HOME > BOOK >

『自己と他者の統治:コレージュ・ド・フランス講義1982-1983年度(ミシェル・フーコー講義集成XII)』

Foucault,Michel 2003 Le gouvernement de soi et des autres: Cours au Collège de France. 1982-1983,Seuil/Gallimard
=20100424 阿部 崇訳 筑摩書房 528p.

last update:20101217

このHP経由で購入すると寄付されます

Foucault,Michel 2003 Le gouvernement de soi et des autres: Cours au Collège de France. 1982-1983,Seuil/Gallimard
=20100424 阿部 崇訳 『自己と他者の統治:コレージュ・ド・フランス講義1982-1983年度(ミシェル・フーコー講義集成XII)』,筑摩書房 476p. ISBN-10: 4480790527 ISBN-13: 978-4-480-79052-1 \5800+税 [amazon][kinokuniya] ※

■内容

政治におけるパレーシアとは何か―フーコー哲学の到達点を示す最晩年の講義。カント「啓蒙について」からパレーシア概念へ―稀有な哲学者が織りなす最晩年の思考の閃光。

■目次


緒言

一九八二―一九八三年度講義

一九八三年一月五日の講義 第一時限 (3) *以下()内の数字はページを示す
方法についての注釈
カントのテクスト「啓蒙とは何か」の分析
刊行に関する条件:雑誌
キリスト教世界の啓蒙とユダヤ教世界のハスカラーとの出会い:良心の自由
哲学と現在性【アクチュアリティ】
フランス革命についての問い
批判の二通りの継承

一九八三年一月五日の講義 第二時限 (31)
未成年状態という観念:本来的な無能力でもなく、権利の専横的な剥奪でもない
未成年状態から抜け出ること、批判という営みを行うこと
三つの『批判』の影
解放の難しさ:怠惰と臆病、解放者の失敗は予見されているということ
未成年状態を生み出すもの:服従と、思考の働きの不在の重なり合い。理性の私的使用・公的使用の混同
カントのテクスト末尾における方向転換がはらむ問題

一九八三年一月十二日の講義 第一時限 (51)
方法論の再確認
今年度の研究対象の確定
パレーシアと自己の陶冶
ガレノスの『情念論』
パレーシア:概念を囲い込む難しさ、文献的指標
持続的、多義的で曖昧な概念
シュラクサイの暴君に対するプラトン:範例的なパレーシアの場面
オイディプスの反映
パレーシア対論証/教育/議論
危険という要素

一九八三年一月十二日の講義 第二時限 (75)
パレーシア的言表が行為遂行的言表に還元できない点:不確定な危険を開くこと/個人的な信条を公然と表明すること/自由にもとつく勇気を賭けること
言説の語用諭【プラグマティック】とドラマ
パレーシアの概念の古典的用法:民主制(ポリュビオス)と市民権(エウリピデス)

一九八三年一月十九日の講義 第一時限 (93)
アテナイの神話と歴史におけるイオンの人物像
エウリピデスの悲劇の政治的背景:ニキアスの和約
イオンの生誕についての物語
『イオン』における真理の操作術的図式
三つの〈真実の語り〉の関わり合い
神託/告白/政治的言説
『イオン』と『オイディプス王』の構造的比較
『イオン』における〈真実の語り〉の冒険:二重の半=虚偽

一九八三年一月十九日の講義 第二時限 (121)
イオン:とるにもたらぬロクでなし
市民の三つのカテゴリー
イオンが政治の世界に闖入することがもたらす結果
私的領域で憎まれることと公的領域で暴君となること
母をたずねて
権力の実際的行使や市民の地位についての条件にパレーシアを還元することの不可能性
真実の語りにおける闘争的なゲーム:自由と危険
歴史的背景:クレオンとニキアスの論争
クレウサの怒り

一九八三年一月二十六日の講義 第一時限 (141)
『イオン』と『オイディプス王』の比較の続きと終わり:真実は探求によってではなく、情念の衝突から生まれる
錯覚と情念の支配
告白と糾弾の叫び
アポロンについてのG・デュメジルの分析
『イオン』に当てはめられた、デュメジルのカテゴリーの再確認
声という主題の悲劇的変調
黄金という主題の悲劇的変調

一九八三年一月二十六日の講義 第二時限 (165)
肥沃さというの悲劇的変調
呪詛としてのパレーシア:弱者が、権力者の不正を公の場で告発すること
クレウサの第二の告白:告白する声
最後の山場:殺害の計画からアテナの出現へ

一九八三年二月二日の講義 第一時限 (187)
再びポリュビオスのテクストについて
『イオン』の再検討:神と人間による真実の語り
パレーシアの三つのあり方:政治的=身分にもとづくもの、法的なもの、道徳的なもの
政治的パレーシア:それが民主制と結びついていること、それが闘争的構造に根を持っていること
ポリュビオスのテクストの再検討:イセーゴリアとパレーシアの関係
ポリテイアとデュナステイア:政治を経験として考えること
エウリピデスにおけるパレーシア:『フェニキアの女たち』、『ヒッポリュトス』、『バッコスの信女』、『オレステス』
オレステスの裁判

一九八三年二月二日の講義 第二時限 (215)
パレーシアの四角形:形式的な条件/事実上の条件/真実という条件/道徳的条件
トゥキュディデスにおける、民主的なパレーシアの正しい機能の例:ペリクレスの三つの演説
イソクラテスにおける悪しきパレーシア

一九八三年二月九日の講義 第一時限 (231)
パレーシア:日常的な用いられ方、政治的な用いられ方
三つの範例的な場面の再検討:トゥキュディデス、イソクラテス、プルタルコス
パレーシアの進化の趨勢
古代の政治哲学における四つの主要な問題:理想的な国家、民主制と独裁制とに分けられる諸々の長所、君主の魂への呼びかけ、哲学と弁論術との関係
プラトンの三つのテクストの分析

一九八三年二月九日の講義 第二時限 (259)
プラトンの『書簡集』:その位置づけ
第五書簡の分析:政体のフォネー、介入しないことの理由
第七書簡の分析
ディオンの物語
プラトンの政治的自伝
シチリアへの旅
何故プラトンは応じたのか:カイロス、フィリア、エルゴン

一九八三年二月十六日の講義 第一時限 (275)
哲学的エルゴン
『アルキビアデス』との比較
哲学における現実:権力に対して勇気を持って発言すること
現実の最初の条件:聴取、第一の循環構造
哲学的営み:選択、道程、適用
自己による自己への働きかけとしての哲学における現実(第二の循環構造)

一九八三年二月十六日の講義 第二時限 (303)
ディオニシオスの落第
プラトンにおける書くこと【エクリチュール】の拒否
マテーマタ対スターシア
魂の実践行為としての哲学
第七書簡における哲学的余談:認識の五つの要素
第三の循環構造:認識の循環構造
哲学者と立法者
プラトンの現代的解釈についての最後の指摘

一九八三年二月二十三日の講義 第一時限 (319)
プラトンの政治的助言の謎めいた平板さ
ディオニュシオスへの助言
診断、説得の行使、体制についての提案
ディオンの友人たちへの助言
第八書簡の分析
政治的助言の根源にあるパレーシア

一九八三年二月二十三日の講義 第一時限 (351)
哲学と政治:その必然的な関係、しかし両者の一致はあり得ない
政治との関係におけるキュニコス学派とプラトン学派のゲーム
新たな歴史的状況:都市国家を超えて、新たな政治的統一体を思考すること
公共の場から君主の魂へ
哲学者=王というプラトン的な主題

一九八三年三月二日の講義 第一時限 (367)
政治的パレーシアについての一連のおさらい
政治的パレーシアの発展における様々な局面
古代哲学における大きな問題の数々
ルキアノスのテクストの分析
真実の語りという言説の存在論
『ソクラテスの弁明』におけるソクラテスの言葉
ソクラテスの政治への非=参加というパラドックス

一九八三年三月二日の講義 第二時限 (399)
『ソクラテスの弁明』の分析の終わり:パレーシアと弁論術の対立
『パイドロス』の分析:対話の全般的見取り図
良きロゴスの条件
言説の永続的な機能としての真理
対話術と魂の教導
哲学的パレーシア

一九八三年三月九日の講義 第一時限 (417)
パレーシアの歴史的移行:政治的なゲームから哲学的なゲームへ
パレーシアの実践としての哲学:アリスティッポスの例
真実の表明としての哲学的な生
権力に対して永続的に語りかけること
個々人に呼びかけること
エピクテトスにおけるキュニコス派の肖像
ペリクレスとソクラテス
近代哲学と真理への勇気

一九八三年三月九日の講義 第二時限 (441)
『ゴルギアス』の分析
プラトンにおける告白の義務:弁論術を始末するということの背景
カリクレスの三つの性質:エピステメー、パレーシア、エウノイア
平等な体制に抗する闘争的ゲーム
ソクラテスの言葉:バザノスとホモロギア


講義要旨
講義の位置づけ
解説
索引

*作成:箱田 徹
UP:20101217
身体×世界:関連書籍 2005-2009  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)