『ケアと共同性の人類学――北海道浦河赤十字病院精神科から地域へ』
浮ケ谷幸代 20090520 生活書院,379p.
■浮ケ谷幸代 20090520 『ケアと共同性の人類学――北海道浦河赤十字病院精神科から地域へ』,生活書院,379p. ISBN-10: 4903690377 ISBN-13: 978-4903690377 3570 [amazon]/[kinokuniya] ※
■広告
※以下、http://www.seikatsushoin.com/bk/9784903690377.htmlを参照。
人と人との根源的なかかわり合いの態度を基底に置きながら、精神障害をもつ人へのかかわりとしての看護師の実践を、また地域で生活する住民の付き合いの技法を、具体的な「ケア」の現れをめぐって考察する。精神科病棟の日常的な看護実践と地域住民の日常的な生活の営みの中から、精神障害者をとりまく「できごと」を紹介し、それ自体が人と人との関係の基盤となる共同性として見えてくることを解き明かす。
■目次
はじめに
序章 ケアと共同性の人類学的接近のために
1 ケアと共同性についての人類学的な視座
(1)ケアの根源的な意味
(2)実践コミュニティとケア
(3)ケアと「身体化された空間」
2 いかに描くか、何のために書くか
第一部 浦河精神保健福祉の取り組みと〈浦河べてるの家〉
第1章 精神保健福祉におけるモデルを超えて
1 日本の精神科医療の中の浦河赤十字病院精神科の概史
2 モデルを超える取り組み
第2章 浦河町と〈浦河べてるの家〉
1 浦河町の概要
2 〈浦河べてるの家〉の概要
(1)社会福祉法人〈浦河べてるの家〉とその沿革
(2)〈浦河べてるの家〉の理念
第二部 「顔の見える看護」 ――浦河赤十字病院精神科病棟を中心に
第3章 病棟の民族誌に向けて ――「ごく普通の人と人との関係」を基底として
1 理論的枠組み
(1)看護の社会構築性
(2)専門職役割関係と「ごく普通の人と人との関係」
2 フィールドの状況
(1)看護部の組織と取り組み
(2)7病棟の看護システムと日常活動
第4章 精神科看護はいかに構成されるか ――「看護師になる」ということ
1 七病棟に配属されるとき
2 精神科看護はいかに構成されるか ――「書くこと」「話すこと」
(1)「書くこと」 ――看護記録をつける
(2)「話すこと」 ――申し送りをする
3 看護の「まなざし」はいかに構成されるか ――「見ること」
(1)患者の「何を」知っているのか
(2)一番知っているのは「だれ」か
(3)「知っている」とはどのような意味か
第5章 精神科看護はいかに生成されるか――「患者のための看護」の技法
1 「わからない」ことからの出発
2 「患者のための看護」の技法
(1)「服薬拒否」をめぐって
(2)「外出・退院許可」をめぐって
(3)「保護室」という空間
(4)「暴力行為」をめぐって3 患者から教えられたこと
(1)幻聴の世界を知る
(2)「自分と同じ普通の人」
(3)自分とは何かを考える
第6章 「場」から生成されるケア
1 「語り合いの場」から生まれる協働的実践
(1)「話しやすい空間」としての詰所
(2)外来と詰所を結ぶ医師との交渉の場
(3)助手の声を引き出す場
2 「顔の見える看護」
(1)「時間と場所」の共有
(2)看護の固有性が生きる場
(3)チームの看護力 ――ドラマ「アカオニ退治」
第7章 ケアをめぐる専門性
1 専門性の社会的構築性
2 「患者のための看護」の技法
3 専門性への志向の行方 ――POSと「顔の見える看護」
4 「身体化された空間」とケア
5 「七病棟流」看護とは
第三部 「巻き込む/巻き込まれる」という〈つながり〉 ――病棟から地域へ
第8章 「応援している」という実践
1 「応援する」ことを「応援する」
(1)助けられるピアサポーター
(2)連鎖するサポート
(3)ピアサポーターをサポートする
(4)即興のピアサポートを演出する
2 看護師が自分を「応援する」
(1)「ニガテ意識」からの出発
(2)地域施設とのPST
3 「応援されている」退院
4 専門職連携の中の「応援している」という実践
5 「応援している」という互酬的な関係
(1)「応援している」ということばの多義的な意味
(2)互酬的な関係としての〈つながり〉
第9章 「商売」をめぐる〈べてる〉との付き合いの技法
1 差異ある共同性へのアプローチ
(1)「共生社会」を超えて
(2)理論的枠組み ――複数の差異と多義的な関係
2 「われわれ」住民と「他者」としての〈べてる〉
3 「商売なら問題ない」という文脈
(1)「商売仲間」と「将来の共同事業者」
(2)「消費者とお客さん」
(3)「町に客を呼び込む人たち」
(4)「商売」をめぐる緩やかな三者関係
4 〈べてる〉との付き合いの技法
(1)「〈べてる〉から町に入ってくるのがスジ」
(2)見慣れた風景
(3)「べてる流」というイディオム
(4)自己の中の他者
5 差異と「適度な距離」
終章 ケアという共同性
おわりに ――〈地続き〉の人類学に向けて
参考文献
あとがき
■引用
序章 ケアと共同性の人類学的接近のために
2 いかに描くか、何のために書くか
「調査の希望を伝えたとき、川村医師は「〈べてる〉では精神科医やソーシャルワーカーの話は紹介されても、看護師についてはほとんど紹介されていない。人は光を当てられることで活動が刷新される。是非、七病棟について調査して欲しい」と述べている。このとき、調査の便宜を図ってくれることを約束してくれた。」(浮ケ谷[2009:33])
第1章 精神保健福祉におけるモデルを超えて
「精神科病棟数の増加に影響を与えたのは、医事評論家の川上武によれば、一つは戦後の抗生物質や環<0055<境改善による結核患者の減少に伴う結核病床の減少であったという(川上編著[2002:410-412])[…]
二つ目は[…]病院経営にとって利益が得られたことであるという。[…]
また、三つ目に向精神薬の導入により患者が扱いやすくなったと考える一部の病院経営者の存在を指摘する。この経営者の解釈は、薬物療法の進歩によって地域で暮らすことを可能にしたと解釈し、精神保健の地域移行を実践していた海外の状況とは真逆のものである。[…]
一方、欧米では第二次大戦以降、精神病者の脱施設化とともに病院病床数の削減の動向が徐々に始まっていた。なかでも、一九六〇年代から一九七〇年代にかけて興隆した反精神医学の運動にその特徴をみることができる。イギリスを始めとしてイタリア(1)、カナダ、アメリカ、フランスなど、理念や政策に違いがあるものの、ほとんどの欧米諸国が精神病院の縮減化と解体に向かっていった。[…]<0057<
反精神医学の運動では、精神病という病いは資本主義社会が求める効率性や合理性、そめして結果的にもたらされる人間疎外といった社会的価値観によって生み出されたもの位置づけられていた。こうした反疾病論では、精神病は社会的に構築されたものであることを強調し、既存の社会からの逸脱を精神病理化するこどう批判するイデオロギーを内在していた(2)。
ところが、欧米諸国が脱施設化を目指し、精神保健の地域移行う進めているほぼ同時期に、先に述べたように、日本では民間精神病院の急増に伴って増床が進んでいった。」(浮ケ谷[2009:55-58])
*川上 武 編 20020325 『戦後日本病人史』,農村漁村文化協会,804+13p. ASIN: 4540001698 12000 [amazon] ※ h01.
cf.反精神医学
■書評・紹介・言及
◆立岩 真也 2009 「書評:浮ケ谷幸代『ケアと共同性の人類学――北海道浦河赤十字病院精神科から地域へ』」