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『越境の時――1960年代と在日』

鈴木 道彦 20070422 集英社,253p.

last update:20111008

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■鈴木 道彦 20070422 『越境の時――1960年代と在日』,集英社,253p. ISBN-10:4087203875 ISBN-13: 978-4087203875 \735  [amazon][kinokuniya]


■内容

『失われた時を求めて』の個人全訳で名高いフランス文学者は、一九六〇年代から七〇年代にかけて、在日の人権運動に深くコミットしていた。 二人の日本人女性を殺害した李珍宇が記した往復書簡集『罪と死と愛と』に衝撃を受け、在日論を試みた日々、ベトナム戦争の脱走兵・金東希の救援活動、そして、ライフル銃を持って旅館に立てこもり日本人による在日差別を告発した金嬉老との出会いと、八年半におよぶ裁判支援―。 本書は、日本人と在日朝鮮人の境界線を、他者への共感を手掛かりに踏み越えようとした記録であり、知られざる六〇年代像を浮き彫りにした歴史的証言でもある。(紀伊国屋書店BookWebより)


■目次

プロローグ
第1章 なぜ一九六〇年代か―アルジェリア戦争をめぐって
第2章 李珍宇と小松川事件
第3章 日韓条約とヴェトナム戦争
第4章 金嬉老事件
第5章 金嬉老裁判
エピローグ
あとがき
参考資料


■引用


1830 フランス アルジェリアを海外領土化

1954-62 アルジェリア戦争
 フランスがアルジェリア全土に非常事態宣言
 圧倒的世論がフランス政府支持(FLNをテロリスト/暴徒と批判)
 ⇔フランシス・ジャンソン夫妻『アウトロー・アルジェリア』、サルトル主宰『レ・タン・モデルヌ』、『フランス・オプセルヴァトゥール』、『キリスト者の証言』などの週刊誌
 招集兵の抵抗の開始(1955〜)

1954.9〜1958.4(3?) フランス政府給費留学生としてフランス滞在(鈴木道彦)約3年

1956 FLN支援組織(ジャンソン氏)→ジャンソン機関 →1960年大量逮捕

1956 脱走兵受入機関(スイス)

1958.9 アルジェリア共和国臨時政府樹立、東京麻布に極東代表部
鈴木・小林善彦・二宮敬『太陽の影−−アルジェリア出征兵士の手記』青木書店

1960.9「121人宣言(アルジェリア戦争における不服従の権利にかんする宣言)」(モーリス・ブランショ、ディオニス・マスコロ、ジャン・シュステルらが起草、サルトルも賛同)
「1、われわれはアルジェリア人に対して武器をとることの拒否を尊敬し、正当と見なす。
 2、われわれは、フランス人民の名で抑圧されているアルジェリア人に援助と庇護を与えることを自分の義務と考えるフランス人の行為を尊敬し、正当と考える。
 3、植民地体制の崩壊に決定的な貢献をしているアルジェリア人の大義は、すべての自由人の大義である。」(39)

「つまり在日朝鮮人の問題とは、日本人の問題であり、彼らは日本の内なる『第三世界』なのだ。」(51)

1958年 小松川事件 → 1962年11月 李珍宇 死刑執行
朴壽南、1963、『罪と死と愛と』三一書房
同上、1979、『李珍宇全書簡集』新人物往来社.

「在日朝鮮人のなかには、自分たちの問題に踏みこんでくる日本人に不快感を与えられる人もあるだろうし、こんな手軽な言葉で扱われてはたまらないという気持を抱く人もいるだろう。それは私にもよく分かっていた。しかしその境界を越えられないものと認めてしまえば、理解の手がかりは得られない。私には、事柄に関心を持つためにまず共感が必要だった。また共感がある限り、相手の実存にまで踏みこむことも可能に思われた。たとえ抑圧関係によって隔てられていても、その境界を越えることができるのではないか。いわば『越境』も可能ではないのか。それは一つの想像力の問題ではないか。それがこのころの私の課題だった。」(69)

「外部には有無を言わせず自分をがんじがらめにして仮面の生活を強いる日本社会という『他者』の世界があり、内部にはその外部世界によって作られた『朝鮮人』という異形の『他者』がある。この二重の『他者』の支配を振り払おうとすれば、想像はいずれにしても暴力的なものにならざるを得なかっただろう。つまりそれは日本社会の培った暴力である。……暴力的社会は、その暴力を身に蒙る被害者のなかに、確実に自らの暴力を植えつける。それが炸裂すると社会はうろたえ、これを怪物視して『暴力』という名を与えるが、もともと怪物はその社会の方なのだ。」(107)

1967.11 イントレピッド号からの脱走兵(ベ平連)→イントレピッド四人の会世話人(高橋武智、福富節男とともに)
「『ベ平連』の重要メンバーである栗原幸夫や武藤一羊とは前からつきあいがあったうえに、アルジェリア戦争のときから関心の深かった脱走兵援助の問題でもあるので、68年3月までという条件つきで承知した。」(144)

金東希(キムドンフイ/1935〜)@大村収容所
cf. 藤島宇内 『現代の眼』1965年5月号
金東希・東京連絡会議

1967.12.12 鈴木ゼミ主宰・シンポジウム「イントレピッドから金東希へ」

1968.1.26 北朝鮮へ送還

1968.2.20 寸又峡・金嬉老事件 → 金嬉老を考える会、金嬉老公判対策委員会(1968.4→1976)

1968.6 裁判開始

1968.3〜1969.3 フランス留学
『レ・タン・モデルヌ』での「金嬉老事件」報告
「私のこうした問題への関心はアルジェリア戦争を原点としていたし、日本とは歴史も現状も政府の方針もまるで違うとはいえ、フランスにも現在の都市郊外の暴動事件が示す通り、旧植民地からの移民も多く、共通する問題も少なからずあったからだ。」(172)

「彼の存在と行為はまるで鏡のように、彼を作り出した醜悪な日本社会を映し出し、これを告発していた。私たちの仕事はそれを受けとめて、問題の根源にあるものを明らかにすることにあったし、それはかねがね私の主張していた民族責任や戦後責任に通じるものだった。しかし、私は第一審の進行中に、場合によるとそのような主張が、金嬉老という一人の在日朝鮮人をますます他者に作られたものにする可能性があること、言い換えれば、私たちが単に日本の責任を強調するだけでは、かえって在日朝鮮人の主体喪失に手を貸す場合があることに気がついた。
 一人の人間の行為を、彼自身が自由に選びとったものではなくて、やむを得ずそこに追いこまれたものと考えるのは、弁護のためにも避けるわけにはいかなかったが、それはまたその人間の主体をあやうくする危険もはらんでいたのである。」(203)

「とりわけ私たちがこの裁判にかかわるようになった60年代は、日本中に告発の言葉が充満している時期だった。そうした告発は、ときには人が自分を呪縛するものを断ち切って解放をなしとげるための端緒になるかもしれない。だが仮に告発の言葉がどんなに正当でも、すべてを受けた側がただ相手の言葉を無条件に認めるだけでは、そうした反省がかえって告発する者をいっそう巧妙に呪縛して、その主体をだめにする機縁もはらんでいる。そのような難問に、私は最初のうちまったく備えを欠いていた。それが見えてきたのは金嬉老との若いつきあいのおかげだった。私はこれを通じて、加害と被害、抑圧と被抑圧、差別と被差別、といった枠組みだけでは、民族責任などと言ってもまだ不充分であること、そこに同時に他者の主体と向き合う努力が必要とされることを知ったのである。
 この難問の解決は、どこにも転がってなどはいない。在日朝鮮人は依然として、自分のことしか眼中にない日本社会によって、きわめて不当な地位に留めおかれている。この両者の関係のなかで、このうえもなく困難な選択を強いられているのは、彼らの側である。彼らをこのような立場に追いこんだ日本という政治共同体に属する私たちは、この状況を生きる彼らの心に、反省をこめてできる限りの想像力を働かせながら、文字通り紙一重のところで暴発を思いとどまる彼らの寛容な主体に、謙虚に相対する以外にないだろう。そのような際どい努力を積み上げた末に、いつかは『民族責任』などということも越える相互関係の可能性が見える地点を目指すのが、私たちにできる唯一のことではないだろうか。」(214)

「同じような目標を掲げて運動を展開している他のグループとの協力も少なくなかった。とくに多かったのは、在日外国人にとって深刻な問題である出入国管理法反対のデモやシンポジウム、ビラまきへの参加である。また69年9月には、来日したアメリカの急進的な黒人解放運動『ブラック・パンサー』のメンバーが私たちの運動に関心を持ち、接触を求めてきたので、数人の者が出かけて行って彼らに会い、運動の内容を詳しく説明したこともある。
 さらに当初のことから振り返ると、まず金嬉老本人の生い立ちや形成を、具体的に調査する必要があったが、初めそれを精力的にやってくれたのは、『チョッパリの会』という挑発的な名前を名乗る、主として若い人たちから成るグループだった。」(224)

「協力者のなかには、60年代から70年代の初めにかけて活動の目立っていたいわゆる『新左翼』のセクトに属する2、3の人も混じっていた。総じて60年代の『新左翼』諸派は民族責任の問題にきわめて冷淡だったが、それでもなかにはいくらかこれに関心を寄せていたグループがあり、彼らはその組織の活動家だった。おそらくは上部の命令で動いていたのだろう。」(225)

1976 金嬉老公判対策委員会解散


■書評・紹介

■言及



*作成:大野 光明
UP: 20111008 
ベ平連 「マイノリティ関連文献・資料」(主に関西) BOOK
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