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『識字の社会言語学』
かどや ひでのり・あべ やすし 編 20101220 生活書院,376p.
last update:20120626
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■かどや ひでのり・
あべ やすし
編 20101220 『識字の社会言語学』,生活書院,376p. ISBN-10:4903690660 ISBN-13:978-4903690667 \2800+税
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※ ds
■内容
(以下、生活書院のサイトより)
http://www.seikatsushoin.com/bk/066%20shikiji.html
文字をよみかきできないひとびとにとって、文字はどのようにせまってくるものなのか。文字のよみかき能力は、いまの社会でどのような意味をもっているのか。識字者・非識字者は、文字のよみかきや文字をめぐる社会現象について、どのような態度をとるべきなのだろうか。本書がとりくもうとしている課題はこうした問題群である。
識字問題とは、本書をよむような識字者にたいして、今日明日、さらにはいまこの瞬間、自分はどのような言語生活をおくっているのか/おくるべきなのか、自分自身の文字/ことば/コミュニケーションへの態度/むきあいかたについての問いをたえずなげかけてくる性質をもつ。
■目次
はじめに(かどやひでのり)
第1章 日本の識字運動再考(かどや・ひでのり)
1 はじめに──問題のありか
2 これまでの識字運動が内包する問題
3 識字運動に生じている混乱
4 日本語表記法の問題
5 「能力主義」という問題
6 部落解放運動というあしかせ
7 緊急避難としての識字 つぎの段階の識字運動へ
第2章 均質な文字社会という神話──識字率から読書権へ(あべ・やすし)
1 はじめに
2 「日本の文字社会の特質」
3 識字率における漢字の位置づけ
4 識字能力/識字率をよみとく
5 均質幻想のかげにあるもの
6 おわりに──識字率から読書権へ
第3章 てがき文字へのまなざし──文字とからだの多様性をめぐって(あべ・やすし)
1 はじめに
2 「文字はひとをあらわす」という社会的通念
3 ひだりききへのまなざし
4 てさきが不器用なひとへのまなざし
5 文字をかくということ/よむということ
6 文字の規範をといなおす
7 おわりに
第4章 識字率の神話──「日本人の読み書き能力調査」(1948)の再検証(角 知行)
1 はじめに
2 「四八年調査」の概要
3 調査結果をめぐるふたつの解釈
4 ミニマム・リテラシー/機能的リテラシー/批判的リテラシー
5 「新聞をよむ」からみた「48年調査」
6 むすび
第5章 近世後期における読み書き能力の効用──手習塾分析を通して(鈴木 理恵)
1 はじめに
2 文字学習の状況
3 文字学習の内容と方法
4 文字学習の効用
5 おわりに
第6章 識字は個人の責任か?──識字運動でかたられてきたこと、かたられてこなかったこと(ふくむら しょうへい)
1 はじめに
2 識字者による非識字者の想定
3 緊急の課題?
4 個人(個体)へなげこまれる問題
5 障害として識字をとらえる視点
6 キャッチアップ戦略
7 もっと単純な別のみち──自己否定の解消
8 パターナリズム
9 非識字者からそれをうけとる識字者へ(視点の転換)
10 さらに多様なかたりが可能になるような場へ
11 おわりに
第7章 識字問題の障害学──識字活動と公共図書館をむすぶ(あべ・やすし)
1 はじめに
2 よみかきの「自立」という能力主義
3 「できない」理由──視点をひっくりかえす
4 識字活動と公共図書館の接点
5 おわりに
第8章 識字のユニバーサルデザイン(あべ・やすし)
1 はじめに
2 「識字のバリア・フリー」論
3 表現形態(感覚モダリティ)の変換
4 ユニバーサルデザインの方向性
5 識字のユニバーサルデザイン
6 識字のユニバーサルサービス
7 おわりに
第9章 識字の社会言語学をよむ──あとがきにかえて(あべ・やすし)
1 読書案内
2 おわりに
さくいん
■引用
[ベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』の登場人物]ハンナのように、文字をよみかきできないひとびとにとって、文字とはどのようにせまってくるものなのか。文字のよみかき能力は、いまの社会でどのような意味をもっているのか。識字者・非識字者は、文字のよみかきや文字をめぐる社会現象について、どのような態度をとるべきなのだろうか。本書がとりくもうとしている課題は、こうした問題群である。(かどや・ひでのり、「はじめに」、15頁)
近代化・産業化の過程で、識字には「のぞましいもの」「達成すべきもの」という正の価値が、非識字者には「克服・消滅させるべきもの」という負の価値があたえられ、この価値判断をうみだすイデオロギーにそって、社会はつくりかえられていく。…(中略)…非識字(者)の存在は、みえないもの、例外としてわすれさられ、さらには日本社会においてそうであるように、「あるはずのないもの」というおもいこみが社会を支配するようにすらなる。(かどや・ひでのり、「第1章 日本の識字運動再考」、27頁)
識字者にとっては日常の行為のつみかさねが、よみかき能力を生活の前提とする社会をささえ、同時に非識字者を排除・差別しつづける社会の維持を可能にしているのである。(かどや・ひでのり、「第1章 日本の識字運動再考」、38頁)
識字運動がそのあるべき方向からそれてしまっている現状の背景には、部落解放運動の影響がある。貧困状態におしやられ、社会的な諸権利をうばわれてきた被差別部落においては、非識字者がおおくみられ、非識字状態の解消は部落解放運動の主要な課題として位置づけられてきた。(かどや・ひでのり、「第1章 日本の識字運動再考」、62頁)
ここで障害学の知見を利用できる。障害を「どのような程度であれ、なにかをできないこと」とするならば、文字のよみかきができないことを障害のひとつと考えることができる。何かができない人=障害者がいる。非識字者の多くは視覚・聴覚の点で「障害者」ではない。視覚・聴覚に”異常”はないのだから個人の努力いかんで能力は獲得することができるはずだ、というのが識字の論理である。(ふくむら・しょうへい、「第6章 識字は個人の責任か?」、238頁)
本章では、情報へのアクセスは個人の能力の問題ではなく、社会設計の問題であるという視点にたつ。こうした問題意識は、障害を個人の問題ではなく社会の問題であるとする「障害学」と理念を共有している。だが、このような「よみかき」と情報アクセスの問題が障害学の分野で議論されることは、それほどおおくない。(あべ・やすし、「第7章 識字問題の障害学」、259頁)
もちろん、識字の学習者のねがいによりそい、自分にできることをするという意味で識字学習を支援するという立場は理解できる。だが、識字学習を支援すると同時に「識字者、文字社会」のありかたをといなおす視点と実践が必要なのである。(あべ・やすし、「第7章 識字問題の障害学」、263頁)
このように電子(デジタル)媒体は、利用者の選択のはばをひろげる。以前の情報は「みえること、きこえること」などの条件をみたしてこそ障害なく利用できるというかたちであった。だが、そういった条件をみたさなければ問題なく利用できないのであれば、そこには障害があるのである。その障害とは、利用者の側の障害ではなく、情報のかたちの障害なのである。(あべ・やすし、「第8章 識字のユニバーサルデザイン」、296頁)
■cf.
◆
異なる身体のもとでの交信――情報・コミュニケーションと障害者
◆
電子書籍
◆
ユニバーサルデザイン
■関連ページ
・あべやすしさんのウェブサイト:
http://www.geocities.jp/hituzinosanpo/
*作成:
箱田 徹
更新:
渡辺 克典
UP:20110122 REV: 20120622, 0626
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