『シンガーの実践倫理を読み解く――地球時代の生き方』
山内 友三郎・浅井 篤 編 20080229 昭和堂,246p. ISBN: 4812207738 ISBN-13: 978-4812207734 2415
■山内 友三郎・浅井 篤 編 20080229 『シンガーの実践倫理を読み解く――地球時代の生き方』,昭和堂,246p. ISBN: 4812207738 ISBN-13: 978-4812207734 2415 [amazon]/[kinokuniya] ※ p ee et g03
■出版社/著者からの内容紹介
実践的倫理学者として世界的に知られるピーター・シンガー。生と死、グローバリゼーション、貧困といった現代の大きな課題に対して、シンガーが提示してきた答えを読み解く。
■目次
日本の読者のために――シンガーからのメッセージ
序章 シンガーの実践倫理
1 現代の革命的思想家
2 シンガー版の公利主義
3 二層理論の展開
4 シンガーの生命倫理
5 公利主義と日本人の実践
第1章 シンガーの自発的安楽死擁護論
1 シンガーの自発的安楽死擁護の骨格
2 ダイアン・プリティーとテリー・シャイボ――シンガーの見解
3 シンガーは延命治療や終末期ケアに関連する概念や区別をどう考えるか
4 シンガーは一人ではない
5 シンガーならどう考えるか
6 現行の日本の現状における意義
第2章 誕生における生と死の選択
1 不可避な生命の選択――新しい倫理の必要性
2 胎児と新生児の道徳的地位
3 「将来の人格」の生命の質をどう評価するか
4 「すでに存在している人格」の生命の質をどう評価するか――社会条件の変革に向けて
第3章 「動物の解放」論とは何か――論理と心情をめぐる考察
1 「動物の解放」におけるシンガーの思想
2 「動物解放」の論理と心情のあいだ
第4章 動物の解放と菜食主義――市民運動の立場から
1 動物問題に気付く
2 動物解放の基本原理
3 動物の苦しみ
4 ベジタリアンのすすめ
5 種差別の思想
6 日本の動物解放運動の問題点と今後
第5章 飢餓救済の倫理
1 シンガーの主張
2 シンガーに対する批判とその検討
3 結論
第6章 シンガーのグローバル倫理――「一つの世界」を生きる
1 グローバリゼーションとは何か
2 グローバルな倫理の目標
3 グローバルな正義との関連
4 特別義務について
第7章 シンガーの公利主義――基本的特徴と構造
1 帰結主義
2 福利主義
3 総計主義
4 二層理論
終章 環境――シンガーと日本人倫理の可能性
1 私益と集団の利益
2 有情中心主義とディープ・エコロジー
3 エコ公利主義の試み
4 環境倫理、究極の選択
さらに学びたい人のために
■引用
◆浅井 篤 20080229 「シンガーの自発的安楽死擁護論」,山内・浅井編[2008:23-48]
ダイアン・プリティ(Diane Pretty)事件
「彼女〔プリティ(Diane Pretty)英国43歳〕は病状が悪化するにしたがって前進の筋肉が萎縮し筋力が低下するという運動ニューロン病に罹患しており、最後には呼吸筋が侵され死に至るという運命にあった。首から下が完全に麻痺しており、発語はできず経管栄養で水分と栄養を得ていた。彼女は疾患それ自体による悲惨な死や経管栄養中断による緩徐な餓死ではなく人間的で尊厳ある<0029<死を願っていた。しかし彼女は意思決定能力はあるが文字どおりいっさいなにも自力ではできないので、その思いを実現するため夫に死なせて貰う必要があった。最初このカップルは夫が自分を死なせる行為をおこなっても違法にならないように英国裁判所に訴えていた。[…]
シンガーは2002年のJournal of Medical Ethics の論考でダイアン・プリティーとBの事例を比較し、われわれにはそうすることで死ぬとしても医療行為を拒否する権利は持っているが、単なる治療中止が患者に死をもたらさない場合には誰かに死ぬのを助けてもらう権利はないというのが現状だと分析する。そして四肢麻痺状態患者が生命維持のための治療(Bの場合は人工呼吸)を受けている状況では望めばそれをやめて死ぬことができるのに、他方中止することで人間的に尊厳を持って死ぬことができるような医療行為を受けていない患者は、前者と同様の状態にあっても、望んでも死を選ぶことができない。これは不条理な状況ではないかと主張する。彼は問う。
(他者を死なせるために:浅井追加)あるケースでは医師が人工呼吸器をオフにする必要があるという事実と、<0030<他のケースではプリティー氏が妻を死なせるために薬を与える必要があるという事実の間に道徳的に重要な差異はあるのだろうか。
彼には自分にはその差異が何なのかわからないと述べる。倫理的にいえばBのケースとダイアン・プリティーのケースでは倫理的な差異よりも類似性の方が大きい。国家には四肢麻痺状態にある女性を彼女たちの意に反して生かし続けるどのような利益(利害関心)もない。そしてどちらのケースでも、彼女たちはいつ死にたいか、そしていつそうしてほしいかを自分で決定できるべきなのである(3)と主張する。」(浅井[2008:29-31])
「参考文献
(3) Singer, Peter 20020229 "Ms B and Diane Pretty: a commentary," Journal of Medical Ethics 28: 234-235.」(浅井[2008:47])
Terri Schiavo(テリ・シャイボ)事件
「彼女は摂食障害から昏睡状態に陥り10年以上植物状態にあり経管栄養チューブで生命維持されていた。夫は「妻は延命を望んでいない」として延命中止を望んだが、患者の両親は存命を求めた。彼女は明確な事前の希望を表明していなかった。つまり彼女の延命に関する自発的な希望は不明のままである。フロリダ州裁判所は夫を法的な後見人と認め治療中止を認めたが、両親の懇願に動かされた行政が介入し更なる裁判が続いた。「生きる権利」擁護者やカソリックの人びとが延命中止反対を繰り返し主張した。最終的には夫の主張が認められ、経管栄養チューブ撤去後2週間で患者は死亡した。
アンソニー・ブランドに関する論考でも明らかなように、シンガーは大脳機能を永久的に失った存在は<0031<自己意識や他者との意思疎通能力を完全に欠きいわゆる「人格(personhood)」を完全に失っている。彼らは自分の生を生きることからどのような利益を得ることもない。彼らに対する延命行為も彼らにいかなる利益も与えない。患者にまったく利益を与えない延命をする必要はないと考えている(4)。したがってシャイボ・ケースにおける「生きる権利」擁護者たちの活動が、彼らの意図とは正反対に、多くの米国国民にテリー・シャイボと同じ状況になったら生き続けることを希望しないという意思を明示した事前指示書を書かせたのは大いなる皮肉であり、今後今まで以上に遷延性植物状態患者からの経管栄養チューブ撤去が増えるであろうと述べている(1)。彼は明らかにその現象を歓迎している。
シャイボの「尊厳死」ケースが社会問題になっていた2003〜2005年の間には宗教関係者の発言も目立った。たとえば2004年ローマで開催された国際会議における「延命治療と植物状態」というカンファレンスでは、法王ジョン・ポール二世は「私は、たとえ人工的な手段で与えられていたとしても、水分と食物の投与は常に生命維持のための自然な方法を象徴するものであり、医療行為などではないことをとりわけ強調したい」と発言している。「また患者が死ぬことを承知で水分・栄養補給チューブを撤去することは「不作為による安楽死(enthanasis by omission)だ」とも述べている(5)。
シンガーは2004年のFree Inquiryに"The Pope Moves Backward on Terminal Care"(「法王は末期ケアに逆行する」)という論文を発表し法王の発言を批判している。法王は遷延性植物状態患者の中には部分的に回復する者もいることと、現代医学では誰が回復するか特定することは不可能であることの<0032<二点を自らの延命支持論の根拠にしている。一方シンガーは患者の中には完全に大脳皮質が破壊され決して回復しない事例があり、それは画像診断で判定可能であるとする。またキリスト教関連の病院の現場では、チューブによる人工的水分・栄養補給は延命のための尋常ではない(通常ではない)手段である、患者とその家族に対する利益と負担のバランスを考えてその施行の適切さを判断する、チューブによる人工的水分・栄養補給が善よりも害をもたらすかどうかは実践的な判断だ、などのさまざまな立場があり、法王の見解は「現場」の考えと一致せず医療現場に混乱をもたらすと指摘する。しかし彼はここで次のように付け加えることを忘れない。
(上記の意見を述べた論者は:浅井追加)経管チューブが自分に起きるどんなこともまったくわからない(意識しない)患者を、どのように害することができるのかを説明していない。(5)
さらにもし法王の考えを文字どおり実践するならば、医療の倫理の中核として長く受け入れられてきた患者の自律の原則に抵触するであろうと主張する。遷延性植物状態で生き続けたくないと文書で宣言する人びとがおり、これは連邦最高裁判所でも認められている。法王の考えはこれに逆行し、個人が望むと望まないとに関わらず強制的に水分・栄養補給されなくてはならないという選択の余地のない「生きる権利」しか与えない。それゆえに法王の見解は倫理的に間違っていると判断するのである。そして豪州のカソリック系生命倫理学者ノーマン・フォードの「遷延性植物状態患者は飲んだり食べたりする本能を失いまった<0033<く食欲がないので、彼らに水分と栄養を与えることは、人間としての彼らの尊厳によって要求されることではなく逆に、彼らに対する尊敬の念の欠如を示すものだ」という見解をより人間的だと述べる。」(浅井[2008:31-34])
「参考文献
(1)Peter Singer: Making Our Own Decision about Death: Competency Should Be Paramount. Free Inquiry 2005; 25:36-8
[…]
(4)Peter Singer: Is the Sanctity of Life Ethic terminally Ill? Bioethics 1995; 9:327-343.
(5)Peter Singer: The Pope Moves Backward on Terminal Care. Free Inquiry 2004; 24:19-20.」(浅井[2008:47])
◆村上 弥生 20080229 「誕生における生と死の選択」,山内・浅井編[2008:49-82]
(注3)より「障害者の権利運動は、アメリカ、イギリス、日本だけを見ても、それぞれ異なった時期から独自の取り組みがなされてきた。日本の生命倫理が基本的に英米の理論の輸入に始まったのに対して、障害者の自己主張とその理論化はそれぞれ内発的に、しかし結果として多くの志向を共有しながら展開されてきたことは近年指摘されている。安積純子、岡原正幸、尾中文哉、立岩真也著『増補改訂版、生の技法』藤原書店、一九九五年、立岩真也著『私的所有論』勁草書房、一九九七年。」(p.77)
(立岩著の書名が『弱くある自由へ』になっていますが、出版社、出版年からして『私的所有論』だろうと考え、修正しています――野崎)
■言及・紹介
◆立岩 真也 2013 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版
第5章注8
◆立岩 真也 2009 『唯の生』,筑摩書房 文献表
◆立岩 真也 2022/**/** 『人命の特別を言わず*言う』,筑摩書房
作成:野崎 泰伸・安部 彰