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『共生社会論――障がい者が解く「共生の遺伝子」説』

堀 利和 20110515 現代書館,270p.

last update: 20110921

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堀 利和 20110515 『共生社会論――障がい者が解く「共生の遺伝子」説』,現代書館,270p. ISBN-10: 4768435122 ISBN-13: 978-4768435120 2310 [amazon][kinokuniya] ※ v01.

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内容(「BOOK」データベースより)
ザ・元祖「共に生きる」は70年代の障がい者運動から。共育・共学・共働・共生・共政・共滅。

■著者紹介

堀 利和 1950年静岡県清水市に生まれる。清水市立小学校入学。四年生で静岡県立静岡盲学校に転校。同中等部卒。東京教育大学附属盲学校高等部卒。明治学院大学卒。日本社会事業学校卒。民間保育園に保父として二カ月間勤務。養護学校スクールバス添乗員一年半。大田区点字講習会講師十年間。履歴書の職業欄は白紙。1989年日本社会党参議院議員。1998年民主党参議院議員。2004年〜2009年冬眠。2011年現在社会活動復帰のためのリハビリテーション(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


■目次


まえがき

第一章 障がい社会科学
1 共生 自我 利己
「自我」の確立と「利己心」/DNAは利己主義者だ/合理的と合理主義/人間存在の基本条件とは
2 障がいの基礎概念
障害ライオンは存在するか/社会が障害化する
3 労働の果実と「役割」
リバタリアンの労働と「集合体」/「役割労働」
4 政治的世界観

第二章 障害者問題の視座
1 障害者差別禁止法をめぐって
「差別禁止法」への戸惑い/「『差別禁止法』への戸惑い」に寄せて/「『差別禁止法』への戸惑い」に再度寄せて/私の提案に代えて/つぶやき
2 「共に学び」と法制
日本におけるインクルーシブ教育の可能性/現段階における「原則統合」の限界性/イメージを具体的施策に/「百年の孤独」/つぶやき
3 緊急メッセージ
二〇一〇年十二月二十二日の「緊急メッセージ」/「帰ってきたヨッパライ」のつぶやき
4 社会的企業の法制化をめざして
第一回日韓社会的企業セミナー挨拶/社会的企業法制化のための論点整理/経験から法制化を求める/第二回日韓社会的企業セミナー挨拶/第二回日韓社会的企業セミナーを終えて/現時点での見通し/つぶやき 
5 「健全者文明」の否定
魂を揺さぶられた衝撃/生きることは妥協なのか/「青い芝の会」が切り拓いた地平
6 「盲界」の栄光と現代
「盲界」との距離/日本には「盲人史」があった/今日の「盲業界」を見る/我ら治療院を取り巻く環境/無資格者を取り締まれるか/柔整師の不正を止めるには/無資格者を取り締まるための法改正を/疑問に答えて/つぶやき

第三章 障がい者としての「わたし」
1 国会物語
「らい予防法」の廃止に一人喜ぶ/許認可と利権の省ならでは/国会図書館館長は大臣レベル/落語のオチのほうがまし/やっぱり我が身がかわいい/驚くべき「法改正」に!/政治家という動物/政治家達のひとこと(田辺誠・小沢一郎・横路孝弘・仙石由人・今井澄・菅直人・鳩山兄弟・橋本龍太郎・福島譲二・塚原俊平・奥田敬和・宮下創平)/尊敬すべき官僚との出会い(浅野史郎・浅田和伸・後藤光義・村木厚子・山口剛)/国会議員ならでは/視覚障害者議員として(視覚障害者と政治参加/障害者政策にかかわる二期十二年の議員活動/視覚障害者議員としての経験から)
2 障がい者が語る
共に生きる社会築く/差別語/手話/逆差別/規制/政策/障害の受容/知的障がい者への配慮/地域/ヘルパー講座/戦略と戦術/スウェーデン等北欧型福祉国家/消費税/日本官僚/揺らぎつつある中央集権/臓器移植法/死刑制度/袴田事件/裁判員/日本の経済外交/難民列島/道具・技術/オバマ大統領/普天間/小選挙区制度/白票/ソ連と中国/四プラス一の危機/私の「恋の遺伝子」/想像の場/くりくり目/死
3 或る盲人の主張
政策要求も合理的に/或る盲人の言い分/ガイドヘルプの課題の一つ/「うつ状態」に苦しんだ経験から/「応援させて下さい」/品川区との縁
4 活動と政治歴
考えもしなかった政治家への道/「責任」が人生観

第四章 文学からのアプローチ
1 思想詩
還暦の今/疲れ/生き延びる/うぬぼれ/生の矛盾/時計/逆説論/愛する人を愛せよ/3人の男/ふるさと 正義 夢のコンチェルト/等価交換/カフカ/空中遊泳/旅の終わり/ゴッホ/過去/障害を楽しむ/泉谷しげる/亀とアキレス/弱者論/経験の普遍性/アメリカよ/法的措置/おれは殺人者/おれは右翼だ/あるミュージシャン
2 短編小説(一九七三年作)
安堵の暴力/スーパーマーケット

あとがき


■SJSに関連する部分の引用

(p215)
 幼稚園の六歳の時、私は初めて「死」の恐怖を味わった。死ぬ前には必ずおなかが痛くなるのだと思っていたから、おなかの痛いのがわからなかったらどうしよう。今そうかもしれない。わからずにこのまま死んでしまうのではないかと、恐怖に悩まされた。毛布にくるまれ、意識がだんだん遠のき、その先はもう覚えていない。暗いハイヤーの中であった。三月末の小学校入学直前のことだった。
 市立病院の小児科医が言うには、その日に遊びまわった里山の赤旗が立った畑の農薬が原因だろうとしていたが、あとになってその小児科医から、「スティーブン・ジョンソン病症候群(今なお難病指定にはなっていない)」の薬害病と知らされた。入院する三、四日前、歯医者で麻酔をした際、気分が悪くなって倒れた時だろう。もちろん当時は原因不明、医学書にも出ていなかった。
 二十日ほど意識不明の四十度の熱。たまたまその医師が、東大病院で同じ症状の子を見てきたばかりで、それで連絡を取り合いながら治療にあたったのだという。奇跡の生還であった。
 きれいな花畑で誰かに呼ばれなかったかと聞かれ、言われてみるとなんだか、ついて行かないで戻ってきたような気もする。子ども心に変な思いになった。
 親はもう諦めていたというが、医者が徹夜して頑張ったという。もちろん父親も、のどから離れた粘膜が気管支に入らないよう、徹夜でそれをとって、血尿が出たほど頑張ったようである。後遺症で強度の弱視になった。


*作成:植村要
UP: 20110514 REV:20110921
堀 利和  ◇視覚障害(者)  ◇テキストデータ入手可能な本  ◇病者障害者運動史研究  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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