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『悪をなし真実を言う――ルーヴァン講義1981』

Foucault, Michel/Brion, Fabienne and Harcourt, Bernard E. ed. 1981 Mal faire, dire vrai. Fonction de l’aveu en justice, Course of Louvain, Presses Universitaires de Louvain/University of Chicago Press, 2012., 367p.
=20150130 市田 良彦 監訳/上尾 真道・信友 建志・箱田 徹 訳,河出書房新社,453p.

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last update:20150125


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Foucault, Michel/Brion, Fabienne and Harcourt, Bernard E. ed. 1981 Mal faire, dire vrai. Fonction de l’aveu en justice, Course of Louvain, Presses Universitaires de Louvain/University of Chicago Press, 2012., 367p. =20150130 市田 良彦 監訳/上尾 真道・信友 建志・箱田 徹 訳 『悪をなし真実を言う――ルーヴァン講義1981』,河出書房新社,453p. ISBN-10:4309246893 ISBN-13:978-4309246895 6200+ [amazon][kinokuniya] ※ p

『悪をなし真実を言う――ルーヴァン講義1981』表紙イメージ

■内容

フーコーの思考を凝縮した幻の講義を気鋭たちが翻訳。告白から裁判への歴史をたどる中から真理と権力の関係をあきらかにする。

■著者紹介

ミシェル・フーコー( Michel Foucault)
1926〜84年。20世紀後半における最も重要な思想家。著書『狂気の歴史』『言葉と物』『知の考古学』『監獄の誕生』『知への意志』『自己への配慮』『快楽の活用』など。

■訳者紹介

〔監訳者〕
市田良彦(いちだ・よしひこ)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。1957年生まれ。
著書に、『存在論的政治』(航思社)、『革命論』(平凡社)、訳書にランシエール『アルチュセールの教え』(航思社)など。

〔訳者〕
上尾真道(うえお・まさみち) 立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。1979年生まれ。
訳書にジャン=クレ・マルタン『百人の哲学者 百の哲学』(共訳、河出書房新社)など。

信友建志(のぶとも・けんじ)
鹿児島大学大学院医歯学総合研究科准教授。1973年生まれ。
訳書に、エリザベート・ルディネスコ『ラカン、すべてに抗って』(河出書房新社)など。

箱田徹(はこだ・てつ)
京都大学人文科学研究所研究員。1976年生まれ。
著書に『フーコーの闘争』(慶應義塾大学出版会)、訳書にクリスティン・ロス『68年5月とその後』(航思社)など。

■目次

編集者による注記……7

開講講義 一九八一年四月二日……20

ルーレ、告白と治療術
自己の「真実を言う」ことと自己認識から得られると想定される効果
告白のさまざまな特徴
西洋キリスト教社会での広がり:個人は自己の真理と結びつき、述べられた真理によって他者との関係における義務を課される
歴史ー 政治的問題:個人は自らの真理と自らに行使される権力にどう結びつくか
歴史ー 哲学的問題:個人は自ら誓約する真理陳述の諸形式によって互いにどう結びつくか
実証主義との対位法:真理陳述の批判哲学
刑罰制度における「誰が裁かれるのか」という問題
刑罰実践と統治術
真理による統治

一九八一年四月二二日の講義……43

真理の発話の政治的・制度的民族学
真実を言うこと、正義を言うこと
研究の境界
ホメロス『イリアス』における真理陳述と司法陳述
メネラオスとアンティロコスの闘い
アンティロコスの告白の目的
裁判と闘技(アゴーン):闘技と真理
競技と宣誓の挑戦、二つの真理典礼、裁定を通じて力量の真理を表現する二つのゲーム
追悼の儀式
ヘシオドス『仕事と日々』における真理陳述と司法陳述
ディカゼインとクリネイン
ディカゼインにおける訴訟人の宣誓と共同宣誓人
二人でのゲーム、両当事者の社会的影響力の基準
クリネインにおける裁判官の宣誓:三人でのゲーム、ディカイオンの基準
相手方の社会的影響力から「ことの現実」へ:ディカイオンとアレーテース

一九八一年四月二八日の講義……85

ソフォクレス『オイディプス王』における法の上演
司法的パラダイム
悲劇の構成要素
二つのアナグノーリシス〔認知〕、三つのアレートゥルギー〔真理術〕
真理陳述と「告白の証言」
当事者の力、発言の自由、取調べにおける真理効果の条件
オイディプスによる認知の条件としてのコロスによる認知
「真実を言う」ことから「『私』と言う」ことへ
ノモス〔法〕に適った手続き:予言者の真理陳述を反復し、テクネー・テクネース〔術中の術〕によって人間の真理陳述を補完する真理陳述

一九八一年四月二九日の講義……143

初期キリスト教のテキスト解釈と自己解釈
古代異教文明における自己の真理陳述
ピタゴラス派の良心の究明:自己浄化と記憶術
ストア派の良心の究明:自己の統治と規則の想起
ストア派の魂の披瀝:情念の医術と自由度
初期キリスト教の悔悛
キリスト教共同体への復帰問題
状態を表現する身分としての悔悛
エクソモロゲーシスの意味
告白のかたちを取る生、生のかたちを取る告白
懇願の典礼
医学モデルや司法モデルではなく殉教モデル
自己の真理陳述と自己の死者化
罪人としての自己の公
開から自己の言語化へ
誘惑と錯覚

一九八一年五月六日の講義……191

四ー五世紀修道院における真理陳述の実践:『砂漠の師父の言葉』とカッシアヌスのテキスト
悔悛の生と哲学的生の交点としての修道制
古代に行われた良心の指導の特徴
修道院で行われた良心の指導の特徴
果てしなく、形式的で、自己参照的な従順:謙遜、忍耐、服従:言語化する関係の転倒
修道院での良心の究明の特徴: 行為(アクトゥム)から思い(コギタティオ)へ
思考の動揺と錯覚
判別(デイスクリメン)と識別(ディスクレティオ)
告白と思考の起源
自己の真理陳述、思考の解釈学、法的主体

一九八一年五月一三日の講義……244

四ー五世紀におけるエグザコレウシスの特徴
自己の放棄
聖典の真理と自己の真理
プロテスタンティズムにおける聖典解釈と「自己の解釈」の解放と調整
錯覚、明証性、意味(デカルトとロック)
自己にかんする自己の錯覚と無意識(ショーペンハウアーとフロイト)
四ー五世紀の聖職者の伝統に見る告白の司法化
エグザコレウシスとエクソモロゲーシスが初期の修道共同体と信徒共同体にともに浸透していること
対応表による悔悛の特徴と起源:修道生活モデルとゲルマン法モデル
一三世紀における義務化された告解の秘跡化と制度
人間と神の関係の裁判化
言葉による告白(コ ンフェッシオ・オリス)において告白が取る形式とそこでの意味

一九八一年五月二〇日の講義……292

司法化する教会制度と政治制度
裁く神から司法国家へ:王権と真理
自白、拷問、真実をめぐる糾問主義的試練
自白、拷問、法定証拠
自白、主権法、主権意識、懲罰契約
自発的真理陳述、証拠、刑罰のドラマツルギー
他者による真理陳述、鑑定と司法精神医学
行為と実行者の接続:一九世紀における犯罪者の主体性の問題
モノマニー:犯罪が精神医学の対象として構成される
変質:犯罪者が社会防衛の対象として構成される
責任から危険性へ、法的主体から犯罪者個人へ
二〇世紀における犯罪者の主体性の問題
主体の解釈学、犯罪者にとっての犯罪の意味
事故、蓋然性、犯罪リスクの指標
主体の真理陳述、現代刑罰システムの裂け目

講義の位置づけ ファビエンヌ・ブリヨン&ベルナール・E.アルクール……339

訳者あとがき……436

■引用

■書評・紹介

■言及



*作成:安田 智博
UP: 20150125 REV: 20150125
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