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『正義と境を接するもの――責任という原理とケアの倫理』

品川 哲彦 20071025 ナカニシヤ出版,325p.


 製作:安部彰橋口昌治

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■品川 哲彦 20071025 『正義と境を接するもの――責任という原理とケアの倫理』,ナカニシヤ出版,325p. ISBN-10: 4779501644 ISBN-13: 978-4779501647 5040 [amazon]

■内容紹介

生身の人間の傷つきやすさと生の損なわれやすさを基底にしたもうひとつの倫理。
ハンス・ヨナスの責任原理とキャロル・ギリガンに始まるケアの倫理を論じる。

■著者紹介

品川哲彦[シナガワテツヒコ]
1957年神奈川県に生まれる。1981年京都大学文学部卒業。1987年京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。関西大学文学部教授。哲学・倫 理学専攻。京都大学博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

はしがき
第1章 問題の位置づけ
 1 正義について
  1・1 アリストテレスの正義論
  1・2 現代の正義論
 2 道徳とその外部
 3 責任原理
 4 ケアの倫理
 5 本書の構成

第1部
第2章 ヨナス『責任という原理』の問題提起―自然、環境、人間
 1 環境としての自然
 2 ハンス・ヨナスの『責任という原理』
 3 討議倫理学におけるヨナス批判
 4 結語
第3章 環境、所有、倫理
 1 生の享受
 2 内と外の境界設定
 3 環境倫理の触発
 4 ロックの所有論―その問題構成
 5 ロックの所有論―神学的前提
 6 ロックの所有論―労働による価値の付与
 7 ロックの所有論―ロック的但し書き
 8 自然契約の不可能性
 9 責任原理の特殊な位置
第4章 生命の神聖―その失効とその再考
 1 生命の神聖と人間の尊厳の問題点
 2 生命の神聖―その失効
  2・1 生命を神聖とみる主張は論理的に破綻せざるをえないという批判
  2・2 根拠の出自にむけられる批判
  2・3 生命の神聖や人間の尊厳という観念では、「課題」は解決できないという批判
 3 文脈と背景の転換
 4 生命の神聖―その再考
  4・1 ドゥオーキンの生命の神聖論
  4・2 ハーバマスの人間の尊厳論
 5 付論 人間性と人格―和辻哲郎の「人類性と人格性」
 6 結語

第5章 人間はいかなる意味で存続すべきか―ヨナス、アーペル、ハーバマス
 1 人間は特異な存在者か
 2 ヨナスの未来倫理―その種種の基礎づけ
 3 アーペルによるヨナスの未来倫理批判
 4 両者の対立からみえてくること
 5 形而上学およびミュートスを語る意味
第6章 責任の原理の一解釈―正義と境を接するもの
 1 ヨナスの哲学的閲歴
 2 解釈の可能性―存在論の擁護
 3 解釈の可能性―存在論の捨象
 4 解釈の可能性―討議倫理学による基礎づけの代替
 5 解釈の可能性―正義と境を接するもの

第2部 ケアの倫理
第7章 ケアの倫理の問題提起
 1 予備考察
  1・1 ケアの倫理―ギリガンの問題提起
  1・2 ケアの倫理―その倫理学への影響
  1・3 問題連関の切り分け
  1・4 ケアについての倫理
  1・5 ケアについての哲学的ないし人間存在論的分析
 2 ケア対正義論争
  2・1 正義の倫理からの統合
  2・2 結婚の比喩
  2・3 反転図形の比喩
  2・4 ケアの倫理と徳の倫理
第8章 ノディングスの倫理的自己の観念
 1 ケアの倫理は他者志向か自己志向か
 2 ノディングスの倫理的自己観念の位置づけ
 3 ノディングスのケアリングの倫理―その構成
  3・1 ケアの特徴
  3・2 原理にもとづく倫理の拒否
  3・3 自然なケアリング
  3・4 倫理的ケアリング
  3・5 倫理的自己
  3・6 相互性―ケアするひととケアされるひととの関係
  3・7 超越?―ケアする私とそれをケアする私
  3・8 理想の涵養―他者の倫理的自己
 4 正義にかかわる問いは正義なしで答えうるか
  4・1 ケアされる対象の範囲
  4・2 ケアのディレンマ
  4・3 ケアの限界
 5 ノディングスのケアリングの倫理―その問題点
 6 ノディングスのケアリングの倫理―その特長
第9章 ケアの倫理、ニーズ、法
 1 ケア/正義、女性/男性、私的/公的
 2 ケアの倫理の第二世代
 3 ノディングスの社会政策論
 4 ニーズをめぐる議論―イグナティエフ、テイラー、ノディングス
 5 ケアの倫理と法
  5・1 法の基礎は応報的正義である
  5・2 法の一部に修復的正義をとりいれる
  5・3 ケアの倫理に基礎づけられた法
第10章 ケア対正義論争―統合から組み合わせへ
 1 反転図形の比喩再論
 2 統合から組み合わせへ
  2・1 オーキン―正義によるケアの統合
 2・2 クレメント―相補的基礎づけ
 2・3 ヘルド―ケアと正義の組み合わせ
 3 家庭と正義
 4 具体的な他者と一般的他者
 5 ケア対正義論争のひとつの到達点
第11章 ケア関係における他者
 1 ベナーのケア論
 2 現象学の他者論の系譜
  2・1 フッサール―「あたかも私がそこにいるかのように」
  2・2 ハイデガー―共現存在と各自の死
  2・3 メルロ=ポンティ―相互身体性
  2・4 サルトル―まなざしとしての他者
  2・5 レヴィナス―絶対的他者
  2・6 デリダ―正義と法
 3 ケアの倫理にたいするコーネルの評価と批判
 4 ケア関係における他者
第12章 むすび
 1 責任原理とケアの倫理が共有する特徴
 2 分配的正義への回収は可能か
 3 「正義の他者」と「正義と境を接するもの」

■引用

*一部表記を変更したところがあります

 ……ケアの倫理は生から離脱した超越を嫌う。そのケアの倫理に超越的契機があるとすれば、それは私たちがともに生きているというまさにこの生の現実への 驚きにほかなるまい。最も深みに達したケア関係では、存在しないのではなく生きていること、出会わなかったのではなくともここに居合わせていることそれ自 身が超越としてうけとめられるにちがいない。これはこの理論の底部に届いた解釈だと私は考える。(品川 2007: 262)

 本書では、二つの倫理理論を「正義と境を接するもの」という表題のもとに論じている。したがって、正義に基礎づけられた倫理との対比によって両者の共有 する特徴をあげなくてはならない。それを箇条書きにまとめれば、以下のとおりである。

(1)責任原理にいう責任は、責任を担う者と責任の対象とのあいだの非対称的な力関係に成り立つ。ケアの倫理にいうケア関係も、ケアされる者がケアする者 の援助を要するので非対称的である。近代の倫理理論の多くは対等で相互的な関係に依拠し、そこに成り立つ正義や権利によって基礎づけられる。責任原理とケ アの倫理はこの点で近代の倫理理論の正統的なタイプとは鋭い対照をなしている。

(2)その結果、対等で相互的な関係にもとづく倫理理論のなかでは(歴史的には)せいぜい周縁的にしか位置づけられてこなかった存在者を、二つの理論は主 題的にとりあげることができた。責任原理では、未来世代と人間以外の自然がそれであり、ケアの倫理では、女性、子ども、老人、病人がそれである。むろん正 義に依拠する倫理理論も、未来世代、女性、子ども、老人、病人などを論じられないわけではない。だが、正義にもとづく倫理はその存在者に尊重されるべき権 原を授与するために、現実の非対称性を捨象し、その存在者を対等な関係にまで「上昇」(アネット・ベイアー)させ、その結果、変容してしまう。たとえば、 アーペルのように、未来世代の存在を反事実的に先取りすることは可能だが、この場合には世代間の不可逆的な時間の違いを捨象してしまわざるをえない。ま た、人間以外の自然については、人間同士の対等で相互的な関係を基礎とするかぎり、人間の福利を実現するための手段としてしかみなされない。これらの存在 者についてその特殊性を保ったまま主題化するには、正義ではなく他の概念を要する。それが責任やケアなのである。したがって、これらの存在者を適切なしか たで配慮することができず、場合によっては、人間以外の自然の例のように尊重すべき範囲から排除してしまう点で、責任原理やケアの倫理は正義にたいして異 議を申し立てているわけである。

(3)責任の原理とケアの倫理が非対称的な関係を重視するその根底には、人間の傷つきやすさ、生のうつろいやすさについての鮮烈な認識がある。

(4)ヨナスは乳飲み子を責任の範型とした。ラディックやノディングスは子育てをケア関係の範型とした。これは偶然の一致ではない。乳飲み子は、最も傷つ きやすく、生を奪われやすい存在だからである。

(5)ケアの倫理はすでに生まれている子どもの育成に力点をおく。これに比べて、責任原理はさらに遠い未来世代を思い描く傾向にある。だが、いずれにして も、両者が倫理の範型におく乳飲み子への配慮は、当然、次世代の存続への配慮に通じている。これにたいして、対等な関係にもとづく正義の倫理からは、次世 代を生み、育てるべしという当為を導出することはできない。だとすれば、正義にもとづく倫理は正義の存続を責任原理やケアの倫理に依存していることにな る。

(6)とはいえ、責任の原理やケアの倫理が乳飲み子の育成に力点をおくのは、それが今尊重すべき条件を欠いているけれども、いずれ将来の正義の共同体の成 員となることが約束されているという理由からではない。それだけなら、二つの理論は正義の補完部分にすぎなくなってしまうだろう。責任原理を論じた第5章 に記したように、人間の尊重すべき側面(本体としての人間)を尊重するにはまるごとの人間(現象としての人間を含めた全体)が守られなくてはならない。ケ アの倫理もまた「経験界の存在としての、新生児を畏敬の対象とする」(ヴァージニア・ヘルド)と明言している。責任の原理とケアの倫理がこの共通の態度を 示すのは、(3)に記した点から類推されるように、一切を支える基盤として生そのものをそれ自身として尊重しているからである。

(7)ケアの倫理はケアする相手のニーズをくみとるために推論能力よりも感受性を重視する。責任原理は、未来への因果的影響を推測するために入念な推論を 要請するが、その倫理の範型である乳飲み子の例でわかるように強い感情をともなう直観的な把握を重視する。この点も合理的推論や理性に依拠する近代の多く の倫理理論と、両者が異質なところである。

■言及

◆2008/07/21 野崎 泰伸 「正義論・ケア論の視点から――論点の再確認とそこから考えられるべき問い」
現代思想研究会・「生命の哲学」研究会合同研究会 合評会報告


UP:20071029 REV:20080715
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