HOME > BOOK >

『老い衰えゆくことの発見』

天田 城介 20110920 角川学芸出版,256p.
English / Korean

last update:20120425

このHP経由で購入すると寄付されます

Tweet

『老い衰えゆくことの発見』表紙画像。


天田 城介 20110920 『老い衰えゆくことの発見』 角川学芸出版,256p. ISBN-10:4047034959 ISBN-13: 978-4047034952  1890 [amazon][kinokuniya]※ a06

内容
目次
はじめに
あとがきにかえて
書評・紹介
刊行記念 連続対談企画
著者による紹介・引用
言及


■内容

老い衰えてゆくさなかで老人は、そして介護者はその事実とどう向き合うのか。複雑な感情に彩られた高齢者ケアの実像を家庭や介護施設など具体事例で描き出し、老いを柔らかく支える社会制度を介護の場から展望する。(角川書店ホームページ(web KADOKAWA)より)
「できなくなる」ことへの痛みと疼き。介護に関わるすべての人に読んでほしい。――鷲田清一(哲学者)

◆老い衰えゆくことの発見
老いの現場を見つめ、老いを支える社会の姿を問う。老いの社会科学の誕生。


■目次

はじめに

序章 できたことが、できなくなる――〈どっちつかずの人たち〉の心とからだ
 1 何が面白くて高齢化や老いについて考えているのか
 2 できる人たちができない人になっていくという現実
 3 どっちつかずの人たちであるから面白い
 4 生きていくことが困難な人たちの中の多数派だから面白い

第1章 「できる私」へ囚われるということ――生き抜くがために自らを守る
 1 「できる私」の物差しこそが〈老い衰えゆくこと〉を過酷にする
 2 〈老い衰えゆくこと〉は私にはどうすることもできない
 3 身体を他者に曝け出さざるを得ない
 4 生き抜くために〈老い衰えゆくこと〉へ抵抗する
 5 ともに生き抜くための〈老い衰えゆくこと〉への抵抗もある
 6 自分で自分を差別=否定してしまう
 7 「不安」と「対処」の悪循環のループに陥ってしまう
 8 不安と苦悩が一層強化されていってしまう
 9 他者へのまなざしの敏感さ/他者からのまなざしの敏感さ
 10 周囲に悪く思われないように対処する
 11 「私が私であり続けなければならない」という規範
 12 他者に働きかける存在としての「認知症高齢者」
 13 「認知症高齢者」と介護する側との協力による烙印回避のマネジメント
 14 老い衰えゆく人びとの語りの確かさが失効してゆく
 15 「あなた」が〈老い衰えゆくこと〉に対する「私」の苦悩・葛藤
 16 「私」が〈老い衰えゆくこと〉に対する「あなた」の辛苦を知っているゆえの葛藤

第2章 できなくなっていく家族を介護すること――過去を引きずって現在を生きる
 1 運命の呪縛の中で介護せざるを得ない
 2 曖昧な状態の中で無我夢中で介護する
 3 物語に亀裂が走る/曖昧な介護責任ゆえの葛藤
 4 「認知症高齢者」としてみなす/運命の呪縛から介護を選択してしまう
 5  介護物語を語りなおす/自らの役割から自由になる
 6 曖昧なケア状況――わけが分からない中での必死の介護
 7 ケアの公共化/統制化
 8 ケアの組織化
 9 「ケアの意味」の再構成――秩序の再安定化への契機

第3章 夫婦で老いるということ――他者に関係を開きつつ閉じてゆく
 1 “仲睦まじき高齢夫婦”が老い衰えゆく中で
 2 過剰なるコントロールと「罪の意識」
 3 ホームヘルパーの解釈によって隠された
 4 無力化させた介護と過剰なる「気遣い」
 5 過剰なる気遣い
 6 ホームヘルパーによる当たり前的な感覚
 7 絶えず「分かっていること」を発見していく
 8 「恥」「傷心」の申し立て
 9 “どうしても気持ちがそっちにいってしまう”
 10 「私しかいない」の落とし穴
 11 施設入所直後の揺らぎ
 12 自尊心やプライドからの撤退=距離化

第4章
 1 施設で老いるということ――耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ
 2 「認知症高齢者」のあいだのコミュニケーション秩序
 3 「徘徊」に隠れた意味のあるストーリー
 4 「認知症高齢者」による〈場〉の定義
 5 差別化された人びとによる差別化の実践
 6 「裏舞台」での「認知症高齢者」による自尊心やプライドを保とうとする試み
 7 悪循環のループによる疲弊感
 8 記憶のテスト――〈従属化〉の儀礼
 9  「母性」という名の秩序化の装置
 10 ルーティーン・ワークの自己目的化
 11 ストーリーの“重なり”の不在/「場の定義」の隔絶
 12 統制のレトリック
 13 親密性の擬制化
 14 「抵抗」として自らを命懸けで守らんとする営み

第5章 この社会で老いるということ――戦後日本社会の中の〈老い〉
 1 生きるがために引き裂かれる家族
 2 生きていくためのギリギリための「足し」があるがために
 3 日本社会における戦前/戦後の連続性
 4 戦後日本社会における労働・雇用体制
 5 〈戦後日本型労働・雇用−保障体制〉における高齢者
 6 日本型労働・雇用−保障体制のもとでの世代間資源移転の現在
 7 生きるがために家族と暮らす/家族と離れる


■はじめに

1 過去を引きずって現在の老いがある
〈老い衰えゆくこと〉をめぐる光景──。それは、紛れもなく社会的出来事である。 一九八一年刊行の真野さよ著『黄昏記』は、「脳軟化症」により認知症となった七八歳の母・やえを介護する五〇代の娘・三和の苦悶と悲憤、そして愛おしさによって彩られた介護の実録である。同書は、『恍惚の人』が世に出た一九七二年よりも早い一九六七年までの介護を記録したものであるにもかかわらず、老いた母との愛憎と葛藤の日々の描写は卓越している。 財布や株券などがなくなったと騒ぐようになったやえは、時折「あたしはもう駄目じゃ。馬鹿になってしもうた。生きとってもなんの楽しみもない……」と嘆きつつも、探し物を三和が見つければ「あんたは探しものの名人じゃ」と褒め、時には「犯人は隣の日雇いさんじゃ」と頻繁に口にするようになる。
 一方で、やえは親戚・知人に贈り物をして、その「礼状を無上の楽しみとする風」があったり、他人への礼節やプライドをひどく気にするなど几帳面で規律正しさを重んじる生活の只中に生きている。やえは自らの自尊心がズタズタに引き裂かれる中にあっても、日々の生活において守るべきものを守ることで、辛うじて自らの生活を保っているのだ。
 そんな折、三和がやえの部屋から自分の仕事部屋に電話を切りかえて、管理するようになると、「これは私の電話じゃ」と主張し、それが通らないことが分かると今度は別の要求をしてくる。が、それもダメだと分かるとそこからやえの愚痴が始まり、三和は不親切だ、気楽そうに寝転んでばかりいるなどと訴えてくるが、三和もそれも本当だと自嘲のふてぶてしさで、杖をついて聞き流す。すると今度は、「戦法」をかえ、そもそもあんたは図々しい、人の家に乗り込んで電話まで取り込んでしまったと言う。三和も負けじと「乗りこんだとは何事か、そもそもあんたが長男の嫁とうまくやれないので、私を入れて女中代わりに使っているのではないか」と応酬し、やえも「まあ、女中が聞いて呆れる、まるでえらそうなお客様ではないか」と続く。

 「ここから、この哀れな二人きりの家族の、不自然で合理的で、憎悪もこもる親密な結合の根本問題の糾明になり、ともに涙をうかべての対峙である。(中略)電話をうまく処理すると、また新しい問題が起きる。要するにやえが退屈で、相手を求める不満が家中のありとあらゆる物のなかにかくれていて、三和めがけてとびかかろうとしている危うさだ。一つを避ければ別の一つにぶつかるだけのことだ。つまりは避けられない災難」(真野さよ『黄昏記』岩波書店、一九八一年、四八-四九頁〔再版:「同時代ライブラリー53」同、一九九一年〕)

 また、やえは夜中に起きてきて、仕事する三和に「毎晩くる人(男)は帰ったのか」「自分だけには打ち明けてくれんか」「毎晩毎晩、二人で話しおうたり笑うたり、話の内容までぜーんぶ知っとる。もうだいぶ前からじゃ」とありもしないことを言ってきたり、人形に話しかけたりするようになる。更には、夜半に手洗い場に近い廊下で倒れ、失禁するようになると、三和は以下のような感覚を抑えられなかった。 「ついに来るべきものが来た。さあ、矛をおさめて看取らねばならぬ。この十年余、お互いに助け合いながら阻みあった、愛憎ただならぬ二人きりの家族の一方は、すでに失格した。三和はこの一瞬、奇妙な凱歌をともなう厳粛な緊張をおぼえた。それから、いいようもない優しさにひたされてゆく自分を感じた」(前掲書、九四頁)

 その後、やえは病院の神経科に入院することになり、急激に老い衰えてゆく。その時の表現することさえ難しい情感とは、認知症が深まっていく「老婆の背後に、いや、背後からせりだして、現実よりも鮮やかに、過去の旺んな日の俤を描きうるのは子どもしかない。血のがりは強いという。その強さは、重なる歳月の厚みをよそにしてはになる」ようなものである。 こうして入院したやえの老い衰えゆく姿の中に、三和は全身全霊で生き抜こうとする「死に抗う座像の巨さ」を「発見」するのだ。文字通り、命懸けで生きようとする姿を見出すのだ。
 「時々女中(病院の看護師)があたしを押し込めようと引っぱってゆくので、痛うないのに顔をしかめて、大声でイタイイタイというてやると、びっくりして手を放す、あれに限る……」と言うやえの言葉のうちに、三和は「これを一個の生命と考えるとき、老い呆け狂いながらも、知恵の限りを尽くして孤独の戦いに挑むやえの保身には、哀れみよりもむしろ拍手を贈りたい」と感じる。そして、聞くに耐えない看護師の中傷を耐え忍び、両手を膝に組んでじっと目を閉じているのも、「年は幾つ」「子どもは何人」などの愚かな質問を浴びせ、「他人の中(病院)に老いた親を突き出し、態のよい見舞いの面の陰で、苦難をからかう子どもなどないも同じだと、見切りをつけた」のではないかと問うのだ。沈黙することで耐え難きを耐え、やり過ごすことで忍び難きを忍び、見切りをつけたり、諦めることによってこそ辛うじて生きていく姿を見出すのである。 更に、「恋人はアサノヨウゾウ(親しかった従兄)」と「この世のものならず純無垢な童女の面輪」にかえってこの言葉を口にしたやえに直面した時、三和は以下のように感じるのだ。

 「やえの魂が六十年の過去に舞いもどり、なつかしい生家で生涯の最良の日々にあると思えば、黄昏の暗さの中にも、去る者だけが聞く浄福の音楽を知らされたようで嬉しい」(前掲書、一九四頁)

『黄昏記』に記された、やえが生き抜こうとする姿と三和の幾重にも深い苦悩・葛藤の経験に私たちは圧倒されてしまう。そしてその只中での新たな「発見」を見出す。それらは、親と子、母と娘の関係のうちにおいて引き起こされ、それぞれの「魂」を揺さぶる。老い衰えゆく当事者には、命懸けで自らの自尊心やプライドを守ることで、辛うじて生き抜こうとする老いの像がある。家族ないしは夫婦には、「重なる歳月の厚み」によってぎ止められてきた関係の中でこそ形作られていく介護の経験を生きようとする姿がある。 当事者は老い衰えゆく中で右往左往しつつ、何とか対処して生きてしまう。一方、家族や夫婦は、重なる歳月の厚みによってぎ止められた関係性の中で形作られた介護経験を生きざるを得ない。老い衰えゆく中で、当事者も過去を引きずっているがゆえに自らの自尊心やプライドが傷つき、それを補うために様々な手立てを講じてしまうし、家族もまた当事者と形成してきた過去の関係性のもとで介護の経験を捉えてしまうのだ。 いずれにしても、「過去を引きずりつつ、現在を生きる」。では、その「過去」とは何か。
 言うまでもなく、それは「過去の自分との関係」であり、「過去のその当事者との関係」である。では、その「過去の自分ないしは当事者との関係」とは何か。その「過去の自分ないしは当事者との関係」とは他ならぬ「できていた過去の自分との関係」であり、「できていた過去の当事者との関係」である。 言い換えれば、〈老い衰えゆくこと〉とは、「できない現在の自分」「できなくなった現在の当事者」に直面しながらも、それでも「できていた過去の自分」ないしは「できていた過去の他者」のイメージに引きずられ、それに深く呪縛されながら苦闘する日々の出来事なのだ。あるいは、そうした苦闘を重ねながら、幾重にも深い苦悩と葛藤の只中で新たな「発見」を繰り返していく日々の別名であると言ってもよい。 加えて、〈老い衰えゆくこと〉とは「できなくなった現在の自分」「できなくなった現在の当事者」に直面しながらも、それでも「できていた過去の自分」ないしは「できていた過去の他者」に呪縛されながら苦悩したり、逆に発見していく経験にとどまらない。老年期において「できなくなった自分になること」「できなくなった人になること」という経験は、往々にして、どう頑張っても、どう足いても「全くできない」ということではないのだ。例えば、生まれつき重い障害がある人たちは最初から「できない」。その人たちは、実際、なかなか働くことは「できない」。その人たちはそもそも様々なことが「できない」ゆえに、とりわけ「働いて稼ぎ食っていくことができない」ゆえに、「お金や他者の支援などの社会的手立てがなければ、生きていくことができない人びと」である。
 それに対して高齢者は、障害や病気のある人たちもいるが、全員がそうではないし、その期間も老年期における一時期であることが多い。分かりやすく言えば、「健常者」として老年期まで生きてきた人たちが、次第に老い衰えゆく中で「障害者」「病者」となっていくのである。そして、その期間も、その状態に至る時間の長短も、その生活の中でのしんどさも実に様々である。だから、「誰もが老年期において障害者になるのだ」と指摘する人がいるが、この指摘は重要なポイントを見逃してしまっている。つまり、高齢者の多くはかつてそこそこでき、それなりに働き稼ぐことで食っていくことができた人たちである。とはいえ、やはり年をとって退職して働くことが困難になった人たちであり、年金も何もない状態では暮らしていくことができない人たちである。また、病気になりやすくもなるし、障害があることもあり、医療や介護サービスが必要になる人たちでもあるのだ。その意味では、高齢者の多くは重度の障害者とは異なり、「社会的手立てがなければ、即、生きていくことができない(できなかった)人たち」ではない。働き稼ぐことで食っていくことができたという意味では、社会的手立てが僅かであっても自分(たち)で何とかやっていくことができた人たちなのである。
 とはいえ、老年期になった現在、「社会的手立てが全くなければ、やはり生きていくことができない(困難な)人たち」である。言い換えれば、大多数の高齢者は、老年期まで働き稼いでいくらかの預貯金や持ち家などの資産(ストック)を形成し、定年退職後は年金等の資源(フロー)や社会的サービスを得ることで、辛うじて暮らしていける人たちである。その意味では、「健常者」とされた膨大な人たちが、老年期までそれなりに働き稼ぐことで生活しつつ、いくばくかの資源を形成してきたのだが、老年期においてはそうした資源だけでは生きていくことが困難となるため、いくらかの年金や社会サービスを受けることによって辛うじて暮らしている──その状態こそが、老いの実像である。
 かりに「できる人たち/できない人たち」あるいは「健常者/障害者」という区分を立てるとすれば、高齢者とは、いわば「どっちつかずの人たち」である。誤解を恐れずに言えば、かつて「できる人たち」であったゆえに、微視的な視点では、その自己像・イメージに呪縛され、老い衰えゆく只中で様々に右往左往してしまう開き直りのできない人たちである。とは言え、次第に新たな現実を感じ取っていく人たちでもある。また「できる人たち」であったゆえに、周囲の人たちは、その他者像・イメージに囚われてしまい、かつての他者との関係の中で、その老い衰えゆく現実を解釈してしまう。ついついかつての「できた当事者」の姿・面影を重ねあわせてしまうのだ。 他方、巨視的な視点からすれば、現在の高齢者とは、「できる人たち」として右肩上がりの経済成長の中で働き稼いで食っていきながら、いくぶんかの資源を得てきた人たちである。その中で老年期を迎え、仕事がない中で暮らしていくようになり、また障害や病気を抱えるようになり、次第に「できない人たち」になっていく存在である。その意味では、微視的な視点からしても巨視的な視点からしても「できる人たち」から「できない人たち」になっていくということこそが(そのどっちつかずな身体であることが)、戦後日本社会における社会保障の仕組みを形成してきたし、今日のこの社会を形作ってきたのだ。 高齢者とは、〈老い衰えゆくこと〉という現実の前で、常に「過去に引きずられながら、現在を生きる人たち」である。「できた過去の自分」という自己像・イメージに呪縛されることで、「できない現在の自分」を強烈に否定してしまう。と同時に、過去においては「できる人たち」として働き稼ぎ、いくぶんかの資源を形成してきたが、老年期において「できない人たち」として社会的な手立てを必要とするという意味でも、「過去」に引きずられながら、「現在」を生きる人たちなのである。
 そして言うまでもなく、現代日本社会とは、未曾有の高齢化によってこうした「どっちつかずの人たち」が「できない人たち」の多数派を占めることになった社会である。言い換えれば、「多数派」である「できる人たち」に対して、「少数派」である「できない人たち」の中心は、かつては働くことのできない貧者たちであり、働くことができない障害者や病者などであったが、戦後日本社会においては、次第に高齢者こそが、「少数派」である「できない人たち」の中の「多数派」を形成してきたのである。いわば高齢者が「少数派の中の多数派」を占めていく中で、現代日本社会の社会保障のあり方は形作られてきたのだ。だからこそ、戦後日本社会において高齢者の存在は社会を変動させる大きな軸になってきたのである。 その意味では、一人の個人史においても歴史においても、〈老い衰えゆくこと〉とは過去を引きずりながら立ち現れてくる社会的出来事なのである。

2 社会的出来事としての〈老い衰えゆくこと〉
 話を元に戻そう。『黄昏記』に記されたように、〈老い衰えゆくこと〉とは、第一に、年を重ねる中で次第に身体にままならなさを抱えるという経験だけではない。むしろ、ままならない身体の中で「あたしはもう駄目じゃ。馬鹿になってしもうた。生きとってもなんの楽しみもない……」と嘆きながらも、必死にそれに抗おうとする経験である。「知恵の限りを尽くして孤独の戦いに挑む」ようにして、自らの自尊心やプライドを守らんとするのだ。命懸けで生き抜こうとする「死に抗う座像の巨さ」によってこそ辛うじて日々暮らすことができるような出来事なのだ。当事者の経験に照準することによって、私たちはこうした〈老い衰えゆくこと〉の現実を「発見」していくことが可能となる。
 第二に、家族や夫婦などにとって〈老い衰えゆくこと〉とは、たんに「介護」を誰がどのように提供するかといった問題に収まるものではない。家族とは不思議なもので、選択できない関係でありながら、その実、選択しているような特異な関係である。例えば、私たちは母親を選ぶことはできない。その意味では、誰もが知っているように、「親を選ぶことはできない」。しかし、子どもがそれなりの年齢に達した場合、いくら母親が過酷な環境に置かれていたとしても、そこから逃げて遠ざかることもできなくはない。その意味では、やはりどこかで親子の関係にとどまることを「選択している」。このように「選ぶことができない関係」のもとで関係を形成してきたこと自体が、「この関係」を選択することを余儀なくさせているのだ。「親を選ぶことができない」中で形成されてきた関係それ自体が、親を放り投げる選択肢を選ぶことを困難にさせてしまう。だから、家族における介護の経験は、たんに食事介助や排泄介助をするといった経験だけに終わるのではない。「選ぶことができない関係」のもとで関係を形成してきたこと自体が、「私たちにはこの選択しかなかったのだ」という「運命の呪縛」をもたらし、その「運命の呪縛」こそが日々の介護の経験を形作っているのである。 良く言えば「重なる歳月の厚み」によって、悪く言えば「腐れ縁の成れの果て」によって、家族や夫婦として生きていくことを余儀なくされる。実際、介護サービスを利用する中で通常「選択」とされているもの、例えば施設サービスを利用するか(施設入所するか)しないかといったことも、その実、「運命の呪縛」ないしは「重なる歳月の厚み」「腐れ縁の成れの果て」によって形作られているものである。
〈老い衰えゆくこと〉とは、たんに年老いて衰え、身体がままならなくなっていくという出来事であるだけではない。その年老いた人びとが関係してきた人びとを文字通り「巻き込み」ながら、「運命の呪縛」とともに別様な関係が形成されていく社会的な出来事である。家族介護者の経験に照準することによって、私たちはこうした「運命の呪縛」の中で老い衰えてゆく現実を「発見」していくことが可能となる。
 第三に、先述したように、〈老い衰えゆくこと〉とは、それまでその当事者がどのように生きてきたのか、どのように食っていくことができたのか、いかなる資源を獲得してきたのか、等々によって形作られるものである。一九八一年に記された『黄昏記』では、夫亡き後、長男の妻(嫁)と折り合いのつかないやえを娘である三和が介護するという家族形態となっており、当時としてはやや稀有なケースであった。 戦後日本社会では、右肩上がりの経済成長のもと、十分とは言えないまでも年金制度が整備され、老人医療費無料化や老人保健制度が運用され、更には介護保険制度が始動したことによって、高齢者とその家族との関係は「僅かな年金を元手にした高齢者が、同居する子どもたちに世話・介助される関係」ないしは「身寄りのない高齢者が細々とした社会保障を受ける関係」から、「それなりの資源を手にしたミドルクラスの高齢者が子どもたちから支援を受けつつ暮らす関係」へと大きく変容してきた。その意味では、言うまでもなく、〈老い衰えゆくこと〉とは、戦後日本社会における歴史と体制のもとで作り出されてきた現実なのである。こうした戦後日本社会における体制の歴史の解読と〈老い衰えゆくこと〉の現実を直視することを通じて、私たちの社会の有り様を「発見」していくことが可能となる。 だからこそ、私たちは、第一に、〈老い衰えゆくこと〉を徹底的に社会的な出来事として見ていくべきなのである。第二に、〈老い衰えゆくこと〉とは、老い衰えゆく当事者と周囲の関係上の社会的出来事というだけではなく、当事者が老い衰えゆく中で「私は生きていても仕方がない」というように自らの存在を否定し、幾重にも深い苦悩と葛藤を経験せざるを得ないこと、その苦悩と葛藤こそが当事者に様々なつまずきをもたらし、悪循環をもたらしてしまうことが、まさに私たちの社会によって形成されているという意味での社会的出来事として捉えていくべきなのだ。第三に、まさに「どっちつかずの身体」である〈老い衰えゆくこと〉を過酷な現実にしている社会において、〈老い衰えゆくこと〉をめぐる政策と歴史はどのように形作られてきたのか、その歴史的な見取り図を描くことが重要なのだ。言い換えれば、戦後日本社会は誰を(いかなる人びとの身体を)想定して社会が設計されてきたのかを照らし出すことが大切なのだ。本書ではそうした視点から〈老い衰えゆくこと〉を捉えてみよう。

3 〈老い衰えゆくこと〉から社会を描き出す
 こうした〈老い衰えゆくこと〉の現実はどうしてか、なかなか「発見」されない。現在において、〈老い〉をめぐる現実、〈老い衰えゆくこと〉をめぐる現実について報道されない日はほとんどない。その喧しい報道にウンザリしながらも、仕事柄、ついつい読んでしまい、見聞きしてしまう。しかし、その報道に触れたあとでは、やはり読まなければ、見聞きしなければよかったと思うほど同じような「物言い」が反復的に繰り返されているばかりである。いくつかの例外を除き、この種の報道に触れて、何かが分かったような「発見」をしたことがない。たぶん、多くの人たちにとっても同様であるように思う。
 その一方で、私たちもまた同様に、〈老い〉をめぐる日々の事態、〈老い衰えゆくこと〉をめぐる日々の事態に、泣き笑いを繰り返しながら、おしゃべりを講じてしまっている。「父親のボケが始まっており、何度注意しても同じことを繰り返す」とか、「母を介護しているが、きょうだいたちは立ち寄りもしない」とか、「遠くに住む老いた母親はギリギリの状況なのに、父親を施設に入れるのだけは嫌がっている」とか、「近所の息子さんは母親の介護もせず、母親の年金を使ってギャンブルにハマっている」とか、「あの人は親がお金持ちだから、日々の生活には困らない」などなど、無数の泣き笑いの言葉が繰り返されている。
 そのいずれをとっても当事者や家族にとっては極めて切実な現実であることは否定しない。だが、それでもそれぞれがバラバラの断片として中空を舞っており、決して、それらの断片をぎ合わせて「全体の見取り図」が示されることはない。その意味では、日々のおしゃべりに講じているだけでは、やはり何かが分かったような「発見」をすることはない。これもまた多くの人たちにとって同様の実感であるように思う。 そんな中で断片をたんに「寄せ集める」のではなく、「断片」を「繋ぎ合わせる」こと、そして「繋ぎ合わせたもの」から「〈社会〉を描き出す」ことこそ、私が目指すべき仕事であろうと思うようになったのだ。このようにきちんと社会を描くことこそ、社会学者の仕事であると思ったのである。
「〈老い衰えゆくこと〉の発見」ないしは「〈老い衰えゆくこと〉からの発見」という事実を読み解くことこそ、近代日本社会とりわけ戦後日本社会の歴史と体制を深く分析することにがるのだと私は考えている。
 老い衰えることに、どのようにして否定的な価値が付加され、それが個別の関係をどのように縛り上げてしまうのかを微視的に、そして巨視的に描き出すことを通じて、老い衰えゆくことが背負わされた否定的価値の棘をゆっくりと取り去りながら、私たちの社会の中に、老い衰えゆくことを静かに着地させてゆくことへと向けて、本書は書かれている。
 平板な言い方になるが、多様な〈老い〉が、多様なまま生きることができる社会、「少数派の中の少数派」を基軸に「少数派の中の多数派」、更には「多数派」までが多様に生きることができる社会。本書が、そうした社会が構想されるための「第一歩」となるなら、これほど嬉しいことはない。


■あとがきにかえて

「老い衰えゆくことの発見」──。 このタイトルは私がつけたものではない。編集者である小島直人さんがスタッフと相談しながら考案してくださったものである。私の専門である社会学界隈からすると、「○×の発見」といった名前を冠する本は一九八〇年代以降、既にたくさん刊行されているため、やや「使い古された」表現である。そのため、最初にこのタイトル案をいただいた時には、些かの躊躇いもなかったと言えばになる。ただし、本書に冠される「老い衰えゆくことの発見」は、かつて「○×の発見」といった類の題目に込められた意味合いとは異なるものであることに気づき、「いろいろと考え直しましたが、やはり『老い衰えゆくことの発見』でいきましょう」ということで、本書のタイトルが決定したのだ。
 本書が「○×の発見」といった類書と異なるのは、二つの意味においてである。 かつての社会学界隈の本では、「○×の発見」「○×の誕生」といった題目を付すことで、私たちの社会においては「当たり前」のように思われている「○×」は、ある社会の、ある時代において○×がかくかくしかじかのように作り出されてきたのである、といったことを主張・強調するものだった。そのことを語る時に、「発見」「誕生」といった言葉を使ったのである。
 それに対して本書では、〈老い衰えゆくこと〉が歴史的に、かつ私たちのコミュニケーション場面において作り出されてきたことを強調するだけではなく、その作り出されていく「社会全体」の「見取り図」を描こうとした部分がある。だから「老い衰えゆくことの発見」を描こうとしたと同時に、「老い衰えゆくことからの発見」を描こうとしたものなのだ。 大袈裟に言えば、本書は、「できたことができなくなる身体」を生きる〈老い衰えゆくこと〉を、まさに全くできなかったり、できないわけではないが、さりとてできるままの身体では生きていくことのできない「どっちつかずの身体」として捉えた上で、微視的にはそのどっちつかずゆえに老い衰えゆく個人が苦悩・葛藤し、周囲も翻弄されていくこと、巨視的には、そのような苦悩・葛藤がその身近さや想像可能性ゆえに共有され、また、ミドルクラスの高齢者がまさにその老い衰えゆく中でこそ、彼/彼女らを中心に想定した社会保障のあり様が作り出されてきたことを描出することを、「最大の企て」としたのである。 このような〈老い衰えゆくこと〉を新たに発見していく社会とは、いかなる社会であるのかを考究する本書のタイトルとして、「老い衰えゆくことの発見」が与えられているのだ。
 もう一つには、そのように発見する社会とは何であるのかを考えるうえで、本書ではあくまで〈老い〉ではなく〈老い衰えゆくこと〉に照準している。それは、老い衰えゆく高齢者は私たちのイメージとは異なり、繰り返すが、いわば「どっちつかずの人たち」である、ということに重点を置いているからである。高齢者は全ての人が「健常者」でも「労働者」でもなければ、さりとて必ずしも全ての人が「障害者」「病人」ではない。障害や病気がある人もいるが、全員がそうではないし、多くは過去に働いてきた人たちであるがゆえに、多少の預貯金や持ち家などのストックがある人たちも少なくない。とは言え、では手持ちの資産・資源だけで暮らしていくことができるかと言えば、当然ながら、それは困難な人たちでもある。
 総体として見た時、いわば過去においてはそこそこ働き稼いで食っていくことができた人たちであったが、退職するなどして仕事を辞めたのちは、年金を命綱にして生きざるを得ない人たちなのである。その意味では、現在において、「健常者」「労働者」のように「働き稼いで食って行ける人たち」でもないし、さりとて「そもそも働くことが困難な障害者や病人」のように「昔からどうやっても働き稼ぐことができない人たち」でもないのだ。私はそこにこそ、「高齢者」を社会科学的に考えていくことの重要性があると考えているのだ。 こうした現実の只中で、人によっては障害や病気などによって、次第に老い衰えゆくことを経験していく。だからこそ、彼/彼女らは、あるいはその周囲の人たちは、「過去においてできたこと」「過去の自己像」に囚われていくし、自らが「できなくなること」「できなくなる自分になること」に対して、幾重にも深い苦悩と葛藤を経験することになるのである。
 未曾有の高齢化にともなって、絶対的にも相対的にも「高齢者」が増大し、この「どっちつかずの人たち」は、「少数派」から「少数派の中の多数派」となっていく。彼/彼女らは自らが「できなくなること」「できなくなる自分になること」に対して幾重にも深い苦悩と葛藤を経験し、その経験が広く語られることで、近代日本社会、とりわけ戦後日本社会は形作られてきたし、二〇〇〇年以降には、「誰もが迎える老後の不安」への「備え」として「基本的にみんなで保険料を出し合って支える保険方式」である介護保険制度が作り出されたのである。一言で言えば、身近で想像可能な〈老い衰えゆくこと〉の不安を抱えたミドルクラスの高齢者が多数存在するようになっていく中で、老いをめぐる政策と歴史は「中産階級向け社会保障」として作り出されてきたのだ。
 こうして、老い衰えゆくことは我々の社会を変容させる最も大きな「社会の軸」であり、まさにこうした老い衰えゆくことを「社会の軸」として「発見」することが、超高齢化を遂げつつある私たちの社会の今の姿を正確に捉えることである。そうした主張をも込めて、本書は「老い衰えゆくことの発見」と名づけられているのである。 本書は、拙著『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』(二〇〇三年、多賀出版。二〇〇七年にはその普及版が、二〇一〇年にはその増補改訂版が刊行されている)を、多くの方々に向けた一般書として改めて書き直してみませんか、という角川学芸出版の小島直人さんの考案から生まれたものである。そのため、できるだけ難解な言葉や表現は避け、横文字や専門用語は使わないように努めた。学術的な水準の内容を失わないように心がけながらも、できるだけ分かりやすい表記にした。また参照した文献などもほぼ全て本書では挙げていない。ご関心のある方は、『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』を参照していただければ幸いである。
 時間的制約もあり、原稿の作成が難航する中で、小島さんの励ましとご尽力がなければ本書は完成を見なかった。加えて、出版をする上での面倒な作業を厭うことなく堅実に行ってくださった。ここに謹んで感謝の意を表したい。 最後になるが、本書は文部科学省科学研究費補助金若手研究(B)「戦後日本社会における〈老い〉と〈高齢化〉をめぐる表象と記憶の政治」(代表者:天田城介。二〇〇八〜二〇一一年度)、文部科学省グローバルCOEプログラム「「生存学」創成拠点」(拠点リーダー:立岩真也。二〇〇七〜二〇一一年度)の成果の一部である。関係各位に記して感謝したい。
 視覚障害などで活字版が不便な方に、本書のテキスト・ファイルを提供する。天田のメールアドレス(josuke.amada[あっと]nifty.com)までご連絡ください。

   二〇一一年八月    天田城介   


■書評・紹介

◆関水徹平 20111120 『週刊朝日』2011年11月20日号「話題の新刊」『老い衰えゆくことの発見』74頁
 いま「自立」していると思っている誰もが、やがては老い衰える。できたことができなくなる。「過去のできた自分のイメージ」に呪縛されることが「幾重にも深い苦悩と葛藤」を生む。
 老いの現場を見つめ続けてきた社会学者が、その「発見」の数々を一般向けに書き下ろした。「自分はもうバカになちゃって」と周囲に先手を打つことで、深く傷つくことを避けようと試みる認知症高齢者。認知が衰えても、感情は衰えない。
 徘徊など一見理解不可能に思える「問題行動」の背景にもその人なりの物語がある。しかし介護者は繰り返される「問題行動」に疲れはて、向き合うことができなくなる。自分を守るために傷つけ合ってしまう人びとの、したたかさとかなしみがそこにはある。
 著者はぬきさしならない現実に活路を探る。老い衰えゆくことを否定せずに支える社会制度を構想するための大きな一歩を踏み出している。(関水徹平)

◆日刊ゲンダイ 2011121 「NEWSを読み解く――今週のキーワード「老いるということ」」『日刊ゲンダイ』第10554号(2011年11月22日)15面
□「ボケによる誤認」は「命懸けの闘い」
 『老い衰えゆくことの発見』天田城介著
 急速な高齢化にともなう社会不安の増大。2003年、社会学の世界で「老い」に正面から取り組む専門書が注目された。認知症の高齢者やその介護の現場をていねいに調査した成果もさりながら、その仕事がまだ30代初めの若手の手になることが驚きとともに受け止められたのだ。
 本書はその著者が自著を一般向けに書き改めた「老い衰える」ことへの問い。家庭でも施設でも認知症の高齢者はしばしば身近な介護者をののしったり、喧嘩に明け暮れたりするが、実はそこでは過去の「できていた自分」との落差に苦しみ、何とか体面を保つことで「不本意な今」を生き延びようとしているのだという。はた目には「ボケによる誤認」と見えるものは実は本人には「命懸けの闘い」なのだ。
 学生時代の祖母の認知症とアルバイトの介護体験からこのテーマに入ったという若手社会学者の観察は細かく、鋭く、老いてゆく命と真摯に向かい合うところから得られたことがわかる。衰える前に、また衰えを介護するときに一度は目を通しておきたい。
(角川書店、1800円)

◆伊藤智樹 20111125 「『老い衰えゆくことの発見』(天田城介、角川学芸出版)」紀伊國屋書店書評空間Kinokuniya Booklog,2011年11月25日.
「「どっちつかず」であることの生き難さ」

◆早瀬晋三 20111129 「『老い衰えゆくことの発見』(天田城介、角川学芸出版)」紀伊國屋書店書評空間Kinokuniya Booklog,2011年11月29日.

井口高志 20120320 「ブックレビュー:「どっちつかなさ」という日常――天田城介著『老い衰えゆくことの発見』角川選書」「支援」編集委員会編『支援』vol.2(生活書院):250-251.

◆杉澤秀博 20120420 「書評:天田城介著『老い衰えゆくことの発見』」『老年社会科学』Vol.34 No.1(2012.4)日本老年社会科学会発行:78.


■刊行記念 連続対談企画 (2011年11月27日、12月14日、12月17日、12月25日)

◆11月27日(日)
 対談1 天田城介×西川勝 「老い――できたことができなくなる身体」(仮題)
 於:アートエリアB1(大阪市北区中之島1-1-1、京阪電車なにわ橋駅地下1Fコンコース)
 http://www.artarea-b1.jp/access.html
◆12月14日(水)
 対談2 天田城介×西川勝 「超高齢社会――どっちつかずの身体たちが形づくる社会」(仮題)
 於:アートエリアB1(大阪市北区中之島1-1-1、京阪電車なにわ橋駅地下1Fコンコース)
 http://www.artarea-b1.jp/access.html
◆12月17日(土)
 対談3 天田城介×三井さよ 「生きるための支援をめぐって」(仮題)
 於:立命館大学東京キャンパス(東京都千代田区丸の内1-7-12 サピアタワー8階)
 http://www.ritsumei.jp/tokyocampus/t02_j.html
◆12月25日(日)
  対談4 天田城介×春日キスヨ 「戦後家族とは何だったのか」(仮題)
  於:立命館大学朱雀キャンパス(京都市中京区西ノ京朱雀町1)
 http://www.arsvi.com/a/20111127.htm#4


■著者による紹介・引用

◆天田城介 2011/11/23 「(自著の紹介)」立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点メールマガジン 2011年11月23日発行 第20号[通巻31号]より
 この本は、年老いて「できたことが、できなくなる人たち」が生きる「社会」を書いた本である。第一に、「できたことが、できなくなる人たち」は「できたこと」のイメージに囚われて右往左往する。割り切れずに、開き直れずに、苦悩する。そんな姿を書いた。第二に、「できたこと」の幻影・イメージは周囲も引きずるから、周囲もうろたえ、葛藤する。できないながらもできることを見出しては更なる苦悩と葛藤を重ねる。そんな現実を描いた。第三に、そんな「できたことことが、できなくなる」という「どっちつかず」の状態は、未曽有の高齢化を遂げつつある社会にあっては、誰もが想像してしまう大きな「不安」であるゆえに、「できたことが、できなくなる」という状態を想定した社会保障制度が整えられることになる。年金然り、医療保険然り、介護保険然り。そして、戦後日本社会における未曽有の高齢化とは、一言でいえば、「できたことが、できなくなる人たち」が相対的に増加することを意味するものであり、戦後日本社会においては戦後経済成長のもとで恩恵を受けてきた中産階級たちの多くが「できたことが、できなくなる人たち」になること(ないしはその大いなる不安を抱えること)なのである。ゆえに、個人史の観点からしても、歴史の観点からしても、〈老い衰えゆくこと〉、すなわち「できたことが、できなくなる」ようなどっちつかずの状態からこそ、この「社会」を鮮やかに描き出すことができる。そう思って書いた本である。ちなみに、「あとがきにかえて」に記したように、この本は拙著『〈老い衰えゆくこと〉の社会学』(多賀出版、2003年3月刊行、〔普及版〕2007年、〔増補改訂版〕2010年)をできるだけ平易な文章で書き直したものである。したがって、この本で引用している事例の多くはすでに拙著にて使ったものであり、その意味では「新しさ」はない。ただ、上記のような主張を中心に据えて全体を再構成したという意味では「本邦初」の本になったはずである。手にとって読んでいただければ嬉しい限りである。

◆天田城介 20120206 「語る人・立命館大学大学院准教授 天田城介さん――老いるとは『落差』」朝日新聞(2012年02月06日付朝日新聞夕刊7頁掲載).2012年02月06日.

◆天田城介 20120225 「女の新聞・介護――老い衰えの苦労から自由になるには「できる私」を少しずつ手放すこと・天田城介さん」『クロワッサン』No. 824.2012年02月25日.


■言及



*作成:本岡 大和
UP:20110915 REV: 0921, 0924, 1122, 1125, 20120425
老い  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)