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『『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』』

Pogge, Thomas W. 2008 World Poverty and Human Rights: Cosmopolitan Responsibilities and Reforms, second expanded edition, Cambridge, Polity Press. =20100325 立岩 真也 監訳/池田 浩章安部 彰齊藤 拓岩間 優希村上 慎司石田 知恵原 佑介的場 和子 訳,生活書院,423p.

『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』表紙
   ■目次
   ■日本語版への序文
   ■
   ■参考文献
   ■索引
   ■正誤表
   ■書評・紹介・言及









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last update: 20151116

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Pogge, Thomas W. 2008 World Poverty and Human Rights: Cosmopolitan Responsibilities and Reforms, second expanded edition, Cambridge, Polity Press.=20100325 立岩 真也 監訳/池田 浩章安部 彰齊藤 拓岩間 優希村上 慎司石田 知恵原 佑介的場 和子 訳『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』,生活書院,423p ISBN-10: 4903690520 ISBN-13: 9784903690520  3000 [amazon][kinokuniya] ※

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■目次

日本語版への序文 トマス・ポッゲ

  序論
 T 我々の道徳的判断についてのいくつかの警告
 U 世界の貧困を無視するための4つの安直な理由
 V 世界の貧困についての我々の黙認に関する洗練された弁明
 W 我々の新しい世界的経済秩序は本当に貧困層に害を与えていないか?
  W.1 害の通時的理解がもたらす消極的義務
  W.2 害の仮定的理解がもたらす消極的義務
 X責任と改革

第 1 章 人間的豊かさと普遍的正義
 1.0 序
 1.1 社会正義
 1.2 パターナリズム
 1.3 第1次的近似としての正義
 1.4 いくつかの不可欠な改善
 1.5 人権
 1.6 人権の具体化とそれを実現する責任
 1.7 結語

第 2 章 人権をどのように考えるべきか?
 2.0 序
 2.1 自然法から自然権へ
 2.2 自然権から人権へ
 2.3 公式の軽視
 2.4 社会的および経済的な権利に対するリバタリアンの批判
 2.5 「マニフェスト権利」としての社会的および経済的な権利に対する批判
 2.6 人権の価値に関する論争

第 3 章 道徳原理の抜け穴
 3.0 序
 3.1 誘因の類型
 3.2 抜け穴
 3.3 社会的諸装置
 3.4 ケース1:改築されたアパート
 3.5 ケース2:南アフリカ白人のホームランド政策
 3.6 1つの異論
 3.7 補論
 3.8 架空の歴史
 3.9 同等をめぐる難問
 3.10 結語

第 4 章 道徳普遍主義とグローバルな経済正義
 4.0 序
 4.1 道徳普遍主義
 4.2 国内経済秩序およびグローバル経済秩序に対する我々の道徳的評価
 4.3 グローバル経済秩序に関するいくつかの事実的背景
  4.3.1 世界的貧困の程度
  4.3.2 グローバルな平等の程度
  4.3.3 世界的な貧困と不平等趨勢
 4.4 国内経済正義の構想とグローバル経済正義の構想との対比
 4.5 道徳的普遍守護主義とデイビッド・ミラーの文脈主義
 4.6 文脈主義的道徳的普遍主義とジョン・ロールズの道徳構想
 4.7 二重基準のせいで道徳的評価が食い違うことを合理化する
 4.8 二重基準が存在しない場合に道徳的評価が食い違うのを合理化する
 4.9 深刻な貧困の持続に対するグローバル制度の因果的役割
 4.10 結語

第 5 章 ナショナリズムの境界
 5.0 序
 5.1 常識的ナショナリズム:同胞の利益を優先する
 5.2 高尚なナショナリズム:同胞優先のための正義
 5.3 弁明的ナショナリズム:国民の境界は非常に重要である
 5.4 結語

第 6 章 民主制を達成する
 6.0 序
 6.1 成熟途上の民主制が直面する問題の構造
 6.2 クーデターによる期待報酬を縮小させる
 6.3 権威主義的簒奪者の借入れ特権を掘り崩す
  6.3.1 線引きの問題
  6.3.2 しっぺ返し問題
  6.3.3 エスタブリッシュメント問題
  6.3.4 統合
 6.4 権威主義的簒奪者の自国資源への特権を掘り崩す
 6.5 結語

第 7 章 コスモポリタニズムと主権
 7.0 序
 7.1 人権に基づく制度的コスモポリタニズム
 7.2 国家主権という概念
 7.3 主権性を垂直分散させる主要な理由
  7.3.1 平和と安全
  7.3.2 圧政の軽減
  7.3.3 グローバルな経済的正義
  7.3.4 エコロジー/デモクラシー
 7.4 政治単位の形成と再形成
 7.5 結語

第 8 章 グローバルな制度的秩序によって生み出された貧困の根絶:グローバルな資源配当への覚書
 8.0 序
 8.1 根源的不平等と我々の責任
 8.2 3つの不正義の根拠
  8.2.1 共通の社会的制度による影響
  8.2.2 自然資源使用からの補償なき排除
  8.2.3 共通かつ暴力的な歴史の影響
 8.3 ある控え目な提案
 8.4 改革案の道徳的な論証
 8.5 改革案は道徳主義的か?
 8.6 結語

第 9 章 新薬開発:貧しい人々を除外すべきか?
 9.0 序
 9.1 TRIPS合意とその余波
 9.2 有益な帰結による立論
 9.3 必須薬品の研究開発を促進するよりよい手法に向けて
 9.4 差別的な価格設定
 9.5 必須薬アクセスを拡大するための公共財戦略
 9.6 薬品供給のための完全プル計画
 9.7 基本的な完全プル理念の詳記と実行
 9.8 裕福な市民とその代表者たちに計画を正当化する

おわりに

思ったこと+あとがき 立岩真也

参考文献

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■日本語版への序文

 本書の中心的主張は次のとおりである。現存するこのグローバルな制度的秩序〔global institutional order〕、最も強い影響力がある国々によって設計されてきたこの秩序のあり方は、著しく不正義なものである。なぜなら、現代世界における生命毀損的な貧困〔life-threathing poverty〕の大規模な持続には、この秩序がおおいに関与してしまっているからである。現存する貧困の大部分は、このグローバルな制度的秩序の小規模な諸改革によって回避可能であり、その改革の機会費用は世界の富裕層にとって微々たるものであるはずだ。そのような諸改革のいくつかは政治的に現実的であり、ほんの数年のうちに達成可能である。だがそれらの改革が実際に達成されるのは、富裕な国々にいる人々がそれを支持し要求する場合に限られるだろう。
 このような状況にあって、日本の市民たちにこうして直接語りかける機会を設けてくれたことについて、立岩真也教授、安部彰、原佑介、池田浩章、石田智恵、岩間優希、的場和子、村上慎司、齊藤拓、大庭健教授らに深く感謝する。あなた方日本市民は富裕で経済力のある国々に属しているわけだが、それらの国々には現にあるグローバルな制度的秩序の設計に大きな責任がある。さらに、あなた方日本人と私と同世代のドイツ人たちは、我々市民が自国政府の諸政策に対し負う道徳的責任についての研ぎ澄まされた感覚を共有している。このことを私は訪日と多くの日本人訪問客に出会った南京訪問を通じて知っている。
 第二次世界大戦以後の時代は、世界全体で家計あたりの平均所得が一貫して健全なかたちで成長し、いまや6,000ドルに近づきつつある。それでも慢性的に栄養不足の人々の数が、最近になって人類史上初めて10億人を突破したし★T、貧困に関連する原因による年間の死亡者数は1,800万人付近で推移しており、これは人類全体の死の3分の1に相当する★U。こんなことがどのようにして可能なのか?
 その答えは言うまでもない。世界人口のうちのより貧しい階層の人々がグローバルな経済成長の恩恵に応分にあずかってこなかったからである。ここ30年にわたるグローバル化の期間はとくにそうだった。この期間中、世界全体においても、多くの国々の内部においても、不平等が劇的に増大した。国内不平等の上昇は世界中あらゆる場所において、豊かな国でも貧しい国でも見られたが、そこには中国や米国といった強い影響力を持つ国々も含まれている。この現象はよく知られているクズネッツ曲線と矛盾する。それによれば、経済的不平等は産業化の間は上昇し、その後経済の成熟とともに落ち着くはずである。実際、米国においても大恐慌から1970年代半ばまで不平等は減少したが、それ以後は再び上昇し、1920年代後半に到達したピークを上回るまでになっている。こういった趨勢が民主的統制を超えた動きをする手前の段階で、我々がこの趨勢を理解し統制することが人類の未来にとって決定的に重要なのである。
 何がこれらの趨勢をもたらしているのかについて、私の理解はかなり直截なものである。すなわち、この世界がますます緊密で重要なものとなりつつある単一のグローバルな諸ルール体系によって統べられるようになったというのが、グローバル化の重要な要素の一つにほかならない。だがその諸ルールは、あらゆる種類の超国家的な相互作用を形成し規制しているし、ますます純粋に国家的な相互作用をも形成し規制するようになっている。これら諸ルールはグローバル経済成長やグローバル生産の分配にとって甚大な影響があるので、その設計は激しい議論の対象となる。世界経済の諸ルールをめぐるこの闘争において、すでに富裕な立場にある者たちが専門知識と交渉力において圧倒的な優位を享受している。彼らは諸ルールの設計に影響を及ぼすための手段をはるかに多く持っているし、自らの影響力を最大限有利に行使する方法を調査する機会にも恵まれている。これに対しグローバル貧困層は――自国のルールに対するある程度小さな影響力が民主的手続きによって許容されているとはいえ――、超国家的な諸ルールの設計に関して影響力をまったく持っていない。また、そのような影響力ある者たちには、彼ら自身の決定がグローバル貧困層に対して与えるだろう効果を考慮する誘因〔incentives〕などまったく生じない。途上国の統治エリートたちにおいては、自国の貧しい同国民たちを保護する誘因よりも、強力な外国の政府や企業に迎合する誘因――それら政府や企業はそのような迎合に対して相当な見返りを提供することができる――の方がはるかに強くなるのだ。このように増大しつつある超国家的ルールの影響力によって、人類の多数派を構成している貧しい人々は――世界全体においても、彼らの国それぞれの内部においても――周縁化〔marginalization〕させられるようになっている。この周縁化はまた、自己強化的であり自己永続的でもある。グローバル家計所得の8.4%とグローバル個人資産の4%しか有してない人類の貧しい方の4分の3に属する階層にとって、国際交渉において彼らの利益が無視されることは目に見えている。グローバル家計所得の49%とグローバル個人資産の71%をも有している人類の最高20分の1の階層がことを牛耳っており、なおもその地歩を拡大させている。
 当該期間にわたってグローバル家計所得の取り分〔share〕が実際どのように変遷してきたのかをより広く見ることによって、この[不平等の拡大についての]常識的な説明 を裏づけることにしよう。下の表は、家計当たりの所得を使って世界人口を20の等しい数の集団(「二十分位〔ventiles〕」)に分割し、それぞれが得ている割合を示している★V。

世界所得  1988  1993  1998  2002  変化率
最低二十分位 0.139%  0.091%  0.076%  0.109%  -21.4%
第2二十分位 0.198%  0.136%  0.142%  0.150%  -24.4%
第3二十分位 0.239%  0.167%  0.180%  0.187%  -21.8%
第4二十分位 0.275%  0.196%  0.215%  0.222%  -19.2%
第5二十分位 0.304%  0.230%  0.253%  0.254%  -16.3%
第5二十分位 0.364%  0.266%  0.301%  0.297%  -18.4%
第7二十分位 0.389%  0.304%  0.349%  0.342%  -12.0%
第8二十分位 0.462%  0.360%  0.424%  0.398%  -13.8%
第9二十分位 0.523%  0.432%  0.506%  0.467%  -10.7%
第10二十分位 0.632%  0.508%  0.584%  0.552%  -12.6%
第11二十分位 0.736%  0.604%  0.701%  0.663%  -9.9%
第12二十分位 0.953%  0.773%  0.888%  0.810%  -14.9%
第13二十分位 1.210%  0.995%  1.112%  0.994%  -17.9%
第14二十分位 1.692%  1.285%  1.467%  1.306%  -22.8%
第15二十分位 2.383%  1.845%  1.982%  1.666%  -30.1%
第16二十分位 3.673%  3.076%  3.227%  2.481%  -32.4%
第17二十分位 7.317%  6.566%  6.504%  5.344%  -27.0%
第18二十分位 13.844%  13.696%  13.223%  12.678%  -8.4%
第19二十分位 21.797%  22.610%  22.335%  22.280%  +2.2%
最高二十分位 42.872%  45.860%  45.532%  48.799%  +13.8%

 データが示しているのは、非常に大きな不平等の上昇があったということだ。人類の下半分はいまやグローバル家計所得の3%未満に落ち込んでしまっているし、人類の下から40%は2%未満である。とくに激しい落ち込みが起こったのは人類の下から30%であり、これが生命毀損的貧困の持続に大いに関与してしまっている。これら下層の6つの二十分位が1988年に保持していたわずかな取り分をただ維持することさえできていれば、(経済成長が同じであると仮定するなら)今日の生命毀損的貧困の半分以上は回避されていたはずだ。
 落ち込みは底辺6つの二十分位にとどまらなかった。表によれば、下から18の二十分位すべてで相当の落ち込みがあったことがわかる。また所得取り分の相当な上昇が見られた二十分位はたった一つであったことも表から明らかである。すなわち、最高二十分位だけが、わずか14年の間にグローバル家計所得を6%も上昇させたのである。この上昇は莫大なものである。グローバル家計所得のこの6%が底辺12の二十分位へ行っていたなら、各二十分位はそれぞれグローバル家計所得取り分を0.87%に伸ばすことができたのであり、それによって深刻な貧困は世界中で実質的に根絶されていたはずだ。
 ここで、過去30年間に国家間でかなりの相違があった国家内部での不平等の変遷に手短にふれておこう。この主題に関する世界開発経済研究所〔WIDER〕のデータベースでは159の国と地域について5,313個の調査がリスト化されている。これらのうち(日本を含む)111の 行政管轄区〔jurisdiction〕について利用可能なデータは断片的〔spotty〕であるか、明確な傾向を示していない。ブラジル・フランス・モーリタニア・シエラレオネでは、1980年代よりもこの10年期で所得不平等が明らかに減少したことが示されている――残り44の行政管轄区では不平等が明確に上昇している★W。米国は格好の事例である。1980-2007年の期間において、下半分の所得取り分は17.68%から12.26%へと下落した★X。それとだいたい同じ期間(1978-2007年)において、米国人口のトップ1%の所得取り分は2.6倍―― 8.95%から23.50%――になり、米国人口のトップ0.1%の所得取り分は4.6倍――2.65%から12.28%――になり、米国人口のトップ0.01%の所得取り分は7倍―― 0.86%から6.04%――になった★Y。 トップ0.01%――およそ30,000人(14,000の納税申告単位)――が底辺1億5,000万人の所得の半分近くを有している。そしてこの同じ30,000の人々が、人類の下半分――2007年ではおよそ33億人――の所得の約3分の2を有している。このデータから明らかなのは、急速に上昇している経済的不平等からの利益が社会的−経済的な階層の一握りのトップに集中しているということであり、これは国家的統制力〔regulatory capture〕にとっての深刻な危険を意味する。つまり、少数の大富豪である諸個人および諸集団が、彼らの有利なように国家と世界のルールを形成する、そんな誘因と金銭的手段と組織的能力とを持つということなのだ――これがいっそう懸念されるのは、政治的決定に影響を与えるための大規模な企業献金は言論の自由という憲法上の権利によって保護されるとする立場を連邦最高裁が奇妙にも堅持しているからである★Z。米国人口の下半分および世界人口の下85%がこの新たなグローバル・エリートによる押しつけに抵抗するというのは、その最大限の努力をもってはじめて可能なことである。また勢力均衡関係は、彼らに不利な方へと急速に移行しつつある。
 第二の事例として、次世紀およびそれ以降の世紀におけるきわめて重要なもう一つの国である中国の趨勢を見ることにしよう。下の表は最近14年の期間にわたる所得不平等の変遷を記録したものであり、中国の家計所得における各十分位〔decile〕の取り分をパーセンテージで示している★[。不平等は劇的に上昇しており、最低分位はまさにこの14年の期間中にその取り分を半分近くも失っている。そしてここでも、利益は最高分位に集中している。

中国の所得  1990  1992  1995  1998  2001  2004
最低十分位 3.08%  2.57%  2.22%  2.39%  1.80%  1.62%
第2十分位 4.25%  3.60%  3.28%  3.47%  2.86%  2.63%
第3十分位 5.36%  4.64%  4.34%  4.55%  3.92%  3.69%
第4十分位 6.49%  5.73%  5.48%  5.65%  5.08%  4.79%
第5十分位 7.65%  6.95%  6.70%  6.86%  6.36%  6.12%
第6十分位 8.97%  8.34%  8.15%  8.24%  7.86%  7.56%
第7十分位 10.55%  10.10%  9.93%  9.93%  9.74%  9.56%
第8十分位 12.66%  12.51%  12.41%  12.27%  12.39%  12.17%
第9十分位 16.01%  16.55%  16.61%  16.23%  16.93%  16.92%
最高十分位 24.98%  29.01%  30.88%  30.41%  33.06%  34.94%

 同じような構図は中国の資産格差の変遷を眺める際にも表れてくる。ここでも、相対的な意味での資産移転が劇的に生じており、その便益は最高分位に狭く集中している。最も資産のある中国人十分の1階層は1995年の時点ですでに底辺58%層の合計額と同じ資産を有していたが、2002年には、この最も資産のある十分の1階層が底辺80%層の合計額以上の資産を有している★\。

中国の資産  1995  2002
最低十分位 2.0%  0.7%
第2十分位 3.8%  2.1%
第3十分位 5.0%  3.0%
第4十分位 6.1%  3.8%
第5十分位 7.2%  4.8%
第6十分位 8.4%  6.2%
第7十分位 9.8%  8.3%
第8十分位 11.8%  11.8%
第9十分位 15.2%  17.9%
最高十分位 30.8%  41.4%

 より富裕なエリート層がその政治システムを中国経済のルールを形成することを目的として使えるようになっていくので、この二極化は自己強化的傾向があるのではないかとの深刻な懸念がある。よりいっそう深刻なのは、中国国内の富裕層が中国の外交政策を形成するようになり、それによって世界経済の将来の編成に対して――米国の大富豪層と一緒になって――相当の影響力を行使するのではないかという見通しである。この影響力ある両国の人民の大多数には、自らの関心と道徳的価値をグローバル制度の設計に及ぼすための知識も手段も欠如している。
 本書『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』の道徳上の焦点は、不平等ではなく貧困に置かれている。それゆえ、所得および資産の急速な二極化〔不平等〕の重要性は二次的〔indirect〕なものである。つまりこの二極化〔不平等〕は、生命毀損的貧困が広範に持続していることによって、主に引き起こされているのである。この著作が英語圏で引き起こした数々の強烈な〔lively〕批判と議論★]から私も学んできているから、しばしば誤解されている本書の基本的な要点をいくつか明示化することで締め括りとさせてもらおう。
 本書の中心的主張は、現行のグローバルな制度的秩序がきわめて不正義であるということ、そして世界の強力な国々によるこの秩序の継続的な押しつけが、一つの大規模な――全人類史上において最も重大ではないとしても、おそらくは最も大規模な――人権侵害を構成しているということである。この主張を支持するにあたって私は、完成された正義論を展開するのではなく、人権というものを制度的枠組みに対する制約として理解するような、もっと要求度の低い正義論を展開したのである。その説明に依拠するならば、国家的およびグローバルな制度的秩序は、広範かつ回避可能な人権の欠損〔human rights deficit〕を、予見可能であるにもかかわらず、生み出してしまうようなかたちで設計されているとしたら、すべからく不正義である。この説明が示唆しているのは、あらゆる制度的秩序はその成員の人権を――それが無理なく可能であるかぎりは――実現するように設計されていなければならないということだ。これは、その条件を満たすあらゆる秩序はそれゆえ正義に適ったものであるということを意味するものではない。その説明は、何らかの国家的ないしグローバルな制度的枠組みが正義に適うものであるために満たさねばならない追加的条件とは何かについては態度を留保している。そこでは、人権はグローバルに共有可能な一つの中核的な正義構想として――最も完成された正義構想が優先順位の最も高い至上命題として受け容れることのできるものとして、すなわち正義の(おそらく十分条件ではないが)必要条件として――提示されているのである。
 ある制度的秩序が――私が明確化した中核的な意味において――不正義である場合、そのときこの秩序の設計と押しつけに物理的に関わっている人々は、回避可能な人権の欠損で苦しんでいる人々に危害を加えていると言われてよい。この点には2つの限定が必要である。まず、ある不正義な制度的枠組みの押しつけに関与することを▲強制されている▲諸個人は除外されねばならない。また制度改革に向けて、あるいは不正義の犠牲者の保護に向けて努力することによって、自らの関与を▲完全に償っている▲諸個人もまた除外されねばならない。前者にはその関与の責を負わせることができない(この責は彼らを強要した人々に帰される)し、後者は全体的に見ればその集合的な加害に関与していることにはならない。
 だから、制度的枠組みに対する制約としての人権という私の解釈は、一見するほどには、通常の解釈から劇的に乖離しているというわけではない。私が通常の解釈を踏襲しているのは、人権というものを人的な主体〔agents〕(個人、企業、結社、政府、国際機関、およびそれに類するもの)の行為に対する制約と見なしている点においてであり、この人的な主体は人間に特定の深刻な加害をもたらさないよう要請される。私がただ注意すべきと思うのは、深刻な加害をもたらしたり、人権の達成を妨害するあり方の中でますます重要になりつつある一つが、人的な主体が設計したり押しつけたりする社会的ルールを通じてのものであるということである。それゆえ、人権を適切に承認するとは、ただたんに主体は直接的に人間に害を与えてはならないということだけではない。彼らが間接的に人間を加害してはならないことも含意される。すなわち、広範かつ回避可能な人権の欠損を予見可能であるにもかかわらず生み出してしまうような何らかの制度的秩序を設計したり人間に押しつけたりすることに――償いのための改革や犠牲者保護の努力をすることもなしに――加担することで、加害してはならないのである。
 私の提案している人権に基づく最低限の正義基準に照らして、ある制度的秩序が失格とされるためには、以下の4つの条件が満たされねばならない。(1)当該の制度的秩序への参加者たちのあいだに▲広範な人権の欠損▲が存在しなければならない。(2)この人権の欠損は▲予見可能▲でなければならない。(3)この人権の欠損は▲無理なく回避可能▲でもなければならず、その意味するところは、同等の人権の欠損や同等に重大な他の害悪をもたらすことのないような当該制度的秩序の実行可能な代替的設計が存在するということである。(4)そして、そのような代替的設計が手の届くものであることも▲予見可能▲でなければならない。
 現行のグローバル秩序について言えば、世界中の人間の中に広範な人権の欠損が存在することは明らかである。この欠損の大部分は貧困ととても密接に結びついている。この結びつきは、「食料、衣服、住居、保健医療を含む、当人およびその家族の健康と福祉にとって妥当な生活水準への権利★]T」といった、基本的な社会的人権や経済的人権の場合において、きわめて密接である。民主的な統治や法の支配に関わる市民的人権や政治的人権の場合には、この結びつきはもっと間接的である。絶望的なまでに貧しい人々は、往々にして発育を妨げられており、読み書きができず、生存闘争のために時間を取られるので、自分たちの支配者に反抗したりそれに見返りを与えたりするための効果的な手段を欠いているのが普通である。それゆえ、その支配者たちは、見返りを与える力のもっとある他の(往々にして外国の)主体の利益には奉仕しておきながら、彼ら貧しい人々を抑圧的に統治することが多いのである。

 その欠損が予見可能であることを否定するものは何ひとつない。我々は、今年(2010年)には約900万人の子供が貧困に関連する原因で死ぬだろうことを知っているし、数億人が飢餓や容易に治療可能であるにもかかわらず治療されない疾病によってひどく苦しむだろうことを知っている。
 残り2つの条件が満たされていることを示すのはいくぶん困難である。それゆえ、私は――グローバル資源配当(本書第8章)やグローバルな製薬特許体制の改革案(本書第9章)といった――数々の控え目なグローバル制度改革を考案すると同時に、これらの改革が現行のグローバルな人権の欠損を相当に低減させるであろうことも示そうと努めている。また私は、グローバルな貧困が人道的な見地ではどれほど甚大であろうと、経済的な見地では些細なものであることも示している。世界銀行の報告によれば、30億8,500万の人間、すなわち人類の半分近くが2005年には1日当たり2.5ドル相当の購買力に達しない生活をしており、この水準を平均して45%下回っていたとされるが、この〔2.5ドルという〕水準からの不足額総計〔いわゆる貧困ギャップ〕は、世界所得の1.3%、すなわち高所得諸国のGNI総計の1.4%にすぎなかった。深刻な貧困の大部分を根絶させるだろう制度改革は明らかに実行可能である。そして深刻な貧困がこのように年々永続することとそれに伴う人権の欠損は、このとき、影響力のある国々とその市民たちが――多くの場合、いわゆる発展途上国の統治エリートたちとの提携によって――グローバル貧困層に対してもたらしている加害にほからならないのである。
 私が定式化した人権に基づく最小限の正義基準は、弱いものであるとはいえ、多くの貧しい国々の国内制度的秩序に対するだけでなくグローバルな制度的秩序に対する――ならびに、そのような不正義な制度上の配置設計や押しつけに関して責任を共有している人々に対する――痛烈な道徳的批判を支持するに十分なほどには、強いものである。少なくとも、広範で回避可能な人権の欠損を生み出すことのないところにまでグローバルな制度的秩序を改革するという試みに参加しないのであれば、我々には道徳的にまともな生を送ることなど到底不可能である。
 そのようなより正義に適ったグローバル秩序は、人口過剰、環境悪化、大量破壊兵器の使用といった人類の未来を暗澹とさせているその他の大問題を克服するための鍵でもある。
 貧困と疾病は環境問題を昂進させてしまう。貧困層は通常、自らの行為が環境に及ぼす長期的な影響を適切に考慮する余裕などないからである。貧しい人々は燃料効率的で低汚染の調理法を省みる余裕などないし、彼らが見つけられる燃えやすい素材であれば何であれ、環境への費用にかかわらず、使わざるをえない。たしかに、貧しい人々はより富裕な階層の中の典型的な個人よりも、▲一人あたりでは▲環境への損害をはるかにわずかしか与えていない。だが彼らは、▲単位所得あたりでは▲環境への損害をより多く与えている。そしてこれが示唆しているのは、他の事情が同じなら、深刻な貧困を回避するだろう所得および資産のより平等な分配は、現行の極端なまでに不平等な分配よりも、環境的に望ましいということである。この考察は、もっと大きく長期的な意義を持つもう一つの考察によって補完される。非常に貧しい人々は産児制限をする余裕がない。というのも、彼らには、生まれた子供たちが生き延びるかどうか、生き延びる子供がいなかった場合に彼ら自身が年老いてからも生きていられるかどうか、まったく確実性だからである。実証的には非常によく確認されているように、深刻な貧困は急速な人口増加と因果的に連関しており、そしてその急速な人口増加は環境悪化の主要な駆動因の一つなのである。それゆえ、深刻な貧困の根絶は人類の数を――望むらくは100億人という目標値より下で――早期に横這いさせる試みにとっての妥当で実効的な戦略なのである★]U。
 国際関係を人類共通の価値に沿って道徳的なものとすることは、政策手段としての軍事力とそれによる脅威を無効化するために我々が必要とする信頼を構築するための必要条件である。この点に関して、戦後の日本は〔軍事力の〕自制の模範〔example〕であり続けてきた。だが日本は、この世界で緊急に必要とされている道徳的な指導者の模範にはまだなっていない。本書によって、どうすれば正義に適った持続可能なグローバル制度編成を我々が共に達成することができるのかについての公共的省察が日本で高まることを、私は強く希望している。

2010年2月7日 ニューヘブン トマス・ポッゲ


T Food and Agriculture Organization of the United Nations, "1.02 Billion People Hungry," News Release, June 19, 2009, available at www.fao.org/news/story/en/item/20568/icode/, accessed February 7, 2010.
U World Health Organization, The Global Burden of Disease: 2004 Update (Geneva: WHO Publications 2008)の表A1(pp. 54-9)を見よ。また、同文書は以下で入手可能である。www.who.int/healthinfo/global_burden_disease/2004_report_update/en/index.html.
V データの提供は世界銀行のブランコ・ミラノビック〔Branko Milanovic〕氏の厚意による。現時点で包括的なデータが入手可能なのは、ここで挙げられている4つの年だけである。取り分は当該年の為替レートに基づいて計算されている。資産の不平等はこれよりもさらに大きなものであり、2000年には人類のうち最も資産のある1%層がグローバル家計資産の39.9%を所有している。本書の注142を見よ。
W United Nations University-World Institute for Development Economics Research, World Income Inequality Database, Version 2.0c, May 2008を見よ。なお、同文書は以下で入手可能である。www.wider.unu.edu/research/Database/en_GB/database.
X Tax Foundation, "Fiscal Facts." July 30, 2009, available at www.taxfoundation.org/publications/show/250.htmltable 5.
Y Table A3 in Emmanuel Saez and Thomas Piketty, "Income Inequality in the United States, 1913-1998," Quarterly Journal of Economics 118 (2003): 1-39, as updated in "Tables and Figures Updated to 2007 in Excel Format," August 2009, available at elsa.berkeley.edu/~saez/. 同文献の表1は直近の米国の経済拡張期(2002-7年)における16%という一人当たり家計所得の伸びを分解分析したものだが、それによればトップ1%層が62%の実質成長を享受したのに対して人口の残り99%層は7%しか成長していない。トップ1%層は一人当たり実質経済成長の65%を獲得した。その前のクリントン時代の経済拡張期(1993-2000年)には、トップ1%層は米国の一人当たり実質経済成長の45%を獲得していた。
Z Adam Liptak, "Justices, 5-4, Reject Corporate Spending Limit," New York Times, January 21, 2010, available at www.nytimes.com/2010/01/22/us/politics/22scotus.html. また同法廷による1976年のBuckley v. Valeo事件判決(http://en.wikipedia.org/wiki/Buckley_v._Valeo)、および、John Rawls, Political Liberalism (New York: Columbia University Press 1993), lecture 8による同判決に対する強烈な批判も見よ。
[ 2004年以前の数値はCamelia Minoiu and Sanjay Reddy, "Chinese Poverty: Assessing the Impact of Alternative Assumptions," Review of Income and Wealth 54/4 (December 2008), 572-596の表1(p. 577)で報告されたものとしての世界銀行のデータに基づいている。なお、同文書はhttp://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=799844で入手可能である。2004年のデータはWorld Bank, World Development Indicators 2008 (Washington, DC: World Bank Publications 2008)の表2.8 (p. 68)からであり、同文書はhttp://go.worldbank.org/XUR6QHSYJ0から入手可能である。最近の世界銀行の発表によれば、中国の2005年の所得不平等の推計値が劇的に低くなった――Table 2.9 (p. 72) of World Bank, World Development Indicators 2009 (Washington, DC: World Bank Publications 2009), also available at http://go.worldbank.org/U0FSM7AQ40。残念ながら、これは中国の貧困層の境遇の変化を反映しているというよりは、地域別農村家計支出値を新しく37%と再評価する措置を含む、計測方法の見直しを反映している。詳細については、Thomas Pogge, Poverty as Usual: What Lies Behind the Pro-Poor Rhetoric (Cambridge Polity Press 2010)の4.2節および5.3節を見よ。
\ Data from Table 10 in Shi Li and Renwei Zhou, "Changes in the Distribution of Wealth in China," UNU-WIDER Research Paper 2007/03, January 2007, available at www.wider.unu.edu/publications/working-papers/research-papers/2007/en_GB/rp2007-03/, accessed February 7, 2010.
] この批判と議論の一部は"Symposium on World Poverty and Human Rights" in Ethics and International Affairs 19/1 (2005), 1-84に収録されている。それは、私の序論と、マテイアス・リッセ[Mathias Risse], アラン・パッテン[Alan Patten], ローワン・クルフト[Rowan Cruft], ノルベルト・アンヴァンデラー[Norbert Anwander], デボラ・サッツ[Debra Satz]といった批判者たちによる論文、それらに対する私の回答からなっている。また、論文集であるAlison Jaggar, ed., Pogge and His Critics (Cambridge: Polity Press forthcoming)も見よ。この本はヨシュア・コーエン[Joshua Cohen], クック=コラ・タン[Kok-Chor Tan], ニーラ・チャンドーク[Neera Chandhoke], ジーウエイ・ツ[Jiwei Ci], エリン・ケリー[Erin Kelly]、ライオネル・マクファーソン[Lionel McPherson], リーフ・ウィーナー[Leif Wenar], チャールズ・ミルズ[Charles Mills]といった批判者たちが寄稿しており、それらに対する私の回答もある。
]T 「世界人権宣言」第25条
]U アマルティア・セン〔Amartya Sen〕(注14)は、この因果連関に人々の注意を向けさせた最初の論者だった。今では地域および文化を横断した実証的証拠が豊富に存在しており、それによれば貧困が減少すると出生率も急激に低下する。人々が、とくに女性たちが、避妊手段やそれに関する知識を獲得したり、自分の子供たちが成人まで生存するであろうことや高齢期における自分自身の人生が保障されるであろうことについて、ある程度の確信を獲得したりしたところではどこでも、出生率〔rate of reproduction〕が相当に低下した。この傾向は、貧困が減少した地域での合計特殊出生率(女性1人当たりの子供の数)の劇的な低下に見て取ることができる。過去55年で、この率は東アジアで5.42から1.72へと下落し、例えば日本では3.00から1.27へ、ポルトガルでは3.04から1.38へ、オーストラリアでは3.18から1.83へと下落した。対照的に、経済的に停滞した貧しい国々では、同じ期間にわたってほとんど変化がなかった。合計特殊出生率の変化は、赤道ギニア共和国では5.50から5.36、マリ共和国では6.23から5.49、ニジェール共和国では6.86から7.15、シエラレオネ共和国では5.52から5.22だった(UN Population Division, World Population Prospects: The 2008 Revision, available at http://esa.un.org/unpp/index.asp?panel=2, accessed February 7, 2010)。この相関は共時的な比較によってさらに確かなものとなる。
 現時点で、合計特殊出生率は最も発展の後れた50の国々については4.39であるのに対して、もっと発展した地域については1.64、それ以外の国々については2.46である(ibid.)。国別の合計特殊出生率の完全なリストによっても貧困との強い相関が確かめられるのだが、それが示すところでは、およそ90の富裕な国々ではすでに合計特殊出生率が2を下回るまでになっている。Central Intelligence Agency, Country Comparison: Total Fertility Rate in The World Factbookを見よ。また、この文書は以下で入手可能であるが、そこでは将来の更なる人口減少が予示されている https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2127rank.html,accessed February 7, 2010。これらのデータは、総合すれば、貧困削減が大規模な出生率低下に結び付くことの否定しようもない証拠なのである。

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■書評・紹介・言及

◆立岩 真也 20140825 『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+ [amazon][kinokuniya] ※
大庭 健 2010/08/14 「豊かな国の市民は“加害”をやめる義務を負っている、のか?―― 国際的な経済取引の結果として生じた貧困の是正に向けた議論」、『図書新聞』第2978号 ◆齊藤 純一 2010/07/23 ◇アンケート特集=上半期の収穫から・45人へのアンケート」特集=印象に残った本135冊/「2010年上半期の収穫から」、『週刊読書人』第2848号
立岩 真也 2010/06/01 「最低限?――唯の生の辺りに・2」,『月刊福祉』2010-6


UP:20100217 REV:20100221, 20100324, 0326, 0416, 0513, 0523, 0902, 20140824, 20151116
Pogge, Thomas W.  ◇哲学/政治哲学(political philosophy)/倫理学  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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