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『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』

荻上チキ 20071009 筑摩書房,221p.


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■荻上チキ  20071009 『ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性』,筑摩書房,221p. ISBN-10:4480063919 ISBN-13:978-4480063919 \735 [amazon] ※

■内容

■目次

はじめに
一章 ウェブ炎上とは何か
二章 サイバーカスケードを分析する
三章 ウェブ社会の新たな問題
四章 ウェブ社会はどこへ行く?
あとがき
参考文献

■引用

はじめに
本書は、インターネット上での集団行動が社会にもたらす影響について考えると同時に、「インターネット上での集団行動が社会にもたらす影響について考える」ための能力を養うことを目的としています。インターネット上での観察される集団行動を分析するための領域横断的なツールを提示し、いくつかのケース・スタディを共有することで、ウェブ上で起こる「炎上」などの諸現象に対する見方や対応の仕方をバージョンアップするためのアイテムになりたいと考えています。(p.9)

第一章 ウェブ炎上
ウェブも人間に欲望の発露の回路を与え、そこでコミュニケーションを行うためにアクセスしてくる「人間」による書き込みやファイルの投稿を糧に、どんどん成長しています。ウェブにしてみれば、人間はあくまでウェブという主体が成長してくための環境や養分でしかないごとくであり、その「成長」を「誰かが」コントロールしているというわけでは決してない。にもかかわらずウェブは人を媒介にしながら、その体系を築き続けています。何かエラーが出たら、人間に部品を買いに走らせ、修復させ、プログラムを更新させ、コミュニケーションを行わせることでさらに人を取り込む、というように、人が生み出したものでありながら、人の手を離れて独自の成長を遂げるそのさまは「怪物」のようでもあります。(p.22)

インターネットの「生態」すなわち特徴は、「可視化」と「つながり」という二つの概念を用いて考察すると、鮮やかに読み解くことができます。(p.26)

カスケード(Cascade)とは、もともとは「小さな滝」を意味する言葉です。つまり、多くの水滴やせせらぎがより低いところを目指していった結果、滝のように一ヵ所へと行きよいよくなだれ込んでいる現象をイメージしていただければ分かりやすいでしょう。(p.35)
サイバーカスケードに共通する点は、ある集団行動や現象自体が、さらなる集団行動や現象を引き起こすという循環構造をもっていることです。批判が批判を呼んだり、評価が評価を呼んだりすることで、特定のテーマに対する言及が急増するのです。(p.36)

このような現象は「祭り」とか「炎上」と呼ばれ、時には「フラッシュモブ」「ネチズン(ネット市民)」と肯定的に、時には「熱湯浴(ネット右翼)」「ネットイナゴ」などと否定的に呼ばれたりもします。(p.61)

第二章 サイバーカスケードを分析する
各ユーザーが「デイリー・ミー」を読みながら、似た者同士で同調意識を高められるということ。それは時として、「多くの人々の自作のエコーチェンバーに閉じ込めてしまうようなシステム」として機能してしまいます。エコーチェンバーとは、音の反響効果を人工的に作り出す部屋や装置のことです。仮にちいさなつぶやきであっても、あるいはとうてい人には聞き取れないような囁きであっても、あるいはとうてい人には聞き取れないような囁きであったとしても、自分に都合のよい言説を選択し、多くの人と同調しあうことでその声を大きくすることができるのです。(p.68)

インターネットは人々の「つながり」への欲望を喚起しつつ特定の方向へと導き、自己生成的にそれらをつなげていきます。インターネットは一つのメディアですが、メディアというものは人と人とをつなぐ透明な媒体でもなければ、人の意識をスムーズに伝えるための単なる透明な道具でもありません。先ほどマクルーハンの言葉を紹介しましたが、メディアは短に送り手の「意図」や「メッセージ」を容器に入れて受け手に送るというものでもなければ、ただ人の目的をかなえるための道具でもありません。メディアがそれ自体の法則によって、メッセージの届け方や、送り手・受け手の感じ方、社会のあり方などに影響を与えるのです。(p.84)

ウェブではこれまで機能していた社会的な「区別」が通じなくなり、新たにさまざまな「区別」が必要となります。それは、これまで誤配の可能性を少なくしてきた作法とは別の新たな作法が必要となる(p.111)

第三章 ウェブ社会の新たな問題
ブログでは、顕名的なコミュニケーションが可能であり、ブロガーたちはただ書きっぱなしで終わるのではなく、相互にトラックバックを送りあったりコメントをつけたりしあうことで有意義な議論を展開するブロゴスフィアが形成されインターネット上の議論を有意義なものに導くだろうといった期待が高まりつつありました。(p.116)

人が自らに必要な情報を収集していった結果、各人が自らにとって必要な情報=都合の良い世界観に飛びついてしまうことで、特定の極端化された言説に集団でなだれ込んでしまうこと。自らの世界観を満たしてくれるような言説が存在しない場合、自らの情報の発信者になってデマの補強に加担してしまうこと。「ヒミツの大計画」のようなデマへのカスケードは、そのメカニズムを顕著に反映しています。(p.131)

ハイパーリアリティがどんどん自走していく空間について考える際、デマの観察はその試金石です。ここで問題にされるべきはデマそのものではなく、デマを希求するようなハイパーリアリティの自走です。(p.132)

立ち位置のカスケードだけでなく争点のカスケードが起こったことが大きなポイントです。ある問いのフレームが大きくなることで、他の問いのフレームをかき消してしまったのです。(p.133)

インターネット上での二重のカスケードは、リアリティの構築をあっさりと実現(誘導)してしまい、それに対する対抗軸を立てるのが難しくなってしまう。細部にこだわり続けていれば、論争が無化するまで相手をいくらでも「論破」することができるし、その論争が何を目的とするものかにさえ目を向けなければ、誰もが最強の論客として振舞うことができるのです。(p.143)

第四章  ウェブ社会はどこへ行く?
アーキテクチャによる管理という発想、および言説交換や日常生活の可視化が進むことにより、法律が完全実行されることが可能になることの問題点です(p.179)

言説が大量に発生し、社会に浸透していった場合、あるコミュニケーションにとっては「ネタ」だったものが、他のコミュニケーションにとっては「ベタ」なものに変質してしまうことはあるでしょう。言説量が増えれば、単純にその言説に触れる人が増えるわけですから、それは必ず質的な変容を生じさせます。(p.192)

■書評・紹介

■言及

*作成:中田喜一
UP: 20080803
BOOK
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