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『思想としての「医学概論」――いま「いのち」とどう向き合うか』

高草木 光一 編 20130222 岩波書店,400p.


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高草木 光一 編 20130222 『思想としての「医学概論」――いま「いのち」とどう向き合うか』,岩波書店,391+8p. ISBN-10: 4000258788 ISBN-13: 978-4000258784 4000+ [amazon][kinokuniya] ※

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先端医療技術の進歩は生命倫理上の難問を社会に突きつけ、高齢化の進む中で国民皆保険制度は崩壊に向かい地域医療は行き詰まっている。この「いのち」の危機の時代に、 医学・医療とは何だったのかを根源的に問い直し、現代社会の要請に応える新しい「医学概論」を構想すべく、佐藤純一・山口研一郎・最首悟・編者の4人が、 それぞれの立場と知見から医学・医療をめぐる問題群について縦横に論じる。

■目次

はしがき 高草木 光一

澤瀉久敬『医学概論』と三・一一後の思想的課題 高草木 光一 1-72
I 澤瀉久敬『医学概論』から三・一一後の『医学概論』へ
一 改正臓器移植法をめぐって
二 澤瀉久敬と『医学概論』
三 澤瀉久敬と川喜田愛郎
四 「医道」とは何か

II 三・一一後の世界と「近代」的思考の陥穽
一 「いのち」の危機の時代
二 「産学協同」の旋回
三 「近代」への根源的な問い
四 「人類の死滅」の想定
五 「いのち」と「くらし」の分裂のなかで

III 澤瀉久敬『医学概論』における近代の超克
一 澤瀉久敬と田辺元
二 澤瀉のコント理解
三 コント実証主義の諸問題
四 ベルクソンの受容

IV 近代の超克の光と影――優生思想との訣別
一 「近代の超克」と京都学派
二 アランディ『西洋医学の没落』について
三 澤瀉久敬における「優生思想」
四 優生思想との訣別

おわりに


近代医学・近代医療とは何か 佐藤 純一 74-150
I 「医学概論」小史――澤瀉久敬と中川米造まで
一 医学概論と医学哲学
二 日本の医学哲学(医学概論)の類型
三 ファシズムと医学
四 澤瀉久敬と中川米造

II 人はなぜ、どのように治るのか
一 ケサリードの話
二 呪術医療の可能性
三 プラシーボの(再)発見
四 病気の自然史
五 人はなぜ治るか

III 近代医学・近代医療の特徴
一 「現在の医療」としての近代医療
二 歴史的存在としての近代医学
三 近代医学の世界化
四 近代医学・近代医療の特徴
五 「制度的医療」とは

IV 近代医学の特質
一 「生物医学(バイオメディシン)」をめぐって
二 「特定病因論」の成立
三 確率論的病因論の登場
四 確率論的病因論での治療

おわりに――近代医学・近代医療の明日は


医療現場の諸問題と日本社会の行方 山口 研一郎 151-233
I 先端医療がもたらす未来
はじめに
一 三・一一と「いのち」
二 出生前診断による「いのち」の選択
三 予防医学と遺伝子検査
四 先端医療の落とし穴

II 医療現場、戦時医学、医学概論――私の履歴書
一 私の医学の原点、医療の原点
二 現代医療を考える会
三 戦争と医学
四 「医学概論」の役割

III 国民皆保険の崩壊過程
一 国民皆保険制度の成立とその明暗
二 国民皆保険制度の実質的崩壊

IV 地域医療と高齢者問題――早川一光を中心に
一 地域医療の理念と現実
二 早川一光の医療実践
三 高齢者問題の実態
四 高齢者問題へのビジョン


「いのち」から医学・医療を考える 最首 悟 235-315
I 科学・医学・生物学・「いのち」学
はじめに
一 関わりのある医師たち――私の医師観
二 科学について
三 生物学、バイオロジー、ライフサイエンス
四 医学、メディシン

II 医学は「いのち」を救えるか
一 「いのち」という言葉で表そうとしていること
二 医療運動
三 病いとは――「治る」こと、「直る」こと
四 プラシーボ効果、ホメオパシー
五 脳死・臓器移植、バイオテクノロジー

III いのちはいのち
一 「いのち学」の視点
二 星子以前・以後
三 多元的一元
四 分有、融即
五 同一性
六 ホーリズム

おわりに


シンポジウム 「医学概論」の射程―― 一九六〇年代から三・一一後へ
I 東大闘争における最首悟と高橋晄正
II インフォームド・コンセントのパラドックス
III 近代医学・近代医療へのまなざし
IV 「医原病」について考える
V 放射能被害をめぐるアンビヴァレンス
VI いま何をなすべきか

あとがき 高草木 光一

人名索引

山口 研一郎 20130222 「医療現場の諸問題と日本社会の行方」,高草木編[2013:151-233]

■引用

佐藤 純一 「近代医学・近代医療とは何か」,高草木[2002:74-150]

 「近代医学と漠方医学を、両方とも科学性が不足している・欠如していると批刊した高橋晄正も『現代医学概論』(東京大学出版会、一丸六匕年)を書いています。この医学概論のなかで高橋晄正は、武谷の埋論〔いわゆる式谷三段階論〕を援用して議論していますが、後に武谷の信奉者からは、高橋は武谷理論の解択が間違っていると批判されています。一九犬〇年代末に高橋晄正は「反日共」といわれた人たちとし「共闘」していますので、日共系の武谷シンパから批刊されたという側面もあるようです。」(佐藤[2013:88])

 「ちなみに、先にお話しした高橋晄正氏は、東大医学部の研究者時代の一九六〇年に、薬の効果判定の研究に参加しますが、そこで行なわれていた効果判定法が、「一〇〇人の患者に薬を(使いました)、ハ〇人(治りました)、だから、薬は八〇% (効きました)」というような方法だったので、これを「使った、治った、効いたの三タ方法」として非科学的方法と批判します。ここから、彼の「日本の近代医学は科学的でない」とする批判がスタートするのです。欧米の近代医学では一九五〇年代から、治療効果判定では、先ほど述べたプラシーポを前提とした比較法〔それも、「二重目隠し検査」あるいは「二重盲検法」と言われる方法〕が行なわれていたのに、日本の医学では、その考え方も判定法も、ったく無視して、一九六〇年代まで、「三タ方法」で効果判定していたのです。」(佐藤[2013:109])

最首 悟 「「いのち」から医学・医療を考える」,高草木[2002:235-315]

 「青医連(青年医師連合)」は、一九六六年に結成され、インターン制度撤廃によって闘争勝利したために、一九六八年三年問の活動を終焉させます。そこで活躍した黒岩卓夫は、一九五四年にできた医学連でも活躍した人物です。地縁のない新潟に、田中角栄に直談判して地域医療診療所をつくりあげました。彼はある意味では地域医療の草分けと言ってもいい存在です。青医連は医局から追われますので地域医療に行かざるをえなかったとという面があります。そういう系譜のなかで徳永進の名前は覚えておいていただきたいと思います。「ぼくは臨死の患者が好きだ。治す必要がないから」と私もシンポジストとして出たニ〇一一年の東本願寺でのシンポジウムでも言っていましたが、彼大の医学部闘争の後、地域に出て烏取に「花の診療所」を開きます(徳永進『死の中の笑み』ゆみる出版、一九ハニ年、参照)。また、医師国家試験ボイコットが成立する背景の特殊性を見事に体現しているのが今井澄とという医参議院議員にもなりました。東大医学部を三度退学争処分になり、三度復学しています。諏訪中申央病院に赴任した後に、安田講堂事件の有罪が確定して服役します。茅野市は、有罪確定して服役、出所した者を諏訪中央病院院長に迎えられるように、市の規約を変えたはすです。」(最首[2013:270])

 「近代医療には、金がかかります。科学技術を駆使した先端機器を病院は設設置しますが、うちはお金がないので前の「世代」の古い機器を使いますというわけにいきません。技術は「世代」ごとに飛躍的に発展しますから、何億円かかろうとも最新世代の機器を導入しなければいけない。その設備技資を回収するためには患者が必要になります。患者をつくってでも患者を確保しなければならなくなります。
 こうした病院医療の矛盾がアメリカで顕在化した頃、WHOが「伝統医療の再評価」を提唱したのです。日本で言えば、鍼灸、漢方となりますが、こうした伝統医療は、文明としての現代科学の正則現象のなかに入らない変則現象ですから、なぜ効くのかは迫求してもわかりません。ともかく、そうした「文化」としての医療を活用していこうという発想が一九七〇年代末に現れてきました(⇒本書、三四八ー三五〇頁)。<0272<
 日本の医療は非科学的、非合理的なおまじない医療であった。ドイヅ医学を学んで努力はしたものの、とうてい科学的医学、自然科学をもとにした医学とは言いがたい。とくに薬はおまじない効果に頼っているだけではないのか。これが、東大医学部物療内科の高橋晄正の問題提起でした。大学に散々反逆しましたので、講師止まりでした。
 彼は薬効に関して科学性を導入するために、ダブル・ブラインド・テスト(二重盲検法)を提唱し、アリナミンは無効なばかりか有害だという主張を押し通しました。『沈黙の春』(原著一九六二年。青樹簗一訳、新潮社、一九六四年、新潮文庫、ニ〇〇四年)を著したレイチェル・カーソンは、大手企業を相手にして、四面楚歌のなかで闘いました。そのような反逆者は、マスコミを通じて、人間性に間問題があるかのような攻撃を受けることになります。高橋晄正は、六八年の東大医学部の冤罪事件を告発することもしているので、よけいに追いやられてしまいます。」(最首[2013:272-273])

 「石川憲彦は、東大病院小児科、精神科勤務を経て、静岡大学教授になり、いまでは「林試の森クリニック」を開いています。彼の書いた『治療という幻想――障害の医療からみえること』(現代書館、一九八八年)はお薦めの本ですここで、石川憲彦が「直り」という言葉を復活させた意義は大きいと思います。

 直るということばの響きは、あくまでも能動的である。この能動性は、直ってゆく主体の広がりをいくらでもふくらませてゆける。私が直ったり、私とあなたとの関係が直ったり、社会が直ったりと、一つの直りは主体を白由に開いてゆく。また、直りの質も、多様に広がりをもっている。「病気は直らなかったが、希望に満ちあふれている」という居直りともいえる質の直りすらが、直ることの質を広がらせる。〔同書、三六頁〕

 私は水俣に調査に行ったときに、旅館で「先生、お荷物を直しておきました」と言われて、すぐには意味がわかりませんでしたが、「元の場所に戻しておく」と「秩序ある状態に整理する」の二つの意味が込められた日常の言い同しだったのです。そのような「直り」として「治り」を捉え返すことで、医療現場が病院という特殊な場だけでなぐ社会全体に広がっていき、また「治癒」のイメージも変わっていきます。
 石川憲彦は、「直り」からさらに一歩踏み込んで「居直り」とも言っていますが、私は最近、「居座る(sit-in)」ことを提言しています。デモをやらないにしても、せめて座り込め。居座ったらどうだ。私たちの原点は、一九六〇年六月一五日に国会構内に突っ込んだことです。社会党や共産党の議員団は、「(間接)民主主義を守れ」と言って、大一なを襷を掛けて議員会館の玄関などに並び手を振り陳情書を受け取る整然たるデモをよしとしました。言い得て妙、<0276<「お焼香デモ」です。議事堂はおろか議事堂構内まで神聖なところとされ、人々がゆえなく入るような場所じゃない。試みれば固める機動隊とぷつかって死者が出るだろう。そんな「民主主義」があるか、冗談じゃないと言って、若気の至りでもありますが、突っ込んだのです。やはり、死者が出ました。樺美智子です。
 べトナム戦争の頃、座り込むのではなくて寝そべって死んだふりをする「ダイ−イン(die-in)」が流行りました。「シット−イン」は、派手なパフオーマンスをするわけではなく、守りの姿勢ではあります。バリケードに閉じこもるのも、「グリーフ・ケア(grief care)でずっとそばにいることも「シット−イン」です。医療の極め付けは、「そこに居ること」だと思っています。言葉をかけなくてもいい、黙ってそこにいればいいのです。医者が「治療と化す」(to become himself the treatment)〔ウォルシュ・マクダーモットが古来からの医戒として引用。『セシル内科学 第16版』原著一九ハニ年。小坂樹徳、高久史麿監訳、医学書院サウンダース、一九八五年、第一巻、xxxiii頁、参照〕という表現がありますが、医者が末期の患者のそばに、手を握ることもなくただ座りつづけることです。それはグリーフ・ケアの極意でもあります。石川憲彦の言う「居直り」も、「居」に「シット−イン」が含まれています。
 そのように「居直り」の境地に達した石川憲彦から見ると、古典医学は「ごまかし」であり、予防医学は「まっさつ」であり、リハビリテーションは「ぺてん」であり、教育は「せんのう」であるということになります。『治療という幻想』の第二章は「てんかん――古典医学(ごまかし)的治療」、第三章は「先天異常――予防医学(まっさつ)的治療 」、第四章は「脳性麻痩――リハビリテーション(べてん)的治療」、第五章は、「言語――教育(せんのう)的治療」ルいうタイトルがつけられています。
 石川憲彦は、東大医学部で青医連運動に加わったあと、東大病院精神科病棟のいわゆる「赤レンガ闘争」を行ないます。精神科は、軍医療の影響を直接的に受けている分野です。軍医療では、いろいろな実験ができますし、人類のためという大義名分もあります。また、敵は人問ではなく、モノか邪な存在という思想があります。この軍医療の発想で、精神病者にロボトミー、前頭葉一部切除手術が行なわれたのです。暴れまくる精神病患者もこれでおとなしく<0277<なりますが、それは「廃人」にしたと言ってもいい。露骨な「優生学」の立場からこのロボトミーをアメリカはすさまじい勢いでやりましたが、日本では戦後も東大が行なっていました。
 人間が人間をコントロールしようとすると、手に負えない者に対する強制的な手段が考案されていきます。一九九〇年代、アメリカでは注意欠陥や多動性の障害(ADHD)の子どもたちに対して中枢神経刺激の抗神経薬リタリン(methylphenienidate)が多用され、リタリンの生産量・消費量が急増したという報告〔Dorothy Bonn, "Methylphenidate: US and Eruropean views conversing?" The Lancet, 348, 1996〕があり、ADHDと診断された子どもの七〇%がリタリンの投与を受けているとのことです。アメリカではニ〇人に一人の児童がADHDと診断されているというのですが、これはロボトミーの変形です〔⇒本書、一三ニ−一三三頁〕。」(最首[2013:276-278])

 「私は、一九六九年に、当時教祖的存在だった吉本隆明から「この東大助手には、〈思想〉も〈実践〉も判っちゃいないのです」〔吉本隆明「情況への発言」、『試行』二七号、一九六九年三月、一〇頁〕というご託宣を受け、落ち込みましたし、考え込みました。「わかっちゃいない」と言われれば、「わかりたい」と思います。しかし「わからない」まま時間は過ぎてゆく。努力していないと言われるとそれまでです。しかし、密かに大きくなっていった意識は、「思想も実践もわかったらどうするのだ」とういことでした。」(最首[2013:287])

■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※

■関連書籍

◆高草木 光一 編 20090612  『連続講義「いのち」から現代世界を考える』 ,岩波書店,307p. ISBN-10: 400022171X ISBN-13: 978-4000221719 [amazon][kinokuniya] ※


*増補:北村 健太郎
UP: 20130307 REV:20130322, 27, 0915
高草木 光一  ◇佐藤 純一  ◇山口 研一郎  ◇最首 悟  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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