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『近代日本と小笠原諸島 移動民の島々と帝国』

石原 俊 20070921 ,平凡社,533p.

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石原 俊 20070921 『近代日本と小笠原諸島 移動民の島々と帝国』,平凡社,533p. ISBN-10:4582428029 ISBN-13:9784582428025  \5500 [amazon][kinokuniya] ※ 

■目次

第1章 移動民の占領経験:「カナカ系の人、ケテ」さんのライフヒストリーから
第2章 移動民の島々と帝国:本書の理論的視座
第3章 移動民の島々の生成と発展(1826-1860)
     :小笠原諸島をめぐる実践・法・暴力
第4章 水兵たちと島人たち、あるいは法と暴力の系譜学(1853‐1854)
第5章 移動民と文明国のはざまから (1841-1864)
     :ジョン万次郎と船乗りの島々
第6章 海賊から帝国へ(1869-1886)
     :占領への道程
第7章 主権的な法と越境する生(1877-1920)
     :帰化人をめぐる自律的な交通
第8章 自由の帝国の臨界(1853-1910)
     :小笠原諸島と「南洋」の系譜学
第9章 生き延びるためのたたかい(1877-1945)
     :帰化人をめぐる動員とテロル
第10章 終わらない占領経験:(1945‐)
     :小笠原諸島の〈戦後〉をめぐって

■書評・紹介

◆溝口常俊 2008 『地理学評論』81巻4号、pp.238〜240
◆高江洲昌哉 2008 『日本歴史』723号、pp.122〜124
◆山中速人 2008 『社会学評論』59巻2号 pp.436〜438

■引用


「法治国家は自らが主権の名において発動する法の正当性をあらかじめ外在的に主張できるのだ…ジョルジョ・ュアガンベンが的確に位置づけているが、主権とは合法的に法を宙づりにして、法の例外に関する決定を行い、法の外部領域にある生を法の下に取り込んでいくシステムなのだ。」(86)

「自称「法治国家」が主権の名による法を対象とした人々の間に定着させていく過程で、法域・国境・領土などは事後的に浮かび上がっていくものだと考えられる。したがって、主権的な法の成り立ちを考える際には、中心において宣言される法分だけではなく、法が発動される前線における力関係、すなわち主権的な力とその標的になった人々のインターフェースが(法)社会学的に分析されるべきなのである。」(88)

「ペリー艦隊が浦賀への航行に先立って、沖縄島や父島に寄港したのは、次のような目的のためであった。第一に、ジャパン・グランウンドにおいてアメリカ合衆国を母港とする船舶が寄港可能な補給地を確保することである。……ペリー艦隊の大の目的は、沖縄島や小笠原諸島に寄港地としての社会的・経済的交通を保証し促進するような法を導入することだった。」(148−149)

「那覇に寄港して約1週間を経た6月6日、ペリーは総理館に面会するために200人以上の将校や水兵を率いて首里の王宮へと向かったが…・・王府側はとりわけ「女人共」に対して艦隊の寄港中は外出を控えるように命じていた…。艦隊の乗組員と島人たちの接触の管理に王府側が労力を注いだのは、次のような回路が出来上がることを恐れたからだった。それは第一に、乗組員らが持ち込んだ貨幣と蕩尽たちの所有物や労働力の間に交換が成立してしまうことであり、第2に蕩尽たちと乗組員らの間に(性的な)接触が拡大してしまうことだった。まず王府側は、島人たちが自分の所有物や労働力を個別に売り渡し、艦隊側から貨幣を獲得することによって、海洋世界の社会関係になし崩しに結び付けられていくことを恐れていた。ここで留意が必要なのは、アメリカ合衆国を拠点に太平洋の島々を往来する船舶の間で流通していた「唐銭」が、すでに世界市場における貨幣関係に従属的な形で組み込まれており、従来琉球王国内で一定流通していた宋銭や明銭とは異なる意味合いを持っていた点である。……さらに王府側が恐れたのは、島人たちとくに女たちが艦隊の乗組員と接触し、性的関係を取り結ぶ過程で王府の法によってコントロール不可能な出来事が起こることであった。」(154−155)


「留意を要するのはこの「水主」が発砲したのは、対価を払わずに酒を強奪するためではなく、交換が成立しない状況への腹いせだったことである。船員による暴力は、貨幣と物資の交換を成就作用とする、あくまで具体的で個別な実践の過程で引き起こされたのだ。時には船員たちが対価を払わずに商店や民家から物資を号辰することもあったが、対価として「蕃銭」や「唐銭」を置いていく事例のほうがはるかに多かったからである。」(158)

「まず豊富側がペリーからの要求に譲歩して天久寺の境内に貯炭所を建設した際、艦隊側はその費用を執拗に貨幣で支払おうとした。だが、王府側が対価の受け取りを誇示し続けたため、艦隊側は次のような手段に出た。将校二名に米・肉・酒などを持参させ、貯炭所の建設現場で働く大工らに直接与えようとしたのである。王府側はこれを断り切れず、家局艦隊側は、島人が提供する労働力の直接対価を支払うことに成功した。」162

「総理官との交渉に派遣されたのは、ウィリアムズらであった。あらかじめペリーはウィリアムズらに交渉の方向性を指示する命令書を与えているが、そこでペリーは次のように強調している。
われわれは市場において、自由貿易を遂行し、商品から物品を購入する権利をもつ必要があるのだ。」166

「また王府側は、艦隊が香港に向けて出港する8月1日の早朝、臨時の市を主催した。テイラーによれば、王府側はこの市を「琉球の産品の大展示会」と名付けたらしい。あくまで交易を公認したと受け取られる「市」の体裁はとりたくなかったのであろう。この「大展示会」では、「誰もが琉球人の要求する値段を金貨や銀貨で支払って何がしかのものを購入した」という。」

■言及



*作成:近藤 宏
UP: 20100820
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