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『なぜ日本は、精神科病院の数が世界一なのか』

織田 淳太郎 20121023 宝島社新書,221p.


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織田 淳太郎 20121023 『なぜ日本は、精神科病院の数が世界一なのか』,宝島社新書,221p. ISBN-10: 4796695923 ISBN-13: 978-4796695923 800+ [amazon][kinokuniya] ※ m. i01m.

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現在、日本が保有する精神科病床数は35万床。実に全世界の精神科病床数の5分の1に相当します。欧米の先進国で「脱・精神科病院」がすすむなか、なぜ日本では病床数が増え続けているのでしょうか。そこには日本における精神科病院の成り立ちや制度、患者が病院側の喰いモノにされやすいシステムなど多くの問題がありました。著者の現場取材および多くの証言者の告白をもとに、日本の精神科病院が抱える“闇"を明らかにします。

内容(「BOOK」データベースより)
全世界185万床の約5分の1、実に約35万もの病床を保有する日本の精神医療。脱収容化が進む先進国の中にあって、なぜ日本だけがこれほどまでの病床を保有し続けているのか。あまりにも多い病床を埋めるべく、「寝たきり」ではなく「寝かせきり」にされる世の認知症高齢者たち。そして、病院の経営維持のため長期入院を強いられ、人生そのものを台無しにされた、夥しい数の「入院加療の必要のない人びと」。先の大震災では、多数の高齢者の死や1カ月にわたる遺体の院内放置など、改めて精神医療現場の杜撰な体質が浮き彫りとなった。患者の人権を無視した日本の精神医療が抱える“病巣”に鋭く切り込んだ一冊。

目次

プロローグ

第一章 3・11――そのとき、入院患者は
 精神科病棟への面会
 半年ぶりの再会
 3・11――そのとき、入院患者は
 鍵と鉄格子による管理
  院内放置されていた遺体
 …ほか

第二章 精神医療の元凶「保護者制度」
 夥しい数の社会的入院者
 世界的にも異常な数字の日本
 悪法としての保護者制度
 無慈悲に徹底されてきた保護者制度
 地方に顕著な長期入院患者
 …ほか

第三章 患者が病院の固定資産にされるカラクリ
 「斜陽のイギリスから学ぶものは何もない」
  病院による強権支配体制の恐怖
 気の遠くなるような長いF病院暮らしの序曲――
 なぜ箕輪さんは強制入院となったのか
 社会復帰を目指して
 …ほか

第四章 抑圧された収容生活からの脱却
 “殺人病院"を訪ねて
 大和川病院の暴力体質
 不祥事だらけの日本の精神医療現場
 閉ざされた長期入院から社会復帰へ
 社会的入院者~それぞれのこれから

■引用

 「次章でもその是非に触れているが、この入院者の外勤作業は、医療費の増大が懸念され始めた1990年頃から制限されるようになる。理由はおよそ2つ考えられる。ひとっは患者の外勤収入に対する病院側の不当搾取が問題視されたこと。もうひとっは、「働ける人がはたして入院する必要があるのか」という至極当然な国の声である。その声の根底にあるのは、現在、年間総額約2兆円に上る精神科医療費(このうち入院医療費は1兆4千4000億円)の大幅な削減政策に他ならない。
 しかし、潮田さんの場合、この外勤作業が精神的な糧となっていた。病院がその収入を不当に搾取することもなかった。
 「月に2、3万円の収入を得ることができました。多いときは月に4万円ほどになること<0129<もありました。そのお金で好きな本を買って読んだり、外出先で一人コーヒーを飲んだり、買い物をしたり……。そうすることでも世間と繋がっているという実感を得ることができたのです。私にとっての外勤は、有形無形の恩恵を私に与えてくれました」  だが、何かがおかしかった。長年にわたり仕出し弁当店での外勤に励み、べテランとして他の従業員の指導的立場にもなった。妄想はいつしか影を潜め、自分を客観視できるほど症状も安定していた。にも拘らず、退院に至ることはなく、歳月だけが無為に流れた。  「病院側は何とか私を退院させようとしたようです。実際、「退院したらどうか?」と打診されたこともあります。しかし、どうやら叔母が一貫して私の引き取りを拒否していたようでした。おかしかった頃の私のイメージが強すぎて、また再発でもされたら困るとでも思っていたのかもしれません」(織田[2012:129-130])

 「F病院への医療費支払いが、もはや限界という段になったとき、同病院が入完継続のためのひとつの抜け道を提示してきた。形だけの精神鑑定を施した上で、同意入院だった箕輪さんの入院形態を「自傷他害の虞のある」措置入院(強制入院)へとすり替えてしまったことだった。1950年施行の精神衛生法で、措置入院者の医療費はすべて公費負担となっている。
 この便宜上の手続きによって、「自傷他害の虞のない」箕輪さんの入院継続が可能になった。もっとも、こ、こうした作為的な人院形態の切り替えは、F病院だけでなく、ほとんどの精神病院で行われていた。1965年の精神衛生はの改正において、国が「医療費を支払えない患者に関しては、措置入院に切り替えてもいい」とする了解を示唆していたからである。
 そこにあったのは、世の精神障害者を一網打尽に収容しようとする国と日本精神医療界の思惑に他ならない。
 日本の民間精神病院を統括する「日本精神病院協会」(現・日本精神科病院協会)という1949年に創設された社団法人組織がある。その初代会長で、精神衛生法の制定にも深、関わった金子準二は、「杜会の平和は精神病院から」の”決意”を持って、同協会設立<0153<趣意書の中でこんな偏見に満ちた言葉を残している。
 〈精神障害者の家族近隣は勿論のこと、離でもと云える程、杜会人一般の生命、財産、名誉が精神障害者の病的行為の危険にさらされ、文化的の最低限度の生活も到底安穏に営めず、苦悩しなくてはならぬ〉」(織田[2012:153-154])

「――F病院で外動を制限され始めたのほいつ頃から?
箕輸「平成に入る頃からかな。外勤を制限して、OTを積極的に取り入れるようになったんだ。でも、おれはOTなんか必要ないと思うよ。患者にとって少しもお金にならないし、OTに集まるのは患者だけだ。しかも、作業療法士が先生みたいに指示するし、スタッフにも監視されているし。カラオケとか囲碁とか塗り絵とか子供の遊びみたいのばかりで、<0191<大したことやってないしな。おまけに患者は、参加するのも途中で抜け出すのも自由。結局、食っちや寝の状態になってしまう患者も多いんだ。おれはOTが導入されたのが、患者の社会復帰が遅れた大きな原因だと思うよ」
――たしかに、OTでは地域との接点はないけど、外勤は外部の人間と接することができる。精神障害者に対する偏見も、それだけ少なくなるかもしれない。
箕輸「外勤をやることで地域に馴染むことができるんだな。外の知り合いもたくさんできるし、患者の社会的な視野もそれだけ広がる。院内作業もそうだけど、朝から晩まで体動かして働くことで、ストレス解消にもなるんだ。それに、中小企業の経営者は精神障害者を安い賃金で雇うことができる。外勤は経営者と患者、双方にとってもプラスなんだよ。OTは働けない入院者や老人のためにやればいい」

 OTが保険点数化したのは、箕輪さんがF病院に収容された翌1974年のことである。以来、全国の精神病院が貴重な収入源とすべくこのOTに目を付け、外勤や院内作業の「労働力」をOTへと組み入れていったのは、むしろ当然の成り行きだったのだろう。
 しかし、OT導入による外勤の制限が、逆に入院者の生きる道を狭めてしまったと主張するのは、箕輪さんだけではない。第二章に登場する入院歴25年の潮田良夫さんが、外勤<0194<生活を「社会と繋がっているという喜びを与えてくれるもの」として捉え、外勤から離れてからは「心にポッカリ穴が開いた日々が続いている」と嘆くように、多くの長期入院者にとって地域との交流が一番の良薬であることに変わりはない。
 外勤はそのための貴重なツールだった。」(織田[2012:193-195])

■言及

◆立岩 真也 2013/11/ 『造反有理――精神医療の現代史 へ』,青土社 ※


UP:20130814 REV:20130815
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