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『「教育改革」と労働のいま』

日本社会臨床学会 編 20080430,シリーズ「社会臨床への視界」第一巻,現代書館,325p.


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日本社会臨床学会 編  20080430 『「教育改革」と労働のいま』,シリーズ「社会臨床への視界」第一巻,現代書館,325p. ISBN-10: 4768434754 ISBN-13: 978-4768434758 \3000 [amazon][kinokuniya] ※ 0109 w0106

■内容
グローバル経済に追い立てられる労働現場、国家主義に引きずられ翻弄される学校教育。いま若者に迫る危機に警鐘を鳴らす。グローバル化と個人・心理主義化のはざまで、教育・福祉・医療の現状を分析。

■目次
シリーズ「社会臨床の視界」(全四巻)刊行にあたって (7)
序章  小沢牧子 (9)

第T部 学校教育の変貌と現状 (21)

 第一章 「教育改革」を先導する「心の教育」――その系譜と現在――  小沢牧子 (22)
  第1節 人びとの関係を引き裂く「教育改革」 (22)
  第2節 人の群れ場としての学校 (26)
  第3節 「心支配」への欲望とその隠蔽 (29)
  第4節 「心の教育」の軌跡 (34)
  第5節 心の教育・道徳と特別支援教育 (39)
  第6節 教育基本法「改正」と『心のノート』 (42)
  第7節 鏡=心から、隣=仲間へ (47)

 第二章 公教育のなかの国民支配――教育基本法と教育勅語――  池田祥子 (51)
  はじめに (51)
  第1節 「教育勅語」から「教育基本法」へ――「国民教育=国民道徳」としての連続面 (54)
  第2節 教育に対する「不当な支配/正当な支配」――「正当な支配に服する」という「公教育」観 (60)
  第3節 「家庭教育」とは何か――親権(家族)、学校、国家それぞれの似姿 (69)

 第三章 「日の丸・君が代」の強制と都立高校改革  岡山輝明 (76)
  第1節 「日の丸・君が代」の強制徹底と予防訴訟判決 (76)
  第2節 判決内容と「思想・良心の自由」の意味 (81)
  第3節 「教育の自由」と教育の国家支配 (86)
  第4節 都立高校改革と「日の丸・君が代」の強制 (88)
  第5節 石原知事の登場と「心の東京革命」 (92)
  第6節 石原知事の再選と「日の丸・君が代」、七生(ななお)養護学校攻撃 (97)
  第7節 グローバル化とナショナリズムの絡み合うなかで (101)

第U部 子どもを分けてはならない (111)

 第四章 子どもの〈分別〉に向かう学校  岡崎勝 (112)
  はじめに 学習の個別化と学校選択 (112)
  第1節 習熟度別指導――「その子に合った」という善意の偽装 (113)
  第2節 競争原理と個別化――排除と序列の世界 (118)
  第3節 学校選択制の裏切り (125)
  第4節 〈分別〉される学校労働者:教員評価制度 (132)

 第五章 特別支援教育にかかわる臨床現場から  戸恒香苗 (139)
  はじめに (139)
  第1節 医療の中の特別支援教育 (140)
  第2節 「発達障害者」を理解する (144)
  第3節 選択する教育 (149)
  第4節 個別指導とは (153)
  第5節 診断名をもらうことの意味 (159)
  第6節 市場原理と発達障害 (163)
  おわりに (169)

 第六章 「分けるな」をいまこそ  北村小夜 (172)
  はじめに (172)
  第1節 子どもを分けてはならない (173)
  第2節 子どもは分けたがっても、分けられたがってもない (181)
  第3節 共に学ぶことを阻むもの (185)
  第4節 分けられたところで起こっていること (191)
  第5節 交流などでごまかされるな (201)
  第6節 目指すのは共にでも統合でもなく、“分けない” (205)

第V部 教育・労働のなかの若者たち

 第七章 働くことの現在――その前提と環境を問い直す――  原田牧雄 (210)
  第1節 セキュリティのベール (210)
  第2節 消費者としての身体から生活者としての身体へ (220)
  第3節 モラトリアム産業 (223)
  第4節 現代エリートのメンタリティ (225)
  第5節 使い捨ての奴隷労働 (228)
  第6節 「現在」に貼りついて澱まない (232)
  第7節 純粋な自己疎外 (235)

 第八章 大学はいかにあるべきか――現場の一教員から見えること――  林延也 (240)
  はじめに (240)
  第1節 格差時代における地方大学の役割としての常識人育成 (242)
  第2節 そこまでの人間 (248)
  第3節 複線型教育へ戻るのか? (252)
  第4節 国家の支配からも経済の支配からも逃れた独立した精神を持つこと (259)
  第5節 大学はどのようであるべきか (263)

 第九章 労働蔑視と教育重視  佐々木賢 (269)
  はじめに (269)
  第1節 階級構造 (270)
  第2節 労働市場変化 (273)
  第3節 教育 (285)
  第4節 心性操作 (301)
  まとめに (321)

■引用
「習熟度別指導は、同質集団をまず基本としている。その同質というのが、テストの出来具合だったり、評価基準での区別だったりする。そこで問題となるのことが二つある。どうやって子どもを分類するのかという、方法的な限界がまず一つ。それに加えて、子どもに合わせたクラス編成でないということ、つまり分けるクラスの「数」がまず決定され、その数に合わせて子どもたちが分けられているという問題である。…〔中略〕…。おそらく、まず、現状が、例えば三クラスあるとすると、それをいくつかのクラス数にするのか? を考える。しかも、教員の配置数にそれは大きく影響される。加配教員を考えても、せいぜい、四クラスとか五クラスまでだろう。そして、子どもたちを四段階に分けたり、五段階に分けるのである。厳密に言うと、これは習熟度別ではない、成績別クラス編成なのだ。…〔中略〕…。一見、習熟度別というと「その子に合った指導」というイメージで受け取られがちだが、実は、そういうことではない。子どもを「分類して考える」ことだけを意図したものであり、もし、本当に習熟度別というのなら、個々人に弱点や、不足した学習の処方箋が必要となるはずなのである。そこを避けての習熟度別指導は、進学塾のクラス分けとまったく同質なのである。」(岡崎 2008:116-117)


「医者の中でも、「自分は診断名〔「自閉症」「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」「LD」など:引用者補足〕は簡単には付けないようにしている。他の条件に起因している場合が多いので、相当確信がなければ、ほとんど保留か、付けない」という人もいる。また、診断する側がその子の問題とされる行動、言動を拾うのと、他の子どもたちと変わらない特徴を拾うのでは、まったく違う子どもが出現することになる。二、三歳で診断しても、本当のところ将来子どもがどう変わるかは個人差があって分からないという医者は多い。だとしたら、診断は慎重であるべきだろう。しかし、子どもが幼稚園に入り、お母さんが昼間ひと休みするには、慎重な医者ではなく、診断名を簡単に付けてくれる医者のほうが重宝なのだ。診断名は、行政サービスを受けるためには有利なのだ。納得できる診断名を追い求める人もいれば、外との関係で使える診断名なら文句はない人もいる。」(戸恒 2008:160-161)

「教育と労働は双方とも近代に生まれた。近代以前にもそれらしきものがあったが、質が違う。近代以前には、「教える=ティーチ」はあっても、「教育=エデュケーション」という語はなく、庶民にとって、見習いはあったが、教育はなかった。
 労働はあったが、時間で切り売りする労働者はいなかった。農業や手工業や漁業や林業で、親や親方を見倣って、仕事を覚えた。だから、就職するという概念はない。」(佐々木 2008:269)

「高度消費社会は、生産よりも消費に重点を置く。人々は生産者としての立場より消費者としての立場で考え、生活する。自分の賃金が低いことに怒らず、より安い商品を買おうとする。実はそう仕向けられているのだが、そのことには気づかない。経済のグローバル化が進むと、……先進国の労働が途上国の低い賃金に限りなく近づいてい〔き:引用者補足〕……それに加えて、先進国のサラリーマンが労働者としての立場を考えなくなり、組合に加入せず、争議もせず、自分を「経営者」の一人として、考え始める(当巻、原田論文参照)。実はそう仕向けられているのだが、それに気づかない。(佐々木 2008:269-270)

■書評・紹介

■言及



*作成:野口 陽平 
UP:20081111 REV:20090801
日本社会臨床学会  ◇学校教育法施行令「改正」と統合教育に関する要望書   ◇日本における働き方/働かせ方   ◇身体×世界:関連書籍 2005-  ◇BOOK  
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