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『アンのゆりかご――村岡花子の生涯』

村岡 恵理 20080605 マガジンハウス,334p.

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last update:20151114

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■村岡 恵理 20080605 『アンのゆりかご――村岡花子の生涯』,マガジンハウス,334p. ISBN-10: 4838718721 ISBN-13: 978-4838718726 \1900+税  [amazon][kinokuniya] (=20110901 『アンのゆりかご――村岡花子の生涯』,新潮文庫 ISBN-10: 4101357218 ISBN-13: 978-4101357218 \750+税  [amazon][kinokuniya]

■内容

戦争中、命がけでアン・シリーズを翻訳した村岡花子の情熱の人生。戦争へと向かう不穏な時勢に、花子は、カナダ人宣教師から友情の証として一冊の本を贈られる。 後年『赤毛のアン』のタイトルで世代を超えて愛されることになる名作と花子の運命的な出会いであった。多くの人に明日への希望がわく物語を届けたい――。 その想いを胸に、空襲のときは風呂敷に原書と原稿を包んで逃げた。モンゴメリ作品をはじめ、さまざまな名作を美しい日本語に訳し続けた理由。時代を切り開いた人々との交流。 明治・大正・昭和と激動の時代を悩みながら精一杯に生き抜き、戦前から婦人選挙権獲得や廃娼を目指す運動に関わり、 戦後は自宅に日本初の子供図書館を開くなど社会の改善に尽力した。

■目次

プロローグ 戦火の中で『赤毛のアン』を訳す
昭和20年(1945)4月13日、太平洋戦争が終結する4ヶ月前

第1章 ミッション・スクールの寄宿舎へ
明治26年〜36年(1893〜1903、誕生〜10歳)

第2章 英米文学との出会い
明治37年〜40年(1904〜1907、11歳〜14歳)

第3章 「腹心の友」の導き
明治41年〜大正2年(1908〜1913、15歳〜20歳)

第4章 大人も子供も楽しめる本を
大正3年〜6年(1914〜1917、21歳〜24歳)

第5章 魂の住家
大正7年〜10年(1918〜1921、25歳〜28歳)

第6章 悲しみを越えて
大正11年〜昭和2年(1922〜1927、29歳〜34歳)

第7章 婦人参政権を求めて
昭和3年〜13年(1928〜1938、35歳〜45歳)

第8章 戦時に立てた友情の証
昭和14年〜20年(1939〜1945、46歳〜52歳)

第9章 『赤毛のアン』ついに刊行
昭和21年〜27年(1946〜1952、53歳〜59歳)

第10章 愛おしい人々、そして本
昭和28年〜43年(1953〜1968、60歳〜75歳)

エピローグ 『赤毛のアン』記念館に、父母の書斎は残る
アン誕生100周年、花子没後40年の平成20年(2008)4月13日

文庫版あとがき
注釈
村岡花子関連年表
主要参考文献
Special Thanks

■引用

◆文庫解説(抜粋)

「曲り角のさきにあるもの」を信じる 梨木 香歩

 筆者がこの文章を綴っている現在、東日本大震災からほぼ四ヵ月が経過しているのだが、被災者の悲嘆は未だ尽きることなく、頼みの政治はだらしなく混迷を極め、 福島第一原子力発電所は地球規模の犯罪とも言える放射能漏れで陸海空を汚染し続けている状況である。相次ぐ被災地での自殺のニュース。胸が痛い。先が見えない。
 そういうとき、久しぶりに『赤毛のアン』の、この有名な言葉に本書『アンのゆりかご』の中で再会した。
「いま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものに違いないと思うの」
 懐かしい泉の水を飲んだように感じた。
 今までのどの時代にもまして、「いちばんよい」時代は、これから来る。そう強く思いたい。これまでの人生で幾度となく「再会してきた」はずのこの言葉が、 こんな>425>に力強く光に満ちたものであったことを、改めて知らされた思いだった。同じく先の見えない思いであったろう戦時中、 『赤毛のアン』を訳し続けた村岡花子の心境を思った。本書で知った、彼女が東洋英和女学校を卒業するときの校長、ミス・ブラックモアの言葉、 「……最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望を持ち続けて、進んでいく者でありますように」にも、その同じエッセンスが窺える。 村岡花子が受けてきた、そういう教育はまた、数十年ほど前まで欧米の児童文学が醸成してきた世界と重なるものがある。どんな状況でも、光に向かって、歩んでいく、という。
 モンゴメリから、そして村岡花子からもらったものは大きい。


 専門領域における知識の伝達のみならず、日常の立ち居振る舞い、文化習慣に至るまでの「カナダ風」は、今なら「自国の文化を他国に押し付ける」植民地的、 とためらわれてもおかしくないような徹底ぶりである。が、善きにつけ悪しきにつけ、何かが自分の骨身に沁みるようにインストールされる道は、いつもそういうものであるのだろう。 花子が生涯に渡ってもっていた、社会福祉への意識の高さ、社会的弱者であった女性や子供の生活向上への献身(東洋英和女学校は、当時孤児院も経営しており、 花子もそこへ通っていた)もまた、この時代に彼女が叩き込まれた生きる姿勢のようなものであったかもしれない。
 戦時色が次第に色濃くなっていく時代にも、彼女には、そういう社会の空気から、>427>精一杯子供を守ろうとする意志が見える。子供に向けてのラジオ番組を担当する中、 軍の検閲を受けざるをえなくなった心境をこう述べている。
「現在の時局下にあっては、そんな悠長なものではなくもっと軍事に関係ある話材を脚色して見せるべきだといふ人々も、勿論、多くあることでありませう。
 しかしながら、子供はいつの時代にも美しい夢を持っているものです。生まれ合わせた時代がきりきりと緊張してをり、大人たちが切迫した気分で生活してゐればゐるほど、 子供の無限的気分へのいたわりを、忘れないやうに心すべきであると、私は考えているのです。」(P.257-258)
 そしてまた、そういう時代を何とかしのいで、 婦人参政権獲得のために行動した――それがたとえ時局に迎合するような形になったとしても――花子以外の女性運動家たちの闘いのことも、本書は冷静な筆致で伝える。 「理想とはかけ離れた選択だったが、参政権を勝ちとらなければ、平和を求めようにも女性の意見は政治決定に生かされない」。 生まれたときから、女性にも選挙権があることが当然の社会に育ってきたものにとっては、この、選挙権がない、つまり二級市民である、 ということの抑圧と反発は本当には分からないのかもしれない、としみじみ感じた。
 花子もまた、自分にとって何より大事な家族を守らなければならない。仕事ができ>428>なくなれば社会のためにも働けない。だから今は表立って戦争に異を唱えることはできない。 国の命令に従って国策のための講演へすら行かなければならない。そういう葛藤を抱えながらも、ひそかに『アン・オブ・グリン・ゲイブルズ』の翻訳を続ける。 いつか、日本がこの本を必要とするときが来る、という使命感もあったろう。カナダの友人知人たちとの友情の絆をこのまま風化させるまい、という思いもあったろう。 けれど、何よりも花子自身が、軍事色一色の世界の中、心の深いところで、アンの物語を必要としていたのではないか。自分の魂のために、それは必要であったのではないか。 本書を読んでいると、そのことがひしひしと伝わってくる。狂奔する世界の中で、正気を保つよう彼女を守り続けたのは、ほかならぬ、 疎開もせずに彼女が守り続けた蔵書や翻訳作業そのものだったのだ、ということが。「命に代えても」という言葉はこういう関係性の中で生まれてくるものなのだろう。

 娯楽の少なかった時代、花子は、家族皆で楽しめる家庭文学の確立を目指す。それを希望する社会の層があり、その必要を確信できたからこそである。家庭にテレビが入り込み、 携帯電話やインターネットが新しい文化を牽引しようとしている今、村岡花子の築いていた濃密な人間関係の世界は遠いものになってしまった観がある。 当時とは違う苦悩の中で生きる子供たちを前にして、村岡花子なら、どう行動しようとし>430>ただろう。新しい人間関係の絆を、模索していただろうか。 つい、問うてみたくなる。


 本書には、ただ村岡花子一人の女性史のみならず、彼女の生きた時代の女性たちの意識、彼女たちの置かれた社会的地位、葛藤までもが丹念に描かれている。 中でも市川房枝に対する言及は、簡潔ではあるが各時代の要所要所に的確に入っていて、婦人参政権獲得運動の歴史が実に端的に浮かび上がる仕組みになっている。
 本文の最後にある通り、著者・村岡恵理氏は、村岡花子の孫にあたる。身内のことを記録する、という作業は、決して易しいものではない。書こうとしている対象に対して、 記録者は客観性を失いがちになり、無意識のうちに自分と同一視し、まるで過去の人物の自画自賛、自己弁明と他者糾弾に満ちた回顧録のようなものにさえなり得る危険性がある。 本書はそういうものからまったく無縁である。無縁でありながら、激動の時代に、葛藤を抱えながら自分の運命を引き受け、切り開いてきた一人の女性への、 同じ女性としての親密な共感が感じられる。花子が、結果的に薄倖の妻子から□(けい)三を奪うような形で成就させた恋についても、著者は庇うでもなく避難するでもなく、 ましてや弁明でもなく、彼女の歩んできた道程では「そうとしかありようがなかった」出来事として、丁寧に叙述している。 同じように最愛の息子・道雄を>431>失ったときの悲嘆にも、著者は付かず離れず寄り添っている。だからこそ、花子の喪失の深さが、後悔や罪意識でえぐられるようであるのを、 読者も共に体感できる。
 村岡花子を敬愛する人は多い。けれど、その生涯について知り得る人は少なかったのではないか。これは、強風の中を疾走するように生き抜いた、村岡花子という個人を、 繊細で強靭な精神が、これもまた個人として彼女と相対しながら、時代の空気ごと見事に掘り上げた、まぎれもない村岡花子像である。ものをつくり出すという仕事は、 いつも孤独という祭壇の上でなされる。自身の身をも削るような大変な力仕事だったに違いないと推察する。よくぞ今のこの時代(とき)にと、深い感慨に満たされて読了した。

(2011年7月14日、作家)


■書評・紹介

■言及



*作成:北村 健太郎
UP: 20130824 REV: 20151114
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