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『カニは横に歩く――自立障害者たちの半世紀』

角岡 伸彦 20100921 講談社,509p.

last update:20101205

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■角岡 伸彦 20100921 『カニは横に歩く――自立障害者たちの半世紀』,講談社,509p. ISBN-10:4062164086 ISBN-13:978-4062164085 \2310 [amazon][kinokuniya]

■内容


・「BOOK」データベースより われらは愛と正義を否定する問題解決の路を選ばない。健全者文明を否定する。行動するCPたちの痛快・青春ノンフィクション。最も過激な社会運動ドキュメンタリー。

・著者の言葉(「G2」ウェブサイトより)
http://g2.kodansha.co.jp/1307/1441/1524.html
当たり前のことではありますが、人は一人では生きていけません。だからこそ人生はつらく、かつまた楽しい。人間の悩みの大半は、人づきあいではないでしょうか。人とぶつかってばかりの未熟な私は、日々それに悩んでおります。周囲は私以上に苦悩しているのでのでしょうけど(笑)。
一応健全者の私は、ひとりになりたいと思えばなれます。ところが、いつも介護を必要とする障害者の場合、そう簡単にはいかない。障害者の程度や情況によっては、ひとりになることさえ一大イベントになるわけです。
そんな“ハンディ”を背負っているにもかかわらず、健全者社会をぶちこわすべく、果敢に障害者差別と闘った人たちがいます。脳性マヒ者の運動団体である青い芝の会は、施設や交通機関を占拠し、健全者社会を糾弾し続けました。その運動の過程で、介護者の組織を解散させたり、方針をめぐって内紛を演じたりの悲喜劇を繰り広げました。
障害や障害者を、健全者や行政はどのようにとらえてきたのか。就学や就労で疎外されてきた障害者が、どのように主体性を確立していくのか。介護が必要な人を個人や社会がどう支えていくのか……。そんな重いテーマを、青い芝の運動とメンバーの人生をたどりながら、怒りと笑いと涙を織り交ぜながら書きました。

■目次


まえがき

序章 フィルム
第1章 第一歩
第2章 宣言
第3章 自立と解放
第4章 炎
第5章 亀裂
第6章 行き当たりばったり
第7章 居場所
第8章 志
第9章 揺れ
第10章 タイトロープ
第11章 ふたり
終章 最後の障害者

あとがき
主要参考文献・資料

■引用

◆まえがき

六〇年代の終わりに全共闘運動が大学や日本を変えようとして挫折した後の七〇年代。「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」という障害者の運動団体が、差別反対を旗印に関西や関東で施設や行政機関、バスを占拠した。歩ける者は少数で、車イスに乗った重度障害者がほとんどだった。彼らは占拠した施設内の事務所にある書類をびりびりに引き裂き、そこに小便をひっかけた。また、何十台ものバスに乗り込んで立て籠ったり、道路に寝ころんだりして半日ほど交通をマヒさせた。

警察はそれらの行動の背後には健全者がいて障害者を操っているに違いないと思い込み、計画・実行犯である障害者を逮捕しなかった。何をしても罪に問われなかった彼らの行動は、次第にエスカレートしていった。

その激しい闘争は、関係者を恐怖におとしいれた。障害者問題の管轄官庁である厚生省では、青い芝が抗議や交渉に来るとわかると、庁舎の正面玄関のシャッターを下ろすことが検討された。各地で糾弾闘争がおこなわれるたびに福祉関係者の間で青い芝は「過激な団体」として認知され、「あの人たちとはかかわるな」とささやかれた。

闘いがやや下火になった八〇年代はじめ、私は介護者として地元・兵庫の青い芝のメンバーと出会った。彼らは阪神間の大学にターゲットを絞り、ビラを配ったり人や組織を介したりして介護者を募っていた。大学生だった私は、その網にひっかかったのだった。

親元を離れ、施設入所を拒否して新天地でアパートを借り、介護者を探しながら生活を続ける青い芝の障害者は、介護の面から言えば常に人手不足で不自由ではあったが、精神的には自由であった。ただし、どんな介護者とも付き合える強靭かつ柔軟な精神力と、深く考え過ぎない楽観的な性格が必要だった。

健全者に合わせて生きることを幼い頃から教えられて育った多くの障害者の中で、それに抗って事を起こす彼らは、日本社会においては異質かつ稀有な存在であった。

八〇年代の半ば、兵庫青い芝のメンバーの介護に行った時のことである。夕食時に近くの居酒屋に入り、二人でしたたかに飲んで家路についた。電動車イスに乗っていたその障害者は、二車線道路の真ん中を“千鳥足”で走行していた。その後ろ姿に向かって私は、「道の真ん中を走ったら、車に轢かれるでー」と声をかけた。するとその障害者は振り向きもせずに答えた。

「車は電動(車イス)を避けてくれるんや。道の端っこ行く方が危ないんやー」

夜間の歩道は側溝や段差、障害物が見えにくいため、かえって危険だという。

仮にそうであっても、道の真ん中を走るのも、やはり危ない。どちらを選ぶかは本人次第だが、何の迷いもなく堂々と中央を突き進む障害者の後ろ姿を、私は痛快な気分で眺めていた。

七〇年代のような勢いは失ったとはいえ、八〇年代も兵庫青い芝の活動は続けられていた。障害児が介護に疲れた親によって殺されたといっては抗議声明を出して集会を開き、行政にも責任があるとして当該市役所に押し掛けた。

「私達は全国21都道府県で30年間、脳性マヒ者の自立と解放をかかげ、障害者はあってはならない存在とする優生思想とたたかっている兵庫青い芝の会です……」

青い芝のビラや抗議文には、必ずこの文章が冒頭に掲げられた。優生思想とは、健全者より劣った存在である障害者は淘汰されるべき、という考え方である。「あってはならない存在」と自認する彼らの闘いは、優生思想をはじめ交通問題、生活保障など多岐にわたった。

私が人に誘われ、たまたま介護に行った先は、保護され愛される“か弱き障害者”ではけっしてなかった。手段を選ばず社会に牙をむき、健全者の価値観を揺さぶる本質的な意味で過激な人たちであった。

後になって気付くのだが、介護に行くことは、彼らの生活のみならず、青い芝の思想や運動に寄り添うことでもあった。大学時代から社会人に至るまで長い間介護者であった私は、途中から取材者としても彼らと付き合うことになる。

そもそも彼らはどんな生活環境で育ったのか? なぜ、行動する障害者になったのか? 青い芝という組織や個々のメンバーは何を目指していたのか? 数々の糾弾闘争を経て、何が達成でき、どのような課題を残しているのか? はたして障害者と健全者は共生できるのか……。

それらのテーマは、おいおいたどっていくことにして、まずは関東で興った青い芝の運動が関西に広がりを見せる七〇年代はじめに時計の針を戻したい。

これは日本で初めて大々的に差別に声を上げて行動した障害者――とりわけ私が出会った兵庫青い芝――の記録であり、彼らと私を含む介護者の物語である。

■書評・紹介

http://boukanshanetabare.blog49.fc2.com/blog-entry-921.html
http://wallaby-clinic.asablo.jp/blog/2010/10/07/5388700
http://smg2nd.blog.so-net.ne.jp/2010-10-15



*作成:岩田 京子
UP: 20101205 REV:
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