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『わらじ医者 よろず診療所日誌』

早川 一光 20080410 かもがわ出版,157p. 


■早川 一光 20080410 『わらじ医者 よろず診療所日誌』,かもがわ出版,157p. ISBN-10: 4780301750 ISBN-13: 978-4780301755 1500+ [amazon][kinokuniya] ※

■著者

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
早川/一光
1924(大正13)年、愛知県生まれ。京都府立医科大学卒業。1950(昭和25)年、京都・西陣に住民出資により、白峰診療所を創設し、のちに堀川病院となり、院長・理事長を務める。1998(平成10)年、京都府北桑田郡美山町の美山診療所の公設民営化に従事し、所長を務める。2002(平成14)年、京都・衣笠に「わらじ医者よろず診療所」を開設し、さまざまな医療相談を受けている。ラジオ番組のパーソナリティー(KBS京都「早川一光のばんざい人間」)のほか、全国各地での講演、新聞・雑誌への寄稿と多忙な日々を送る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

80歳でこそできる医療
汗と入れ墨
とられのバアちゃん
でんわ
ただ、ひたすらに、聴く。
ただ、ひたすらに、触る。
ただ、ひたすらに、視る。
ただ、ひたすらに、問い語る。
無の中の無限
空飛ぶ診療所
学校、こわい
煙のバアちゃん
オーラのバアちゃん
遠隔老老介護
畳の上で大往生

■引用

 「診療所から病院へ――半世紀にかけて、国民皆保険制度と老人医療無料化の運動を住民のみなさんと力をあわせて動きまわり、やっと、いつでもだれでもどこでも、医療にかかれるようになった。
 ぼくにとっては、夢のような福祉の世になった。
 日本が、あの惨憺たる敗戦のなかから、不死鳥のように立ち上がり、それどころか六〇年にして世界一の長寿国になったのも、この福祉の制度のおかげだと信じて▽034 いる。

 八〇になって、二年半前。”八〇でこそできる医療”を志して、ひとり、診療所を創りあげた。
 […] ▽035
 わらじ医者よろず診療所の電話は小さくてどこにも運んでいける。
 夜は寝床の枕元に置いて寝る。
 なんでも困ったとき、悩んだとき、いつでもかけてきなさい――と大見得を切って、歌舞伎でいう”ニラミ”を効かせた以上、電話のべルが鳴っても寝込んでしまって、いくら呼んでも”でんわ”では電話にならない。
 もうこの頃は、二回べルが鳴るとスッと電話機を取るようになった。
 寝呆けることもなくなった。
 「一瞬で頭が冴えるんだ」と、いばって家内にそのことを言うと
 「それは年ですよ」
と笑う。ぼくも、年をとると、眠りも”浅き夢見し酔ひもせず”となるかとニガ笑いする。」(早川[2008:33-35])

 「京都にはもともと京都放送があった。京都新聞社の七階の一室に戦後、開かれた地方民間放送局であったが、そこにラジオドクターとして、病気の治療と予防について、短い時間帯に登場した。
 もともと
 *自分の体は、自分で守る。
 *自分たちのくらしは、自分たちで守る。
 をモットーにして、西陣織に働く人たちのなかに踏みこんで、夜な夜な、幻燈機やスライドを持って、露地のなかで”医療こんだん会”を開いていたので、ラジオはもってこいの活動、と思って、勇んで引き受けた。
 はじめは、畳二枚ぐらいの個室で、男性のアナウンサーと二人きり……。ガラス越しにディレクターのサインを見ながら、病を語った。
 あれから、もう一九年になる。▽074[写真]▽075
 週一回、土曜日の胡――今は六時一五分から八時二五分まで、NHKの「ラジオ深夜便」に対抗して、KBS京都「早川一光のぱんざい人間・びっくり仰天講座」として続いている――。
 一回も休んだことがない。
 ニ〇〇六年の一二月で”千回”の節目を迎えた。
 その番組のなかで
 ”わらじ医者よろず診療所”
 というコーナーがある。わずか一〇分間の時間だけれど、ぼくにとっては緊張の連続……そして全力投球の一瞬である。
 なぜなら、ラジオをお聴きになっておられる関西の方から、それはそれは思いもかけぬ質問・相談が、電話とフアックスでかかってくる。」(早川[2008:73-75])


*作成:小辻 寿規
UP: 20111122 REV: 20140806, 20140905
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