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『社会学の方法――その歴史と構造』

佐藤 俊樹 20110930 ミネルヴァ書房,434+xi+24p.

last update:20140704


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佐藤 俊樹 20110930 『社会学の方法――その歴史と構造』,ミネルヴァ書房,434+xi+24p. ISBN-10: 4623061248 ISBN-13: 978-4623061242 3500+ [amazon][kinokuniya] ※ s

■内容

・同書のカバー見開きより
社会学はどう使えるのか,どう使うべきなのか.本書は,教祖デュルケーム,天才ジンメル,巨匠ウェーバー,伝道師パーソンズ,達人マートン,鬼才ルーマンという六人の「偉大な社会学者」の人生と著作を通じて,社会学の形成と展開をたどるとともに,それをふまえて現代社会学の地平を見渡し,現代の社会を描く方法を解き明かす.

■目次

序章 社会学の使い方 1-28
  1 常識をうまく手放す 1-11
  2 社会学の系譜 11-18
  3 社会学ができること 19-27
注 27-28


 第1部 社会学の形成と展開 29-305
第1章 社会を観察すること――社会学とは何か 31-49
  1 社会学の奇妙さ 31-36
  2 観察者と対象 37-42
  3 距離感とまなざし 42-49

第2章 始まりのデュルケーム――二重の少数派として 51-77
  1 〈今の社会学〉の誕生 52-55
  2 こちら側/あちら側 56-64
  3 政治と制度 64-74
  注 74-77

第3章 目に見えるモノと見えざるもの――科学の視線と方法 79-121
  1 因果をつきとめる 80-91
  2 論理を組み立てる 91-99
  3 部分と全体 99-108
  4 社会の過剰さと社会学 109-118
  注 118-121

第4章 ジンメルの問いの平面――社会と形式 123-150
  1 もう一つの起源 123-129
  2 「形式」の思考 130-137
  3 断絶と連続の手触り 138-149
  注 149-150

第5章 ウェーバーの旋回――実証と比較 151-187
  1 方法の巨人 151-167
  2 仮説と検証(その1)――事実を見出す 168-175
  3 限定された知として 175-185
  注 185-187

第6章 パーソンズと機能主義――理論社会学の地平 189-222
  1 ピューリタンの末裔 190-197
  2 構造機能主義の提案 197-205
  3 『社会が社会をつくる』とは? 206-213
  4 理論社会学という視座 213-219
  注 220-222

第7章 マートンの視点と手法――当事者と観察者の間で 223-266
  1 海を越え街を超え 224-232
  2 機能主義を差し戻す――機能と因果 232-238
  3 機能分析の使い方 239-245
  4 仮説と検証(その2)――社会を取り出す 245-256
  5 方法の意義 256-260
  注 260-266

第8章 到達点と転回――ルーマンをめぐって 267-305
  1 旅路の終わり 268-275
  2 等価機能主義の視座 275-282
  3 因果と意味の収斂 283-292
  4 意味の境界作用 293-304
  注 304-305


 第2部 現代社会学の地平 307-404
第9章 内部観察と自己論理 309-327
  1 社会学の現在 310-314
  2 内部観察と自己論理 314-319
  3 脱逆接化の技法 319-326
  注 326-327

第10章 制度と自己産出 329-351
  1 『社会が社会をつくる』再訪 330-338
  2 社会における自己産出 338-344
  3 制度とシステム 345-349
  注 349-351

第11章 システムの時空 353-382
  1 自己産出として描く 354-365
  2 社会の見え方のちがい 366-373
  3 自己産出系の「中範囲」 373-379
  注 379-382

第12章 機能分化と自己記述 383-404
  1 二つの演習課題 384-392
  2 社会の自己記述 392-401
  注 401-404


終章 社会学はなぜ必要なのか 405-415
  1 最後の問い 405-408
  2 とりあえずの答えとして 408-415

六人の社会学者の文献案内 417-426

あとがき 427-434

参考文献 (逆引き)8-24

索引(逆引き)1-7

■引用

□社会学と他の社会諸科学とのちがい
社会学の定義の話に戻そう.「全体をあつかう」とすることで何が生じるのだろうか.いくつか候補は考えられるが,その一つは,見ている自分が必ずその内部にあることだ.
見ている対象が社会の一部である場合,これは成り立たない.例えば経済を見ている場合,必ずしも経済学者はその内部にいるとは限らない.だから,経済が経済合理性で動くとしても,経済学者も経済合理性で動くと考える必要はない.
〔中略〕
見ている対象が社会の一部である場合,観察者自身は対象の外部にいられる.だから,自然科学と同じようなあつかい方ができる.対象を自分とは切り離されたモノとして扱えるのだ.〔中略〕. ところが,社会の場合はそうはいかない.観察者が対象の内にいるので,むしろ全体を見渡しにくい(38-40; 下線部原典では傍点).

□当事者性と距離をとる/とれることの意義
社会問題に最も熱意をもち,知識をもっているのは当事者たちである.だとすれば,社会学者の前に現れる「社会問題」は,たんなる社会問題ではない.それこそ社会学的にいえば,社会問題はつねに発生し,そして当事者たちによってたえず解決されつづけている.そのなかで,当事者が解決に失敗したものが,社会学者の前に「社会問題」としてあらためて出現してくる.そんな難題をどうやって解決できるのか.
私はその答えを一つ見つけた.もちろんこれにも並行者や先行者はたくさんいるだろうが,とりあえず一つは見つかった.それは,当事者が当事者であるがゆえに解決できなくなることがある,ということだ.
そうした問題であれば,社会学者も役に立つ.当事者が熱意も知識もあるからこそ解決できなくなった問題ならば,当事者でない社会学者にも考える余地がある.自分で自分の首を絞めている人がいれば,自分で絞める必要はないよ,とはいえる(407-408).

■書評・紹介

■田中紀行,20121231,「佐藤俊樹著『社会学の方法――その歴史と構造』(ミネルヴァ書房,2011年,四六版,460頁,3675円)」『社会学評論』63(3): 467-8. ISSN: 00215414
J-Stageで全文閲覧可.PDFファイル)

■言及



*作成:藤原信行
UP: 20150704 REV:
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