『寡黙なる巨人』
多田 富雄 20070731 集英社,248p.
■多田 富雄 20070731 『寡黙なる巨人』, 集英社 , 248p. ISBN-10: 4087813673 ISBN-13: 978-4087813678 1575 [amazon]※ r02.
■内容
世界的な免疫学者・多田富雄は、二〇〇一年、脳梗塞に倒れ、言葉を失い右半身不随になった。しかし、重度の障害を背負いながら、現在も著作活動を続けている。障害者の先頭に立って介護制度の改悪に抗議し続ける著者は、自分の中に生れつつある新しい人を「巨人」と呼ぶようになった。杖で歩こうとするときの不器用な動作、しりもちをついたら、どんなにあがいても起き上がれないという無様な姿。言葉数の少ない「“寡黙”なる巨人」である。
著者について
1934年茨城県生まれ。東京大学名誉教授。免疫学者。千葉大学医学部卒。千葉大学教授、東京大学教授、東京理科大学生命科学研究所長を歴任。95年、国際免疫学会連合会長。抑制T細胞を発見。野口英世記念医学賞、エミール・フォン・ベーリング賞、朝日賞など内外の多数の賞を受賞。84年、文化功労者。能楽にも造詣が深い。2001年、脳梗塞で倒れ重度の障害を持つ
■目次
1 寡黙なる巨人
2 新しい人の目覚め
生きる
オール・ザ・サッドン 102-105
『一冊の本』2002年6月号,朝日新聞社
回復する生命 その1
回復する生命 その2
苦しみが教えてくれたこと
障害者の五十年
理想の死に方
リハビリ中止は死の宣告
新しい人の目覚め
考える
「患者様」にやさしい病院業務
近代医療にかけているもの
病院ってなに
中学生に教える命の大切さ
日本の民主主義
愛国心とは何か
皇室
祭りにます如く
戦後初めての少年
見者(ヴァワイアン)の見たもの
美を求める心
中也の死者の目
新田嘉一さんの美意識
暮らす
アレハンドロ参上
声を出して読むこと
自然災害と人間の行動様式
善意の謀略
となりの火事
国立劇場に残された課題
なぜ原爆を題材に能を書くのか
原爆の能
楽しむ
雀のお宿
涙の効用
ゾルタン先生のこと
現代の「花盗人」
初夢
蛍の火
春の花火
わが青春の日和山
憂しと見し世ぞ――跋に代えて
■引用
◆1「寡黙なる巨人」(書き下ろし)
「もう死んだと思っていたのに、私は生きていた。それも声を失い、右半身不随になって。カフカの『変身』という小説は、一夜のうちに虫になってしまった男の話だが、私もそんなふうであった。到底現実のものとは思えなかった。」(多田[20070731:15])
「私が心配したのは、脳に重大な損傷を受けているなら、もう自分ではなく<なっているのではないかということであった。そうなったら生きる意味がなくなってしまう。頭が駄目になっていたらどうしようかと心配した。それを手っ取り早く検証できるのは、記憶が保たれているかどうかということだった。
まず九九算をやってみたが大丈夫でした。次に、覚えているはずの謡曲を頭の中で歌ってみた。」(多田[20070731:17-18])
「苦しいリハビリを毎日しなくても、ほかに快適な生き方があるはずだ。電動車椅子に乗って動けばいいのだ、と思う人がいると思うが、そうではないのだ。どんなに苦しくても、みんなリハビリに精を出して歩く訓練をしている。なぜだろうか。
それは人間というものが歩く動物であるからだ。直立二本歩行という独自の移動法を発見した人類にとっては、歩くということは特別の意味を持っている。
四百万年前人類とチンパンジーが分かれたとき、人は二足歩行という移動法を選んだ。それによって重い脳を支え、両手を自由に使えるようになった。この二つの活動は互いに相乗的に働き進化を加速させた。歩くというのは人間の条件なのだ。だから歩けないというのは、それだけで人間失格なのだ。
その証拠に車椅子で町へ出てみよう。すべては人間が立った目線から眺めるようにできている。」(多田[20070731:86])
2002/01 「長い冬に入って、歩行の学校の卒業のときが迫っていた。お正月は自宅で過ごせるようにと、一時退院の計画が立てられた。自宅には帰れないので、急遽マンションを購入する計画が立てられ、妻はマンション探しに奔走した。幸い自宅の近くに新築のバリアーフリーで二LDKという貸しマンションを妻が見つけて、早速契約してきた。」(多田[20070731:89])
◆オール・ザ・サッドン 102-105
『一冊の本』2002年6月号,朝日新聞社 *
*自著『懐かしい日々の想い』を紹介
「カフカの『変身』は、一夜明けてみたら虫に変身してしまった男の話である。その驚き、戸惑い、不安、すべてオール・ザ・サッドン(すべて突然)である。
私の場合もそうだった。一夜明けたら、思いもかけない声のない世界に閉じ込められた。目が覚めて呼ぼうとしたが声が出ない。訴えようとしても言葉にならない。その上、体は縛られたように動かない。信じられないことだ。」([200206→20070731:102])
◇1959 「一九五九年に医学部を卒業し、農村の小さな病院に赴任した。」(多田[200707:142])
◆憂しと見し世ぞ――跋に代えて
2007 「やっと一年もたったころ、厚労省のお役人ではなく、保険診療の医療費を審議する中央社会保険医療協議会(中医協)」の土田武史会長が、見るに見かねて緊急の見直しを命じた。四十八万人の署名が提出され、難民と化した患者が出ていること、受け皿になる介護保険が不備であるという情報さえ知らされなかった縦割りの行政、制度の周知がなされなかったため、医療現場の混乱が起きている事実を知らされて、会長は早急に対策を講じなければなら<0239<ないと判断したのである。
看過することはできないと認めた土田中医協会長の、ヒューマンな英断による緊急な見直しと仄聞した。厚労省や、支払い基金側の抵抗を押し切っての、異例の再改定であった。人間不信に陥ることの多かったこの事件で、唯一のさわやかなニュースだった。
その後厚労省は」(多田[200707:239-240])
■書評・紹介・言及
◆立岩 真也 20100701 「……」,『現代思想』38-9(2010-7): 資料
作成:鹿島萌子