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“Interview with Iris Marion Young,”Hypatia

Neus Torbisco Casals and Idil Boran 200806 “Interview with Iris Marion Young,”Hypatia


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■Casals, Neus Torbisco and Idil Boran 200806 “Interview with Iris Marion Young,” Hypatia※ f03

■内容

Neus Torbisco Casalsは、1999年イギリスのBristolでアイリス・マリオン・ヤングと同じカンファレンスに出席して知己となり、2002年5月バルセロナのLaw School of Ponpeu Fabra Universityの公開講義に講師としてヤングを招いた。この講義は「女性、戦争、平和」と題し、「ジェンダーと法」や「法哲学」関連の年間講義の一部として行われたものである。その後、第二回目の講義とインタヴューをヤングに依頼。ヤングとも近しいIdil Boran(カナダ・クイーンズ大学)の協力をえて、2002年秋にインタヴューを行ったのだが、このインタヴューは完遂しないままで、草稿は未発表の状態になっていた。2005年1月World Congress of Legal Philosophyの際に、再びインタヴューの機会をえるが、ヤングの体調不良により、これもまた中途で途絶えた。このインタヴューは、そのような経緯で残ったものを、文字起こししたものである。

Neus Torbisco CasalsIdil Boranは、ヤングが1974年にヴィトゲンシュタインの言語哲学で博士号を取得してから、なぜ、政治哲学・フェミニズム理論に方向転換したのか、と問う。また、ヤングと同世代の1960・70年代のフェミニストがやり残したこと、今の世代のフェミニストの課題とは何かと。この問いに応じて、若い世代に比較的楽観的なそぶりでエールを送るヤングに対して、インタヴュアーの二人はさらに問う。

■引用

NT&IB: ぱっと見たところ、西洋社会の社会感情は女性の平等を保障しているようです。女性は積極的になっていますし、教育の機会も充実し、職場では脅威、悪意、セクシャルセクシャルハラスメントなどを抑制する環境で働けるように思いますし、過去ならば女性に閉ざされていた専門職やオフィスが現実的な選択肢になっています。楽観主義者ならば、フェミニズムに期待するものなんてないっていうことになりますね! でも、もしもっと目をこらしてみるなら、いま言ったようなことはやはり進んでいないように見えます。女性にとっては家族と専門的キャリアを両立させることは、まだすごく難しいです。女性の賃金はその平均を見ると、民主主義社会のご時勢でいまだ男性のそれよりも低いままです。もっと言うと、女性に対する暴力や偏見も減少していないように思います。合衆国中の裁判所が、女性に対してあなたたちのパートナーが子どもに暴力を振るうのを「よく知るべき」とのたまっているのです。(レイプから殺人にいたる)女性に対する暴力のほとんどは、偶然通りかかった知らない人ではなくて、家で、知り合いの男性から振るわれているのです。別分野でのフェミニズムの活動努力や成果にも関わらず、こうした問題のあり方が続くことについてあなたはどのようにお考えでしょうか。

IMY: すごく大きな質問ですね。簡単に言うと、あなたは公私の区分が継続していることについての問題だと思っているではないのでしょうか。20世紀後半に多くの社会で女性の身に起こったポジティヴな変化は>178>公の場面でのプレゼンスに関係しています。仕事の量、機会の増加、政治や市民活動でのプレゼンスや受け入れ、芸術分野で女性に注目が向かったこと。けれど、あなたが指摘したように、変わっていないように思えるのは、もっとプライヴェートな規範や抑圧。女性はいまだ多くの国で、家事、子どもやお年寄りの世話・介護をしています。多くの国では、レイプや虐待から女性の身を守る法律やサービスが設置されてはいるけれど、そうした暴力事件は減らないばかりか増加しています。社会の行いや態度は、男性にプライヴェートな無賃労働を求めなくなっていて、男性が一人の女性を物理的精神的に痛めつけても罰せられないし、その発想さえ湧かないのです。たくさんの職場がまだこの公私の思い込みを裏書きし続けています。

IB: 世界中の大学で経験を積んできて、世界中のフェミニストが、いまだに多くの人の頭にネガティヴなイメージをかきたてているように見受けられます。事実、若い女性たちは「フェミニスト」と自己規定したがりません。男性の友人や同僚が(カナダの)大学で状況を話すとき、(驚いている)女生徒たちに対して、彼らがフェミニズムを擁護しているというのです。「僕は自分がフェミニズムを擁護していることに気づいたんだ。で、彼らが僕に対してそれはまずい考えです先生って論破しようとするわけ。ほんとに逆説的だよ」と彼らは言います。なぜ、ある種の女性たちはフェミニストと自己規定するのを嫌がっているとお考えですか。それに関心を払うべきかしら?

IMY: なんて言ったらいいのかしらねぇ。私はフェミニズムを擁護する理由なんて見当たらないわ。問題なのは、女性にとってのさらなる自由と平等に向けた政治的課題。無関心やミソジニー的な振る舞い、不正義な社会のルールや行いの結果としてもたらされる、特定の被害や不平等について精密かつ具体的に考えるほうがよいです。「フェミニスト」のラベルを拒否する人々は、特定の細かい不利益が降りかかっても、女性に対する不正義が存在することを認めようとしていないのよ。それこそ〔構造的不正義と実際の不利益の因果関係を解明し、集合的責任を理論化すること〕が問題なんです。」(177-178) 〔 〕は、高橋が補足

■書評・紹介


■言及



*作成:高橋 慎一
UP: 20080826 REV:
フェミニズム (feminism)/家族/性…  ◇BOOK 
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