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『治りませんように――べてるの家のいま』

斉藤 道雄 20100219 みすず書房,264p.

last update: 20110822

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■斉藤 道雄 20100219 『治りませんように――べてるの家のいま』,みすず書房,264p. ISBN-10: 4622075261 ISBN-13: 978-4622075264 \2100 [amazon][kinokuniya] ※ m beteru

■内容

精神障害を抱える自分を受け入れる生を選びとった時、見えてくる確かなもの――
ユニークな治療が注目を集める〈べてるの家〉からのメッセージ。
精神障害やアルコール依存などを抱える人びとが、北海道浦河の地に共同住居と作業所〈べてるの家〉を営んで30年。
べてるの家のベースにあるのは「苦労を取りもどす」こと
――保護され代弁される存在としてしか生きることを許されなかった患者としての生を抜けだして、
一人ひとりの悩みを、自らの抱える生きづらさを、苦労を語ることばを取りもどしていくこと。
べてるの家を世に知らしめるきっかけとなった『悩む力』から8年。浦河の仲間のなかに身をおき、数かぎりなく重ねられてきた問いかけと答えの中から生まれたドキュメント。

■目次

死神さん
べてるの家
浦河弁
なつひさお
救急通い
遭難者
あきらめる
立ち往生
新しい薬
幻聴とのダンス
生きる糧
青年の死
べてるの葬儀
その人を語る
爆発系
ピア・サポート
撤退
当事者研究
アイメッセージ
収穫の秋
病気への依存
人間アレルギー
治さない
日だまり
苦労の哲学
しあわせにならない
あとがき

■引用


そして自己病名。これは自分の病名を自分で診断し、好き勝手な名前をつけてしまうという流儀のことだ。…いささかふまじめともとれる遊びの感覚は、精神病を外在化させるとともに、自分は病気であっても狭い治療の枠組みに閉じ込められはしないという、ささやかな気概ともなっている。すなわち精神医学という枠組みが自分にどういうラベルをはろうが、自分は自分の生きづらさを生きるしかなく、医学の指示のもとに、その支持に従うだけの生き方をすることはdけいないという思いがこめられている。p.21

「爆発って、どうして起きるんだろうね。どうすればそうなる自分を助けることができるんだろうか。これはすごく貴重なテーマだから、河崎君、ひとつ自分の爆発の研究をしてみないか」爆発を非難するのではない。やめろというのでもない。爆発の元にはなにがあるのか、なぜ爆発してしまうのか、「考えよう」とか「反省しよう」というのでもない。「研究しよう」というのだ。そのことばに、ピクッと反応があった。「研究かあ、うん、俺、やってみる」泥沼のなかに降りてきた、一筋の糸。…たんに語り合うのではなく、それがいったいなんなのか、なぜ起きるのか、メカニズムに迫ろうと「研究する」アプローチの斬新さが、参加者の興味をかきたててゆく。p.109

焦燥をふくんだ行き詰まり感のなかで、部屋の隅から別なことばが飛び出してくる。よどんでいたやりとりの渦を、すっと別な渦へ移し変えるかのように、そのひとことをつぶやいたのは清水里香さんだった。
「あのー、病気のことばっか考えてんの、いやです。」
…それを聞いたミーティングの場にいるだれもが、聞いた瞬間、奇妙な安堵と不安をかきたてられたのではないだろうか。ことばのなかには、それまでの議論の核心をつきながら、当事者研究そのものを突き崩すかのような率直さと鋭さとがあった。…安堵とは、もういやですということばへの共感だった。不安とは、わかるけれどその奥にあるものはなんなのか、そこにたどりつくことができないというもどかしさからきている。p.179
私の脳裏にはこのときの清水さんの「いやです」というひとことが、そしてそのひとことがつぶやかれたときの状況が、忘れがたく刻みこまれている。一見穏やかではあったが、それは当事者研究の場にひとつの深い亀裂をもたらしていた。いくら研究しても、いくら考えても、いくら語っても、この病気はなくならない。それはなぜなのかと。この重苦しさはいったいなんなのか。なぜそれを私が引き受けていなければならないのか。終わることのないその問いかけに、向谷地さんは答えようとはしなかった。そもそも答えがあるはずもない。それは当事者本人に返ってゆく問いかけなのだ。答えのない問いは、閉じられることのない問いとして、いつまでも本人に返ってゆく。また返してゆかねばならない。それは本人から奪うことができない問いかけなのだ。…当事者研究といい、みんなのなかで自分を語ることといい、かつまた語られたことをみんなで語りあうことといいながら、その根源にあるなぜという問題、なぜこの私がという重苦しさはけっしてそこで解消されることがない。当事者研究の場に走る亀裂とはこのことだ。しかしその亀裂こそが、当事者研究の声明を生み出し、持続させ、再生を促している。p.181

「自分自身」と「ともに」は、複雑にゆれ動きながら相互に侵犯しあう。しかしそこにはつねに、厳然たる境界が引かれている。当事者研究とはこの境界を確認する作業でもあり、つきつめる作業でもあり、かつまたあいまいにされた境界を確立する作業でもあるといえる。考えるの、いやですというkとばを、無責任になりたいという気分を、自分自身と切り離すことができないとわかりながら、なおかつ他者に渡したいと呼びかけること、そして他者はそのことばを、気分を、わがものとして分かちあいながら、ついには当の本人に返してゆくということ、それが「自分自身で、ともに」ということであり、当事者研究の基本的なしくみなのである。p.182

■書評・紹介


■言及




*作成:山口 真紀
UP: 20110505 REV:20110822
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