『ぼくらはそれでも肉を食う――人と動物の奇妙な関係』
Herzog, Harold 2010 Some We Love, Some We Have, Some We Eat: Why It's So Hard to Think Straight About Animals, Harper-Cpllons=20110615 山形 浩生・守岡 桜・森本 正史 訳,柏書房,366p.
last update:20211213
■Herzog, Harold 2010 Some We Love, Some We Have, Some We Eat: Why It's So Hard to Think Straight About Animals, Harper-Cpllons=20110615 山形 浩生・守岡 桜・森本 正史 訳,『ぼくらはそれでも肉を食う――人と動物の奇妙な関係』,柏書房,366p. ISBN-10:4760139621 ISBN-13:978-4760139620 2400+ [amazon]/[kinokuniya] ※
*Harold A. Herzog Jr. (ハロルド ハーツォグ)
■紹介
内容(「BOOK」データベースより)
イルカ殺しはかわいそう、でも、焼肉もマグロ丼も大好き。この矛盾、いったいどうしたらいい?人間のある重要な側面についての、魅力的で、思慮に富む、痛快な探求の書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ハーツォグ,ハロルド
ウェスタンカロライナ大学心理学科教授。新しい学問分野である「人類動物学(Anthrozoology)」の第一人者。人間が他の生物種と交流を図るときの心理のあり方について、20年以上研究を続けてきた。とりわけ、動物との関係をめぐって現実世界で起こる倫理的なジレンマについて、人びとはどのように考え、行動するのかに注目している。『ニューズウィーク』『USAトゥディ』『ワシントン・ポスト』などメディアへの寄稿多数
山形/浩生
1964年生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程修了。マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。米国の小説家ウィリアム・バロウズの紹介者として、数多くの翻訳を手がけてきた
守岡/桜
翻訳家
森本/正史
1967年生まれ。翻訳業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■引用
「わたしは、彼女たちほど確信が持てなかった。娘たちと同じょうに、わたしだって、エリオットがエイリアンたちの動物コロニーにひとりぼっちで座り、人間よりずっと知的なゾーク星人たちを救うもしれない試験薬を注射されている光景は、(考えただけでも)ゾッとする。でも動物研究者としのわたしは、娘たちのあずかり知らぬ問題を抱えていた。自分の研究も含めて、動物実験を行っていいという根拠は、結局のところ、脳の大きな生物が自分らより知的能力の低い生きものを使って研る権利がある、という前提にもとづいていることに、『E.T.』を観て気づかされたのだった。ゆえに、E.T.はエリオットをゾークに連れ去る十分な権利がある。
そういうE.T.のジレンマとはちょっと違うけれど、哲学者たちも、それと似たようなテーマを突きつけられている。それは「境界例〔マージナル・ケース〕からの議論〔アーギュメント〕」と呼ばれる。わたしたちが研究で動物を使うのは、人間以外の生物種が、人間の持ついくつかの能力――たとえば、複雑な感情とか、抽象的な思考とか、言語学習能力とかいうたもの――を持っていないという想定にもとづいている。
では、そういう特性を持たない人間の場合はどうだろう。毎年何千人もの子どもが、重い知的障がいを持って生まれてくる。その子たちは、永久に言葉をロにすることもなければ、ハツカネズミの道徳的地位について考えることもできない。一部の人間の知的能力は平均的なチンパンジーにすら劣り、一部の人間はハツカネズミほどの知的能力さえ持たないというのは、不幸なことだけれども事実としてあるのだ。(人間と動物をふるい分ける)道徳的なハードルを、人間以外のあらゆる動物を排除す△278 るほど高く設定し、同時にあらゆる人間をカバーするほど低くして、しかもそのハードルは道徳的に見てふさわしい特性にもとづいている――つまり痛みを感じる能力があるかどうかはハードルになりうるけれど、二足歩行ができるかどうかはハードルにならない――という方法は、わたしにはまったく思いつかない。」(Herzog[2010=2011:278-279])
■言及
◆立岩 真也 2022/12/20 『人命の特別を言わず/言う』,筑摩書房
第2章☆01 生物や生態系について、環境について、生物多様性が大切であること、その根拠について、等、書かれたものは様々あるが、それらはとてもたくさんあだろう。『私的所有論』第4章註6で環境倫理学、その議論における人間中心主義についての議論を紹介している(立岩[1997→2013a:284-287])。それからとくに大きな進展があったようには思えない。研究所のサイト(http://www.arsvi.com/)「内」を「生物多様性」で検索すると、『生物多様性という名の革命』(Takacs,David[1996=2006])、『生物多様性――「私」から考える進化・遺伝・生態系』(本川達雄[2015])、『SDGsとESG時代の生物多様性・自然資本経営』(藤田香[2017])、『〈正義〉の生物学――トキやパンダを絶滅から守るべきか』(山田俊弘[2020])といった本が出てくる。
そして(おもには人による動物・人の)殺生に関わる本を序の註04(21頁)に並べた。肉食の世界に対してものを言おうということでわざわざ本を書いたりするのだから、当然のことではあるが、これらの中で「倫理的ベジタリアン」を批判する立場をはっきりさせているのは『肉食の哲学』(Lestel[2011=2020])ぐらいのものだ。そこでこれから幾度か引用はするが、私の理解・主張との違いもまたある。引用するのはむしろそのことを示すためである。
他にやはり少なくはあるが、『ぼくらはそれでも肉を食う――人と動物の奇妙な関係』(Herzog[2010=2010])といった、人の動物・肉食に対する態度・行動はいろいろであって、一貫した立場をとろうなどどするとかえっておかしなことになるのだ、まずはその様々を記述してみせよう、といった姿勢で書かれている本もある。それはまずはまっとうな態度であると思う。ただ、そのうえで、本書はそれとも異なるように言おうとする。なお、それにしても、動物だの家畜だのといった主題・領域・業界には、いろいろと人が知らない様々の知識が開陳される、分厚い本が多いと感じる。「連中は肉を食べているからこんな厚い本が書けるんだ」といったことを言う人がかつてはいた。
*頁作成:立岩 真也