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『〈当事者〉をめぐる社会学――調査での出会いを通して』

宮内 洋・好井 裕明 編 20101015 北大路書房,207+xvip.
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■宮内 洋・好井 裕明 20101015 『〈当事者〉をめぐる社会学――調査での出会いを通して』,北大路書房,207+xvip. ISBN-10:4762827304 ISBN-13: 978-4762827303 \2940 [amazon][kinokuniya] ※ w/aj01 w/yh02 w/nn02

■内容

北大路書房HPより(http://www.kitaohji.com/books/2730_3.html
フィールドワークや質的研究での「研究する側」と「研究対象とされる側」の対人関係論的な視座を越え,社会的装置・舞台・制度といった〈場〉へメスを入れて,研究する側」と「研究対象とされる側」の間に横たわる厳格な二項対立ではない「境域」のありようを考察。また,調査研究における実証性の意味をあらためて問う。

■目次

はじめに(宮内 洋)  

第1章 共在者は当事者になりえるか?
     ――性風俗店の参与観察調査から(熊田 陽子) 
 1節 はじめに
 2節 当事者とは何か―訴訟から研究行為まで
 3節 調査地での経験
 4節 共在者、同時代者から考える「おんなのこ」と私のあり方
 5節 共在者と当事者
 6節 おわりに


第2章 いかにして「性同一性障害としての生い立ち」を
    持つことになるのか
――実際のカウンセリングの録音・録画における「自分史をやる」
  活動に焦点を当てて(鶴田 幸恵)
 1節 はじめに
 2節 性同一性障害の「当事者」とは誰か?
 3節 性同一性障害のカウンセリング
 4節 「自分史をやる」活動
 5節 おわりに

第3章 当事者へのかかわりと当事者としての「実践」を考える
――社会運動論・環境社会学の私的な経験から(西城戸 誠)
 1節 はじめに
 2節 当事者とのかかわりを考える
 3節 「当事者とは誰か」をめぐって
 4節 当事者に寄与するということ
 5節 当事者としての「実践」―実践的研究に向けて
 6節 まとめにかえて―再び、対抗的相補性


第4章 「当事者ではない」人間に何ができるのか?
――農業・農村研究における実践性と当事者性(松宮 朝)
 1節 農業・農村において「当事者ではない」ことの意味
 2節 農村へ
 3節 島根県石見町でのフィールドワーク
 4節 北海道道央大規模水田地帯でのフィールドワーク
 5節 「当事者」の声をどのように「加工」したのか?
 6節 農業・農村研究の「当事者」としてかかわり続けること


第5章 あなたも当事者である
――再帰的当事者論の方へ(樋口 直人)
 1節 当事者論をめぐる違和感―問題の所在
 2節 当事者論をめぐる疑問
 3節 日常のフィールド化とフィールドの日常化
 4節 当事者と出会って当事者になる


第6章 「私」は「あなた」にわかってほしい
――「調査」と「承認」の間で(中根 成寿
 1節 フィールドワークにおける三人称の不可能性について
 2節 障害者家族の親の当事者性とニーズについて
 3節 「抵抗」から概念が生まれること―2つの手紙
 4節 「承認の欲望」に調査者はどう向き合うべきか?
 5節 親は本人になれず、調査者は当事者にはなれない、けれど…


第7章 底に触れている者たちは声を失い‐声を与える
――〈老い衰えゆくこと〉をめぐる残酷な結び目(天田 城介
 1節 〈当事者〉をめぐる社会学の構想
 2節 極限状況で耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ
 3節 認知症を生きる人びとによる自らを守ろうとする営み
 4節 〈当事者〉と〈傍観者〉の隔たりにおいて


第8章 メディア表現は〈当事者〉の敵なのか(石田 佐恵子)
 1節 マスメディアと〈当事者〉との関係
 2節 メディア表現への批判―ニュースの分析から
 3節 〈当事者〉がつくるメディア表現の可能性
 4節 世界への〈再接続〉と〈当事者〉性の回復


第9章 差別問題研究における2つの当事者性(好井 裕明
 1節 はじめに  163
 2節 被差別の立場にある人びとを当事者とすること
 3節 差別する可能性がある人びとを当事者とすること
 4節 差別問題の社会学は何を目指すべきなのか


第10章 〈当事者〉研究の新たなモデルの構築に向けて
――「環状島モデル」をもとに(宮内 洋)
 1節 はじめに―〈当事者〉研究における誤ったモデル
 2節 「環状島モデル」とは何か―〈内海〉を中心に
 3節 “海図”の喪失と再入手―〈内海〉からの脱出に向けて
 4節 「環状島モデル」における〈重力〉・〈風〉・〈水位〉
 5節 まとめにかえて―〈当事者〉研究における研究者の位置について

あとがき(好井 裕明)

■引用

第1章 共在者は当事者になりえるか?――性風俗店の参与観察調査から(熊田 陽子)
 本稿では、私が「おんなのこ」に対して持つ、「自分とはつながりの切れた存在と思えない」という主観的感覚を出発点に、自分の調査の過程を振り返りながら、当事者の問題を検討してきた。そして、研究行為において「直接の『利益』を持つ者が当事者であり問題化を行う権利がある」と主張されてきた当事者概念の「利益」について共在者の視点から再考することで、たとえ同一の「利益」を有していなくても、同じ「利益」の場を共有することを共在関係にある相手(被調査者)が許している限りは、問題化すなわち研究という実践を行うことが可能であるという結論に達した。P16

第2章 いかにして「性同一性障害としての生い立ち」を持つことになるのか――実際のカウンセリングの録音・録画における「自分史をやる」活動に焦点を当てて(鶴田幸恵)
2.規範的なものを記述する  先に述べたことは、性同一性障害である人びとは、「特殊」だということよりも、何よりもまずは私たちの誰もが生きている「同じ秩序」を生きているということである。彼女らと出会った時の私の直感は「この人たちは、他者のまなざしに非常に敏感にならざるをえないがゆえに、私が言語化できず、もどかしくてしようのないでいる現実を、言語化できる人びとである」ということだった。私は、その彼女らの卓越した能力に助けられ研究を続けてきた。  時にはコミュニティ内での軋礫を描き出し、それは「差別的」な側面を読み取ろうとすれば、読み取れるものでありえている。しかしそれは、彼女らが差別的であるということを書きたかったからではない。そう読めるのは、私たちの生きている性別秩序が、差別的であることの「効果」だからに他ならない。彼女ら/彼らは、女/男らしくあらなくては生きづらい現実を生きているのである。それは、性同一性障害である彼女ら/彼らだけが生きている現実では決してない。それは何よりも、私たちすべてが逃れられない現実そのものなのである。より生きやすい現実を求めるのなら、まずは、今生きている「当たり前」だと思われている現実を見定めなくてはならない。それは、私たちが生きている性別秩序がいかなる規範によってつくりあげられているのかということを描き出すことによって、成し遂げることができる。だからこそ、その規範を描き出していく。それが、私の「性現象」の「社会学」のあり方である。P23

第3章 当事者へのかかわりと当事者としての「実践」を考える――社会運動論・環境社会学の私的な経験から(西城戸 誠)
 環境社会学の「研究の出発にあたって存在したのは、一般理論(の枠組み)ではなく問題を孕んだ現実であった、という事実」(海野2001:168)という指摘があるように、眼前に広がる環境問題をどのように解決したらよいのかという研究者の立ち位置の設定にあった。たとえば、飯島(2000:7)は、「筆者が目的としていたのは、薬害被害者の被害を把握することを通して加害側の発生責任を明確に示すことであった。そのように考えたのは、被害者に対する調査を通して、因果関係が政府によって認められていないでいる間に発生する派生的な被害が、被害者の苦痛を増幅し、生活のさまざまな面での困難が多発していく状況に衝撃を受けたことが直接的な動機であった」と述べている。  このような問題解決志向の環境社会学に対して、M.ウェーバーを引き合いに出して、科学的認識と価値判断は別次元であるとする経験「科学」としての社会学を主張する実証研究者は、環境社会学の価値判断の混入に対して違和感を覚えることが多いようだ。だが、舩橋(2007:234)が述べるように、「被害者の立場、視点に立った研究」は「科学的研究を価値判断に従属させるもの、政治的利害関心に従属させるもの」という主張は、「認識の客観性の前提には、特定の主観的観点があり、その観点の選択のしかたは、認識主体の抱く価値理念に関係づけられている」というM.ウェーバーの言及を踏まえ、再考する必要がある。つまり、舩橋は「価値理念、観点の選択、認識の客観性の三者の相互関係を把握するならば、『被害者の立場、視点に立つ研究』という主張の含意は、問題設定において被害者の苦痛の由来とその解消の可能性/困難性を重視することと、被害者の視点から見て重要な情報に敏感になり、それを組み入れた形で現実の認識を形成すること」であるとし、続けて「公害は被害者の受苦として存在するのであるから、受苦の解消は公害問題の解決の成立要件であり、中心的テーマであるべき」で、「このように考えれば、問題設定において実践的関心を有し、問題の全体像を把握しようとする際に被害者の現実把握に敏感であろうとすることと、研究成果の客観性ということとは、矛盾するものではない」(舩橋2007:234)と結論づけている。P52-3
第5章 あなたも当事者である――再帰的当事者論の方へ(樋口 直人)
 研究者が当事者になる第一歩は、自らが対象者に向けていたのと同じまなざしを、自らが属する世界にも再帰的に向けることから始まる。P89

「社会調査士の資格化」
 翻って人類学やフェミニズムでは、エスノグラフィをめぐって研究者個人の経験を語ることが歓迎されるようになってきた(Choi1006;Huisman2008)。これは、歴史的イデオロギー的に対象者と研究者の関係が厳しく問われてきた領域ゆえのことであり、本書がいわば異端と位置づけられる社会学は周回遅れの位置にある*16。だがそれは、人類学やフェミニズムが乗り上げた暗礁を避ける「後発効果」によるとも考えられる。技術的な調査法だけを教えたほうが困難は生じないからである。
 その意味で、社会調査士を制度化した社会学は、人類学やフェミニズムとは挟を分かち、標準化された調査技術の有用性を訴える方向へと舵を切ったようにみえる。そもそも、社会調査士という資格によって生き残りをかける発想自体が、利益団体としての学会で出世した官僚のそれであって研究者のものとはいえない。それは、フェミニスト・エスノグラファーなどという資格ができようもないことを考えれば明らかだろう。
 このような資格を設けた結果生じているのは、研究者と当事者の二元論の固定化であり、これをグルドナーは「学者を、嫌悪、同情、怒り、エゴイズム、道徳的憤慨、自分の情熱、自分の利害関心等々から解放する」(Gouldner1970=1978:679)と評した。しかしながら、この引用部分では現実の半分しかみることができない。研究者と対象者の関係についていえば、研究者は「わずらわしさ」から解放されたともいえるが、研究業界内部では利害関心が大きく絡むような変化があったからである。
 社会調査士という資格がもたらしたのは、社会調査教育の標準化だけでなく、社会学界内部で競争的に配分されるポスト(要するに新規採用人事)の大規模な再編成であった。心理学が生き残りのために臨床心理へとシフトしたのと同様に、社会調査士資格の創設は計量社会学へのシフトをもたらしつつある。これは、かつての教養部の廃止が社会学一般というポストの、ひいては理論社会学のポストの激減をもたらしたのに類似している。だが、社会調査をめぐる一連の改革は、教養部とは違って外部からの介入によるものではなく、社会学界が主導して行ったことである。その意味で、尚のことその過程や結果に関して検証のメスが入ってしかるべきだろう*17。
 社会調査士資格の創設は、調査技法の向上を目指す対応というよりは、ポスト減の荒波にもまれる社会学の危機への対処として、後世からは捉えられるだろう。しかし長期的にみた「社会学の危機」は、社会調査士を設けた動因となったポスト減や就職難にあるのではなく、むしろ、社会調査士を設けた結果に対して再帰性を持たないことのほうが、社会学の衰退をもたらす可能性が高い。資格創設は、臨床心理学とは異なり就職先の増加という点では気休め以下の効果しか望み得ないだろう。だが、仮に少しばかり就職先が増加したとしても、業界全体が雪崩を打って再帰性を失っていけば、副作用によって学問が腐食していく帰結をもたらすことになる。P95-6

第6章 「私」は「あなた」にわかってほしい――「調査」と「承認」の間で(中根 成寿
「当事者と科学の相性の悪さ」
 筆者はこれまで、障害者家族の親の会や知的障害者の地域生活支援を行うNPOをフィールドとして、研究を行ってきた。そこからいくつか言えることがある。まず一つは、「当事者」と「科学」の相性は最悪である。このことから話を始めたい。
 「科学」とは、「再現可能性」と「反証可能性」の確保を重要なルールとしている。つまり「誰がどこで行っても、同じ結果にならねばならない」というルールである。これは「三人称の科学」と表現することができる。調べる人間・調べられる人間の「人称性」は、「三人称の科学」にとっては、ノイズである。科学者集団である「我々we」が「彼らthem」を調べる。そこでは、「私I」であること、「あなたyou」であること、つまり「二人称の科学」の存在を個別に認めることは科学的であることから遠ざかることになる。
 一方で、当事者とは、「他ならぬ経験をした私」という立場の「一人称」の存在である。「一人称の科学」を志向する論者も、現在の科学は「三人称の科学」に支配されていることを指摘している(Gendlin&Johnson2004)。「一人称の科学」が「科学」と認められるには、「他ならぬ経験をした私」が複数存在していなければならない。「他ならぬ経験」が実は「どこにでもあり得る経験」であることが確認されて、初めて「科学」として認められる道筋が成立する。しかし、そのときに当事者はすでに不満を抱えるであろう。なぜなら当事者の「他ならぬ経験」は「どこにでもあり得る経験」として変換されてしまっているのだから。
 私の経験、多くは苦しみや苦悩の経験を、世界でたった一つの経験として認めてほしい、という当事者の欲望は、三人称の視点をもった調査者によって無残にも打ち砕かれる。これが「当事者」と「科学」の相性の悪さの要因の一つである。P105

 偉人にせよ、異人にせよ、フィールドワークにおいて、調査者は多かれ少なかれ被調査者と二人称の関係に巻き込まれることを宿命づけられている(宮内2005:123)。場合によっては嫌悪され、排除され、そして欲望をぶつけられることもある。本稿では調査者と被調査者との間に生じる「欲望」に注目してみたいと思う。
 その欲望とは「分析する者の目や耳も、自分たちの目や耳と同じようになってほしいという願いや祈り」(宮内2007:7)と表現できる。調査者が偉人であれば、当事者の経験を科学的権威によって承認することを、調査者が異人であれば、当事者同士の共感によって承認することを求められる。しかし、本稿で提示するのは、偉人による承認でも、異人による承認でもなく、一大学院生として筆者が経験した被調査者の「抵抗」のエピソードである。これを「抵抗」と表現することに筆者は確かな迷いがある*1。今、振り返るならば、それは「三人称の分析が二人称の現実にひきずりおろされる経験」とでも言うべき経験で ある。その経験は、当時の筆者には「調査の失敗」として解釈されていた。実に恥ずかしく、今でもあの時のことを思い出すと、冷や汗がでて、自分の耳が赤くなる音が、聞こえるようである。だが、その「失敗」は、「その後」の筆者の研究活動に一定の方向性を与えることになった。
 本稿は大きく2つの問いによって構成される。一つは「障害者家族の親」に当事者性はあるか? について、もう一つは、筆者が障害者家族のフィールドワークにおいて経験した承認の欲望に調査者はどう向き合えるか? という問いである。まずは、「障害者家族の親の当事者性」について論考する。P106

 中根(2006)において知的障害者の親亡き後問題への対応を「ケアの社会的分有」という概念で行うべきだと主張した。これは、本稿で紹介した2つの「抵抗」を踏まえ、知的障害者家族の親の「親性」や「ジェンダー」を取り込もうとした概念である。しかし今思えば、「ごつごつ」してあまり手触りのよい概念ではないな、と思う。
 岡部(2008)は、この知的障害者の親亡き後問題を「ハコ」に入れずに「嫁」に出す、という言葉で「概念化」している。
 …ある日、見知らぬ一人の青年を子(娘)が連れてくる。青年は子を私に任せてほしい、という。親(親父)は狼狽し、その申し出をすんなりとは受け入れることができない。しかし、親はいつかその日がくることを知っており、望んでいる。知っていてもなお、動揺し、怒る。古今何度も繰り返されてきた風景が、岡部によって障害者家族の親子関係に重ね合わされる。大切な子どもを「ハコ」に入れていた、入れようとしていた親のもとへ、ある日、血のつながりのない若者が「お子さんを私に預けてください」とやってくるのである。その若者の名前は「地域」というどこの馬の骨ともわからないやつだ。なるほど、今、子が入っている「ハコ」が親元であり、これから親が預けようとする「ハコ」は入所施設だったのだ。親は抵抗する。親は不安の固まりだ。「地域」に任せて本当に安心して我が子は生活していけるのか、不幸になったりはしないか。不幸になるぐらいなら「ハコ」という多少不自由だけれども、生存が確保された場所で、世間とつながらず、守られ、暮らしていける方がいいのではないか…「地域」はまだ若者だ。可能性に満ちあふれている分だけ、不安定だ。だが、親に対して子どもを「嫁にほしい」と言いにやってくる。親は、不安だけど、その見ず知らずの相手に子どもを任せるしかない。親は自分が老い、衰え、やがていなくなることを誰よりも知っているのだから…。
 確かに「詩的」である。しかし「的確」である。多分に「保守的オヤジ」だけれど「親性」はその「親密さ」ゆえに「支配」や「所有」という特性を一定含んでいる。だが、ここで述べたいのは、ジェンダーセンシティブネスから家父長的父親を批判することではなく、「ハコに入れずに」の表現が、「ケアの社会的分有」などという「ごつごつ」した概念よりも間違いなく、親の「社会化への違和感」を捉えた概念である、ということだ。
 岡部は障害者家族の「当事者」である。それは、科学的には分析に何ら影響はない(はずである)。しかし岡部が「当事者」だからこそ「ハコに入れずに」の表現ができたのだという思いと、それを否定したい思いに筆者は今も引き裂かれている。当事者だからできたのだと言ってしまうことは調査者の限界、ひいては科学(的社会調査)の限界を認めることである。しかし、少なくとも筆者の想像力や分析力では「ハコ」に入れずに、の表現ができたとはどうしても考えられない。これを当事者と調査者の違いではなく、研究者としての能力の差であると認識するのが「科学的態度」ではないだろうか。
 しかし、あえて当事者と調査者の差はなにかと考えてみる。それは「立ち去ることができる/できない」ということではないだろうか。狭くフィールド、という場だけではなく、身体感覚をも含んだ日常という意味の場においてである。「当事」が存在するフィールド/現実から、立ち去ることができる者を「非当事者」というならば、障害者家族の「当事」、つまり誰かがそばにいないと自らの生命を支えることが困難な状況*4から立ち去ることができない者にこそ、当事者の「資格」があるのではないか。そしてこの資格は「血縁」ではなくケアする行為そのものが生み出す 「内発的義務」によって付与されるものなのだろう。
 これに対し、調査者は、当たり前のように「当事」という場/現実から立ち去ることができる。「立ち去る」ことができるからこそ、「あなたにわかってほしい」という「承認の欲望」が調査者に対して向けられるのではないだろうか。あなたが「当事」から立ち去っても、私が生きているこの現実が、離れた場所でもあなたによって承認されてほしい。この欲望に真摯に応答することが「立ち去る」ことが許された者に科せられた義務である、と筆者は考える。P119

第7章 底に触れている者たちは声を失い‐声を与える――〈老い衰えゆくこと〉をめぐる残酷な結び目(天田 城介
 以下ではアガンベンがなぜゆえに「ごく普通の人間」を理解することの「途方もない困難」を記したのかをごく簡単に解説しておこう。というのも、ここにこそ「〈当事者〉をめぐる社会学」を思考するうえで決定的に重要な論点があるからだ。換言すれば、「当事者は誰か」などの不毛な議論に陥らないためにも、私たちは〈当事者〉とはいかなる社会学的リアルを生き抜く者の別名であるのかをきちんと知っておく必要がある。そしてそのリアルを常に召還させてしまう社会的機制を剔出すべきなのだ!P123

 このように「私たちが自らを守るために実践してしまう」「そうせずには生きられない」がゆえに、私たちの日々のやりとりをこのように厄介にならざるを得ないのである。そして、それを解きほぐすためには、このような事態を立ち現せているメカニズム機制を「アイデンティティ・ゲーム」へと還元することなく、また「言語実践のループ」によって解釈するだけではなく、私たちの社会における所有の規則と価値の配置という根底的な機制を解読することが求められているのである。P135

 だが、アガンベンの論考を引いて確認したように、底に触れた者が「声を失うと同時に他者に声を与える存在」であるとするならば、私たちは〈当事者〉であるリアルも〈傍観者〉であるリアルも同時に生きざるを得ない。その意味で、〈当事者〉として語り得ず、他者に声を貸し与える存在を生きると同時に、〈傍観者〉として他者の語り得ない言葉を紡ぎ出す存在である。その両者の往復運動・往還のダイナミズムこそ〈当事者〉と〈傍観者〉を接続する――圧倒的な非対称性・隔たりはあるにせよ――道となる。
 しかしながら、認知症当事者とケア労働者の関係が「自らを守ろうとする必死の営みで他者を傷つけてしまう」ような「抜き差しならぬ関係」であったように、両者は置かれている地位・立場・役割・制度がまるで異なるがために、それぞれの語り得ぬ声はそれぞれの利害と力学を反映したような「被害の言葉」「商い言葉」になってしまうのだ。
 だが、だからこそ、まさに「当事者」が切実に問われる場面においていかなる社会的機制が作動しているのか、またそのことによって〈当事者〉はいかなる社会学的リアルを生きざるを得ないのかを解明することが求められるのである。言い換えれば、私たちはそのような社会学的診断をきちんと踏まえたうえではじめて〈当事者〉と〈傍観者〉との往復運動・往還のダイナミズムのもとでの 「〈当事者〉をめぐる社会学」が可能となるのだ。だから、社会学の困難は、その困難のまま、開かれた潜勢力でもあるのだ*8。
 語り手たちが非人間を生きざるを得ない者たちから、(語ることの不可能性を内在した)声を与えられているとすれば、語り手とは「人間的なものを完全に破壊することは不可能である」ということを語る者であり、また、常に破壊されずに残った「残りもの」を語ることを宿命づけられている存在である。「アウシュビッツの残りもの」は破壊を超えて言葉として現出する何かである。P136

第8章 メディア表現は〈当事者〉の敵なのか(石田 佐恵子)
 圧倒的なフロー文化の中で、〈当事者〉たちの苦痛や苦悩は、シンボル的に消費され、断片的に記憶されるのみだ。それは、はたしてメディア文化・メディア表現の必然なのか。あるいは、それでもなお、〈当事者〉性を回復するメディア表現が可能であるならば、それはいかにして可能となるのか。本論で考えたいのは、そのような問いである。P142

第9章 差別問題研究における2つの当事者性(好井 裕明
「差別はいけないことだ」「差別をしてはいけない」という差別禁止の常識的規範がある。たとえば、国粋主義の思想に陶酔し、その思想に適合しない人びとや現実を攻撃し排除する営みが思想実践に見合う正当なものと考えている人びとや優生思想を絶対視し、優生的でない存在を否定し、自らの思想や営みがよりよい社会の実現にとって有意であると信奉している人びとにとって、こうした常識的規範は、意味のない、つまらないものかもしれない。しかし私たちの多くにとって、この規範は、まさにわかりきったものであり、あえて何度も反復し確認する必要のないものであろう。そして、そうした規範を確認し承認する〈わたし〉は、「差別などしない存在」「差別するはずのない存在」として、まさに確認し承認されていくのである。しかし、よく考えてみれば、この確認や承認には、それを正当化する根拠はどこにもないのである。あるとすれば、差別禁止の常識的規範を了解するということぐらいであろう。しかし、そうした規範の意味を了解したからといって、私たちは、それだけで「差別をしない存在」として生きていけるのだろうか。P172

「差別をうけたこともないし、差別をしたこともない」存在=「普通の人間」という評論家の整理。それを裏返せばこうなるだろう。「差別を受ける存在」=「普通でない人間」さらに「差別をする存在」=「普通でない人間」。だから「差別をめぐる現実」=「普通でない人間が普通でない人間を差別すること」=「普通である人間の世界には差別などない」。つまり評論家の何気ない前提の語りには、「普通である人間は差別など受けないし、しない。だから差別は、普通でない人間同士の中で起こる出来事であり、問題とすべき事象である」という意味が読み取れるのである。この前提を成立させてしまうものとは何だろうか。やはりそこには、常識的で実践的な処方知としての差別-被差別の二分法という硬直した解釈枠が息づいていると、私は考えてしまうのである。そして、この枠の問題とは、まさにそれを使うことで、私たちが差別という出来事や問題を自らの日常生活世界の中へ取り込み、自らの暮らしとの関連の中でそれらへ確かな位置を与えるために用いられるのでは決してなく、それらを自らの世界から遠ざけ、確実に自らの世界から外していくためにだけ、用いられるということなのである。P173

 すでにこれまで、いろいろなところで主張し語っているが、私は、こうした差別をめぐる見方を転換したいのである(好井2007好井2008)。私たちは差別をしてしまうものだし、世の中には、それを批判することなく受け入れることで、私たちを差別という事象に、思わず加担させてしまう決めつけや思い込みが充満しているのである。そして、自分が差別をしてしまう存在であるということを認めるとき、差別はただ「してはならない」「起こるはずのない」「起こってはならない」という否定的な現象ではなくなるのだ。それは私たちにとって、「生きる手がかり」として"活用"できる現象となる。他の誰かから指摘されることもあるだろうが、自分が「差別してしまうことの積極的な意味」を承認すれば、まずは、さまざまな機会や場で、決めつけや思い込みを行使してしまう姿に、他の誰でもない自分が気づき、なぜそのようなことを考えたり、言ったりしたのだろうかと、次からはなんとか自分を差別に加担させてしまうきっかけにたやすくのらないようにしようと考えをめぐらせることができるのではないだろうか。P176


■書評・紹介

■言及



*作成:中倉 智徳
UP:20101019 REV: 20110302, 20110304(八木 慎一)

天田 城介  ◇中根 成寿  ◇好井 裕明  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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