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『沖縄・ハワイ――コンタクト・ゾーンとしての島嶼』

石原 昌英・喜納 育江・山城 新 編 20100325 彩流社,444p.

last update: 20120410


■石原 昌英・喜納 育江・山城 新 編 20100325 『沖縄・ハワイ――コンタクト・ゾーンとしての島嶼』 彩流社,444p. ISBN-10: *** ISBN-13: **** \*** [amazon]

■内容



■目次


序章 コンタクト・ゾーンとしての戦後沖縄 山里勝己

第一部 人の移動と言語
第一章 琉球クレオロイドの性格 かりまたしげひさ
第二章 移民とハワイ・クレオール アイリーン・H・タムラ/吉本靖訳
第三章 オラ・カ・レオ ナオミ・ロシュ/石原昌英訳
第四章 琉球諸語を巡る言語政策 石原昌英
人の移動と言語――まとめ 宮良信詳

第二部 人の移動とアイデンティティ
第五章 踊りと音楽にみる移民と先住民たちの文化交渉の動き 城田愛
第六章 二一世紀におけるハワイの人々のアイデンティティを支える共通の絆 デニス・M・オガワ/山口いずみ訳
第七章 二一世紀のグローバル社会における沖縄アイデンティティ ウェスリー・巌・ウエウンテン/崎原千尋訳
第八章 調査からみた沖縄の若者のアイデンティティ 林泉忠
人の移動とアイデンティティ――まとめ 金城宏幸

第三部 人の移動と環境
第九章 コンタクト・ゾーンとしての保護地域 ジョン・キュジック/山城新訳
第一〇章 明治期沖縄における人の移動と未開墾地の開拓 仲地宗俊
第一一章 USCAR厚生局文書に記録された「比謝川汚染」と「石川ビーチ汚染」 山城新
第一二章 台湾人の八重山移住 石堂徳一
人の移動と環境――まとめ 榎戸敬介

第四部 人の移動とジェンダー
第一三章 米国占領下の沖縄におけるジェンダー・ポリティクス 小碇美鈴/喜納育江訳
第一四章 戦後沖縄の公的コンタクト・ゾーンにおける女性の主体性 喜納育江
第一五章 タフな物語 タイ・P・カウィカ・テンガン/喜納育江訳
第一六章 アメラジアンはチャンプルーの構成要素になっているか? 野入直美
人の移動とジェンダー――まとめ 本浜秀彦

第五部 留学
第一七章 留学における「人の移動」と「地の越境」 前田舟子
第一八章 占領下沖縄における米国留学 前原絹子
第一九章 近世琉球の医師養成に関する詩論 勝連晶子
留学――まとめ 波平勇夫
留学――まとめ 高良倉吉

あとがき 石原昌英


■引用


■序章 コンタクト・ゾーンとしての戦後沖縄 山里勝己

「この用語[コンタクト・ゾーン]は「異なる文化が遭遇し、衝突し、格闘する社会空間」を意味し(Pratt, p.4)、さらに「地理的、歴史的に離れていた人々が接触し、強制、極端な不平等、解決し難い葛藤を含んで継続される関係性が構築される植民地的空間」を意味する概念として使用される(Pratt, p.6)。」(15)

「プラットは、このような空間では、単に支配と被支配の関係ではなく、遭遇することで派生する影響関係の中で主体が形成されると指摘する。これは、支配される側の主体性、その能動的な文化形成のありようを重視する視点である。[…]これは、文化接触による影響関係は双方向性を有するものであるとする考え方と言ってよいだろう(Pratt, p.6)。」(15)

「したがって、異なる文化が接触するさいには、支配・被支配だけの単純な二項対立の構造はあり得ない。日常生活のレベルでは、われわれは絶え間ない文化の混淆と葛藤、融合と分離を体験し、それにともなうアイデンティティの揺れを生きているのである。」(16)

「「接触」という言葉は誤解を生みやすい。[…]「文化」に傾斜した分析を行なうこと自体が、軍事基地の存在を隠蔽し、政治的な葛藤に満ちた戦後空間を覆い隠す役目を果たしていると主張することも可能であろう。」(18)

「今日のアジア、アフリカ、太平洋地域、そしてカリブ海文化圏に見られるような文化の混淆や混乱は、その多くは文化の強制された「出会い」から生み出されてきたものである。これは破壊的な行為をともなう「出会い」でもあるが、同時に一方ではこれが創造的なプロセスをともなうものであったことも否定できない。文化は果てしなく自己創造と変容をくりかえしていくものなのである。」(18)

「戦後沖縄において、古典的な「コンタクト・ゾーンに見るような、あからさまな「帝国のまなざし」を有する文化の支配があったかと言えば、これについては、いまだ結論をみていないと言うのが妥当なところであろう。」(19)

「つまり、戦後沖縄の27年間において、植民地的文化遭遇があたか、と問われれば、ただちにそうだと答えることも可能であるし、あるいはそうだと断定的に答えることはおそらく簡単なことではないかも知れない。あるいは、植民地的なありようについて、さまざまな事例を挙げることもできるだろう。[…]この27年間において、あらゆる領域に植民地的支配・被支配の関係が浸透し、社会や個人を呪縛していたと断言することも容易なことではない。これは、いまだに明確な結論が得られていない重要な論点であり、さまざまな領域の研究者が共同で議論すべき主要な課題の一つだと言うべきであろう。」(20)

「アメリカとの文化接触の研究において、支配・被支配の関係だけを想定し、強制される関係性だけに焦点を絞ることは、ある意味では、かえって複雑な文化接触のプロセスと人間のリアリスティックな生の衝動、あるいは沖縄人の主体形成のプロセスを隠蔽することになりかねない。
 戦後沖縄における「文化変容」とはいかなるものであったか。沖縄の人間は何を選択し、何を拒否したのか。その結果、どのような文化が新たに創造されたのか。」(21)

「戦後沖縄の「コンタクト・ゾーン」では、米軍基地を囲む金網、いわゆる「フェンス」は一種の国境であり、そこから「アメリカ」文化がすり抜けてやってきた。」(23)

「アメリカは1945年以降において、自国におけるマイノリティの公民権運動と沖縄における「復帰運動」に見るように、本国とその軍事統治下にある沖縄で同様のベクトルを有する激しい政治運動を抱えこむことになったのである。沖縄の「祖国復帰」運動は、「祖国」を求めたが故にそのナショナリスティックな側面が強調され批判されることもあるが、しかし、文化接触という視点から見れば、それは現代の「コンタクト・ゾーン」における抑圧に対して基本的人権を要求していくという、トランスナショナルな普遍性を有する運動であったと考えることもできるはずである。つまり、沖縄という「コンタクト・ゾーン」における政治運動が、1950年代から60年代にかけての、かつての帝国の支配のもとに形成された「コンタクト・ゾーン」からの解放を果たそうとする国際的な脱植民地化運動と強く共振するものであったことを忘れてはならない。単純に「祖国」を求めてあのような激しい政治のエネルギーが噴出したのではなく、あの運動は「強制、極端な不平等、解決し難い葛藤」がむき出しになった、「戦後沖縄のコンタクト・ゾーン」に対する沖縄人の抵抗であったと考えたほうが納得しやすい。[…]われわれはこのような舞台の「環太平洋」という一幕におけるごくマイナーな通行人の役割を演じているだけなのかもしれない。」(24−25)
●環太平洋に広がる「コンタクト・ゾーン」の共振。脱植民地化の波。

「本書は、沖縄や太平洋島嶼地域の繋がりやそれぞれの特異性、そしてアメリカとの文化接触の中で出現した「コンタクト・ゾーン」での文化生成のありようを明らかにすることを、その基本的な目的とする。」(27)

●コザ=コンタクト・ゾーンの音楽文化、民謡文化の形成: 基地の存在、復帰運動の存在、基地に依存する人々の存在、沖縄戦経験者、やってくるヤマトンチュ、沖縄でなく日本に向けて音を出すという関係性


■書評・紹介

■言及



*作成:大野 光明
UP: 20120410
沖縄 社会運動/社会運動史  ◇「マイノリティ関連文献・資料」(主に関西) 身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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