「よりよいソーシャルワーク理論を追い求め社会福祉実践の「科学」化を進めることによってソーシャルワーカーは専門家になるといった考え方は、この学問の草創期から約半世紀もの間、専門職化を語るうえで前提とされていた。しかしながらこれに対し、突然異議が唱えられた。一九六〇年代からの反専門職の思想である。専門家として、あるいは学問として社会的に承認されないまま、ソーシャルワーカーそして社会福祉学は批判されることとなった。そこでは社会福祉学の「科学性」を高める客観主義的な学問のあり方が、パターナリズムの温床となると指摘された。マルクス主義者たちは資本主義体制を基盤に福祉国家が成立している点を非難したが、その彼らさえ否定しなかった、知そのものが標的とされたのである。これまで骨身を削って重ねてきた「科学」化への努力が無意味とされただけでなく、「科学」化によってソーシャルワーカーの専門性が高まるという考え方こそが危険であると指摘された。[…]
反省的学問は、本来おのれに向けられていた批判的言説を内面化することによって正当性を保つ学問理論である。この奇妙な学問理論は、批判を真摯に受け止め、自虐的なまでに内省しているようにみえる。またそれは自戒的緊張を保ちつつ、より「おだやか」にことを進めるために、ある時期以降、急速に普及していったと指摘することもできる。
この社会福祉学における反省的学問理論の興隆とともにあったのが、ミシェル・フーコーという思想家であった。エンパワーメントやストレングス視点、ナラティヴ理論といった社会福祉領域の反省的学問理論を唱える論者たちは、こぞって理論的基盤をフーコーに求めた。フーコーが考察の対象とした社会福祉学を含む学問にとって、彼の思想は本来、脅威で空く。しかしながら、一九九〇年代の英米の社会福祉学領域において、反省的学問理論を唱える多くの者は先を競うようにしてフーコーを論拠としていった。」(三島[2007:iv-v]) cf.Foucault, Michel