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『透析医療とターミナルケア』

杉澤 秀博・大平 整爾・西 三郎 20080915 日本評論社,225p


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■杉澤 秀博・大平 整爾・西 三郎 20080915 『透析医療とターミナルケア』, 日本評論社,225p ISBN-10: 4535982945  ISBN-13: 978-4535982949 \3675 [amazon][kinokuniya] ※

■内容
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
杉澤 秀博
1955年新潟県生まれ。東京大学大学院医学系研究科保健学博士課程修了(保健学博士)。東京都老人総合研究所研究員を経て、桜美林大学大学院老年学研究科教授(老年学専攻)

大平 整爾
1937年北海道生まれ。北海道大学医学部卒、同大学院修了後、カナダトロント大学生理学部研究員。帰国後、岩見沢市立総合病院外科部長、日鋼記念病院を経て、現在、医療法人社団恵水会札幌クリニック院長、北海道大学医学部客員教授。日本腎臓財団理事、(社)日本透析医会副会長

西 三郎
1927年東京都生まれ。千葉医科大学卒、千葉大学大学院医学研究科卒(医学博士)。国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)衛生行政学部長を経て、東京都立大学人文学部教授。同大定年退職後、愛知みずほ大学教授・人間科学部長、東海大学大学院健康科学研究科教授等を歴任、現在、(財)医療科学研究所理事ほか
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

◇本書編集後記より抜粋
「本書は、透析医療研究会((財)統計研究会,(社)日本透析医会,(社)全国腎臓病協議会という研究者,透析医,透析患者の三者からなる協同組織)が企画・執筆したものであり、3年前に出版した『透析者の暮らしと医療』(杉澤・西・山崎編著,日本評論社,2005)の姉妹編にあたります。『透析者のくらしと医療』が透析患者の生の問題を扱っているのに対し、本書はどちらかといえば死の問題に重きをおいております。」

■目次
序章 医師と患者の選択序章 医師と患者の選択序章 医師と患者の選択
 1 透析患者の動向と取り組むべき課題
 2 本書の視点――医療者とともに患者の目線からみる
 3 本書の構成
第1章 ターミナル期における透析の見送り・差し控え
 1 ターミナル期での透析の見送り・差し控えをなぜ取り上げるのか
 2 本章のねらいと視点――患者,家族,医師の倫理の違いと関連を明らかにする
 3 透析の差し控えや死に対する透析患者の心理
 4 医師による透析見送り・差し控えの選択
 5 年齢・性差別の可能性
 6 キーパーソンとしての家族
 7 事前指示に対する医師患者,家族の態度
 8 おわりに――若干の提言
第2章 ターミナル期の医師による決定
 1 はじめに
 2 慢性透析非導入,維持透析中止をめぐる現況
 3 透析非導入および維持透析中止の判断
 4 判断に迷うケースに対応する際のサポート体制
 5 透析の非導入・維持透析中止の経験
 6 医師の判断を支えるもの
 7知見のまとめと考察
第3章 ターミナル期における維持透析患者と医師の対立と調整
 1 はじめに
 2 日本における維持透析療法の現況
 3ターミナル期における維持透析患者と医師の対立と調整
 4おわりに
第4章 患者からみたセルフケアの意味
 1 はじめに
 2 セルフケアの定義
 3 セルフケアの実施状況
 4 セルフケアを実施できる患者とできない患者
 5 透析患者が求めるセルフケア支援とは
 6 高齢透析患者のセルフケア
 7 おわりに
第5章 医師からみたセルフケア
 1 はじめに
 2 セルフケアとは
 3 セルフケアに影響する主な医療上の因子(キーワード)
 4 セルフケアの困難例と限界
 5 まとめ
第6章 患者からみた腎移植の意味
 1 腎移植医療の現況と本章のねらい
 2 腎移植への意向――量的調査から
 3 腎移植を希望しない理由――量的調査から
 4 腎移植を志向しない患者の特徴――量的調査から
 5 腎移植を希望する・希望しない理由――透析患者,腎移植患者への量的調査から
 6 おわりに
第7章 高齢透析患者における生活の常態化のプロセス
 1 はじめに――透析患者の高齢化が直面する問題
 2 本章のねらい――生活の常態化のプロセスとは何か
 3 研究方法
 4 課題はどのようにして乗り越えられたのか――量的分析の結果
 5 高齢透析患者の生活の常態化のプロセス――分析の結果からみえてきたもの
終章 医師と患者の選択について残された課題
 1 はじめに
 2 ターミナルケア
 3 セルフケア
 4 透析を続けるか,移植か
 5 透析生活への適応(常態化)
 6 おわりに

■引用
第1章より
 「重度の認知症の場合について透析を差し控えるか否かを質問したところ、差し控えるという意見が多かったものの、一方では透析を続けるという意向をもつ人もいた。これら二つの意向は一見対立するようにみえるが、「周囲への負担」と「生きる意味」に対する認識の違いが共通してそこに関与していた。まず「周囲への負担」<0025<については、「透析でこれまでにも家族に負担をかけてきており、それ以上に認知症の場合に家族に負担をかける、さらに透析をすること自体で家族や医療スタッフにも迷惑がかかる」というように、周囲への負担を重いと認識するか否かが透析を差し控えるか否かの一つの判断基準となっていた。<0026<」

 「透析患者の間に精神医学的な問題、なかでもうつ状態が多いことについてはこれまで数多く指摘されてきた(Kimmel et al,1993)…。
 本プロジェクトの「高齢透析患者調査」のデータ解析によれば、うつ症状<0026<が重いほど「透析を中止する」という意向が強いという結果が得られている。うつの特徴には自殺傾向が含まれるが、うつ状態にある患者は透析やその生活の拘束に対して極度の心理的な重荷を感じ、死んだほうがその重荷から解放され幸せになれると思いこんでしまう傾向が強い。つまり自殺の手段として、透析患者の場合には透析の差し控えが考えられるのである(Finkelstein,1999)。」

「高齢者に対する透析の適用をめぐっては、日本では表立った論争は起きていないが、欧米では、若い人たちがより多くの医療資源を使うことができるように、高齢患者に対しては有益であっても治療中止することは合理的であり公平であるという意見が出されている。他方では、それに対し年齢は医<0035<療資源を配分する基準としては不適切で、恣意的であり、治療の決定は患者が有益か否かによるべきであるという意見もある(Hamel et al,1999)。」

第4章より
「マズロー(1987)は、人間の基本的欲求がヒエラルキーに配列されており…(中略)。この基本的欲求階層からすれば、空気・水・食物等は生物として生きていくために最低限必要な要件である生理的欲求に位置づけられることになる。透析患者のセルフケアの要となる水分・塩分制限および食事管理は、この人間の最も基本的な欲求をコントロールすることであることから、病気のためとはいえ、この欲求を抑えることがいかに難しいものであるかをまず了解しておかなければならない。
「節制と節度ある生活――これに尽きた」とはイタリア文学者であり、みずからの腎不全の体験について多くの著作で発表してきた澤井が透析の自己管理について述べた言葉であり、さらに、澤井は好ましい状態を「適度に息<0112<抜きをしながら、しかも常にもうひとりの自分が、いまある自分を見つめている状態」と表現している(澤井,2007)。」

第6章より
「そして、C氏は移植を希望しない理由を次のように語った。
「移植のことはあんまり考えていないです。何て言うんだろう、いま透析がとてもうまくいっているから、別に移植をする必要もないっていうか。登録もしていませんし。何か腎臓をもらってって、そこまでしてっていう気がするんですよね。人によって考え方は違うと思うけど、だれかの腎臓が自分のからだの中に入るって、何ていうのか、違和感があるんですよね。それに透析がうまくいっているから、ふつうに仕事もしていますし。…<0167<」
 「…それから、『つらい透析』って言う医師がいましたが、そういう人もいるかもしれないけど、みんながそうではないし。そのうえ『移植をして助けたい』って聞くと、助けてもらう? ――何か違いますよね。とにかく、透析がうまくいっているから移植のことは考えていないんです。」<0168<」

■書評・紹介

■言及



*作成:有吉 玲子 
UP: 20090609 REV:20090629
ターミナル・ケア,ホスピス…  ◇腎移植  ◇人工透析/人工腎臓/血液透析  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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