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BOOK
天田 城介
・
北村 健太郎
・
堀田 義太郎
編 20110325
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』
,生活書院,522p.
ISBN-10: 4903690733 ISBN-13: 9784903690735 3000+税
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目次
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書誌情報
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正誤表
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はじめに
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あとがき
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書評・紹介・引用
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last update:20110704
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■
天田 城介
・
北村 健太郎
・
堀田 義太郎
編 20110325 『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』,生活書院,522p. ISBN-10: 4903690733 ISBN-13: 9784903690735 3000+税
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※
■内容(生活書院ホームページより)
戦後日本社会における老いをめぐる政策と歴史とは、未曾有の「高齢化」とともに高齢者が「少数派の中の多数派」 「マイナーの中のメジャー」となっていく歴史的ダイナミズムによって形成されてきたのである。もっと平たく言えば、 戦後においてメジャー化していった「中産階級」の老いこそがこの国の老いをめぐる政策と歴史を形作ってきたのである。そして、 そのことがこの国における老いを治めることを可能にしているのである。本書はそのこと(だけ)を記したのである。
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■目次
はじめに
北村 健太郎
・
堀田 義太郎
第 I 部 老いをめぐる政策と歴史
第1章 在宅介護福祉労働はいかに担われてきたのか──1950年代後半〜1980年代の家庭奉仕員による労働実践を中心に
渋谷 光美
1 はじめに
2 家庭奉仕員制度の創設──1950年代後半〜1960年代前半
3 家庭奉仕員制度の拡大化──1960年代前半〜1970年代前半
4 家庭奉仕員制度の有料化とパート化の導入――1970年代後半〜1980年代
5 結論
第2章 1980年代以降の高齢者に対する税制改正を伴った医療制度改革の現在
牧 昌子
1 はじめに
2 所得税・所得控除の歴史と政策
3 1980年代の税制・医療制度改正と論点
4 1990年代の社会保障構造改革
5 2000年代からの高齢者の税制改正
6 老人保健制度改正と「現役並み所得」概念
7 新たな高齢者の医療制度とその財政
8 おわりに
第3章 老いをめぐる政策と歴史
天田 城介
1 制度分析の企て──制度の計画・効果・慣用・戦略的布置
2 近代日本における社会政策の歴史・素描
3 戦後における高齢者医療政策のせり出しと再編
4 戦後における高齢者福祉制度・老齢年金制度・高齢者税制の編成と組み替え
5 経済が事態を現実させている複雑さが現実を厄介にしていること
第4章 戦後日本社会における医療国家の経済学
天田 城介
1 「政府に対しては、人権を」──人権を疑い、別様な人権を提示する
2 「医学/反医学」という物言いの不味さ
3 開かれた医療国家の経済学?
4 戦前/戦後日本における高齢者医療福祉制度
5 高齢者医療福祉制度はいかなる現実をもたらしたのか?
6 戦後日本社会における老いの位置
7 歴史診断を踏まえて《人権》を提唱する
第 II 部 老いの周辺をめぐる政策と歴史
第5章 日本のリハビリテーション学における「QOL」の検討──主観/客観を超えたリハビリテーション学の足場を求めて
田島 明子
1 はじめに――なぜ「QOL」を問題とするのか
2 対象と方法
3 結果――3期に分けて俯瞰した「QOL」の言説・研究の特徴と変化
4 考察――主観/客観の裂け目と存在を下支えする規範的支援概念の必要性
第6章 人工腎臓で生きる人々の運動と結実──生きるための新たな制度の創出
有吉 玲子
1 対峙しつづけるために
2 人工腎臓という先端技術の導入と費用負担の問題
3 人工腎臓の希少性の問題
4 患者会の発足――個々の問題が共有されて
5 全国組織への発展
6 厚生省との交渉と公費獲得までの道程
7 身体障害者福祉法――更生医療と内部障害者
8 自治体への働きかけ――すべての人が制度を利用できるために
9 常に制度と厳しく対峙する人たち
第7章 1970年代の血友病者たちの患者運動と制度展開──公的負担獲得と自己注射公認に至る経緯
北村 健太郎
1 問題の所在
2 全国ヘモフィリア友の会の創立
3 公費負担の開始と年齢制限の壁
4 小児慢性特定疾患治療研究事業の成立
5 “ホーム・インフュージョン”への期待と公認
6 日本の血友病者たちの1970年代
第8章 介護の社会化論とリベラリズム──ケアの分配論と分業
堀田 義太郎
1 はじめに
2 「介護=ケアの社会化」──その経緯・理念・現状
3 ケアの分配論とその射程──性別分業・格差・排除
4 リベラリズムのケアの分配論──「市場+再分配」論の射程
5 おわりに
第9章 家族の余剰と保障の残余への勾留 ──戦後における老いをめぐる家族と政策の(非)生産
天田 城介
1 家族は人口集団(ポピュラシオン)の統治のための特権的な道具として現われる
2 戦後日本において《家族》を媒介に生を可能にした条件
3 戦後日本における経済と家族の位置
4 戦後における高齢者医療経済の体制化
5 戦後における介護保険制度までの編成
6 家族/労働/経済/非生産/生産
第 III 部 老いを治めるということ
第10章 「脆弱な生」の統治──統治論の高齢者介護への「応用」をめぐる困難
天田 城介
1 汚辱に塗れた人々の生と権力との衝突
2 死へと落下する脆弱な生への抗い
3 統治論という企て
4 なぜゆえに統治するのか
5 「社会の自然性」において自然的な調整を可能にする生─ 政治
6 国力の維持・増強のための統治なのか
7 近代日本における福祉国家化の歴史・素描
8 戦後における「高齢者医療・介護の社会化」のせり出し
9 統治論だけでは読み解けないのか
10 脆弱な生/資本としての身体
11 死へと落下する脆弱な生への抗いの位置づけ難さ
第11章 折り重なる悲鳴──我々は生きるがために家族と暮らす/家族と離れる
天田 城介
1 生きるがために引き裂かれる家族
2 生きていくためのギリギリの「足し」があるがために
3 日本社会における戦前/戦後の連続性
4 戦後日本社会における労働・雇用体制
5 〈戦後日本型労働・雇用─ 保障体制〉における高齢者
6 〈戦後日本型労働・雇用─ 保障体制〉のもとでの世代間資源移転の現在
7 生きるがために家族と暮らす/家族と離れる
第12章 〈ジェネレーション〉を思想化する───〈世代間の争い〉を引き受けて問うこと
天田 城介
1 〈世代間の争い〉の語りは確かに私たちの感情に何がしかを訴えている
2 〈ジェネレーション〉をその根底において問う
3 この社会において〈ジェネレーション〉を思想化する
4 自由を生産する――〈安全〉のもとでの自由が〈不安〉をも産み出す
5 制御不可能な不可視の全体(性)が個々人の利己的計算を基礎づける
6 〈社会〉の観念こそが《自由主義的統治実践》を可能にする
7 エコノミーによって生─ 権力は配備される
8 生きさせることと死の中に廃棄することは《人種主義》によって接合される
9 エコノミーの彼岸における根源的贈与
10 未来における世界の奇跡的な到来
第13章 日付と場所を刻印する社会を思考する──学問が取り組むべき課題の幾つか
天田 城介
1 社会老年学における問い直し
2 老年社会学での問い方を解析してみる
3 再帰的エイジングの時代でも問われないこと
4 老いをめぐるアイデンティティの政治の解明へ
5 老いをめぐる家族を軸に経済と政治を解明すること
6 高齢化をめぐる経済と政治を解明すること
7 私たちの社会がいま立つ日付と場所を思考すること
第14章 底に触れている者たちは声を失い、声を与える──〈老い衰えゆくこと〉をめぐる残酷な結び目
天田 城介
1 〈当事者〉をめぐる社会学の構想
2 極限状況で耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ
3 「極限状況」において辛うじて自らで耐え忍ぶこと
4 認知症を生きる人びとによる自らを守らんとする営み
5 〈当事者〉と〈傍観者〉の隔たりにおいて書く
終章 老いを治める──老いをめぐる政策と歴史
天田 城介
あとがき
天田 城介
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■書誌情報
◆
北村 健太郎
・
堀田 義太郎
「はじめに」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:3-18
第1部 老いをめぐる政策と歴史
◆
渋谷 光美
「在宅介護福祉労働はいかに担われてきたのか──1950年代後半〜1980年代の家庭奉仕員による労働実践を中心に」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:30-89
◆
牧 昌子
「1980年代以降の高齢者に対する税制改正を伴った医療制度改革の現在」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:90-125
◆
天田 城介
「老いをめぐる政策と歴史」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:126-147
◆
天田 城介
「戦後日本社会における医療国家の経済学」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:148-175
第2部 老いの周辺をめぐる政策と歴史
◆
田島 明子
「日本のリハビリテーション学における「QOL」の検討──主観/客観を超えたリハビリテーション学の足場を求めて」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:178-216
◆
有吉 玲子
「人工腎臓で生きる人々の運動と結実──生きるための新たな制度の創出」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:217-269
◆
北村 健太郎
「1970年代の血友病者たちの患者運動と制度展開──公費負担獲得と自己注射公認に至る経緯」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:270-302
◆
堀田 義太郎
「介護の社会化論とリベラリズム──ケアの分配論と分業」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:303-348
◆
天田 城介
「家族の余剰と保障の残余への勾留──戦後における老いをめぐる家族と政策の(非)生産」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:349-372
第3部 老いを治めるということ
◆
天田 城介
「「脆弱な生」の統治──統治論の高齢者介護への「応用」をめぐる困難」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:374-412
◆
天田 城介
「折り重なる悲鳴──我々は生きるがために家族と暮らす/家族と離れる」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:413-437
◆
天田 城介
「〈ジェネレーション〉を思想化する──〈世代間の争い〉を引き受けて問うこと」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:438-465
◆
天田 城介
「日付と場所を刻印する社会を思考する」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:466-480
◆
天田 城介
「底に触れている者たちは声を失い、声を与える」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:481-507
◆
天田 城介
「老いを治める──老いをめぐる政策と歴史」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:508-518
◆
天田 城介
「あとがき」
『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』:519-522
>TOP
■正誤表
117ページ表
(誤)マクロス経済スライド方式
(正)マクロ経済スライド方式
495ページ1行目
(誤)2-5 自らを守らんとすることが招いてしまう皮肉な事態
(正)3-1 自らを守らんとすることが招いてしまう皮肉な事態
496ページ17行目
(誤)3-1 認知症当事者の語り得ぬ生きるための実践
(正)4-1 認知症当事者の語り得ぬ生きるための実践
497ページ16行目
(誤)3-2 ケア労働者による自らを保たんとする実践
(正)4-2 ケア労働者による自らを保たんとする実践
500ページ15行目
(誤)3-3 自らを守らんとする実践をめぐる攻防とその帰結
(正)4-3 自らを守らんとする実践をめぐる攻防とその帰結
518ページ最終行
(誤)―――― 2010「被差別部落における同和対策終焉以降の高齢者の生活変化――大阪市内住吉地区における高齢者
(正)―――― 2010「被差別部落における同和対策終焉以降の高齢者の生活変化――大阪市内住吉地区における高齢者への聞き取りから」『解放社会学研究』 21:63-82
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はじめに
北村 健太郎
・
堀田 義太郎
1 〈老い〉から現代史を見立てる
私たちが〈老い衰えてゆく〉という日常がある。それ自体は特別なことではない。私たちは生まれ、病み、老いて、いずれは死んでゆく。〈いま・ここ〉で生きている私たちの〈生〉は〈老い衰えてゆく〉プロセスとも言える。しかしながら、〈老い衰えてゆく〉プロセスに立ち現われる様々な社会現象は、私たちに多くの問いを呼び起こさずにはいられない。
本書の母体となる「老い研究会」は、〈老い〉という視点から社会を逆照射することを目指している。〈老い〉をめぐる問題を問う準備として、見落とされがちな事実を丹念に掘り起こし、〈老い〉の現代史の記述に注力した。そのうえで、考えるべき〈老い〉の論点を明確にし、慎重に問いを立てて、事実の詳細の考察や規範的問いに取り組んでいる。〈老い〉や〈老い衰えてゆく〉プロセスへの問いは容易ではない。なぜなら、〈老い〉や〈老い衰えてゆく〉プロセスは生活に密着しており、その多くが自明だからである。しかし、老い研究会は〈老い〉を切り口としながらも、広い射程で社会を捉えようとしている。換言すると、老い研究会の一連の研究は、日常から社会を問い直す企てと言える。
本書は、〈老い〉という視点から日本の現代史を見立てる試みである。戦前期には「国民の必要」が語られ、戦後の〈老い〉をめぐる政策は、繰り返し「悲惨」が語られた(第3章)。そうした中で、一九五〇年代後半から高齢者の「貧困」に対応する政策として家庭奉仕員による在宅介護福祉労働が非常に厳しい労働環境のもとで開始される(第1章)。一方で老いの周辺においては、一九六〇年代から一九七〇年代には、腎臓病患者たちの患者運動(第6章)、血友病者たちの患者運動(第7章)が生成されて運動の成果を獲得する。ここには、新しい医療技術の登場と医療費負担の問題がある。他方で、戦後おける「日本型雇用システム」「性別分業体制」等のもとで、高齢者は過酷な生活を余儀なくされ、社会保障制度が整備された(第4章)。一九八〇年代、自立生活運動からの批判によって、リハビリテーション学界は「ADLからQOLへ」という方向転換を見せるが、定位の難しい「QOL」をめぐって議論が続いている(第5章)。一九九〇年代から、戦後日本における生産・労働・分配にかかわる〈家族〉の機能は低下し始め、〈老い〉の場所が変容し始める(第9章)。「誰もが迎える老後」の備えとして国民の利害が形成され、二〇〇年に介護保険制度が発足する。この頃から、認知症介護と周辺領域が注目されるようになる(第10章)。他方、一九八〇年代から密かに粛々と進められていたのが「薄く広い」税負担を目指す税制改正であった。高齢者の生活に大きな変化を与えたのが、二〇〇四年の老年者控除の廃止である(第2章)。皮肉にも、慎ましく生活していた人々が厄介な〈老い〉を迎えている(第11章)。〈老い衰えてゆく〉ことを論じることは、こうした「ごく普通の人間」を理解する困難をともなう(第14章)。今日、〈世代間の争い〉を強調することは、実は〈ジェネレーション〉を利用した統治術であり、私たちは踊らされずに正しく来を信じなくてはならない(第12章)。
そのためにも、これまでの過去を知り、ケア労働に内在する格差・分業・排除の論点を規範的に問うこと(第8章)、〈家族〉を基軸に政治や経済の問題を論じることが重要となる(第13章)。一言で言えば、「中産階級」の〈老い〉が、戦後日本の〈老い〉の現代史である(終章)。それらを緻密に思考する第一歩として、本書は編まれたのである。
2 老い研究会の活動経過
二〇〇七年春、多士済々が集まる「老い研究会」の立ち上げは、「寝たきり老人」という言葉がいつ頃からどういう状況を背景に語られるようになり、いつ頃からどういう背景で語られなくなったのか、という〈素朴な問い〉をきっかけとする。これまでにも、〈老い〉を取り巻く問題を研究課題とする大学院生が立命館大学先端総合学術研究科に集まっていた。その院生たちが「寝たきり老人」の社会的文脈を問うことを通じて、老い研究会の活動を始めた。研究会の活動は大きく分けると、老い研究会の立ち上げ(二〇〇七年)、院生プロジェクトへの展開(二〇〇八年〜二〇〇九年)、書籍刊行に向けて(二〇一〇年)の三つの時期がある。その一端は、以下に述べる研究成果にも現れている。
老い研究会の立ち上げ(二〇〇七年)
二〇〇七年四月四日、老い研究会のメーリングリストが立ち上げられ、編者である天田城介から「寝たきり老人」関連文献が提示された。それをもとに、二〇〇七年五月五日、第一回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス学而館二〇二において行なわれた。初回は院生と研究員が集まった。文献に現れる「寝たきり老人」が、いつ頃から、いかなる状態を想定して、いかなる立場から、どういう背景を念頭に、どのように語られているか、あるいは語られなくなったのかを研究課題として確認した。加えて、政府の報告書などを用いてゴールドプラン等の政策での位置づけを明確にすることを目標とした。
研究会では「寝たきり老人」のほかにも様々な論点が提起された。家族を介護資源として前提にされやすいこと、介護保険制度における要介護認定制度に対する本人や家族・ケアマネージャー・事業者の立場と利害、在宅や施設などの介護の「場所」に生起する問題、認知症高齢者の「ニーズ」把握の困難、「虐待」の定義の難しさなど、今後の研究課題についても話し合われた。「寝たきり老人」関連文献を分担整理し、検討する作業を進める目安として、九月の査読付学術雑誌である先端総合学術研究科紀要『コア・エシックス』への論文投稿を目標に、七月までに各自が担当文献等をあたって、認識を共有するための論点抽出と議論をメーリングリストで行なうことにした。また、障害学会の学会報告へのエントリーも提案された。
六月三〇日、第二回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス学而館二〇二において行なわれた。この回から顧問の天田が参加するようになった。障害学会の学会報告について議論され、学会報告の準備を進めていくことに決定した。七〇年代〜八〇年代担当と九〇年代以降担当に分けて、それぞれ七〇年代〜八〇年代担当を伊藤実知子、坂下正幸、田島明子とし、九〇年代以降担当を仲口路子、堀田義太郎とした。野崎泰伸は両グループのアドバイザーとなった。次回の八月二五日までに各グループで準備をすることになった。メンバーが頻繁に集まることができないので、各グループの進捗状況等は随時メーリングリストで連絡し、公開してよいものはウェブサイトにアップして確認できるようにすることが確認された。ウェブサイトへのアップ作業は、野崎の担当になった。その後、適宜に各グループで臨時の老い研究会が行なわれた。
八月二五日、臨時老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス学而館二〇二において行なわれた。障害学会第四回大会の学会報告の仕上げに向けた最終的な議論がなされた。
九月一六日から一七日にかけて、障害学会第四回大会が立命館大学朱雀キャンパスで開催された。老い研究会は二本のポスター報告を行なった。七〇年代〜八〇年代グループは、田島明子・坂下正幸・伊藤実知子・野崎泰伸「一九七〇年代のリハビリテーション雑誌のなかの『寝たきり老人』言説」、九〇年代以降グループは、仲口路子・有吉玲子・堀田義太郎「一九九〇年代の『寝たきり老人』をめぐる諸制度と言説」というポスター報告を行ない、老い研究会は初の学会報告を行なった。
一二月二日、第三回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館三一二において行なわれた。田島の学会報告の検討を行なった後、障害学会のポスター報告の反省から、今後の研究会の展開について話し合った。〈老い〉をめぐる論点は「承認」「調停主義」「合意」など山積している。まずは〈老い〉に関するファイル作成を継続していくことを確認した。次の目標として、二〇〇八年六月の福祉社会学会での学会報告が決定した。学会報告に向けて、学会入会および報告要旨の作成の準備を開始した。
二〇〇八年三月二九日、第四回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。二〇〇八年度の福祉社会学会に向けて学会報告の議論と検討が行なわれた。連名報告として、田島を中心とする「一九八〇年代における『寝たきり老人』とリハ言説」、仲口を中心とする「一九九〇年代〜二〇〇〇年代における『寝たきり老人』言説×死に方言説」、有吉玲子を中心とする「一九九〇年代〜二〇〇〇年代における『寝たきり老人』×医療経済言説」が検討された。また、単独報告として、野崎の「〈異なりの身体〉をめぐる倫理/政治経済」、矢野亮の「同和対策終焉と在住高齢者の生活」が検討された。
院生プロジェクトへの展開(二〇〇八年〜二〇〇九年)
五月二五日、第五回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。午前中から福祉社会学会の学会報告の予行を行ない、その完成度について熱のこもった議論がなされた。また、天田から老い研究会を後に詳述する文部科学省グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点の「院生プロジェクト」のひとつとして展開する提案がされた。院生プロジェクトの研究会代表者に仲口を選出し、必要な準備を進めた。また、この頃からウェブサイトへのアップ作業を、野崎とともに北村健太郎も担当することになった。
六月七日から八日にかけて上智大学で福祉社会学会第六回大会が開催された。老い研究会は二本の単独報告と三本の連名報告、野崎泰伸「〈異なりの身体〉をめぐる倫理/政治経済について」/矢野亮「同和対策終焉以降の地区在住高齢者の生活変化とその困難――大阪市内住吉地区を事例に」/田島明子・坂下正幸・伊藤実知子・野崎泰伸「一九八〇年代のリハビリテーション雑誌のなかの『寝たきり老人』言説」/仲口路子・北村健太郎・堀田義太郎「一九九〇年代〜二〇〇〇年代における『寝たきり老人』言説と制度――死ぬことをめぐる問題」/有吉玲子・北村健太郎・堀田義太郎「一九九〇年代〜二〇〇〇年代における『寝たきり老人』言説と医療費抑制政策の接合」を行なった。
九月一四日、第六回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。主に、有吉、田島、堀田の『生存学』第一号の草稿を議論した。また、院生プロジェクトの提出書類が検討された。その後、老い研究会は二〇〇八年度院生プロジェクトとして正式に認められた。
一二月二〇日、院生プロジェクト・第七回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一四において行なわれた。牧昌子の草稿「二〇〇四年度与党『税制大綱』の検証――高齢者政策の再検討の手がかりとして」に対して、参加者で検討を行なった。また、院生プロジェクトとして今後の学会報告や論文投稿についても話し合った。研究会後、忘年会(望年会)が行なわれ、研究会メンバーの交流と結束を深めた。
二〇〇九年二月一五日、院生プロジェクト・第八回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一四において行なわれた。田島の報告「作業療法を中心としたリハビリテーション理論の諸様相の分析――認知症高齢者支援のあり方をめぐって」を受けて議論した。
二月二五日、立命館大学生存学研究センター編『生存学』第一号が生活書院から刊行された。『生存学』第一号には、多くの老い研究会メンバーが執筆した。堀田義太郎「介護の社会化と公共性の周辺化」/有吉玲子「医療保険制度――一九七二年・一九七三年の政策からみるスキーム」/田島明子「『寝たきり老人』と/のリハビリテーション――特に一九九〇 年以降について」/野崎泰伸「障害者自立支援法の倫理学的分析」/北村健太郎「侵入者――いま、〈ウイルス〉はどこに?」である。ほかにも関連する論考が多い。
三月一八日、院生プロジェクト・第九回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一四において行なわれた。院生プロジェクトとして初めて外部講師を招聘し、講演会を実施した。宮路博氏による講演は「介護保険施行前・施行後――その理念と実践」である。宮路氏は社会福祉法人京都福祉サービス協会居宅本部長で、龍谷短期大学非常勤講師も務めている。介護現場の視点から介護保険について丁寧に解説していただいた。質疑応答もたいへん充実した。
三月二〇日、院生プロジェクト・第一〇回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。第七回福祉社会学会のテーマセッションについて討議し、準備を開始した。
四月一七日、院生プロジェクト・第一一回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。第七回福祉社会学会大会に向けたプレ報告が行なわれた。田島報告、有吉報告、仲口報告、牧報告を受けて、よりよい報告になるように議論をした。
五月二九日、院生プロジェクト・第一二回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。再び第七回福祉社会学会大会に向けたプレ報告を行なった。田島報告、有吉報告、仲口報告、牧報告を受けて、最後の詰めの議論をした。
六月六日から七日にかけて日本福祉大学名古屋キャンパスで福祉社会学会第七回大会が開催された。天田がコーディネーターとして、テーマセッションC「老いをめぐる政策と歴史――その変容」を企画し、司会を務めた。
テーマセッションでは、田島明子・各務勝博・北村健太郎「『寝たきり老人』と/のリハビリテーション――特に一九九〇年以降について」/有吉玲子・仲口路子・野崎泰伸「一九七〇年代〜一九八〇年代の高齢者医療と透析医療」/仲口路子・有吉玲子・野崎泰伸「一九九〇年代以降の高齢者医療政策の変容――『入院期間の短縮』から『早期退院』へ」/牧昌子・北村健太郎・野崎泰伸「老年者控除廃止がもたらした可処分所得への影響――二〇〇〇年代以降における高齢者をめぐる税制改正の現在」の連名報告が行なわれた。
また、テーマセッション以外でも、渋谷光美「社会福祉サービスとしての在宅介護――家庭奉仕員制度創設期の政策と実態」の報告があった。
九月二六日から二七日にかけて立命館大学朱雀キャンパスで障害学会第六回大会が開催された。今回は、連名ではなく、各自の報告となった。一般報告(演壇)では、野崎泰伸「ディアスポラとしての障害――障害はないにこしたことはないか、への一つの視座」の報告があった。ポスター報告では、北村健太郎「『ヘモフィリア友の会全国ネットワーク』の結成」/渋谷光美「家庭奉仕員制度の国家政策化の背景に関する考察」/田島明子「作業療法学における認知症高齢者支援をめぐる変容・編制過程――一九八〇・一九九〇年代のリハビリテーション雑誌の検討」の報告が行なわれた。
書籍刊行に向けて(二〇一〇年)
一二月二六日、院生プロジェクト・第一三回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。天田より、これまでの研究成果を集約して書籍を刊行することが提案され、翌二〇一〇年度は書籍刊行を中心に活動していくことが確認された。また、次年度の院生プロジェクトの研究会代表者を仲口から各務勝博に交代することが決定した。
二〇一〇年二月二一日、院生プロジェクト・老い研究会の公開研究会を企画し、立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において開催された。書籍刊行を念頭に置いたうえで、外部講師として密田逸郎氏を招聘した。研究会は、密田氏の講演「我が国の公的年金制度の基本問題」と参加者との質疑応答という構成にした。密田氏は日本年金機構京都南年金事務所国民年金課長(当時)として現場実態を熟知する一方、日本社会保障研究会事務局長として独自の研究を進めている。年金制度の理念と実際の積立金運用の両面から解説していただいた。アットホームな雰囲気のなかで、質疑応答はとても充実した。
三月二五日、院生プロジェクト・老い研究会公開企画「老いをめぐる諸制度の変容を知る/基本を問う」および公開インタビュー企画「過去を聞く/足場を知る/社会を構想する」が二部構成で立命館大学衣笠キャンパス創思館四〇一・四〇二において開催された。第一部および第二部ともに会場に収まらない盛況であった。
第一部「老いをめぐる諸制度の変容を知る/基本を問う」は、老い研究会の書籍刊行に向けた一環として、ゲスト・コメンテーターに社会医療法人財団石心会理事長の石井暎禧氏を招聘して、各章の草稿発表を兼ねて行なわれた。報告は、荒木重嗣「一九八〇年代以降における認知症ケアの実践の組み換えについて」、有吉玲子「一九六〇年代以降における高齢者医療政策の変容」、各務勝博「一九九〇年代以降の公的介護保険創設とその変容――予防政策を中心に」、渋谷光美「戦後日本の家庭奉仕員制度の変容――在宅介護福祉労働の誕生と変容」、田島明子「一九六〇年代以降の『寝たきり老人』とリハビリテーションをめぐる言説」、仲口路子「一九九〇年代以降の高齢者医療政策の変容――在宅移行を中心に」、牧昌子「一九九〇年代以降における税制改革と高齢者医療制度改革の接合」、矢野亮「大阪における同和政策における老いの位置――その政策的帰結」の八本であった。各報告に厳しいコメントがあり、報告者は論旨の再検討を求められた。
第二部「過去を聞く/足場を知る/社会を構想する」には、石井氏、神戸大学大学院国際文化学研究科教授の市田良彦氏をお招きした。老い研究会の顧問である天田に加え、グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点リーダーの立岩真也がインタビュアーとして参加し、石井氏に「一九六〇年代からの社会運動は医療に何をもたらしたのか」などを訊いた。また、フロアとも活発な質疑応答が行なわれた。
五月二二日、第一四回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。三月の院生プロジェクト・老い研究会公開企画における厳しいコメントを踏まえ、慎重に内容を検討した。天田から書籍の基本構成として「老いをめぐる政策と歴史」「老いの周辺をめぐる政策と歴史」の二部構成が提示された。天田は、研究テーマから、第一部は荒木、各務、渋谷、田島、牧の各稿、第二部は有吉、仲口、矢野、北村、野崎、堀田の各稿がふさわしいと示唆し、各自の論稿を高めるように求めた。
八月二八日、第一五回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。草稿を持ち寄り、第一部の渋谷、田島、牧の各稿、第二部は有吉、仲口、北村、堀田の各稿の進捗状況の確認と内容の検討が行なわれた。
一〇月八日、第一六回老い研究会が立命館大学衣笠キャンパス創思館四一六において行なわれた。執筆者や内容がかなり具体化した。第一部は、渋谷光美「一九六〇年代〜一九八〇年代までの在宅介護福祉労働について」、牧昌子「一九九〇年代以降における税制改革と高齢者医療制度改革」となった。第二部は、田島明子「日本のリハビリテーション学における「QOL」の生成と変容」、有吉玲子「人工腎臓で生きる人々の歴史」、北村健太郎「血友病患者の運動史」、堀田義太郎「介護/介助について」となった。よりよい論稿を目指して執筆が続けられた。加えて、各自が個別に面談・打ち合わせを幾度も行い、また頻繁にメール等でやりとりしあう中で、論文の改稿作業を重ねてきたところである。
このように、老い研究会は二〇〇七年に立ち上げられ、二〇〇八年度からはグローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト「『老い』を巡る問題群に関する研究」の助成を受けて活動を行ない、現在では一八名という大きな研究会に成長した。二〇一〇年度はこれまでの研究会の蓄積を傾注し、本書の刊行に至ったのである。
老い研究会の活動経過や研究成果の詳細は、「生存学」創成拠点ウェブサイトにある老い研究会のファイル(http://www.arsvi.com/o/o01.htm)および関連ファイルに掲載しているので参照されたい。
3 「生存学」創成拠点の魅力
研究会の活動経過で詳述したように、老い研究会は文部科学省グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点のなかの院生プロジェクトとしても位置づけられている。「生存学」創成拠点の正式名称は「立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」(http://www.arsvi.com/)と言う。拠点リーダーの立岩真也を中心として、身体の差異を示す「障老病異」をキーワードに二〇〇八年に設立された。「生存学」創成拠点が企図するのは、異なる身体を持たざるを得ない私たちの生存のあり方を従来の諸学とは異なる仕方で把握・分析し、より望ましい社会構想、ひいては世界を創造することである。詳細は「生存学」創成拠点ウェブサイトに「趣意書」を掲載しているので参照されたい(http://www.arsvi.com/a/200702.htm)。
「生存学」創成拠点の特筆すべき点の一つは、従来の医療や福祉をめぐる学問が「研究対象」として位置づけてきた人々とその周囲で活動している支援者たちを研究と発信の主体として位置づけ直し、「研究者」「発信者」として育成する点にある。老い研究会も、メンバーの多くは「ストレート」の大学院生とは異なって、多様な実践経験や背景を有し、あるいは現に支援に携わる「実践者」でもある。
老い研究会は、先に述べたように「生存学」創成拠点が設立される以前から〈素朴な疑問〉〈現場での疑問〉を抱えた院生が先端総合学術研究科に集まったことが基盤となっている。それらを立命館大学生存学研究センターを中核にして展開させたのが「生存学」創成拠点である。「生存学」創成拠点となっても、〈素朴な疑問〉〈現場での疑問〉を洗練させ、〈基本的な問い〉〈根本的な問い〉へと深めていく基本的なスタンスは共有されている。「生存学」創成拠点は、それぞれに異なる多様な経験を背景に持つ院生たちのつながりを強固にし、〈老い衰えてゆく〉事象を軸にした継続的な共同研究の場となっている。「生存学」創成拠点への発展は、研究会の運営支援に役立ち、老い研究会に近接する院生プロジェクトも多く生まれ、運営されている。例えば、"QOL"勉強会、ケア研究会、出生をめぐる倫理研究会、難病の生存学研究会などがある。これらの研究会が相互に影響しあうことで、院生たちが切磋琢磨する研究環境になっている。
おそらく「生存学」創成拠点は、他のどこの大学院・センターよりもその研究テーマや院生の出自が多様である。そこに実に多様な幅がある。編者としては、院生たちの「多様性」におおいに期待するところであり、また院生たちの持つ可能性を生かしていくことが「生存学」創成拠点の課題だと思っている。
4 本書の構成
本書は、文部科学省グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト「『老い』を巡る問題群に関する研究」の老い研究会の活動を基礎に、この研究会に参加した立命館大学先端総合学術研究科院生に、教員と研究員が加わって執筆した論考を三部構成としたものである。本書の内容に入る前に、本書の構成を簡単に説明しておきたい。
第T部「老いをめぐる政策と歴史」は、院生の渋谷光美と牧昌子、編者の天田城介の論考となっている。
第1章の渋谷論文は、〈老い〉をめぐる労働を論じている。介護保険制度開始後、いわゆるケア労働の議論が喧しいが、それよりも以前に地道な家庭奉仕員による労働実践と待遇改善を目指す労働運動があった事実を明確にした。ケア労働については、第8章の堀田論文が規範的議論を行なっているので併読されたい。第2章の牧論文は、税制のありようが高齢者の生活に与える影響を論じている。老年者控除廃止を参照点に、税制と医療制度の改正が絡まりつつ、高齢者に与える影響を実際の収入を計算して検証している。高齢者をめぐる税制と医療制度を関係づけて論じた貴重な論考と言える。以上を受けた第3章と第4章の老いをめぐる政策と歴史は、天田が担当した。第3章では、戦前期は「国民の必要」が語られ、戦後の〈老い〉をめぐる政策は、繰り返し「悲惨」が語られることで「誰もが迎える老後」の備えとして国民の利害が形成されたことを論じている。さらに、第4章では、戦後の〈老い〉をめぐる政治経済に焦点を当て、戦後の「日本型雇用システム」「性別分業体制」等のもとで、実際には高齢者は過酷な生活を余儀なくされ、そのために残余的に社会保障制度が整備されたことを論じている。
第U部「老いの周辺をめぐる政策と歴史」は、院生の田島明子、有吉玲子、編者の北村健太郎、堀田義太郎、天田の論考が並んでいる。
第5章の田島論文は、リハビリテーションの視座から「QOL」概念を論じている。「QOL」は恣意的動機によって高齢者の存在を否定する概念に変転する可能性があるため、存在を肯定する規範的概念によって担保される必要性を述べる。第6章の有吉論文は、腎臓病患者たちの患者運動を論じている。人工腎臓という新しい医療技術は費用負担と患者選択の問題を生起させた。患者たちは生きるための新たな制度を要求して創出したが、特異な制度を確保するために常に政府と厳しく対峙し続けている。第7章の北村論文は、血友病者たち、特に全国ヘモフィリア友の会の患者運動を論じている。血友病の医療費公費負担を支える小児慢性特定疾患治療研究事業成立と"ホーム・インフュージョン"(自己注射/家庭輸注)公認に焦点を当てて論じた。奇しくも、第6章および第7章は、新しい医療技術の登場と医療費負担の問題という個別的でありながら普遍的な問題を扱っている。第8章の堀田論文は、介護の分担について規範的な観点から論じている。「誰の介護・介助を、なぜ・誰が・どの程度・何を媒体にして担うべきか」という問いを、安易なケアの分配論で結論付けることは、内在する格差・分業・排除の論点を看過すると指摘する。第1章の渋谷論文と対をなす論考である。第U部の各論考は、高齢者・患者・病者・障害者本人たちをめぐる問題を論じるだけでなく、それを取り巻く家族・医療専門職・介助者・支援者・行政担当者等々の絡み合いを論じている。それを受ける第9章の天田論文は、〈家族〉という視座から戦後の〈老い〉をめぐる政策を論じている。戦後日本において生産・労働・分配との関係における〈家族〉の機能を析出し、いかに〈家族の余剰〉において老いの場所を決定したのか、また〈保障の残余〉たる戦後の老いをめぐる政策を描出している。
第V部「老いを治めるということ」は、編者の天田による論考である。ここに、〈老いを治める〉という本書のテーマが凝縮されている。
第10章では、統治論から「高齢者介護」「認知症介護」などのケアと呼ばれる領域を問うている。たしかに、〈老い衰えゆく〉人々は抜き差しならない事態を生きているが、逆説的に〈公共的なもの〉を生成しているかもしれないし、〈何か〉を召還しているかもしれないと論じる。第11章では、Aさん親子の事例をもとに、〈戦後日本社会における労働・雇用─ 保障体制〉が行き着いた現在を論じている。皮肉にも、慎ましやかに「家族で身を寄せ合うことで辛うじて生き延びてきたこと」が厄介な〈老い〉に行き着いている。この事態は、第2章の牧論文の問題意識と通底する。第12章では、〈ジェネレーション〉を利用した巧みな「人口」の統治術を論じている。〈世代間の争い〉を強調する「罵り合い」は、〈ジェネレーション〉が「人口」を調整する政治では、私たちの感情に強烈に訴える力を持つと指摘したうえで、だからこそ〈ジェネレーション〉は未来への信に賭けられていると問いかける。第13章では、老年社会学の成果と今後の研究課題を論じている。老年社会学における〈老いの多様性〉の提示、〈既存の価値・制度の問い直し〉の成果と限界を述べる。そのうえで、〈家族〉を基軸に〈政治〉〈経済〉の問題を追究する重要性を論じる。本章は、本書で政治や経済、統治論が繰り返し論じられた学問的解題になっている。第14章では、〈当事者〉をめぐる社会学の課題という観点から、「ごく普通の人間」を理解し、〈老い衰えゆく〉現実を記述する困難を論じている。私たちは〈当事者〉と〈傍観者〉との往復運動を経て、自明性を超える道を探るほかない。そのためには、ある者を〈当事者〉たらしめている社会的機制の解明が必要になる。そして終章では、本書を要約して、〈老い〉をめぐる政策と歴史をめぐる見取り図が提示される。戦後日本の〈老い〉をめぐる政策と歴史とは、高齢者が、「男性稼得者世帯」をモデルとした「労働雇用体制」のなかで徐々に「マイナーの中のメジャー」として位置づけられていく過程として整理される。
〈老い〉や〈老い衰えゆく〉ことは、私たちを含む多くの人々に訪れるが、誰にでも同じように訪れるわけではない。そこにはもちろん、個々人の身体的差異と社会的・経済的な状況における差異がある。〈老い〉は、まずはたしかに一般的に多くの身体に訪れる変化であり、差異である。しかしそれと同時に、個々の〈老い〉のなかには、さらに大きな差異がある。
この観点からみるならば〈老い〉をめぐる歴史は、様々に異なる〈老い〉という事象が特定の歴史的・政治的文脈のなかに位置付けられながら、ある部分がすべての〈老い〉を代表するものとして語られ、別の部分が不可視化されるプロセスとして(も)見ることができよう。そして、そうした政治的・言説的な変化のなかで、〈老い衰えゆく〉人々への眼差しや支援者の位置や支援技法にも紆余曲折がもたらされてきた。
本書では、これら〈老い〉という一つの差異と、そのなかにあるさらなる差異との関係性とその評価を含めた、日本の〈老い〉をめぐる政策と歴史の全体像を把握し、〈老い〉をめぐる政治や経済を思考する第一歩を辛うじて踏み出したに過ぎない。だが、少なくとも〈老い〉という事象をめぐる問いの射程の広さと深さを示唆することはできたのではないかと考えている。本書の試みが、私たちの社会における異なる身体の〈生〉のあり方を考察するうえで、小さいとしても一つの手がかりを提供できていることを望んでいる。
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あとがき
本書は、立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点の院生プロジェクト「老い研究会」の成果の一部をまとめたものである。老い研究会(略称:老い研)のこれまでの活動と経緯については編者である北村健太郎と堀田義太郎が「はじめに」で詳細に記しているため、ここでは触れない。我々としては、あとは「成果」をきちんと産出していくだけだ。
正直言うと、個人としても編者としても、本書の内容とその達成水準に満足しているわけではない。もちろん、これまで私は自身の本や論文などに一度とて満足することなどなかったので、これからもずっと納得することなどはないであろうが、それでも、やはり「老い研」としてまだまだやるべきことはとても多いと思う。だから、私たちがなすべきは、今後も引き続き、一つ一つの主題についてきちんと考え、書き上げていくことである。思考する内容は多少複雑であっても、やるべきことはとてもシンプルなのだ。
本書を刊行することができたことだけで満足しているわけではないし、強い達成感があるわけでもないが、それでも、これまでのこの国の高齢化や老いに関する諸研究ではほとんど手付かずであったり、きちんと考えられてこなかったことについて、拙いながらも考えあぐねてきたと思う。その意味では、大学院生主体の小さな研究会が「思考の出発点」に立とうとしている気合と心意気は感じてもらえると思う。そのことが読者の皆さんに届けばと切に願うものである。
なお、各章の初出は以下の通りである。天田が執筆した章以外は書き下ろしか、既出論文であっても大幅な改稿を行ったものである。天田が執筆した各章は概ね既出論文であるが、そのいずれも全体構成を考えて書き直したものである。
第1章 渋谷光美 書き下ろし
第2章 牧昌子 書き下ろし
第3章 天田城介「〈老い〉をめぐる政策と歴史」『福祉社会学研究』7:41-59(二〇一〇年三月)
第4章 天田城介「老いをめぐる新たな人権の在処――統治される者たちの連帯をもとに介入すること/奪い返すこと」市野川容孝編『人権の再問』(『講座 人権論の再定位』第一巻):47-73(二〇一一年一月)
第5章 田島明子「日本のリハビリテーション学におけるQOL概念の生成と変容」『立命館人間科学研究』(立命館大学人間科学研究所)No.21:133-145(二〇一〇年七月)
第6章 有吉玲子 書き下ろし
第7章 北村健太郎 書き下ろし
第8章 堀田義太郎 書き下ろし
第9章 天田城介「家族の余剰と保障の残余への勾留――戦後における老いをめぐる家族と政策の(非)生産」
『現代思想』38(3):114-129(二〇一〇年三月)
第10章 天田城介「『脆弱な生』の統治――統治論の高齢者介護への『応用』をめぐる困難」『現代思想』37(2):
156-179(二〇〇九年二月)
第11章 天田城介「生きることを可能にする/困難にする家族――悲鳴が折り重なる場所」『atプラス』07:71-86(二〇一一年二月)
第12章 天田城介「〈ジェネレーション〉を思想化する――〈世代間の争い〉を引き受けて問うこと」『思想地図』2:203-232(二〇〇八年一二月)
第13章 天田城介「日付と場所を刻印する社会を思考する――学問が取り組むべき課題の幾つか」『老年社会科学会』32(3):353-360(二〇一〇年一〇月)
第14章 天田城介「底に触れている者たちは声を失い、声を与える――〈老い衰えゆくこと〉をめぐる残酷な結び目」宮内洋・好井裕明編『〈当事者〉をめぐる社会学――調査での出会いを通して』北大路書房:121-139(二〇一〇年一〇月)
第15章 天田城介 書き下ろし
ここでは研究会のメンバーへの労いの言葉は不要であろう。お互いに、大学院という場で、これからもなすべきことをなし、やるべき仕事をやりましょう、とだけ記しておく。
最後に、私たちの思考する場たる老い研究会を支えてくださった全ての方々に心よりお礼申し上げたい。とりわけ、常に労を惜しまずご尽力していただいている立命館大学大学院先端総合学術研究科ならびに立命館大学生存学研究センターのスタッフの方々には感謝の言葉が見つからないほど多大なるご支援をしていただいている。スタッフの皆さんの献身的なご尽力と温かいご支援のお陰で、院生主体の小さな研究会が何とか本を刊行するにいたることができました。この場を借りて心からお礼申し上げます。
また、出版にあたって惜しみない労をとってくださった生活書院の橋淳さんには本当にお世話になり、また多大なるご迷惑をお掛けした。橋さんは老い研究会が始まって間もない二〇〇八年頃から「いつかうちで本を出しませんか」と声をかけてくださり、その後も遅々として進まない研究会の活動を優しく見守ってくださった。そして、二〇一〇年度になって本書の刊行が決定してからも、なかなか脱稿ができず、執筆者がもがき苦しんでいる中でも、常に温かい励ましとご尽力をいただいた。橋さんがいなければ本書は完成を見なかったであろう。そして、何よりも、出版をする上での面倒な作業を厭うことなく堅実に行なってくださった。ここに謹んで感謝の意を表したい。
なお、本書は、立命館大学二〇一〇年度学術図書出版推進プログラム「老いを治めることについて」(研究代表者:天田城介)[平成二二年度採択]によって刊行されるものである。
また、二〇一〇年度立命館大学研究推進プログラム若手・スタートアップ「戦後日本社会における批判精神の連続性――もう一つの高齢者医療福祉をめぐる歴史」(研究代表者:天田城介)[平成二二年度採択]、科学研究費補助金若手(B)「戦後日本社会における〈老い〉と〈高齢化〉をめぐる表象と記憶の政治」(研究代表者:天田城介)[平成二〇〜二三年度採択]、科学研究費補助金基盤(B)「現代社会における統制と連帯──階層と対人援助に注目して」(研究代表者:景井充)[平成二〇〜二三年度]、文部科学省グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点(拠点リーダー:立岩真也)[平成一九〜平成二三年度採択]の成果の一部である。こうしたサポートに対してもこの場を借りて深く感謝したい。
※巻末に「テキストデータ引換券」が付されているが、必要に応じ、視覚障害などで活字版が不便な方に、本書のテキスト・ファイルをEメール等で送付することもできます。必要な方は天田のメールアドレス(josuke.amada@nifty.com)までご連絡ください。
二〇一一年一月
編者・執筆者を代表して
天田城介
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■書評・紹介
このほど、天田城介・北村健太郎・堀田義太郎編『老いを治める――老いをめぐる政策と歴史』が生活書院から刊行されました。本書は、
グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト
「『老い』を巡る問題群に関する研究」(通称:老い研究会)
の活動を基礎に、この研究会に参加した
立命館大学先端総合学術研究科
大学院生に、教員と研究員が加わって、これまでの研究活動を論考の形にして三部構成にまとめたものです。 編者のほかに、大学院生の
渋谷光美
、
牧昌子
、
田島明子
、
有吉玲子
が執筆しています。 各論考では独自の切り口から老いをめぐる歴史的ダイナミズムや規範的問題が論じられ、最終的に「老いを治める」というテーマへ収斂されます。老いに新しい視座を与える書籍として、みなさんに自信を持ってお勧めします。(文責:北村健太郎・堀田義太郎)
◆
好井 裕明
2011/05/**
「「生存学」という知的実践――障老病異と共に暮らす世界の創造」
(くまさんの本の森19)、『そよ風のように街に出よう』81号.**-**.
※以下、好井裕明氏ならびにそよ風のように街に出よう編集部のご厚意によりホームページへの掲載を了解してしていただいています。
くまさんの本の森(19)
「生存学」という知的実践―障老病異と共に暮らす世界の創造 好井裕明(筑波大学)
いま、「生存学」という知的実践が精力的に進められている。これは立命館大学大学院先端総合学術研究科の研究者と院生、研究員が中心となって創造されてきた新しい知的実践であり、いまは文科省グローバルCOEプログラム「「生存学」創成拠点―障老病異と共に暮らす世界の創造」として、積極的な活動が展開し、研究書、雑誌、論文報告集などが量産されてきている。
多くの成果があるが、ここでは『生存学』(生活書院)という雑誌と最近編者の天田城介さんからいただいた分厚い編著を紹介しておこう。『生存学』は、まさに新たな知的実践につけられたタイトルそれ自体であり、この学は何をめざし、何を明らかにしようとするのかが、毎号、座談やロングインタビューで語られ、個別論文が詰まっている。
第一号(二〇〇九年二月)は、生存の臨界をめぐり立岩真也さん、大谷いづみさん、天田城介さん、小泉義之さん、堀田義太郎さんが座談をし、その後、特集1「生存の臨界」では、安楽死を択ぶ自由と差別、高齢者医療と終末期医療の経済分析、自死遺族がいかに死者の動機付与を逡巡するのかをめぐる「政治」等、特集2「臨界からの生存」では、イギリス、レスリー・バーク裁判から生命・医療倫理原則を再検討し、独居ALS患者の在宅移行支援の報告、その課題や要因、解決方策の分析、特集3「九〇−〇〇年代の変動」では、介護の社会化と公共性の周辺化、ケア倫理批判、医療保険制度、「寝たきり老人」と/のリハビリテーション、アスペルガー症候群の医療化、障害者自立支援法の倫理学的考察、侵入者、<ウィルス>をめぐる考察など、数多くの論考が並んでいる。
第二号(二〇一〇年三月)では、特集1「労働、その思想地図と行動地図」として、天田城介さんの他、小林勇人さん、斎藤拓さん、橋口昌治さん、村上潔さん、山本崇記さんという若手研究者が「生産/労働/分配/差別について」座談をし、「若者の労働運動」の歴史的位置づけ、女性労働と生活の桎梏にあえてむきあった「主婦性」は切り捨てられないという論考、同和行政が提起する差別是正の政策的条件という論考が続く。特集2「QOLの諸相―生存の質と量」では、終末期医療とQOLの臨界、新生児医療におけるQOLと「子どもの最善の利益」、「エンハンスメント」言説における「障害者」の生の位置、QOL再考という論考が続き、特集3「市民社会が知らない別の生きざま」では、日比間でトランスナショナルなフィリピン人たちをめぐる論考、現代モンゴルの地方社会における牧畜経営、「日系人」という生き方、顧みられない熱帯病・ブルーリ潰瘍問題における医療NGOの展開、韓国重度障害者運動によるパラダイムの変換、ALS患者会組織の国際的展開、「日系人」という法的地位、在日とは何か、と論考が続いている。
第三号(二〇一一年三月)では、障害と社会、その彼我の現代史・1として、生存の技法、生存学の技法をめぐり、立岩真也さんに天田城介さんがロング・インタビューを行っており、後半は第四号に続いている。特集「精神」では、自閉者の手記にみる病名診断の隘路、ネオ・リベラリズム時代の自閉文化論、「医療化」された自殺対策をめぐる論考、テレビドラマにみる精神障害者像、わが国の精神医療改革運動前夜、心神喪失者等医療観察法とソーシャルワークとの親和性について、乱立するセルフヘルプグループの定義をめぐって、精神障害当事者が参画する社会福祉専門教育など、の論考が並んでいる。
すべての論考や報告を列挙したわけではないが、こうした論考や座談のタイトルを見るだけでも、生存学の幅と奥行きの深さと到達せんとする目標の高さ(あるいは遠さ)が実感できるかもしれない。社会福祉学、福祉社会学、医療社会学、看護学、社会運動論、差別問題論、社会政策論などがこれまで個別に生きづらさ、生き難さを抱えた人々に対する調査研究を進め、実践的施策について考察を重ねてきた。しかし、まだまだ考えるべき問題や領域が放置されてきたという。「障老病異」とまとめて表記されているが、多様な違いをもつ人間がどのように生存できるのか、その臨界をめぐり歴史的に、実践的に考察を重ねていく。またこのプログラムには、違いをもっている当事者たちも集まり、調査研究し、生存学の知的実践を形作っているという。この点は、とてもユニークだろう。当事者性が反映された迫力ある研究もまた芽を出し始めているからだ。
天田城介・北村健太郎・堀田義太郎編『老いを治める―老いをめぐる政策と歴史』(生活書院、二〇一一年)。腹帯のコメントには「高齢者が「少数者の中の多数派」「マイナーの中のメジャー」となっていく歴史的ダイナミズムを跡付ける」とある。生存学という広大な実践のなかで、老いを主題とした日本の政策と歴史をめぐる一つのまとまった成果といえよう。在宅介護福祉労働は、一九五〇年代後半から一九八〇年代の家庭奉仕員によっていかに担われてきたのか。一九八〇年代以降の高齢者に対する税制改正を伴った医療制度改革の現在はどのようなものであるのか。老いをめぐる政策と歴史、戦後日本社会における医療国家の経済学。日本のリハビリテーション学における「QOL」の検討、人工腎臓で生きる人々の運動と結実、一九七〇年代の血友病者たちの患者運動と制度展開、介護の社会化論とリベラリズムなどの論考が続き、「老いを治める」という主題については、「静寂な生」の統治、家族と高齢者の「折り重なる悲鳴」、世代間の争いを引き受け<ジェネレーション>を思想化すること、老年社会学は取り組むべき「日付と場所を刻印する社会を思考する」という課題、<老い衰えてゆく>当事者をめぐるいかに今一人の当事者である私は研究できるのか、あるいはすべきなのかという問い、など天田さんの優れた論考がおさめられている。分厚い論集だ。論集の序には、この成果がどのような研究会から始まり、学会報告など、院生たちの知的努力の積み重ねの結果、うみだされたことがまとめられている。先の『生存学』でも同じだが、この知的実践というか知的運動の中心的な主体は、当事者性も含みこんだ、若き院生たちであるようだ。「若き」というのは、学的実践のキャリアという点という意味であり、彼らにはすでに、自らの生存学を考える上で、多様な、そして奥深い経験を生きてきているはずだ。だからこそ、彼らの論考を読み、生硬な印象を受ける一方で、その生硬さを内側からぶち破っていき、自らの言葉や論理が紡ぎだされるとき、そこから放たれる迫力やエネルギーへのひそかな期待を感じてしまうのだ。
いま、「生存学」という拠点から、膨大な質と量の言説が生み出されつつある。そこには概念の生硬さ、論理の濃淡、表現や言い回しの難解さなど、まさに玉石混交の論考が生み出されつつある。この学がどのように洗練され、どこへ向かうのか。立岩真也さんは「生存学は動いている」と語る。障老病異の生存の臨界を追求し、そこから「普通の人」の生存の臨界を考えるという主題、この主題を徹底して追求する「生存学」の営み。そこから何が今後もあふれでてくるのか。ずっと注視していきたい。
■言及
■引用
cf.
◆
グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト
「『老い』を巡る問題群に関する研究」(老い研究会)
2008, 2009, 2010年度
◇
有吉 玲子
◇
各務 勝博
◇
北村 健太郎
◇
渋谷 光美
◇
田島 明子
◇
仲口 路子
◇
西沢 いづみ
◇
野崎 泰伸
◇
堀田 義太郎
◇
牧 昌子
◇
村上 潔
◇
矢野 亮
ほか
*作成:
北村 健太郎
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堀田 義太郎
UP: 20110308 REV: 0325,0326,30,31,0401, 0502, 0704
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老い
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介助・介護
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家族
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QOL (Quality of life)
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ケア
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経済(学)
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血友病
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高度成長期
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人口
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人工透析/人工腎臓
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税
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生活保護
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正義(論)
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生‐政治・生‐権力
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「寝たきり老人」
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年金
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貧困
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労働
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身体×世界:関連書籍
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