『幸福論―“共生”の不可能と不可避について (NHKブックス)』
宮台 真司・鈴木 弘輝・堀内 進之介 20070330 NHKブックス,339p.
last update:20110313
■宮台 真司・鈴木 弘輝・堀内 進之介 20070330 『幸福論―“共生”の不可能と不可避について (NHKブックス)』,NHKブックス,339p. ISBN-10:414091081X ISBN-13:978-4140910818 \1218 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
不透明で流動的な社会、将来不安に脅かされる人々…いま、「幸福な社会」とはどのようなものか。幸福への設計は、一握りの「エリート」に任せられるか。幸福につながる「教育のあり方」とはどのようなものか。どんな社会も、なんらかの選別と排除を抱えこむ以上、万人の幸福な“共生”は不可能とする考えから出発し、統治権力が巧妙に演出する「幸福像」を超えて、真の幸福はいかにして可能かを徹底討議。人文科学の粋を集めた迫力ある鼎談。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
宮台 真司
1959年仙台市生まれ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。専攻は理論社会学(社会システム理論)。首都大学東京都市教養学部准教授
鈴木 弘輝
1970年神奈川県生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。社会学博士。専攻は教育社会学・歴史社会学・知識社会学。現在、首都大学東京非常勤講師
堀内 進之介
1977年大阪府生まれ。東京都立大学大学院修士課程修了。専攻は政治社会学・歴史社会学。現在、首都大学東京大学院博士後期課程在籍、現代位相研究所首席研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
「幸福への設計」はいかにして可能なのか―「序」にかえて
第一章 パターナリズムこそ幸福の大前提?
1 幸福の機会費用
習い事体験と塾体験
学力プラスアルファが重要
教育のパラドクス
発言の本質はパターナリズム
まともな感情プログラム
男は承認を求め、女は理解を求める
何が「まとも」で何が「合理的」なのか
SFの教育的効果
「潜在性の思考」の喪失
四段階に分かれた子どもたち
「適応」ではなく「適応力」を
究極の目標=幸福になること?
2 「不安のポピュリズム」の登場
過剰流動性に見舞われた社会
あえて愛国を強調する戦略
ゆとり教育はなぜ失敗したのか
グローバル・エリートの画策
ソーシャル・デザインの課題
第二章 いかに幸せだと思わせるか―幸福の社会工学
1 フィールグッド社会の罠?
「安楽国家」構想
教科書未履修問題と「不安のポピュリズム」
公正原理の恣意性
フィールドグッド・プログラムは市民の自己慰撫?
情報操作は不可欠?
個人性の調整が必要?
批判の可能性を開く批判
反論―フィールドグッド・プログラムを正当化できない理由
オタク問題の両義性
ポイントは「社会をうまく運転すること」
「現実の虚構化」と「虚構の現実化」
2 全体性の危機―〈公〉不在の日本社会
権益争奪戦と官僚の質低下
情報管理行政の課題
パブリック・トークに背を向ける世代
〈公〉と〈私〉の関係
「一流の存在」が嫉妬される社会
何が日本的エリーティズムを支えていたのか
統合シンボルの空洞化
プラットフォームへのベタな没入
ノーマライゼーションの二つの次元
丸山眞男の二重性
3 「頭の良いネオコン」の戦略
再び、フィールドグッド是か非か
「推奨したい」の真意―「ルール主義」と「共生主義」
「抗いたい」の真意―広範な政治的関心の喪失
メタ的立場の民権派エリート
亜細亜主義者のベタ化
プラットフォームの不在?
第三章 エリートが「幸福な社会」を作るのか?
1 まずは「感情的安全」の保障から―多様性の構築へ
ポストモダンは再帰的近代か
ポイントは「奪人称性」
「広いパターナリズム」「狭いパターナリズム」
いま求められる「パターナリズム」とは?
愛国教育よりも「ミメーシス」を重視せよ
過剰流動性の意味
民主制の困難を補完するエリーティズム
「帰る場所」の両義性
2 〈エリート〉の条件
オタクの世代論的考察
いつまでたってもダメなボク
『グロテスク』のアクチュアリティ
「教養主義」の没落
多様性フォビアを克服するプログラム
特定人称性の戦略
エリートはルックスが重要?
エリート選抜の入試システム
「格差」をどう捉えるか
エリートは「全体性」を見られるか
「幸福」から「教育」へ、「教育」から「幸福」へ
第四章 教育を通して「疑似階級社会」を作る?
1 人を見て「機能の言葉」を説け!
視座の輻?がもたらす無限後退
「機能の言葉」の教育的効果
自己言及による全体性への接近
子どもの視座からの教育、デザイナーの視座からの教育
「適応」「適応力」の循環的関係
人称的なものを「見えなくする」ことは可能なのか
9条の本質
「意思する人」を育てる方法
全ては、言葉を受け取る側の能力による?
「闘技」参加には賛成が必要?
「エリート」はファシストなのか
2 「学校的共同性」を再考せよ!
「知らぬが仏」しかし「知りたければ知れる」
まずは、子どもの感情への配慮から
日本的エリートの承認可能性
共同性をどう自覚させるか
学校を核とする地域興し
学校で生育環境の人為的操縦を
学校の「聖性」に代わるもの
エリート界隈は甘くない
第五章 〈社会設計〉の不可能と不可避
1 バイオポリティクス―恣意性にどう対処するか
代理母問題の本質
「生活の質」か「生命の尊厳」か
決定プロセスをめぐる問題
2 「教育の一枚岩」をどう捉えるか
ゆとり教育の意義
「戦後教育の失敗」への視点
ステークホルダーの反動
「感染動機」こそ重要
オルタナティブ・スクールの役割
偏差値教育を肯定できるか
多様性の強制
3 設計者の責任をめぐる問題
「全体性」とはどういう概念化
社会科学の新しいステージ
予期理論的な恋愛観
「正しい認識」は万人に必要か
観察する視座のせめぎあい
地位達成から人間関係へ
モラルハザードは回避できるか
手続きと事実性―正当性の根拠はどこにあるか
感情的安全というキーワード
自己決定とパターナリズムの折り合いをどこで付けるか
〈共生〉の不可能と不可避@―「適応力」のすすめ
〈共生〉の不可能と不可避A―越境不可能性に向けて
〈共生〉の不可能と不可避B―「幸福への設計」
注釈
批判の可能性を切り開く批判―「あとがき」にかえて
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:樋口 也寸志