちそうにこしらえあげて、騙したとは思っておられない。違うものにつくり上げて言葉でごちそうして、それで「面白かったなあ」と思い出にして後々まで楽しんでおら▽△れます。「今度誰かが来なさったら、『ちりめんじゃこは鯨になっとばい』ち言おうかな」という話をされておりました。|わたくしが思います豊かさというのはそういうことなんです。お互いに生きていることが、何であれ、どんな小さなことであれ、嬉しい。今日は楽しい時間があったとお互いに楽しい時間を分け合う、そういうことがあの人たちの豊かさであって、その豊かさは今も消えておりません。時は止まってるというのはそういう意味でございます。海辺の気配が賑わっているんです。┃(pp.132-133)
何事かを考える基準の中に必ず、何と言いますか、人間だけで等身大というのではございませんで、狐も鼠も何かを知らせてくれる。風の便りも何かを知らせてくれる。波の音も何かを運んでくる。そういう、本当に、人間の側からだけでなくて、ちりめんじゃこが鯛になってみ▽△せたりという嘘……。それは嘘と言えなくもないけど、嘘ではない。どう言ったらいいんでしょう。小さな世界を大きな世界の中に溶け込ませて、あるいは、大きな世界が小さな世界となって滲み色を変えるような、あるいは、声の響きを変えながら、世界というものがどんなに小さな片隅であろうと再生させていく、つくられていく、そういう神話的な世界です。|そういう意味では水俣は、神話的な世界と溶け合わない近代文明に侵入されている。あるいは侵略されていると言ってもいいんですけれども。産業文明、技術文明、そういうものは市場主義の経済で成り立っています。そういう経済原理で成り立っているイデオロギーに侵略されていく神話的世界という意味で、水俣の時は止まっている、とわたくしは思っているんです。それは壊されてはいけなかった世界、壊してはいけない世界で、でき得ればその世界を引き継いでいきたいんです。┃(pp.138-139)
今、患者さんたちが超えられつつある非常に崇高な、自分たちの生命と日々の内面の凄絶な闘いの中で得られつつある人間への愛と言いますか、慈悲のような眼差し。人類に希望はないとは申せ、そういうのはたぶんわたくしたちの中にはやはり、そこを突破してこそ得られる希望というのがある予感もするんです。そういう時間を抱えて、それがどういう豊かな内面の世界であったかというのをわたくしは詳しく点検したい、思い出したいと思うんです。|それは、すっかり見えなくなっているのではなくて、見ることもできるし、聞こえることもある。┃(p.140)
緒方〔正人〕さんも言っておられましたが、体は治らない。希望は、今日はいっぱい指が動いたとか、ここまで曲がったとか動いたとか、そういうことを、架空の希望を繋ぎ繋ぎしてこられて生きていらっしゃる。それは、怒りの深かった方々の断念と希望でございます。それからさっきから申し上げているような、非常に豊かな世界が生きたまま残っていて抱えていらっしゃる。今の都市生活とは世界観が違います。世界と言うとき、世界地図ではござい▽△ません。生きている人たちの気配に満ちた、それは人間たちだけでなく海辺の草や生き物たち、山の神様たちとかが行き来できていた世界。山が、水が、川が、人の暮らしが健全で、日々新しい神話が生み出されていた世界。そういう世界のことをひと言で言えば、魂としか、魂の世界としか言えないものです。その救いが唯一、残っているんだと。|魂という言葉は、この言論の自由の世界の中で、権利の主張ではないんです。権利の主張でも、人を断罪するときにも絶対に使わない。正人さんも「あそこの川は魂の深かなぁ」と言ったり、「あの大将は今、魂を、たかざれき(高い空の上をさまよっている)」と言ったり。少し残念だというときには「ちぃっとばっかし魂の浅かもんなぁ」と言います。「お前はだめだ」とは絶対に言いません。人を殺すような言葉は絶対に使いません。[…]|そういう世界を、わたくしたちはやっぱり何とか取り戻したいと思います。そのことをお伝えしたい。そこを目指していけないものだろうかと思います。第一歩はそこを目指していけないかということです。┃(pp.161-162)
▼[対談]加害・被害の枠組みをどう超えるか――緒方正人さんとの対話 〔*2006年3月5日の対談〕
〔石牟礼:〕ものを書くというのもそれ〔戦争や水俣病との関わり〕とは別のことではありませんもので、つくづくわたくしという人間は不自由ですねえ。リアリズムで戦争や水俣病を考えているだけではなくて、表現者というものは、最近は能や狂言を書いているんですけれど、現実があまりにも切羽詰まっているものですから、それを昇華するというか、あまりにも自分が煮え詰まっているもので、気化作用みたいなのが起こってきて、それが表現になっていくのだろうと思います。┃(p.168)
〔石牟礼:〕水俣病が起こる前に、そういう光景〔戦時中の極限状況での人の行動〕を何遍も見ました。もう少し差し迫ればお互いに殺すんじゃないかと思わせる景色です。|そしてわたくしの近所には女郎屋があって、売られてくる十五、六さんたちが虐待されるのを見ているんです。地獄という言葉を周囲でよく使っておりましたが、生きるということは地獄じゃという気がしました。私の生まれ育ちの周りは地獄だったんですよ。我が家はそこから逃げてこられる唯一の場所だったんですけれど、それで水俣病が起きたときは、まだまだ深い地獄がどんどん見えてくるという感じでした。|さっき近代文学の文体は生半可というかきれいごとに見えたというのは、そういう体験があるからです。しかし、地獄であるこの世がどこもかしこも隙間なく地獄で埋まっているかというと、そうではなくて、わたくしが住んでいたのは貧乏な町でしたけれど、さっき言いました女郎さんたちがやさしかったり、泣く泣くその日を過ごす人たちに非常に濃い人情があったりして、“苦海浄土”というのはそのままこの世に在るんですね。|そこを書くにはどういう文体がよかろうかとずっと思っていて、それもあまりに生々しいリアリズムで書きますと、当たり障りがございます。それでフィクションにして書かなければな▽△らない。まあお芝居といいますか、[…]舞台化することがわたくしには必要だったと思うんです。それで一種の舞台劇として書いたんだと思います。最初からわからんようにして舞台表現にして書いた。|だから現実の世界ではあるんですけれど、そこにはフィクションが施してある。嘘かというと嘘ではない。そのようにして文学的出発をした。しかし現実に書いてしまったあと、やっぱり世の中に訴えなければなりませんので、それらしき組織をつくっていただきました。|当時、[…]水俣病市民会議というのをつくったときには「組織の肩書をはずして、ひとりになって来てください」と何遍も申しましたが、これが中々わかってもらえませんでした。┃(pp.172-173)
石牟礼
あのとき〔チッソ東京本社前での座り込み〕はですね。みんな行き場がない。患者さんがいちばん行き場がない。[…]患者さんのほうにも水俣にはおられんという気持ちがあって、それで一緒に行こうと思ったんですね。運動の成果を出すためにとか考えませんでした。|[…]補償してもらいたいということもあるんですけれど、気持ちが分かってもらわんことには浮かばれんということがあって、えらい人というのを探しに行きなさったんですね。[…]死んでもよかたいって患者さんたちはおっしゃってました。チッソの前で死ねば本望、それ以上の望みはなかとおっしゃっていまして、それならば私も一緒に行こうと思って、一種の死に場所を探しに行きなさったような雰囲気でしたね。|学生運動も行き詰まっていましたし、一部の学生たちにもそういう気分があったのではないでしょうか。近代社会の行き詰まりがあのとき来たんだと思います。日本が近代社会をつくって、戦争に突入して、ああいう戦後の迎え方をして、価値観が本当に見失われて、死に場所があればいいなというのが社会の底流にあったと思うんです。その中に水俣は非常に象徴的にあった。そういう気持ちで座ったと思うんですよ。それで、なーんも怖[おそろ]しゅうはなかった。┃(p.180)
緒方
あれ〔チッソ工場前での座り込み〕は一九八七年から半年間、一週間に一度、ひとりで座ったんです。私の場合、患者の認定を求める十一年間の運動に疑問を持ち始めて、それと同時に水俣病患者という私自身に対する疑問を持っちゃって、狂ってしまったわけですね。[…]認定や、補償や、そういう問題ではない。金ではない。だとすれば何なのか。そういう狂いの中からひとつ探し出したのが、「私はもうひとりのチッソであった」ということで。┃(p.182)
〔緒方:〕そのときには、何かを要求する行動ではなくて、石牟礼さんの言われた狂言そのもの。私の場合は文章に書けないものだから、体で自分自身の今を表現したいと思ったんですね。チッソの正門前というのは舞台そのものだった。┃(p.183)
〔緒方:〕死の際々を往ったり来たりしている、ものすごい緊張感があったんですね。そのとき相手に対して、チッソに対してなり世間に対してなり、何かの答えを求めないということが非常に大事だと思う。理解を求めない。答えを求めない、ただただある姿をさらすというこの一点に、揺るぎなく立つ気持ちにならないと実行できないんですね。┃(p.183)
〔緒方:〕私はいつも言うんですよ。あのとき患者側の者はチッソや行政の人間を誰ひとり殺さなかったけれど、最初から殺すまいと思っていたわけじゃない。多くの人が殺意との葛藤の中にあったんだ、そう捉えるべきだ。生まれたときからそんな善人であったはずはないんだということです。何と闘ったのかというと、それぞれの被害者は自分の内側で殺意と闘い、自死と闘い、そういう恐怖感との闘いを経て来たんだという気がするんです。┃(p.185)
緒方
石牟礼さんが前から言っていたように、海や山でたくさんの生きものと遊び戯れ、それを喰って生きてきたという、たくさんの命との繋がりの中で、その力が養われるというあり方があった。私が幼児体験が非常に大事だったと思うのは、狂いのときの支えはそこから来るものだからです。┃(p.185)
緒方
水俣病闘争と言われてきた面もひとつあるけれども、いまひとつはそれぞれの人の生きざまとしての内的な闘いがあったし、そのことに感動を覚えるんですね。┃(p.186)
〔緒方:〕「チッソは私であった」というのは、自白なんですね。素直に自白できたということは、現実世界よりも自然界に自分の「信」があるということを確認したということだろうと思います。命あるものとして帰属する世界をやっと見つけたという感じはあったですね。┃(p.187)
石牟礼
東京の座り込みから帰りますときに、今のような状況を予測してまして、お金は必要なことではありますけれども、救済という言葉を使えば結局お金での救済ということになって、そのことならいつか終りが来るでしょうけれど、魂の救済ということになりますと、五十年かかって捨て金で救済されたとハンコ押されて、そのあとどうなるんだろうと思いました。|人間としての助からなさがあとに残りますよね。何のため生れて死んでゆくのか、ああこれだったのか、今の世に生まれ合わせて人間の絆ができたのかできなかったのかというのがいちばん大事だと思うんですけれど。ああこれでよかったという縁[えにし]に逢えることですよね。それをどうやって作ってゆくかというのが残された課題ですよね。┃(p.190)
〔緒方:〕二年ほど前、「能・不知火」の奉納の準備をしていたとき、我々には課題責任というものがある、課題に応答する責任▽△があるんだということを言いました。以前言われていたのは、加害責任だとか、行政責任だとか、国の責任でしたけれど、そういうものを超えて課題責任というものがあるんじゃないかと。応答してゆくということが非常に大事だと私は思う。|「能・不知火」の表現も応答ということじゃないか。今までの患者や支援者の行動も裁判も含めて実は表現としてなされてきたのではないか。闘いとか訴えとか言われてきたことも表現手段だったんじゃないかと思うんだけれど、しかし、これまでのそうした行動が表現力を持ち得なくなったところに、もっと原点に返って表現しようとしたのが石牟礼さんの「能・不知火」だったと思う。石牟礼さん自身が表現者だというのは紛れもないことだけれども、水俣のことを長く記憶し、命を祀るということの中には、祈りも含めて表現ということを考える必要があるんで、私は「本願の会」は表現行動をする集まりだと思うんですよ。┃(pp.190-191)
〔石牟礼:〕胎児性患者の人たちには聞いてもらいたいことがたくさんあるのではないでしょうか。わたくしたちが聞き洩らしていることはたくさんあると思います。大きな目標もいいですが、それには小さな願いが無数に込められているので、そういう目標を掲げることができればいいですけど。┃(p.192)
▼[インタヴュー]魂が揺れる場所 〔*2007年4月6日のインタヴュー〕
石牟礼
水俣というと悲しみや苦しみということが前面に出てしまいますがそればかりじゃ▽△なくて、魂が美しいということがありますよね。人間は、栽培した花ではなくて野の花に喩えると言いますけど、野の花が蕾[つぼ]んで開いて実をつけて、またその実が落ちてというのは初々しいですよね。それは水俣だけじゃないと思うんです。生命の世界というのは全て初々しい。そういうことに気がついてもらえればどこででも、水俣でなくてもいいと思います。┃(p.212)
〔石牟礼:〕人間も含めて生命の芽生えてくるときの姿は本当に可愛らしい。[…]赤ちゃんの泣き声は感情が入っていて、ああいう声を聞いていると元気が出る。そういう何か、生命の原初というのを感じる能力があれば、水俣のことが分かると思うんですよ。┃(p.215)
石牟礼
患者さんたちは「こんなひどい目に遭った」というふうにはおっしゃらないですよね。それはもう言葉では表現しにくいことです。人間としてのプライドと言うんでしょうか。緒方正実さん〔水俣市立水俣病資料館「語り部の会」会長/『水俣・女島の海に生きる――わが闘争と認定の半生』著者〕が、「存在を取り返したい」とおっしゃった。そこでいう「存在」というのはご自分だけのことではないですよね。ずっと、緒方さんがそこに生まれてくるまでの家系や、その家だけでなくて、あの浦全体、もっと深い意味の「存在」ですね。それを含めておっしゃっている。┃(p.216)
〔石牟礼:〕こういう大きな受難に遭った共同体というのは、もちろん被害者の共同体には違いありませんが、ある時代の罪を担ってしまった共同体というのは、運命でしょうね。それをそれぞれの人たちが担っておられる。自覚するとしないとにかかわらず、皆それぞれの表現でおっしゃって担っておられる。好むと好まざるとにかかわらず、人間の運命のいちばんの負の部分を水俣は担ってしまっていて、放棄するわけにはいかないんです。放棄しようと思ってもついてくるわけですから。この罪業の世紀を乗り切れるのかどうか。水俣だけでは過酷すぎますね。心ある人たちに端っこのほうでもいいから加勢して担ってもらわなくては、とても乗り切れない。(p.217)
〔石牟礼:〕たとえば杉本栄子さんや緒方正人さんがおっしゃってるけど、「チッソが助かってもらわんば、私▽△どもも助からん」って。そういうことを考えられるのは、もう神様ですよね。┃(pp.217−218)
〔石牟礼:〕チッソが担うべきものをあの人たちが担っておられます。こうなればもう人間じゃなかろうとわたくしは思うんです。|これは高度な学問をしてきた人や高度なシステムを考えてきた人とは別の論理の体系です。近代を超えた哲学と言いますか宗教と言いますか、新しい知性が今、水俣の辺りにつくられつつある。ある筋の学問をした人たちは「宗教なんかあっても救われない」と思うでしょうけど、ある意味で行き過ぎのことはできないですね。自分たちの絶対的な加害者のために祈るという考え方は、絶対的加害者と有機水銀の二つと、絶対的な受難者とを比べたときに、勝ち負けとかいう言葉では言えないということですよね。そこには近代を超えた叡智がある。それを後世▽△の人たちが体系づけてくれなくては困ると思っております。┃(pp.218-219)
〔石牟礼:〕命がけでないとこの問題は超えられないんです。命がけで超えようとしておられる方々が実際にいますからね。あそこまでいった人たちが限りなくやさしい、それが若い人たちに伝わっているといいんですが。┃(p.220)
■書評・紹介
■言及
◆立命館大学産業社会学部2018年度後期科目《質的調査論(SB)》
「石牟礼道子と社会調査」
(担当:村上潔)
*作成:
村上 潔
UP: 20181121 REV:
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石牟礼道子
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水俣病
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