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『ケアのコミュニティ――北タイのエイズ自助グループが切り開くもの』

田辺 繁治 20080626 岩波書店,215p.

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last update:20160309

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■田辺 繁治 20080626 『ケアのコミュニティ――北タイのエイズ自助グループが切り開くもの』,岩波書店,215p.  ISBN-10: 4000227726 ISBN-13: 978-4000227728 2500+税   [amazon][kinokuniya]

■内容

1998年から2006年に北タイのチェンマイを中心に、エイズについて調査した著者が直面したのは、社会全体に危機をもたらしているエイズの感染爆発と、 社会の底層から人々を支援し救済するため生まれた自助グループだった。 独自の人類学の視点から、そこに介入する多層的な権力関係や勃興する新たなコミュニテイの動きを浮き彫りにする。

■著者略歴

国立民族学博物館名誉教授、大谷大学文学部教授。文学修士(京都大学大学院文学研究科)、Ph.D.(ロンドン大学大学院東洋アフリカ研究学院)。澁澤賞(1978年)、 日本文化人類学会賞(2008年)受賞。国立民族学博物館民族学研究開発センター教授を経て現職。専門は社会人類学で、東南アジアにおける上座部仏教、精霊信仰、 保健医療、エイズ自助グループの研究を行っている。

■目次

第1章 生とコミュニティ
1 人類学的アプローチ
2 タイにおける保健医療とHIV感染爆発
3 保健医療における権力作用
4 新しいコミュニティとエージェンシー

第2章 自己統治の技法
1 自助グループの誕生
2 実践と交渉
3 自己の流儀による健康ケア
4 自己統治と主体

第3章 ケアのコミュニティ
1 保健医療をめぐる統治性
2 ネットワークからコミュニティへ
3 「コミュニティ・ケア」の実現
4 ハビトゥスの改変と下からの統治性

第4章 生社会コミュニティの人類学
1 コミュニティは実践的に構成される
2 統治性からの視点
3 生社会コミュニティと公共性
4 生社会コミュニティの変貌と未来

参照文献
あとがき

■引用

第1章 生とコミュニティ

1 人類学的アプローチ
 この本は、グローバル化する世界のなかで新しい保健医療システムが構築されようとする今日、 私たちは病や苦痛、苦悩に直面しながら自らの生と健康をいかに維持するかという問題を、人類学の視点から考えようとするものである。 より一般的な文脈で言えば、私は、今日の国民国家が、その国民の生を高度に政治的かつ技術的に統治するようになるなかで、 いかに人びとが自らの生の潜勢力を発揮し健康を構築していくかを描こうと思う。(p.003)

 [……]人びとは一生のうちにいくどかの危機に遭遇しながら生命を生き延び、人生という紆余曲折の道のりを歩み、生活という習慣にしたがう多方面の活動をこなしていくが、 それらは異なった言葉で言い表されるにもかかわらず、人びとは「生」を生き、「生」を実践しているのである。
 ここでは「生」そのものに焦点をあてるために、伝統的な人類学の客観主義的あるいは規範的な概念を避けながら、個人が他者とともに行う個々の実践をとおして、 人びとの生がいかにして関係性や共同性、あるいはコミュニティのなかで追究されていくかを考えていきたい。 したがってこの本では、自己の健康が構築され苦痛や苦悩、病を癒しケアしていく過程も、そうしたコミュニティのもつ共同性のなかの実践として理解しようとする。
 こうした人類学的な見とおしのなかで、ここでは「コミュニティ」という、これまで人類学や社会科学で言い古された概念とその対象領域に立ち帰ることになる。 では、私たちはなぜ近年、人類学のなかで「コミュニティ」という概念に注目するようになったのだろうか。 その一つの原因は、社会構造や資本主義システムといった抽象やメタファーが、人びとの日常的な思考、表象や行為、 そして生全体を考えるにあたってほとんど有効でないと気づき始めたからである。 たしかに「社会」や「資本主義」といった概念はわれわれの現実を分析するにあたって有効であるとしても、 それらを冠した構造やシステムなどの超越的モデルが、現実の人間が話し、行>005>為し、生きることを直接的に決定することはありえないのである。 生きること、すなわち生の実践は自己と自己、自己と他者とのあいだに相互の関係ができあがり、 相互行為が行われる空間としての「コミュニティ」においてはじめて現実的なものとなってくる。
 「コミュニティ」概念の復興のもう一つの原因は、近年のグローバル化のなかで、 「伝統的」なコミュニティとは異なった人びとの関係性、集団や共同性の存在が顕著になってきたことに関係している。 多様で多角的な志向性と組織形態、新しい共同性と社会性をもつ集団、アソシエーション、ネットワークなどの出現が見られるのである。
 そこにはこれまでのコミュニティ概念にはおさまりきれない人びとの欲望、想像力、潜勢力が満ちている。 それらは、構造やシステムとして「存在」するコミュニティとはちがって、なにものかに「成る」、 つまり自らを生成変化させていく力動的な過程として初めてとらえることができるだろう。 この研究では、とくに生そのものの価値を中心にしながら共同性を構築おし、 あるいは社会の他の制度や権力関係と連携したり交渉したりするところに成立する集団に注目しようと思う。
 後に詳しく論ずるように、さまざまな慢性病患者の自助グループでは、身体的苦悩やリスクを共有する人びとが、 そうした生存そのものを中心的な課題とし、それぞれの生の実践をより意義あるものとしていこうとする。 こうした新しい生の倫理性を共有するコミュニティでは、そ>006>の内部に個人の多様で差異化したニーズ、欲望、想像力、価値評価が確保され、 それは帰属性や同一性を基準として構成される従来のコミュニティ概念が想定するものとはまったく異なっているのである。(pp.004-006)

 権力関係と人類学の方法をめぐるこれらの問題は、日常的実践のくり広げられる場についての再考を迫ることになったが、 そこで再び取りあげられるべきものが「コミュニティ」の考え方である。コミュニティは社会構造と理論的素性がまったくちがう概念である。 社会構造は人類学者や社会学者たちが具体的な人びとの生と社会関係を還元し、抽象化したモデルである。 他方、コミュニティは逆に、具体的な人びとの生と社会関係が彼らの現実の実践によって築きあげられていく場を指している。 つまりコミュニティとは、農村、都市、地域、工場、組合、学校、病院、刑務所などを問わず、 さまざまなレベルの権力関係と人びとの社会的実践が交錯した所に形成されている場、あるいは「状況」である (田辺 二〇〇二b:一九―二〇頁:Tanabe 2008a)。(p.007)
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4 新しいコミュニティとエージェンシー
 イギリスの歴史学者エリック・ホブズボームは『極端な時代―二〇世紀の歴史』において、二〇世紀をつぎのようにふり返っている。

 「コミュニティ」という言葉――「知的コミュニティ」、「パブリック・リレーションズ・コミュニティ」、「ゲイ・コミュニティ」等々――が、 この時期ほど無差別かつ内容空虚に用いられたことはなかったが、まさにその瞬間、社会学的な意味でのコミュニティは現実の生活のなかで見つけだせなくなっていたのである。 (ホブズボーム 一九九六:二〇九頁)

 もちろんコミュニティという言葉の空疎化は、近代的言説のもつ虚構性に由来することを考慮に入れなければならないだろう。 しかし同時に、「コミュニティ開発」、「コミュニティ意識」、「コミュニティ参加」、「コミュニティ・エンパワーメント」、 あるいはより最近の「地域コミュニティの再構築」など、そもそも一九七〇年代以降の新たな社会運動の展開に端を発しな>034>がら、 しだいに開発経済、政治改革、あるいは保健医療などの統治の領域に蔓延した現象も注目しなければならない。 それらはいわば社会的マネージメントの政策的枠組みとしての「コミュニティ」の登場を示唆するものである。 したがって第4章で論じるように、人類学は「コミュニティ」をモダニティにおける新たな統治性の文脈のなかで考えなければならないだろう。
 では、このような「コミュニティ」の空疎化と虚構性が新たな統治性や管理の展開の結果として顕在化してくるとするならば、 人びとの連携や共同性の構築はどのような可能性をもつであろうか。そうした問いかけに応えるために、 私は二〇世紀末から登場した新しいタイプのコミュニティとしてのエイズ自助グループの活動を描いていこうと思う。 この自助グループというコミュニティは、これまでの伝統的なコミュニティとはさまざまな点で異なっているし、 またたんなる社会的マネージメントや管理の手段とも明らかに区別される。こうしたコミュニティの構築とそこにおける人びとの活動を記述するためには、 「エージェンシー」の概念が不可欠であろう。自助グループという生成的な共同性は、持続的に外部に開かれ、 多様な情報や知識を活用しながら他者とコミュニケートしていくエージェンシーの存在を前提としているからである。
 新しいコミュニティのなかで活動し、他者とコミュニケートしていくエージェントとは、だれであろうか。ここに登場してくるエージェンシーとは、 形而上学的な「主体」や「自己意識」ではなく、現実の何ごとかを行っている現実の人間としての「エージェント」である。エージェン>035>シーは、 他者とコミュニケートし社会的諸条件に働きかけ、それを変化させていく力能(potentia)、あるいは「内在する力」と呼んでもよいだろう(8)。 エージェンシーは意識を中心に基礎づけられた「主体」とは異なり、また文化によって構築され何ごとかを上演している。「演者(actor)」とも異なっている。 エージェンシーは、文化的あるいは言説によって構築されそこに埋もれている人びとではなく、 それにたいして葛藤、抵抗し、また交渉、協働、創造していく人びとである。シェリー・オートナーの言い方を借りれば、 それは権力あるいは文化の資源であると同時にその効果でもある(Ortner 1995; Ortner 1999:147)。
 これらのエージェンシーは、自己同一性をもった意識の塊として文化的に、あるいは言説権力によって「主体」として従属的に構築されるのではない。 タラル・アサドが指摘するように、自己同一性を構築するために必要な形而上学的概念が「意識」であるとするならば、エージェンシーは意識以上に、 本能、身体や無意識などを含むより広範かつ持続的な作用である(アサド 二〇〇四:一八― 一九頁)。むしろエージェンシーは権力の資源でありながら、 資源がもたらす効果にたいして多様な対応をくりひろげ、個々のエージェントたちは互いに異質性を維持しながら活動する(9)。
 西欧の啓蒙主義の時代、つまり初期のモダニティにおいて概念化された「主体」は、 急速にグローバル化する資本主義のなかでほとんど完璧なまでに解体されてしまったかに見える。 たしか>036>に強制移住や移民の噴出、災害、戦争、そしてこの本の主要な対象であるHIV感染など感染症の蔓延による「脱領域化」は、 その解体の過程をこれまでになかった規模で過激に現実化している。しかし他方で、二〇世紀後半以後に世界各地に展開した新たな統治性は、 グローバル化する諸権力の新たな連携とネットワークのもとで、より効果的なテクノロジーによる従属的な主体の構成を達成しつつあることも注目しなければならない。
 この本が北タイのエイズ自助グループの活動を描いていくなかで注目するのは、そうした統治性の深化が自律的に自己管理する主体を生産するとともに、 エージェンシーを構成する新たな諸条件を生みだしているという事実である。人類学がこうした局面において注目するのは、完璧なまでに解体された主体、 あるいは構築された従順な主体、言うなれば、主体の燃えかすから芽生えてくる新たなエージェンシーである。アントニオ・ネグリの言い方にならえば、 主体は統治の臨界点において主体自身のなかに帰還し、そこに新たな生産性を発揮するための自らの生の原理を見いだすことになるだろう(ネグリ 一九九九:五九頁)。 人びとの生のすべてが統治、管理の対象となっていくという現実は、逆に、生のもっている統治されない領域、 外的な権力による統治や管理を受容しない領域とは何かをあらためて浮き彫りにするのである。
 北タイのエイズ自助グループとは、未知のウイルスの脅威にさらされ、社会から排除され、国家の保健医療の統治性のなかに組み込まれるという、 いわば生の臨界点において登場してきた新>037>たなコミュニティである。引き続く第2章と第3章では、 そうした「生社会コミュニティ」と呼ぶべき新たなタイプのコミュニティにおいて、 人びとの出会いと協働の関係がいかなる共同性を創りだしていくかを描いてみよう。(pp.033-037)
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(6)エイズ危機が引き起こした大規模な社会的苦悩のうち、とくにマイノリティの差別と排除に結びついた事例の政治経済学的研究については、 ポール・ファーマーのハイチにおける先駆的成果(Farmer 1992)を参照。またエイズ危機と社会的身体については(Scheper-Hughes 1994)、 人類学的なエイズ研究の可能性については(Frankenberg 1995)などを参照。タイにおけるエイズ危機について初期の人類学的研究の多くは (Brummelhuis and Herdt 1995)に収録されている。 またエイズ蔓延が売春以外の交渉的な性関係によってもたらされている実態についてはクリス・リトルトンの民族誌的研究(Lyttleton 2000)を参照。 チェンマイでの民間医療によるエイズの治療・ケアとしては、ランサン・チャンタによる民俗学的研究を参照(Rangsan 2001)。

(8)エージェンシーの概念を拡大して考えれば、情報テクノロジー、リテラシーあるいは自然環境などもそこに含まれるが、 さしあたりここで関連するのは人間的エージェンシーにかぎられる。
(9)田中は「エージェンシーのコミュニティ」を考えるにあたって、「孤独」な主体から決別して他者とのコミュニケーション能力に基づく双方向的、 相互交渉的な場としての共同性を強調する。エージェンシーはたんに静的な共同性を生みだすのではなく、 それを変化させていく力だとも言える(田中 二〇〇二:三五〇頁、田中 二〇〇六:一六― 一七頁)。
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■書評・紹介

■言及

土佐 弘之 20120830 『野生のデモクラシー――不正義に抗する政治について』,青土社,370p.  ISBN-10: 4791766652 ISBN-13: 978-4791766659 2600+ [amazon][kinokuniya] ※ s.

新ヶ江 章友 20130713  『日本の「ゲイ」とエイズ――コミュニティ・国家・アイデンティティ』,青弓社,257p.  ISBN-10: 4787233572 ISBN-13: 978-4787233578 \4000+税  [amazon][kinokuniya] ※


*作成:北村 健太郎
UP:20160228 REV:20160309
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