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『電子書籍の真実』

村瀬 拓男 20100731 毎日コミュニケーションズ,200p.

last update:20100812

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■村瀬 拓男 20100731 『電子書籍の真実』,毎日コミュニケーションズ,200p. ISBN-10:4839934851 ISBN-13:978-4839934859 \780+税 [amazon][kinokuniya] eb

■内容紹介

 2010年5月28日にAppleの「iPad」が発売されて以来、テレビや新聞、雑誌で「電子書籍」という文字を見ない日がありません。電子書籍ビジネスに参入しているAmazonや参入予定のGoogle、北米で電子書籍端末「リーダー」を販売しているソニーの動向なども話題になっています。 実際にiPadに触れた編集者の中では「もう雑誌はこれでいいじゃない」という声も出始めているようです。出版物・出版市場も大きく変化することになり、紙の出版物は今や文章や写真を世に送り出す独占的な媒体ではなくなっているのです。

■内容紹介(「BOOK」データベースより)

アップルの「アイパッド(iPad)」が発売されて以来、テレビや新聞、雑誌で「電子書籍」という文字を見ない日がありません。出版物・出版市場が大きく変化することになり、紙の出版物は今や文章や写真を世に送り出す独占的な媒体ではなくなっているのです。出版界は何らかの変化を迫られているわけですが、それはどのような変化なのでしょうか。本書は、電子書籍による出版界の変化をできる限り整理して、将来への課題を明らかにします。

■著者略歴(背表紙より)

弁護士。1985年東京大学工学部土木工学科を卒業し、新潮社に入社。雑誌編集の後もっぱら映像や電子出版などの新規事業を担当。2006年弁護士登録し、出身会社である新潮社の法務を担当するほか、用賀法律事務所主宰として、映像、IT、出版系を中心とした企業法務を手掛ける。事務所HP

■目次

はじめに

第1章 2010年電子書籍元年
 相次ぐ電子出版団体の旗揚げ
 始まりはグーグルブックサーチ問題
 グーグル訴訟の経緯
 グーグル問題が突き付けた選択
 「キンドル」「アイパッド」の上陸が意味するもの
 「キンドル」「アイパッド」がもたらす電子書籍ビジネス
 国立国会図書館デジタル化の現在
 電子書籍が招く出版市場と図書館とのコンフリクト
 調整の方向性とグーグル和解案の評価
 三省デジ懇の行方

第2章 日本の電子書籍の歴史
 辞書から始まる電子書籍
 電子辞書としての展開
 短命だったCD-ROM市場
 ネット配信の試み
 出版社も自ら始めた配信ビジネス
 「電子書籍コンソーシアム」の失敗
 現れては消えた電子書籍端末
 PDAからケータイへ
 「リブリエ」の挑戦と挫折
 キンドルとの比較で考える
 ケータイでの市場形成
 500億円市場となったケータイ電子書籍

第3章 電子書籍とは何か
 電子書籍の定義
 ブログやツイッターは電子書籍か
 歴史から電子書籍の定義を考える
 出版社の役割
 改めて電子書籍を定義する
 電子書籍オリジナルエディション
 雑誌と電子書籍
 雑誌系電子書籍の特徴
 解決すべき課題

第4章 課題1―フォーマットおよび日本語の問題
 フォーマットとは何か
 ドットブックとは
 XMDFとは
 ePubとは
 一桁余分にかかる制作コスト
 多種多様な組み版ルールの存在
 膨大な文字数と外字
 異体字をどう取り扱うのか
 ビューワーと電子書籍データ
 電子書籍における「本」とは一体何か
 あるべきフォーマット
 DRMについて
 簡単にはいかないOCR
 印刷工程との連携

第5章 課題2―流通の問題
 誰が価格を決めるのか
 定価販売しかモデルを持たなかった出版界
 価格を決める基準は何か
 価格戦略をどうするのか
 もともと安い日本の書籍
 「デジタルだから安い」という誤解
 宣伝にまつわる問題点
 配信事業者による「検閲」問題
 『華氏451度』のような世界?

第6章 課題3―権利の問題
 印刷物とは異なる権利処理システム
 「契約なし」でやってくることができた出版界
 電子書籍で変わる契約の重要性
 再燃する権利者問題
 権利関係の明確化が必要
 既存メディアごとに異なる権利状況
 権利の集約と明確化
 20年前の議論
 著者の権利と出版者の権利
 変化する契約ルール
 著作権集中処理機構の必要性

第7章 電子書籍がもたらす出版の未来
 変化せざるを得ない出版社
 目を閉じても電子書籍はなくならない
 迫られる利益構造の組み換え
 書店や取次はどうなるのか
 求められる出版界としての協調
 何を変え、何を守らなければならないのか
 守るべきは本を安定して再生産できる環境

おわりに

■引用


「このような状況の中で紙の出版物の利益を守ることは、単なる既得権益の防衛であ<6<り、進歩や変化を拒否する悪しき抵抗勢力と評されることなのでしょうか。真に守るものがあるのだとすれば、何を守り何を変化に委ねるのがよいのか、という議論があるべきなのですが、ユーザー・オリエンテッドな変化がすべてであり、それに対応できないものはすべて退場してもらってかまわないと言い切れるのでしょうか。
 一方で保守的な立場に正当性があるとしても、それを明確化せずに単に「出版文化」を守るという掛け声だけで、既存秩序のすべてを保護することは果たして妥当でしょうか」(5-6)

「本書は、電子書籍による出版の世界の変化を、できる限り整理して、将来への課題を明らかにすることを目的としています。しかし一方で、著者の経歴が本書の視点を制約することになるのも避けることはできません。
 出版といっても、文芸書や一般ビジネス書だけではなく、専門書、地図、学参書、児童書などさまざまな分野があり、本書でも少し触れる辞書や専門書では出版の電子化がはるかに進んでいる面もあります。本来ならそのあたりも含めて全体像を描きだすことが望ましいのでしょうが、文芸書、一般ビジネス書を中心とした議論となってしまっていることをご了解ください」(7)

「アマゾンは、日本法人関係者が日本市場へのキンドル投入のタイミングについて、「多くの新刊書籍が、紙と同時にキンドル用電子書籍としてリリースが可能となる状況となったとき」というように述べています。アメリカのキンドル発売時(2007年)における電子書籍のタイトル数は9万点であったといいますが、9万という数字に大きな意味はなく、あくまでも新刊書籍の同時配信が可能な状況の方が重要だというのです。電子書籍のメリットは、在庫負担を考慮する必要がないため、いわゆるロングテール部分にあるとも言われますが、市場へのアピールや売上の面でも、販売が集中する新刊対応こそが重要ということではないでしょうか。(中略)<31<
 これは出版社のサイドから見れば、キンドル導入は電子書籍刊行も義務付けられるという言い方になります。もちろんアマゾンは一書店にすぎませんから、電子書籍に対応しないという選択肢もありますが、日本最大の書店に育ってしまったアマゾンの意向を無視することは事実上困難でしょうし、後に述べるように、印刷物による出版と電子書籍出版とは、別々の権利行使であると解釈されている状況を踏まえると、電子書籍に対応しない出版社は、その権利をほかの出版社やIT事業者に取られてもや<32<むを得ないということになるでしょう。
 つまり、紙の印刷物主体でビジネスを構築してきた出版社は、電子書籍を扱っていたとしてもこれまでは余技の部分で対応できていましたが、これからは電子書籍対応を本業の部分に組み込んで対応しなければならないということになるわけです」(30-32)

「国会図書館においては、すでに明治大正期刊行図書14万8000冊と江戸期以前の古典籍資料1000冊がデジタルデータ化され、「近代デジタルライブラリー」としてインターネットで提供されています。この蔵書デジタル化作業は年1億円程度の予算で、これまで細々と行われていました。<37<
 それが2009年の補正予算において、従来の100年分に相当する127億円が蔵書デジタル化予算として付けられることになったのです。この補正予算は自民党政権下のものですが、民主党政権における見直しにおいてもそのまま認められ、満額が執行されることになったようです。
 これによってデジタル化されるのは、古典籍資料10万冊、戦前期刊行雑誌2万7000冊、学位論文1万5000冊に加えて、1968年までに刊行された図書を含めた75万4000冊に及びます。これらはデジタル化されると、関西館を含めた国会図書館の館内の閲覧用として、従来の「紙」に代わって利用されます」(36-37)

「電子書籍以前の、紙の出版物しか存在しないときから、出版市場と図書館とはある面で対立し、ある面で依存する、微妙な緊張関係にあったということができます。
 図書館での本の閲覧は無料です。(中略)
 この「無料」で本が流通する部分は、利用者がわざわざ図書館に赴き、ほかの人<41<が利用していない本のみ(利用中の場合はほかを探すか、返却を待たなければなりません)を利用でき、借り出した場合は返却しなければならない、という「面倒な」行為を同時に利用者に強いていたため、図書館での利用はある程度以上拡大せず、商業市場との共存が保たれていたと言うことができます。
 ところが、出版物がデジタル化されればこのような「面倒」は原理上生じません。サーバーにデータがあれば、接続されているクライアントから同時に何台でもアクセスできます。もし国会図書館の収蔵図書デジタル化作業済みのサーバーがインターネットに接続されていれば、利用者はどこに住んでいたとしても、容易に国会図書館の全蔵書を呼び出し閲覧することができることになります。(中略)
 このことが、既存の市場に大きな影響を与えることは明らかでしょう。2009年に書店で売られた本は約34万億冊であるのに対し、公共図書館の個人向け貸出点数は約<42<6億9000万点(ここには大学図書館、国会図書館は含まれていません)です。
 公共図書館の蔵書数は約3億8600万冊ですので、ならすと1冊当たり年2回の貸出となりますが、すべての本がこのペースで貸し出しされているとは思えませんから、利用が集中する本(売れている本とかなり重なるでしょう)は、もっと多く貸し出されていると推定できます。そしてこれは、極めて面倒な手続きが必要であることを前提としているわけですから、これが「便利な」インターネット経由でできることになった場合、従来の共存構造は間違いなく崩壊します」(40-42)

「国会図書館の電子図書館化構想を推進してきた現館長の長尾真氏は、「有償」配信モデルなども提唱されています。これはおおまかに言えば次のようなものです。
 国会図書館内に構築されるデジタルアーカイブは国会図書館内で館内利用者に無<43<料で提供されるほか、外部の公共図書館にも貸し出しされその館内での利用が可能となります。さらに「電子出版物流通センター」を外部に設立し、そこに対してもデジタルアーカイブを提供します。
 「電子出版物流通センター」は一般の利用者に対してその「本」のデジタルデータを提供し、利用者はアクセス料金を支払います。また広告を掲載し広告料金を徴収することもできます。こうして集められた収益は出版社を通して権利者に配分されます。
 これは、無料原則を採ってきた図書館においては、大きな変化にも見えますが、一方で長尾氏はアクセス料金について「(図書館に来るにも交通費はかかるのだから)バス代や電車賃といった交通費程度」の負担を利用者にお願いしたい、といった趣旨の発言もされているようです。これが仮に200円程度ならば、600円程度の文庫本価格帯や2000円近い単行本の価格と比べるとかなりの差が生じます。
 そうすると本の市場は(想定される電子書籍の市場も)、販売モデルが主体ですが、一挙にレンタル主体のモデルに転換する可能性も生じます」(42-43)

「では、なぜキンドルがアメリカで定着しつつあり、リブリエは日本で失敗(現在製造中止されています)したのでしょうか。<70<
 キンドルとの比較で考える
 ソニーは、この理由を「日本では、電子書籍端末より携帯電話を使って文字や画像を見る文化が強いこと。それと出版業界が日本でかなり違い、日本では新刊がなかなか電子書籍化できないなどの問題があったこと」と分析しているようです。
 この分析はおおむね当たっていると思われますが、もう少し掘り下げて考えていかないと、将来の役には立ちません。携帯電話でのコンテンツ配信事業が日本で成功しているのは、携帯電話自身が(当然のことですが)通信機能を持っているため、それ単体でデータをダウンロードできるとともに、公式サイトの場合は課金決済まで終了してしまう、という便利さにあります。
 キンドルはアマゾンのアカウントを持っていれば1クリックでダウンロードでき、登録してあるクレジットカードにより決済も終了します。一方リブリエは単体では通信機能を持っていないため、PCでダウンロードし、その上でリブリエとを同期させる必要がありました。
 実はこれはアイポッドとアイチューンズ(iTunes)との関係と同じなのですが、<71<音楽では許せる仕組みであっても、本では許せない手間だったということなのでしょう。もともとCDやレコードを買ってもその場で聴くことはできませんでしたが、本や雑誌ならすぐに喫茶店で読みふけることが可能だったわけです。キンドルは通信機能を持つことにより、印刷物と同等以上の利便性を初めて手に入れたということであり、逆に言えば、リブリエはその点で不便であったということです」(69-71)

「ソニーが挙げていない失敗のポイントとしては、、配信サイトを新規に設立したことにあるように思います。キンドルは、すでに「本を読む」人を多数囲い込んでいるサイトで事業を開始したのに対し、リブリエは誰もいないところにサイトの看板を掲げるところから始めたことが決定的な敗因であったと思います」(72)

「一方、アメリカの電子書籍市場は、アメリカの出版社協会の推計によると約290億円であり、日本の電子書籍市場よりは小さいのです(作成者注:日本の電子書籍市場は2009年時点で500億円)。にもかかわらず、日本ではな<76<ぜアマゾン、アップル、グーグルというアメリカの企業の動向に振り回されるような状況になっているのでしょうか。
 その理由は500億円の内訳にあるように思います。市場の8割以上が携帯電話向けでそのさらに8割以上がコミックによるものであり、またコミック以外の作品は、ティーンズラブ、ボーイズラブと呼ばれるような官能的な内容のものがその大半を占めています。この割合は明らかに印刷物市場での割合とは異なるものであり、一種のニッチ市場を形成していると評価することができるでしょう。
 これに対し、キンドルなどがターゲットとしているのは明らかに印刷物市場と重なる部分であり、その領域での対応が、ここまでたどってきた歴史からも明らかなように、日本ではなかなか進んでいないからだとい言えます」(75-76)

「紙の出版物の場合は「本とは何か」をわざわざ定義しなくても、さまざまな問題を解決することが可能でした。それは本(雑誌も)が形のあるものであり、その「形あるもの」をどのように扱うのか、どのように流通ルートに乗せて、どのように商売を組み立てるのか、ということを考えればよかったからです。(中略)
 ワープロが普及し、多くの原稿がワープロで書かれるようになっても、プリントアウトした紙の束と、印刷製本された本とは明らかに異なって見えます。「本とは何か」と聞かれても、プリントアウトした紙の束を本だと言う人はいないでしょう。印刷製本されて初めて「本」となるのです」(78)

「出版社が既存の出版市場において果たしてきた役割は、おおむね次の通りでしょう。
・出版企画
・編集(原稿を出版物に仕上げる行為=出版物の内容の質的保証)
。出版物の宣伝
・頒布(印刷物としての出版物を書店などに頒布して流通させる行為)
・著作者の育成
・著作権情報の管理」(82)

「「中抜き」についても同様です。インターネットの普及、電子機器の普及はかつてないほど著作者に自由をもたらしました。自分の文章・著作を世に発表したければ、そのツールは山のようにありますし、コストもそれほどかかりません。つまり「著作物」を流通させたいなら、今やそこに出版社を介在させる理由はないのです。これを<84<「中抜き」と称しているのであるならば、そんなことは誰も気にしていません。
 これまで出版関係者が「中抜き」という言葉を用い、問題視していることがあったとすれば、それは「著作物」を素のまま流通させることではなく、編集が施された「出版物」が、編集を施した出版社抜きに流通する状況、すなわち「ただ乗り」の問題だったのです。
 そうすると、第1章で説明したグーグル問題でなぜ出版社も権利者とされ、訴訟の当事者となっているのか、また国会図書館蔵書デジタル化問題をなぜ出版社として重要な問題だととらえているのかは明らかでしょう。図書館に納められているのは本、すなわち出版物であって、決して素のままの著作物ではないのです」(83-84)

「そうすると、電子書籍とは必然的にブログなどのように個人がそのまま著作物を発表できる場ではなく、「何らかの編集行為が介在し、出版物として有償の流通を想定して作られたもの」ということになります。図書館に収蔵される本も、税金により購入されているのです」(85)(強調作成者)

「ボイジャーは電子出版の会社としてスタートしましたが、そもそも電子書籍をパソコン上で表示させるための環境自体がなかったので、独自に表示環境から作る必要がありました。そして最初に作ったフォーマットが、マッキントッシュのハイパーカードを利用した「エキスパンド・ブック」です」(96)

「日本語の書籍には、まず縦組みと横組みがあります。本書は縦組みですね。本を正面から見て右側が綴じられていて、ページを右側にめくっていく、右綴じ右開きとい<102<う構造になっています。そして右上から左下に向けて視線が移動していくことになります。横組みの場合は左綴じ左開きで、視線は左上から右下です。日本語の書籍にはこの二種類が存在(本によっては混在)しています。
 一方、英語などのアルファベット言語圏では横組みだけですし、アジアにおいても中国や韓国は縦組みをほとんど捨て去り、横組みだけになってきています。
 それからルビです。漢字を多用した場合、読み仮名としてのルビは必須です。新聞のようにすぐ後ろに括弧で読みを付けるという方法もありますが、本ではあまり一般的ではありません。ルビは一般的には漢字の読みを表示しますが、例えば「民主主義」の横に「デモクラシー」と振ったりするような使い方も行われます。
 圏点も独特なものです。ルビのように文字の横に付ける点であり、強調を意味します。
 また、縦書きの文中に英単語などが出てくる場合には、一字ずつ90度回転させて縦組みにして表示する方法と、その部分だけ横組みにして表示する縦中横という二つの方法があり、ともに用いられます。横組みならば生じない問題ですが、縦組みの場合は避けて通ることはできません。
 文中に漢詩などを引用する場合には、返り点などへの対応も必要になります。さら<103<に角書きのように、1行のスペースに2行またはそれ以上にわけて文字を書きいれるような組みも存在します。文中に割り注として注釈を挿入してしまう場合にも同じような処理が必要になります。それから禁則処理も忘れてはなりません。英語の場合でも、行末に入りきらない単語を音節部分で割るか、次の行に送るか、という禁則処理はありますが、日本語の場合は句読点が行頭に来るかどうかというところで禁則処理が必要となります。
 このような組み版ルールは、紙の出版物の世界で日本語表現を積み重ねていく中で整備されてきたものです。逆に言えば日本語がこのようなルールを要求してきたということでしょう。
 こういった組み版ルールは、現状のePubでは規定されていません。つまり今のePubで表現できるのは、ホームページを本の形にレイアウトしたもの程度ということになります。一方、ドットブックやXMDFはこれらの組み版ルールにほぼ対応しており、日本語の書籍の多様な表現をかなりの程度まで再現することができるようになっています」(101-103)

「もう一つの問題は、文字それ自体にあります。
 アルファベット言語圏では、大文字、小文字やピリオドなどの記号類を合わせて100文字程度を扱えば、すべての文字を表現することができます。ロシア文字やアクセント付きの文字などを含めても、1バイト=8ビットの文字コードで表示できる256文字ですべて足りていたのです。文字のデザインの違いは文字コードの問題ではなく、フォントフェースの問題として区別されます。
 それに対し、最近見直された常用漢字だけでも約2000字が存在する漢字と、ひらがな、カタカナで表示される日本語は、1バイトの文字コードだけでは到底足りず、2バイトの文字コード体系が以前から利用されていました。これがJIS(シフトJIS)コードであり、第一水準および第二水準を合わせて約6000文字が規定されています」(104)

「もっとも正字、略字、異体字の問題は、これが印刷されている限りは特に大きな問題とはなりません。表示したい印刷用の字形を作って印刷してしまえばよいからです。
 しかし、電子書籍すなわちデジタルデータとしては困る事態が生じます。デジタルデータには文字そのものが書かれているのではありません。書かれているのは文字に番号を付けた文字コードであり、その文字コードが画面上に表示されるときには別に用意されているフォントが呼び出されることになっているのです」(107)

「また、ePub自体に、日本語表現に関する何の決め事もない以上、ePubの日本語化という言い方もミスリードを誘うものであると言えます。結局はゼロから日本語表記のルールをフォーマット化することになるわけですから、新しいフォーマットを作ることと実質的には異ならないのです」(111)

「グーグルは、本をスキャンしたのち、スキャンした画像をOCR(光学式文字読み取り)処理し、対応するテキストファイルを作成します。そして、表面上は画像の束となっているデータの裏側に対応するテキストデータを貼り付けておく、というデータ構造となるとされています。(中略)
 ところが、国会図書館が現在進めている蔵書デジタル化作業は、この部分の作業は行われていません。検索も別途入力する書誌情報に対してのみ行われることになるようです」
(119)(強調作成者)

「国会図書館は、権利者の承諾が得られれいないため、と説明しています。2009年の著作権法改正により、国会図書館は蔵書デジタル化についての許諾を得る必要がなくなったのですが、その利用方法については原本に代えて利用する、と規定されているだけであり、運用の詳細については関係者の協議に基づいて決められることになっています。
 著作権者などの権利者の立場から見ると、単に版面をスキャンしただけではなく、それからテキストデータを抽出することは、いろいろな利用を可能とすることにつながるため、慎重な態度を取っているということでしょう。
 もう一つの大きな理由としては、OCRの精度を挙げることができます(中略)<121<
 このあたりの差が、電子書籍制作コストの差となることも多いのですが、国会図書館が当面の作業工程に入れていないとしても、いずれは必要になる部分です。版面をスキャンしておけばいつでもOCRはできますから、スキャン作業が無駄になることはありませんが、日本語のOCR技術の向上は、過去の出版資産との関係では非常に<122<重要なものとなるのです」(120-122)

(作成者注:印刷工程がデジタル化されているのであれば、そこから電子書籍を作るのは簡単ではと思われるが、そう簡単ではない理由が以下)
「まず印刷が請負作業である以上、発注元である出版社が電子書籍の同時制作を求めない限り、印刷会社としても対応する必要がなく、開発のインセンティブがなかったということができます。
 また、印刷は最終的に紙の上に目的通りの文字や画像がレイアウトされていれば足りるのであり、そのための工程がどのようなものであったとしても、それがコストに跳ね返るレベルでない限り、その内容を問われることはありません。分かりやすい例で言えば、改行時に改行コードを入れず、空白文字を改行が行われるまで挿入したとしても、印刷した見た目は同じです。
 しかし、これは電子書籍のデータを作成することを考えた場合、極めて大きな問題となります」(123)

「これに対し、電子書籍は複製と頒布という形ではなく、「公衆送信権」の行為という形で権利処理が行われます。著作権法上、権利の種類としては異なることになります。著作権法は、著作物のスタイルに応じて細かく権利行使の方法を定義しており(これを支分権と言います)、著作権を利用する場合は、権利者から支分権単にで許諾または譲渡を受けるということになっているのです。
 行使される支分権が異なることから、ある作品について適法に出版を行っていたとしても、通常得ている権利は紙の書籍としての複製・頒布の権利であり、電子書籍に関する権利を持っているわけではありません」(149)

「では出版文化とは何なのでしょうか。もちろんこれまでに生み出された多くの名作の数々は日本の出版文化の成果として誇るべきものでしょう。豊かな表現を可能とする日本語環境もそうかもしれません。
 全国に4000社ほどあると言われている出版社が、それぞれの立場から多種多様な作品を出版市場に送り出しているという事実も文化の一部であると評価されるべきでしょう。全国津々浦々に書店があり、また多くの地方公共団体が自前の図書館を持っているという状況は、誰もが気軽に出版物に触れる機会を提供できている点で極めて重要です。
 また、このような環境の中で、多くのプロフェッショナルが育っています。安定的な出版市場があるからこそ、職業的作者を目指す者がじっくりと力を蓄えながら世に出ることができるのですし、著者を支える編集者や校閲者といった、一人前になるにはかなりの時間を要する専門職も養成されていくのです。
 現在の日本の出版物のクオリティは間違いなく、このようなプロフェッショナルたちに支えられています。さらに多種多様な作品が世に送り出される場合、その価値を判定する目利きの存在も極めて重要です。書店と再販制度と委託販売制度によって、<191<仕入れに関するシビアな選択は必要ない状況にありますが、それでもどの本をどのように並べれば、その本を(潜在的に)欲している読者に届けることができるのか、この技術の巧拙は間違いなく書店の売上に影響を与えているはずです。
 そしてこの技術は本の価値を判定できる目利きとしての能力を当然の前提とするのです。さらに重要なことは、出版物の価値基準は決して単一なものではないため、目利きも多種多様に存在する必要があるのです。
 こういった要素のうち、現在のデジタル環境において容易に置き換え可能なものもあるかもしれませんが、すべてを置き換えることは絶対に不可能です。現実社会の環境は、構築するのに時間がかかります。人間の能力育成にも時間がかかります。また環境も有能な人材も一度失ってしまうとまず元には戻れません。
 そうであるならば、ここで一度立ち止まって、何を守り、何なら変えてもよいのかということをじっくり考えてみるべきではないでしょうか」(190-191)

■書評・紹介

■言及



*作成:櫻井 悟史
UP: 20100812 REV:
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