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『概念分析の社会学――社会的経験と人間の科学』

酒井 泰斗・浦野 茂・前田 泰樹・中村 和生 編 20090425 ナカニシヤ出版,274+xip.

last update: 20110623

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■酒井 泰斗・浦野 茂・前田 泰樹・中村 和生 編 20090425 『概念分析の社会学――社会的経験と人間の科学』,ナカニシヤ出版,274+xip. ISBN-10: 4779503140 ISBN-13: 978-4779503146 \2940 [amazon][kinokuniya] ※ s sm m eg s00

■内容

[外部リンク]ナカニシヤ出版HPより
t.php?cid=68&num=1&orderby=lidA&pos=14&PHPSESSID=17e2a30ba0ebd151aa2e9ba6d2bac99・"[外部リンク]http://socio-logic.jp/).
◆浦野 茂(うらの・しげる)
1967年生まれ.慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学.社会学専攻.青森大学准教授.
◆前田 泰樹(まえだ・ひろき)
1971年生まれ.一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学.博士(社会学).社会学専攻.東海大学准教授.
◆中村 和生(なかむら・かずお)
1970年生まれ.明治学院大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学.社会学専攻.明治学院大学他非常勤講師.

■目次

はじめに(浦野茂) i-vi

ナビゲーション〈1〉(前田泰樹) 3-9
 ループ効果 3-4
 概念分析 4-6
 実践の記述 6-8
 引用参照文献 8-9
 読書案内 9

第1章 類型から集団へ――人種をめぐる社会と科学(浦野茂) 10-40
 1 問題としての人種の概念 10-12
 2 ある論争から 12-17
 3 『人種に関する声明』 17-20
 4 集団 20-23
 5 人種概念の二重性 23-26
 6 人種はどのような意味で生物学的実在か 26-31
 7 人種をめぐる社会と科学 31-33
 註 33-37
 引用参照文献 37-39
 読書案内 40

第2章 遺伝学的知識と病いの語り――メンバーシップ・カテゴリー化の実践(前田泰樹)41-69
 1 はじめに 41-42
 2 遺伝学的知識とリスク 43-46
 3 「ごくまれな」と「私たちすべてにとって」 46-50
 4 「私たちすべてにとって」 50-52
 5 「ごくまれな単一遺伝性疾患」 53-61
 6 結びにかえて 61-62
 註 62-66
 引用参照文献 66-68
 読書案内 69

ナビゲーション〈2〉(酒井泰斗) 70-73
 再び,ループ効果について 70
 第2章(遺伝)と第1章(人種)を手がかりに 70-71
 ループ効果の諸側面 71-72
 引用参照文献 72
 読書案内 73

第3章 医療者の〈専門性〉と患者の〈経験〉(安藤太郎) 74-98
 1 はじめに74-77
 2 反精神医学運動とその限界 77-79
 3 ナラティブ・セラピーと「逆立ちした専門性」 79-82
 4 ナラティブ・ベイスド・メディスンと「シャトル外交」 82-84
 5 検討の対象 84-86
 6 〈経験〉の語り 86-90
 7 医師の管轄領域の線引き 90-95
 8 むすびに 95-96
 引用参照文献 96-97
 読書案内 98

第4章 触法精神障害者の「責任」と「裁判を受ける権利」――裁判と処罰を望むのはだれなのか喜多加実代) 99-129
 1 精神障害と犯罪をめぐる争点 99-103
 2 責任追求や裁判の要求とループ効果 103-105
 3 責任追求と裁判の要求と観察法――どのような「変更」が主張なのか 105-109
 4 「当事者」の分類――「人々の分類」の文脈依存性 109-113
 5 触法精神障害者による責任追求と裁判の要求 114-117
 6 1980年前後の責任追求と裁判をめぐる議論 117-121
 7 結びにかえて 121-122
 註 122-125
 引用参照文献 125-128
 読書案内 128-129

第5章 「被害」の経験と「自由」の概念のレリヴァンス(小宮友根) 130-162
 1 はじめに 130-132
 2 反ポルノグラフィ公民権条例 132-136
 3 「行為」か「表現」か 136-144
 4 ポルノグラフィと「女性の被害」 145-153
 5 おわりに 153-155
 註 155-160
 引用参照文献 160-161
 読書案内 161-162

第6章 化粧と差別――〈素肌〉を見る技法(上谷香陽) 163-187
 1 化粧とは何か 163-166
 2 化粧と社会 166-171
 3 現代化粧の諸相 171-175
 4 「素肌」を発見する 175-179
 5 化粧することにおける/としての「素肌」 179-182
 6 「素肌」をもつ人 182-185
 註 185-186
 引用参照文献 186-187
 読書案内 187

ナビゲーション〈3〉(中村和生) 188-195
 「ループ効果」の分節化 188-189
 「ループ」の多様性 189-192
 もう一つのループ 192-194
 引用参照文献 194
 読書案内 194-195

第7章 優生学の作動形式――永井潜の言説について(石井幸夫) 196-232
 1 はじめに 196-198
 2 花園の園丁 198-207
 3 神への道 207-215
 4 科学を遂行する 215-225
 5 おわりに 226-227
 註 227-229
 引用参照文献 229-231
 読書案内 231-232

第8章 科学社会学における「社会」概念の変遷(中村和生) 233-260
 1 はじめに 233-235
 2 〈制度としての科学〉と〈科学の内容の社会性〉 235-239
 3 サイエンス・ウォーズ 239-244
 4 テクノサイエンス研究――社会決定論の解体と「計算の中心」 244-253
 5 STSの政治論的転回を支える一つの軸――「科学vs.社会」 253-254
 6 結びにかえて 254-255
 註 255-257
 引用参照文献 257-259
 読書案内 259-260

おわりに(酒井泰斗)261-267
謝辞(酒井泰斗・浦野茂・前田泰樹・中村和生) 268-269
人名索引 270-272
事項索引 272-274

■引用

◆第3章 医療者の〈専門性〉と患者の〈経験〉(安藤太郎) 74-98
 「2 反精神医学運動とその限界 77-79

 2-1 R.D.レインによる精神医学批判医師の〈専門性〉と患者の〈経験〉を二元論として立てる見方のうち,最生翼に位置するのは,〈専門性〉が〈経験〉を抑圧していると主張し,〈経験〉によって〈専門性〉を解体していくというものであろう。その一例は, 1960年代にイギリスで反精神医学運動の中心を担ったR. D.レインの主張である。  たとえばレインは,近代精神医学の基礎を築いた一人であるE.クレーぺリンの講義を取り上げて批判している。クレーぺリンは,緊張病性の興奮を示す患者を連れてきて質問をした。今どこにいるのか,という問いに対して,の患者は「あなたはそれを知りたいの。だれが判定されるか,判定されることになっているか。わかっている。みんな知っている。お話しできる。でもそうしたくない」と答えたという。クレーぺリンは,これを緊張性興奮の〈徴候〉とみなし,この返答に〈有益な情報〉はないとしている。それに対して,レインは次のように主張する。

この談話の意味は大へん明瞭に思える。たぶん彼は学生講義室に連れ出されれてのこのような尋問形式にひどく憤慨しているのであろう。彼は自分にひひどく苦痛を与えている事態に対しておそらくどのように対処したらよいのかわからないのであろう。(Laing 1960 = 1971 : 34)

 精神医学は,患者を有機体としてみることで,他者との関係を切り離している。すなわち,患者の反応は,クレーぺリンが患者に強いた状況に対するものであるとも考えられるのに,クレーぺリンは反応だけを分離して,それを疾患の〈徴候〉と見なしているのである。これに対してレインは,ある人<0077<間がどのように世界を経験し,その世界のなかでどのような自己であるのかを記述することを提案している。彼はそれを実存的現象学と呼んでいる。
 レインは,精神医学的な見方と実存的な現象学の見方を,ルビンの盃のたとえで説明している。ルビンの盃は,ある見方からすれば盃に見えるが,別な見方からすれば向き合った人間の顔にみえる。同様に,人間を有機体とする見方からすれば,患者の反応は疾患の〈徴候〉とみえるのに対して,世界内存在として人間を捉えるならばそれは医師への抗議としてみえてくる。したがって,医療的な専門知識と経験との関係は,人間に対する見方の違いであって,前者が後者を抑圧するというレインの立場に立っならば,この両者は両立しない,ということになる。レインからすれは,「狂気」からの回復とは抑圧されていた〈経験〉の回復だ,ということになる。こうした主張は,〈狂気〉を医療的な概念で定義しないという意味で,〈狂気〉の脱医療化だといえる。
 レインたちの反精神医学運動は70年代にはカを失った。反精神医学運動の一時期の隆盛にもかかわらず,現在でも精神医学は医療の一分野として存在し続けている(1)。では,レインたちの主張の挫折はどのような意味をもつのであろうか。

2-2反精神医学への批判
 反精神医学の運動のなかで注目したいのは,その運動のなかにも治療者と患者という枠組みが存在したことである。それだけ,医師の〈専門性〉への要請が強い,ということである。
 精神科医の秋元波留夫は,精神科による治療や管理が必要とされるような「狂気」が,レインたちの築いた共同体(キングスレイ・ホール)にも見られたことを紹介している。たとえば,へロイン嗜癖の娘が仲間にへロインをを勧め始めたり,盗みを始めたりし,共同体が危機にさらされた。彼女は,キングスレイ・ホールがへロインの治療に適当な場所ではないという理由で退去を求められた。また,火のなかにいることを空想し,自分が燃え尽きてしまったという妄想をもっている患者が,毎晩その恐怖から他の者を起こし,実際に火を付け始めた。それは,共同生活者にとって耐え難いものになり,最終的には,患者自身から退去していった。秋元は,反精神医学による精神医学への批判を評価しつつも,「それでも分裂病は存在する」(秋元1976 : 220)<0078<と主張している。
 またムフェミニズム批評のE.ショーウォーターは,レインが女性の苦悩を描写したことを評価しつつも,反精神医学を「男性セラピストのカリスマ性と女性患者の幼児性の結合」(Showalter 1985 = 1990 : 321)とみなしている。極端な例がD.クーパーである。彼は,オーガズムを自己認識や自己表現の表わな例がD.クーパーである。彼は,オーガズムを自己認識や自己表現の表われと考え,セックスによる療法を提唱した。そして,自分がオーガズムをもてない女性を探り出せるという。実際,分裂病で,ろうのオランダ人女性マリアを家に連れて帰り,関係している。これに対して,ショーウォーターは「監視人による,精神病院の患者のレイプに匹敵する,女性への虐待というヴィクトリア朝時代の物語に戻ってきたかのようである」(Showalter 1985 =1990 : 322)と批判している。
 クーパーの事例は,ーつの論理的な可能性を示している,とも言える。すをわち,〈経験〉によって〈専門性〉を批判する。しかし,すべての〈専門性〉がなくなるわけではなく,全面的なく〈脱専門化〉が起きない。それが〈経験の専門家〉を生み出す。そのことによって,医療専門家が踏み込む権利がないとされていた領域(クーパーの場合にはオーガズム)にまで立ち入ってしまう,ということである。〈経験〉が〈専門性〉についての批判する強力な道具となるなならば,〈経験の専門家〉が専門家による別様のいっそう強力な支配を生み出すことにもなりかねない。」(安藤[2009:77-79])

「当事者」/「非当事者」の線引きをめぐる文脈依存性と戦略
(「触法精神障害者の『責任』と『裁判を受ける権利』――裁判と処罰を望むのはだれなのか」〔喜多加実代〕より)
精神障害者が当事者として責任や裁判を主張する典型的な例は〔中略〕広田〔和子〕の発言であろう.広田は,観察法が適用される可能性のある,あるいは刑法第39条が適用される可能性のある(そのように分類される)人々として自らを位置づけ,観察法に反対し裁判を求めている〔中略〕. さらに,広田は〔中略〕健常者を含む「だれも」を「当事者」に巻き込み,自分の問題として考えるように促し〔中略〕(109; 亀甲カッコ内コンテンツ作成者加筆).

しかし,精神障害者であっても,広田のように自身を観察法や刑法39条が適用される当事者として語る例ばかりではない.たとえば,以下で引用する長野英子は,精神障害者(「『精神病』者」)として発言しつつ,自身を当事者に「分類」することを慎重に避けている.それは,なにより観察法の対象者となる当事者の声の不在を指摘するためであることも理解できるだろう.
〔中略〕
長野は〔中略〕一般精神科医療の充実を望むために,触法精神障害者を別に処遇しようとする「下からの保安処分待望論」が医療者や患者家族にもあることを述べ,それは触法精神障害者を「いけにえ」にするものだと批判している(長野 2003: 135)〔中略〕.彼女の議論が示唆するのは,一般の精神障害者と触法精神障害者の利害が対立し,要求が異なる可能性があるなかでは,触法精神障害者でない精神障害者は「当事者」として語れないということである〔中略〕.
長野の指摘は具体的な事実として非常に重いものであるが,広田と長野の議論を比較することで,彼女の具体的な指摘とは逆に,だれが当事者となるのか,その「分類」自体が,議論の目的や戦略によって変わることが見えてくるだろう(109-110).

*上記で言及されている文献
長野 英子 20031225 「『心神喪失者医療観察法』廃案闘争を振り返って」,『季刊福祉労働』101: 134-139. ISSN: 03874044 ※
[外部リンク]長野英子のページで全文閲覧可.HTMLファイル)

■書評・紹介

◆ルーマン・フォーラム(酒井泰斗)内の紹介記事
・同書に言及している文献の一覧(とその箇所),ブログ上での書評へのリンク,正誤表などもあります
([外部リンク]ルーマン・フォーラムで全文閲覧可.HTMLファイル)
◆エスノメソドロジー・会話分析研究会HP内の「研究会会員の著作紹介」
[外部リンク]エスノメソドロジー・会話分析研究会HP内で全文閲覧可.HTMLファイル)

■言及

渡辺 克典 20100925 「書評 社会の歴史(ポール・ピアソン著,粕谷祐子監訳『ポリティクス・イン・タイム』勁草書房2010)」,『名古屋大学社会学会会報』11: 18-20
◆中河 伸俊 20101119 「社会学における社会構成(構築)主義――ポストモダンの波が引いた後に何が残るか」,日本科学哲学会第43回大会ワークショップV「社会構成(構築)主義の現在」予稿,於:日本大学
[外部リンク]日本科学哲学会HPで全文閲覧可.PDFファイル)


*更新:藤原 信行
UP: 20090609 REV: 20110623, 20130921, 1001
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