『傷を愛せるか』
宮地 尚子 20100120 大月書店,173p.
last update:20110625
■宮地 尚子 20100120 『傷を愛せるか』,大月書店,173p. ISBN-10:4272420127 ISBN-13:978-4272420124 \1680 [amazon]/[kinokuniya] m ptsd
■内容
心は震えつづける。それでも、人は生きていく。旅先で、臨床現場で、心の波打ち際にたたずむ。トラウマと向き合う精神科医のエッセイ集。
■目次
T. 内なる海、内なる空
なにもできなくても
○(エン)=縁なるもの
モレノの教会
水の中
内なる海
泡盛の瓶
だれかが自分のために祈ってくれるということ
予言・約束・夢
U.クロスする感性
開くこと、閉じること
競争と幸せ
ブルーオーシャンと寒村の海
冬の受難と楽しみ
宿命論と因果論
ホスピタリティと感情労働
右も左もわかたない人たち
弱さを抱えたままの強さ
女らしさと男らしさ
動物と人間
見えるものと見えないもの
捨てるものと残すもの
ソウル・ファミリー、魂の家族
人生の軌跡
V.傷のある風景
傷を愛せるか
あとがき
■引用
宿命論者は「あなたの未来は決まっている。もし爆弾で死ぬと決まっていれば、防御策をとっても死ぬ。死なないと決まっているなら、防御策をとらなくても死なない」という。それにたいして、因果論者は「防御策をとれば死なず、とらなければ死ぬ」という。宿命論と因果論の対立はじつは擬似的なものだ、というふうに彼の議論はつづくのだが、難解なのでわたしに要約する力はない。ただ、宿命論と因果論はたしかにどちらも、トラウマをあつかう場面や、広く医療現場全般において、よく使われていることに気づく。事故や重病に見舞われることに理由はあり、同時に理由はない。回復するかどうかは努力次第であり、また運次第でもある。過去を受 p.84
け入れ、同時に未来への希望をつむぎつづけるには、おそらくほどほどの無力感=宿命論と、ほどほどの万能感=因果論を抱え込むことが必要なのだ。両方を共存させ、納得しやすいほう、生きていくのが楽になるほうを、そのときどきで都合よく使い分けることが重要なのだ。 p.85
「ポスト・トラウマティック・グロース(外傷後成長)」という言葉がある。心に傷を負ったあとの人間としての成長という意味である。(…)けれども研究の俎上にのったとたん、その概念は測定や評価可能な「因子」となってしまう。「外傷後成長」の定義が決められ、「成長」の指標となる項目が選ばれ、「外傷後成長」度を測る質問票が作成される。質問票には「信頼性」や「妥当性」が求められるので、傷を負った人たちの協力を得て、くりかえし測定が行われる。そして「病前正性格」やPTSD(心的外傷後ストレス障害)症状の重さ、抑うつ度や社会的活動度などとの比較がなされ、相関関係が調べられる。p.161
(…)同じようなことが「レジリエンス」という言葉にもいえる。「レジリエンス」とは、傷への抵抗力、回復力、復元力といった意味で、最近トラウマ研究でも注目されている。人間が傷をただ受けるだけの存在ではなく、打ち勝つ力をもつ能動的な存在であるという捉え方や、その自然回復力に目を向けるのは大切なことである。ただこれも研究が進むにつれ、たとえばその個人差があきらかになっていくれば、「トラウマを負ったあと、なかなか回復しないのは、その個人のレジリエンスが低いからだ」といった自己責任・被害者非難の論調に簡単に転化しかねない。p.162
『包帯クラブ』は、そんなわたしを原点に戻してくれた気がした。
「……名前がつけられたんだよ、<傷>だって。傷を受けたら、痛いしさ、だれでもへこむの、当たり前だよ。でも、傷だからさ、手当てをしたら、いつか治っていくんじゃない」とタンシオは言う。そんな単純なモデルで精神医療をやられたら困るよ、と専門家たちから批判を受けそうだ。たしかに「傷だから、手当てをしたら、いつか治っていく」というのはかならずしも事実ではない。ではどうだろう。ディノが昔負った深い傷に対して p.163
「何にもならないのはわかるよ。何にもならないことの証としてでも巻いていこうよ」
という、ワラの言葉は。(…)包帯クラブの活動で、なぜだめなのか。そもそも精神医療やトラウマ治療は、包帯クラブのレベルのケアをきちんと提供できているのだろうか。
傷として名づけること。手当てされた風景を残すこと。それでも「何にもならないこと」もあるという事実を認め、その「証」を残すこと。
包帯クラブの迷いや悩みは、そのままトラウマ治療の迷いや悩みでもある。傷の深さや、真実のあかりか、倫理的判断のむずかしさ。治療者側が感じる無力感や罪悪感。包帯クラブのメンバーに出せなかった答えは、トラウマ治療の専門家にも出せない。けれど専門家だからこそ、無理やり線を引き、答えを出そうとして、よけいに相手の傷を深めてしまったり、無視してしまったりしていないだろうか。専門家だからこそ、自分たちが迷い、悩んでいることを、そして自分たちも傷ついていることを隠そうとしていないだろうか。p.164
■書評・紹介
■言及
*作成:山口 真紀