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『健康幻想の社会学――社会の医療化と生命権』

八木 晃介 20081010 批評社,310p.

last update: 20110401

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八木 晃介 20081010 『健康幻想の社会学――社会の医療化と生命権』,批評社,310p. ISBN-10: 4826504934 ISBN-13: 978-4826504935 \2625 [amazon][kinokuniya] ※ eg et ot s01 sm

■内容

・同書の帯より
健康とは何か?
個人の身体や精神を国家が管理する「治療国家」とは何か?
「成人病」から「生活習慣病」への名称変更や健康増進法の施行以降,健康を維持し増進することが国民的「義務」として位置づけられた.これにより病者は義務不履行の逸脱者として社会的制裁の対象になりつつある.その背後にひそむのが差別的な優生思想である.
優生思想の文脈においてこそ安楽死・尊厳死や脳死・臓器移植を「治療国家の殺意」の具現としてとらえうるのである.
医療費抑制を大義名分とする国家による,身体管理の内実を徹底的に解明した医療社会学の新展開.

■目次

序章 「治療国家の殺意」とむきあう――ひとまず「生きる」ために 9
 1. 「治療」国家の出現 9
 2. 「治療国家の殺意」 22
 3. 「逸脱者から消費者へ」の限界 34

第一章 健康至上主義と「癒し」イデオロギー――健康言説にみる健康の義務化 43
 1. はじめに 43
 2. 医原病としての「喫煙病」,そして禁煙ファシズム 45
 3. 「癒す」権力と「癒される」権力 56
 4. 「与死」もまた「癒し」の社会政策なのか 72
 5. おわりに 83

第二章 ヘルシズムの納得強制パワー――健康増進法と優生思想 87
 1. 問題の所在 87
 2. 健康増進法の問題性 91
 3. イデオロギーとしての〈健康〉 100
 4. 健康増進法と優生思想 106
 5. 結論 117

第三章 「生命の消費」としての医療――パターナリズムと自己決定権 121
 1. はじめに 121
 2. 儀式と司祭 123
 3. 神と悪魔 132
 4. パターナリズムと死の人為 148
 5. 安楽死・尊厳死と自殺 160
 6. 何もかも「病気」である(結語にかえて) 171

第四章 オソレの回収メカニズムとしての安楽死・尊厳死――医療と差別 179
 0. はじめに 179
 1. 「安楽死・尊厳死」とは何か 182
   1-1. 定義 182
   1-2. 類型 182
   1-3. 類型を具体例で検討する 184
 2. 「安楽死・尊厳死」をめぐる動向 187
   2-1. カレンさん事件 187
   2-2. 脳溢血で苦しむ父親を農薬で殺害 188
   2-3. 東海大学安楽死事件 189
   2-4. 国保京北病院筋弛緩剤投与事件 189
   2-5. 富山・射水市民病院事件 190
 3. 「違法性阻却事由」自体の問題点 190
   3-1. 「不治かつ末期」の問題点 191
   3-2. 「本人の真摯な嘱託または承認」の問題点 197
   3-3. 「真摯な嘱託または承認」=「させられる自己決定」という問題点 199
 4. 日本安楽死協会と日本尊厳死協会の思想的異同について 202
   4-1. 経過 202
   4-2. 安楽死協会と尊厳死協会との間に切断はない 204
 5. 「安楽死・尊厳死」思想は優生思想である 206
   5-1. 優生思想関連談話 206
   5-2. 積極的安楽死法の制定状況 208
   5-3. 優生思想 209
   5-4. 優生思想は「安楽死・尊厳死」「脳死・臓器移植」の基本思想である 211
 6. 「延命中止」ガイドライン批判 213
 7. おわりに 220

第五章 ウチとソトの優生主義を糺す――安楽死・尊厳死の状況的文脈 225
 1. はじめに 225
 2. 少子高齢化の経済的文脈 228
 3. 「自己責任」論と「自己決定」論の文脈 236
 4. 優生思想の文脈 247
 5. おわりに 253

第六章 自我論からみた脳死・臓器移植――〈自己・非自己・他者〉の免疫社会学 255
 1. 問題意識の所在 255
 2. 自我の社会性と主体性 257
 3. 自己決定と他者共鳴 266
 4. 自己免疫主体としての〈私〉 281
 5. 結論 291

あとがき 297
索引 310

■引用

・「禁煙運動=禁煙ファシズム」が体現する「健康至上主義(ヘルシズム)」の〈いかがわしさ〉
煙草が健康によくないこと,このことは一般論としては自明にぞくする事柄です.だが,しかし,健康によくないことなどこの世の中にはゴマンとあって,たとえば,私はこのあまりデキのよくない文章をかきつづけるために「寝食をわすれる」という不健康な数日をすごしています.しかし,かきたいために「寝食をわすれる」という不健康を選択しているのであって,もし,一週五コマの授業をこなしつつ他の本務・雑務を消化しながら,毎日,八時間以上の睡眠をとり,一日二時間ほどのウォーキングをつづけ,一食に必要な三十食材を方々かけまわってかいあつめ,三度の食事を数時間かけてたのしむ,という〔健康にとってよいことづくめの〕生活習慣を貫徹していたならば,この原稿をかけないどころか,かきたいという意欲までうしなってしまったにちがいありません.ありていにいって,この原稿を完成させることがさしあたりの私の「生き甲斐」なのであって,そうした生き甲斐をかんじるために「寝食をわすれる」というはなはだ不健康な生活を数日間「享受」している次第なのです.この原稿を完成させれば,久々に三千メートル級の登山にいどみたいのですが,もしかすると崖からの転落といった不健康どころではない生命の危機がまっているかもしれません.だが,それをしも「生き甲斐」をかんじるためのコストととらえる考え方もないわけではありません.本質的に喫煙も同類の問題でしかありえないのです(84; 亀甲カッコ内はコンテンツ作成者の加筆).

喫煙は健康によくない個人的な嗜好でしかありませんが,統制側にとっての問題は個人ではなくどこまでも「人口」なのであって,いわば「民族浄化」の対象設定の問題なのです(その意味で,「受動喫煙」問題のことあげは,,ますます喫煙者排除を合理化することになりました).いまは喫煙者が集中砲火をあびていますが,次はどこに飛び火するかしれたものではありません(84-5).

・「留保なき他者の生存の肯定」の“全否定”としての「健康至上主義(ヘルシズム)」
医療費や福祉予算の削減という統制側の意図でしかないものが,人びとの「癒し」願望を刺激し,統制側の意図への人びとの積極的服従をうみだすところに問題の本質があるのです.人びとが「癒し」をもとめるのは,さらなる自らの健康増進をねがってのことであることはわかりきっているのですが,しかし,おいもとめている健康に到達すべき実態などありえようもないことに,おおくの人びとはきづこうとはしません.その意味で,いかに癒されようとしても,最終的に癒されるなどということはありえないのであって,逆にいえば,だからこそ人びとはますます「癒し」への渇きをおぼえつづけることになるのでしょう.そこに統制側の〔生活習慣病発症・増悪にかんする〕「自業自得」論的な脅迫作用が作動すれば,なおさらのことであります.
健康であることへの無限の価値付与は,必然的に病者・高齢者・障害者への無限の価値剥奪へと連動していくはずです.それを自明視させる「優生思想」(とくに権力的強制をまたずに自発的に作用する「内なる優生思想」)にどのようにたちむかうべきか,それを考察するのが本稿の目的でありました(85; 亀甲カッコ内はコンテンツ作成者の加筆).

■書評・紹介

芹沢 俊介 20081215 「新たな優生学の苛酷さ……」,『読売ウイークリー』2008年12月14日号,**-**.
[外部リンク]こんな本があるんです,いま(出版流通対策協議会HP内ブログ)で全文閲覧可.HTMLファイル

■言及



*作成:藤原 信行
UP: 20110401 REV: 20160810
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