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『「私はうつ」と言いたがる人たち』

香山 リカ 20080729 PHP新書,198p.


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香山 リカ 20080729 『「私はうつ」と言いたがる人たち』,PHP新書,198p. ISBN-10:4569699537 ISBN-13:9784569699530 \700 [amazon][kinokuniya] 

■内容
――ある日の診察室
「私うつ病みたいです。休職したいので、診断書ください!」

この思い込みにまわりは迷惑、ほんとうに苦しんでいる人が泣いている。
仕事を休んでリハビリがてらに海外旅行や転職活動に励む「うつ病セレブ」、その穴埋めで必死に働きつづけて心の病になった「うつ病難民」。
格差はうつ病にもおよんでいる。
安易に診断書が出され、腫れ物に触るかのように右往左往する会社に、同僚たちはシラケぎみ。
はたして本人にとっても、この風潮は望ましいことなのか?

新しいタイプのうつ病が広がるなか、ほんとうに苦しんでいる患者には理解や援助の手が行き渡らず、一方でうつ病と言えばなんでも許される社会。
その不自然な構造と心理を読み解く。

内容(「BOOK」データベースより)
仕事を休んでリハビリがてらに海外旅行や転職活動に励む「うつ病セレブ」、その穴埋めで必死に働きつづけて心の病になった「うつ病難民」。格差はうつ病にもおよんでいる。安易に診断書が出され、腫れ物に触るかのように右往左往する会社に、同僚たちはシラケぎみ。はたして本人にとっても、この風潮は望ましいことなのか?新しいタイプのうつ病が広がるなか、ほんとうに苦しんでいる患者には理解や援助の手が行き渡らず、一方でうつ病と言えばなんでも許される社会。その不自然な構造と心理を読み解く。

■目次
序章:一億総うつ病化の時代
第1章:うつ病セレブ
第2章:うつ病難民
第3章:「私はうつ」と言いたがる人の心理
第4章:うつ病をめぐる誤解
第5章:「自称うつ」と「うつ病」をどう見分けるか?
第6章:うつ病と言うとなんでも許される社会
終章:ほんとうにうつ病で苦しんでいる人のために

■引用
*序章 心の問題への理解はほんとうに広まっているのか?
「企業でも「うつ病」の診断書を“水戸黄門の印籠”のように差し出して長期休暇に入る社員がふえていると、メンタルヘルスセミナーの講師を引き受けるたびに、経営者や人事担当の人たちから相談される。これからは精神科医にも、「あなたはストレス性障害でも、うつ病でも、解離性障害でもありません。自分でやったことの責任は自分できちんと取りましょう」と告げなければならない場面が増えてくるのではないだろうか。
私は個人的には「自己責任」という言い方が大嫌いなのだが、失敗や非常に非難に落ち込み、必要なら反省、謝罪して、また時間をかけて自分なりにたちなおるというように、精神医学の回路を通さずに“再チャレンジ”を試みる自己責任の取り方を、この際、もっと奨励したい。」p.25

*第三章 うつ病と診断されずにショックを受ける
「つい十年ほど前までは「うつ病だと思います」と伝えると、それだけで「私はもうおしまい、ってことなんですか?」と末期がんの告知を受けたかのようにショックを受ける人も少なくなかった。(…)それなのにいまは、カヨさんのように「うつ病ではありません」と言われてショックを受ける人さえいる。
「そうだと診断されてショック」から、「そうだと診断されずショック」へ。「そう診断されたくない」から、「そう診断されたい」へ。「うつ病」ほど、その受け止められ方や意味が変わった疾患もないのではないだろうか。」p.80-81

不本意な状況を自分で納得し、まわりに理解させるためのストーリー
「このように、現在、自分が置かれている状況が不本意だと感じている人にとっては、「うつ病」という診断名が、その不本意さの原因を説明するためのもっとも適切なキーワードであり、同時にその状況から解放され、脱出するためにも必要なものになっているのだ」p.83

・うつ病が自分の大切なアイデンティティに
「現実的に不本意な状況にあるわけでもないのに、「私はうつ病」と申告したがる人もいる。
これはかつての「治療恐怖」と呼ばれていたものに似ている。
この「治療恐怖」とは、たとえば拒食症という診断名で精神医療を受けつづけていると、「拒食症であること」「毎週、病院に通っているということ」が、いつのまにか本人のアイデンティティの中核になってしまうため、いざ症状が軽快してもそれを手放せなくなる、という一種の医原病のようなものだ」p.84
「「私、うつ病」と積極的に言う人は、少なくとも意識の上では、そこまでの具体的な利益を期待してそう言っているのではない。それどころか彼らの多くは、「私だってこんな病気になりたくない」「早く治りたいんです」とまで言うし、実際にもそう思っている。
意識の上ではなりたくない、治りたい、と思っているのに、何者かが彼らを治療から遠ざけているのである。」p.89-90

・うつ病はいいけど、精神疾患にはなりたくない?
「心の問題」をめぐる診断名・現象名の中には、一九九〇年以降、何度かそういった役割(作成者注:「疾病利得」が得られやすい病気)を果たしてきたものがある。「アダルトチルドレン」「多重人格」なども、いずれもそう名指しされるよりも自己申告する人のほうが多かったケースと考えられる。「パニック障害」もそうなりつつある。
しかし、この人たちは、あくまでそれが実際のマイナスにはつながらないかぎりにおいてそう自己申告しようとしていたのであって、そのレッテルが苦痛や不利につながることはまったく望んでいなかった」p.91

*第4章 「病気には原因がある」が軽視されている
「いくらメリットがあるとはいえ、「どうしてうつになったかは関係ない」というこのアメリカ式の診断基準は、一般の常識に照らし合わせても、精神科医がそれまでなじんできた考え方からいっても、かなり大胆なものと言わざるを得ない。
そしてこのあたりに現在のうつ病をめぐる混乱状況の大きな理由があるのではないかと私は考えている。
では、「精神科医がこれまでなじんできた考え方」とは、どんなものなのだろうか。
それはひとことで言えば、「病気には必ず原因がある」という「病因説」だ。その病因はさらに、大きく「内因」「心因」「外因」の三つに分けられていた」p.105
「臨床の現場では、じつは「これって内因性?それとも心因性?」と病因を考えている。しかしながら、公の場ではDSMやそれに準じたICD(国際疾病分類)といった国際的な診断基準に従って「病因は問わない」との態度をとらなければならない。
専門家が抱えているその矛盾も、うつ病を一般の人にとってよりわかりづらいものにしていると言ってもよい」p.114

*第5章 うつ病ではもう物足りない?
「それにしても、なぜ「うつ病以外」の人たちは、「うつ病です」と診断されたほうが喜ぶのだろうか。
その理由は、おもにふたつあると思う。
ひとつは第3章でも論じたように、「うつ病」が、かつての「隠すべきマイナスの刻印」から「身体疾患と同じ“ふつうの病気”」を通り越して、「人々から一目置かれるアイデンティティ」になろうとしていることだ」p.143
「さらに、これはいささか先走った話なのであるが、ごく一部の人たちのあいだでは、最近はうつ病というアイデンティティさえ、すでに“使えないもの”になりつつあるようだ。あまりにも多くの人が「私はうつ病です」と名乗るようになり、この病名は決してめずらしいものではなくなったからだ。「他の人たちとは一線を画した非凡な私でいたい」と思う人にとっては、うつ病は物足りない診断名になってしまったのだ」p.145
「うつ病だと言いたがる人たち」の増加の背景には、それを容認している社会、あるいはそうであることが有利に働くような社会という問題があることを見逃すわけにはいかない」p.154



*作成:山口 真紀
UP:20090606 REV:
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