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『野生のデモクラシー――不正義に抗する政治について』

土佐 弘之 20120830 青土社,370p.

last update:20130623

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土佐 弘之 20120830 『野生のデモクラシー――不正義に抗する政治について』,青土社,370p.  ISBN-10: 4791766652 ISBN-13: 978-4791766659 2600+ [amazon][kinokuniya] ※ s.

■内容

グローバリゼーションが進展し、ネオリベラルな統治がますます拡大している世界で、守られるべき多くの人たちが切り捨てられている。 既存の民主主義や制度が抱える矛盾とそれがもたらす不正義に対して、私たちは声をあげなければならない。ポスト・グローバリゼーションが招来する世界の現状を分析し、 あるべき民主主義を模索する壮大かつラディカルな新しい世界への展望。

■著者

1959年、東京都生まれ。専門は、国際関係論、政治社会学。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。現在、神戸大学大学院国際協力研究科教授 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

序 メタ・ヒストリーの政治――人民主権のトランスナショナル化との関連で
1 マスター・ナラティブの多元化――歴史物語論/ネオ・ウェーバー的歴史物語の隆盛
2 グローバリゼーションの深化とマスター・ナラティブの変容
3 グローバリゼーションに伴う主権の再編パターンにおける多様性
4 人民主権のトランスナショナル化と〈国家/資本主義〉に抗するデモクラシー

I 統治性をめぐる〈支配/抵抗〉
第一章 統治性としてのネオリベラリズムと例外状態

1 統治性概念の射程
2 統治技術としてのリベラリズム
3 グローバル・ベンチマーキング・システム――序列化・監査・監視を行う〈権力/知〉
4 例外状態にあるローカル・カヴァナンス
5 ネットワーク権力の中での生政治と抵抗

第二章 グローバル・アセンブリッジとしてのFTA――〈根こぎ/根づき〉の政治学
1 TPP加入の是非をめぐる議論を異なる角度から見る
2 変則的経済自由化の波――ドーハ・ラウンドの頓挫とFTAの急速な拡大
3 アメリカの覇権の下での〈競争的地域主義/反動的地域主義〉
4 グローバル・アセンブリッジ(装置)としてのFTA――政治的合理性としての自由貿易
5 「自由」貿易を通じたグローバル・アグロフード・ガヴァナンスの強化
6 〈根こぎ〉に抗する食料主権運動

II グローバル・ジャスティス/ポリティクス
第三章 金融拡大局面の終焉期におけるグローバル・ジャスティス運動

1 金融拡大局面終焉期におけるダブル・ムーブメント
2 ヘゲモニックな金融規制の動き――金融市場の安定化と税のハーモナイゼーション
3 カウンター・ヘゲモニー的な金融規制の動き――国際連帯税とグローバル・ジャスティス
4 グローバル・ジャスティス運動の特徴とヴァリエーション
5 新たな社会的連帯の胎動

第四章 国際社会における人権ギャップ縮減の政治
1 世界人権宣言という理念と人権ギャップという現実
2 人権ギャップ縮減を阻むグローバル・ポリティクス
3 人権ギャップ縮小のダブル・ムーブメント――自由/平等、市民権/人権
4 「自らの力による平等の希求」と「他者に領有された人権」
5 不可能に近いが必要な約束

第五章 跛行的グローバリゼーションと境界における再/脱領域化の生政治
1 ボーダーレス・ワールドではなく境界の遍在化へ
2 ボーダー・コントロールの強化とバイオメトリック・ボーダーの出現
3 境界によって守ろうとしているもの――自由か安全か
4 自由な越境と移民問題のセキュリタイゼーション
5 「抵抗としての越境」の表象
6 より包括的なデモクラシーへ

III 交差的抑圧とそれに対する抵抗
第六章 比較するまなざしと交差性――ジェンダー主流化政策の波及/阻害をどう見るか

1 政策波及の比較とそれを見るまなざしに内在する階層的世界観
2 ジェンダー主流のグローバル的波及とカヴァナンス・フェミニズム
3 障害としてのイスラーム?――インペリアル・フェミニズムとジェンダー主流化
4 ジェンダー主流化と対外的/対内的交差性――ヴェールの政治

第七章 交差的抑圧とジェンダー・ジャスティス/ポリティクス――HIV/AIDSの政治経済学
1 解放を目指す〈権力/知〉の再編と交差性の問題
2 グローバル・ヘルス・ガヴァナンスの危機とグローバル・ジャスティスとしてのユニバーサル・アクセス
3  HIV/AIDSのフェミナイゼーションとジェンダー・ジャスティスの政治
4 交差的抑圧に抗していのちを守るアソシエーションの可能性

IV 安全保障装置とデモクラシー
第八章 過剰な安全保障装置に抗うデモクラシー――非対称的世界内戦とアラブ革命

1 非対称的グローバル内戦バージョン3・2――ドローンによる超法規的暗殺
2 安全保障国家の前景化――壁の遍在化とCOIN3・0
3 「民主化」に影を落とすグローバルCOIN
4 〈親米的/反米的〉安全保障国家群の危機――「運動としての民主主義」に揺さぶられて

第九章 非対称的同盟における見ヶ〆の政治――ヘゲモニー衰退期における基地問題とデモクラシー
1 アメリカの非公式軍事帝国の変容と日米安保条約との大きな乖離
2 ヘゲモニー衰退期の同盟関係の揺らぎ――同盟における安全保障のジレンマと関連で
3 保護の政治と民主主義の深化――反基地運動の射程
4 グローバル平和主義というオルタナティブ

第一〇章 野生のデモクラシー――民主化における新しいアナキズムの(不)可能性
1 アナキズム再評価の動き
2 国家に囚われた「制度としてのデモクラシー」を問い直す
3 国家に抗するデモクラシー――「野生のデモクラシー」というアナキズム的視座
4 新しいアナキズムの(不)可能性

第一一章 ハイブリッド・モンスターの政治学――〈不運/不正義〉と〈リスク/不確実性〉の境界線をめぐって
1 暴れるハイブリッド・モンスターに直面して
2 核エネルギーを抱きしめて――ヒロシマからフクシマへ
3 日本型テクノクラティック・サブポリティクス
4 〈リスク/不確実性〉をめぐる政治の民主化

跋 グローバル・ジャスティスを前景化させるラディカル・デクモラシー――新たな〈生成変化〉の政治へ


初出一覧
参考文献
索引

■引用

第七章 交差的抑圧とジェンダー・ジャスティス/ポリティクス――HIV/AIDSの政治経済学
  
4 交差的抑圧に抗していのちを守るアソシエーションの可能性
 一九九〇年代のネオリベラリズム全盛期、それに対抗する形で沸き起こったグローバル・ジャスティス運動は、市場、国家、そして市民社会組織ネットワーク(アソシエーション) の戦略的三角形の政治過程の中で、アソシエーションの力によってアメリカが推進する過剰な市場自由化に歯止めをかけようとする試みであったと言ってよいだろう。 本章で扱ったHIV/AIDS患者らを中心とするユニバーサル・アクセス運動は、一部の発展途上国政府と組みつつ、大手製薬会社の利権を守ろうとするWTO/ TRIPS体制を相手に闘いながら、特に南北間のケア・ギャップを埋める形で全ての人の健康の権利を保障することを目指したグローバル・ ジャスティス運動の一つとして位置づけることは可能であろう。それは、 大手製薬会社などの多国籍企業が中心となって形成しようとするネオリベラルなグローバルな経済的ガヴァナンスの仕組みに対抗する動きであると同時に、 治療薬へのアクセス権の保障、ひいては「すべての人々に健康を」と謳ったアルマ・アタ宣言(一九七八) の内容に則したプライマリ・ヘルス・ケアの保障を目指す方向でのグローバルな社会福祉的ガヴァナンスを構築しようとする市民組織ネット>212> ワークによる働きかけと見ることもできよう。結果として、「TRIPS協定は、公衆衛生を守る各国の権利、特に医薬品に対するアクセスを促進する権利を支援する方向で解釈、 実施されなければならない」といったドーハ宣言がWTO閣僚会議で採択されたことで、HIV/AIDS感染など公衆衛生上の危機の場合は強制実施権によるジェネリック薬の生産・ 流通が可能となり、発展途上国におけるHIV/AIDS治療薬へのアクセスも改善し、南北間のケア・ギャップは多少とも縮小することとなった。(pp.211-212)


 そうした困難な状況の中において、市民社会組織ネットワークの果たすカウンター・ヘゲモニー的な役割は重要である。しかし、実際の市民社会が、 国家や市場との戦略的三角形の中で、必ずしも対抗的な政治勢力の役割を果たすとは限らない。特にネオリベラリズムによるガヴァナンスが進められていく中、 公的セクターの民営化に沿って、本来は国家が担うべき公共サービスが市民社会組織などにアウトソーシングされるなど、 一部の市民社会組織ネットワークは次第に市場化の論理に沿って再編されてきている。同様に、女性のエンパワーメントという掛け声も、 権力構造の変革よりも自助努力の半強制といった統治の手段といった形でネオリベラル・ガヴァナンスに領有される傾向も見られた(Sharma 2008)。
 HIV/AIDS問題に対処するべく展開しているグローバル・ヘルス・ガヴァナンスもまた、医療化を通じた、 つまり医学・疫学的知識に基づいた官民協働の権力ネットワークによる統治という側面を有しているため、結果として、 一部の感染者・患者は排除・差別され治療とケアを自力で達成するべく自助ネットワークをつくらざるをえなくなってきている(田辺 2008: 48)。 そうした昨今の状況を鑑みると、グローバル・ジャスティスに加えてジェンダー・ジャスティスなどの問題視角を常に差し挟み続けなが>214>ら、 マージナルに追いやられている人々自身の当事者性の観点から、エンパワーメントという名のプロジェクトを含めて、現在の〈権力/知〉のネクサスを編み直していく必要がある。 それは、ランシエールのいう「分け前なき者の分け前」を要求しながら「分け前なき者」が政治的主体化を推し進めていく過程でもあり、また、 既存の権力構造を温存するような慈善型エンパワーメントから、 人々の潜在能力(生の潜勢力)を阻害するような権力構造そのものを変革していくような自律的エンパワーメントへの転換過程である。 二一世紀初頭、HIV/AIDS問題という危機に対応して現れたトランスナショナルな「いのちを守るアソシエーション」が示していることは、 そうした変革的エージェンシーの可能性であろう。依然として不正義に満ち溢れている国際社会の中、我々は時には自助的なケアでサバイバルしていくことを強いられているが、 脆いいのちをケアするアソシエーションといった対抗的力を持つことによって、より公正な社会の実現へと、一歩前に踏み出すことができるということであろう。(6) (pp.213-214)


(6)ケアの倫理の可能性については、別の拙稿(土佐 2007)で論じた。

参考文献
Sharma, Aradhana (2008), Logics of Empowerment: Development, gender, and Governance in Neoliberal India (Minneapolis: University of Minnesota Press).
田辺繁治 (2008)『ケアのコミュニティ――北タイのエイズ自助グループが切り開くもの』岩波書店。
土佐弘之 (2007)「“主体化の暴力”を超克するケアの倫理――脆い生への対応をめぐって」『思想』No.993、65-82頁。


第一〇章 野生のデモクラシー――民主化における新しいアナキズムの(不)可能性
  
3 国家に抗するデモクラシー――「野生のデモクラシー」というアナキズム的視座
 政治人類学者ピエール・クラストルは、ブラジルのアマゾン地域での「未開」社会でのフィールドワークなどを通じて、未開ないしは野蛮な社会と位置付けられてきた 「国家を持たない社会」を、社会的発展の初期段階にあるものとしてではなく、国家形成を阻む智恵を積極的に適用し続ける「国家に抗する社会」 としてみるべきであるといった見方を提示した(クラストル 1987)。国家なき社会とは権威なき首長制のようなもので、そこにおいては、 言葉と暴力とを分離することなどを通じて首長が首領権力となることを妨げながら、絶対不可分と称する「一」 なる主権的権力がたちあがるのを阻止する智恵がうまく働いているのだという。その主張は、 国家なき社会を歴史以前の社会とするようなヘーゲル的歴史哲学観ないしは進歩主義史観そのものを否定するという意味で大きな衝撃を与えた。同時に、 国家を積極>275>的に祓い捨てる智恵というものを共有する「国家に抗する社会」があるとすれば、それは、「国家への服従は安全保障の提供者との契約」 といったホブッズ的神話も揺るがしている。端的に言えば、それらの例が示していることは、無国籍者(stateless persons)と称される人々の中には、「万人の万人による争い」 といった神話とは異なり、国家なしで「平和に」暮らしていける人々がいるということであり、逆に、国家というものが立ち上がった時、 それによって平和的共存が脅かされるということである。(9)実際、国会なき社会を維持していたアマゾンの部族の多くは、 ブラジルという国家に浸食されていく過程で絶滅していくことになる。
 同様に、アナキスト的歴史パラダイムを大胆に提示したものとして、ジェイムズ・スコットの著作『統治されないようにする術』があることは、本書の序の1節で既に触れた (Scott 2009)。その主張を繰り返すと、大陸部東南アジア(ベトナム、カンボジア、タイ王国、ミャンマー、インド東北部、中国の雲南・貴州、広西及び四川の一部) に広がるゾミア(Zomia)と呼ばれる標高三〇〇メートル以上の山地に居住する山地民の歴史は、国家形成から取り残された未開社会の歴史ではなく、二〇〇〇年に亘って奴隷、 兵役、徴税、疫病そして戦争といった国家形成プロジェクトの抑圧から積極的に逃れてきた社会の歴史と捉えることができるというものである。 こうしたアナキスト的なグローバル・ヒストリーは、先のクラストルの「国家に抗する社会」論と共に、国家中心主義的歴史そのものの修正を迫っているが(Michaud 2010)、 それは同時に依然として国家に囚われているデモクラシー論にも一定のインパクトを与えるようになってきている。たとえば、クラストルらが見出した「国家なき社会」の知恵を、 「国家に抗するデモクラシー」ないしは「野生のデモクラシー(la《démocratie sauvage》)」として再生しようとする、フランスの政治哲学>276>者ミゲル・アバンスールの試みは、 その一つの例であろう(Abensour 2004: 161-90)。(10)ここで言う「野生のデモクラシー」とは、アバンスールによれば、文字通りの「未開社会」におけるそれではなく、 制度に飼い慣らされない、異議申し立てを続ける運動としてのデモクラシーを指す。「国家に抗する社会」に見出される「野生のデモクラシー」のスピリッツ、 つまり政治的支配を最小化しようとする志向は、アマゾン奥地や東南アジア内陸部の高地といった「辺境」だけに見出されるものではなく、 近代国家によって囲い込まれた政治的空間の中に住む我々の中にも息づいており、それが時折アナキズムの思想・運動として立ち現われてくるものであると理解すれば、 「野生のデモクラシー」を、「叛乱するデモクラシー(la démocratie insurgeante)」としてのアナキズムなどと関連づけて考えることは、 それほど奇矯なことではないであろう。
 アバンスールによれば、「叛乱するデモクラシー」とは、まず政治制度ではなく、主としてデモス(民衆)によって非支配の状態を作ろうとする行為を指し、 その行為は特定の時期に限られるものではなく障害に直面するとともに立ち現われてくるものであるという(Abensour 2011: xxiii)。そこにおける国家が飼い慣らすことができない 「野生のデモクラシー」とは、アバンスールも依拠しているルフォールのデモクラシーについての議論、特にデモクラシーにおける非決定性という問題とも深く絡んでいる (Lefort 1988: 19)。宗教という外部による正当化の論理(神の主権)に抗する形で、デモクラシーは、 個人主義的な自律性そして国民主権を押し立てながらヘゲモニックなものになってきたが、一方で、世俗化とともに確信の指標が解体し、 全ての市民が同意する共通善が存在しない以上、デモクラシーは、そのミニマムな手続き的定義以外には実質的な内容や指標・目的を欠いており、 「野生のデモクラシー」の突き上>277>げに呼応する形で絶え間なく自己生成(オートポイエーシス)を続けるしかない。つまり、こうした理解によれば、 デモクラシーとは単なる制度ではなく、非決定性を特徴とする運動ということになる。そして、その運動が非支配の状態を作ろうとする行為であり続ける限り、 それは当然、国家という枠を超えようとするアナキスト的運動にならざるをえなくなる。
 国家としての枠を越えようとする以上、運動としてのデモクラシーは、トップダウン的な組織化を拒否するし、 またトップダウンの組織化を指示するようなマクロ的なグランド・セオリーも忌避することになる。そこで出てくるのが、自律、自発的アソシエーション、相互扶助、自己組織化、 直接デモクラシーといった、古典的アナキズムから受け継いでいる実践的プログラムである。人類学者のデビッド・グレーバーは、 マダガスカルでのフィールドワークの知見などを生かしながら、その野生のデモクラシーの精神を、一九九九年のシアトルの街頭などにおける直接行動に体現される 「叛乱するデモクラシー」に援用することを試みているが、そこにおける彼のエスノグラフィー『直接行動』の中で、 「直接行動は古い殻の中に新しい社会をつくろうとしているようなものである」と表現している(Graeber 2002: 203)。その発想は、国家権力の奪取ではなく、 ボトムアップ式に社会のあり方を変えようと考えた、プルードンらのアナキズムの流れを汲むものといってよい。
 たとえば、チアパスにおけるサパティスタ運動からシアトルにおける反WTOの直接行動に至る、一九九〇年代から二一世紀初めに見られた新しいアナキズムのうねりは、 まさにネオリベラリズムの全面化という問題に連動して出現してきた野生のデモクラシーないしは叛乱するデモクラシーの一部を構成していたと言えよう。「旅するサーカス」 とも形容される、一九九九年一一月のシアトル(WTO)二>278>〇〇〇年九月のプラハ(世銀=IMF)、二〇〇一年七月のジェノバ(G8)などにおける一連の抗議行動は、 かつてガンディーが率いて行った「塩の行進」やマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが率いて行ったワシントン大行進にも似た「現代の政治的巡礼」 といった側面があるという指摘の通り(Goaman 2004)、これらの直接行動は、ネオリベラルなグローバリゼーションのもつ構造的な暴力性を批判すると同時に、 それと連携する国家の治安維持装置による直接的暴力を白日の下にさらす役割を果たしたとも言えよう。また、祝祭的な直接行動は、パリ・コミューンのように、 街頭の中に一時的な自主管理空間(Temporary Autonomous Zone)を出現させるという戦術をとることで、主権的権力に構成された政治的空間そのものを揺さぶることをはかっている (Bey 1985)。しかし、メイン・ストリームのマス・メディアは、こうした直接行動の暴力的側面を強調することで、その正当性を削ぐ形で報じており、その意味では、相変わらず、 アナキズムと暴力・カオスを結びつけるイメージが再生産されている。また、二〇一一年六月、アテネでの街頭抗議において、 ブラック・ブロックと組合活動家とが対峙するということが起きているように(Mason 2012: 94)、 一九世紀末から続いているボリシェビズム対アナキズムという対立は未だに続いていることも無視してはならないだろう。(pp.274-278)


(9)こうした見方を後押ししたものとして、搾取関係の廃絶を謳ったプロレタリア独裁が逆に国家による苛烈な支配とそれに伴う悲劇をもたらしたという歴史的教訓に対する反省、 特にマルクス主義的経済還元主義への批判が根底にあった訳だが、アナキスト的な国家主義批判は、国家社会主義のみならず全ての国家に向けられることになる。
(10)野生のデモクラシーという概念は、アバンストールが師事していた政治哲学者のクロード・ルフォールが使っていたものであるが、アバンストールは、 それをラディカル・デモクラシーに近い概念として使っている。

参考文献
クラストル、ピエール(1987)(渡辺公三訳)『国家に抗する社会:政治人類学研究』水声社。
Abensour, Miguel (2004), La démocratie contre l’État: Marx et moment machiavélien (Paris: Felin).
Abensour, Miguel (2011), ‘Preface to the Italian Edition (2008): Insurgent Democracy and Institution’, Democracy Against the State: Marx and the Machiavellian Moment (Cambridge: Polity), 23-29.
Bey, Hakim (1985), T.A.Z.: Temporary Autonomous Zone, Ontological Anarchy, Poetic Terroris (Brooklyn, New York: Autonomedia).
Goaman, Karen (2004), ‘The Anarchist Travelling Circus: Reflections on Contemporary Anarchism, Anti-capitalism and the International Scene’, in Jonathan Purkis and James Bowen (eds.), Changing Anarchism: Anarchist Theory and Practice in a Global Age (Manchester: Manchester University Press), 163-80.
Graeber, David (2002), ‘The New Anarchists’, New Left Review, 23, 61-73.
Lefort, Claude (1988), ‘The Question of Democracy’, Democracy and Political Theory (Minneapolis: University of Minnesota Press).
Mason, Paul (2012), Why It’s Kicking Off Everywhere: The New Global Revolutions (London: Verso).
Michaud, Jean (2010), ‘Editorial—Zomia and beyond’, Journal of Global History, 5(2), 187-214.
Scott, James C. (2009), The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland Asia (New Haven: Yale University Press).



*増補:北村 健太郎
UP: 20121015 REV: 20130623
土佐 弘之  ◇HIV/AIDS  ◇科学技術と社会  ◇国家/国境  ◇民族・エスニシティ  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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