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『救貧のなかの日本近代――生存の義務』

冨江 直子 20070225 ミネルヴァ書房 314p.


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■冨江 直子 20070225 『救貧のなかの日本近代――生存の義務』(MINERVA社会福祉叢書 18),ミネルヴァ書房 314p. ISBN-10:4623047733 ISBN-13: 978-4623047734  5775 [amazon] ※b

■内容
戦前日本の救貧は、個人の権利でもなく、国家による恩恵でもなく、シティズンシップにともなう国民の義務、“全体”への参加の義務であった。
本書は、1920年代から1940年前後を中心に、救貧をめぐって展開された“言説実践としての政治過程”を分析し、この時期を通じて繰り返された救貧理念―“生存の義務”―の構造と、それが時代を超えて再生産されていく過程を明らかにする。

■著者紹介
冨江直子[トミエナオコ]
1973年滋賀県に生まれる。1996年東京大学文学部卒業。2004年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(専攻:社会学)。2003〜2005年度日本学術振興会特別研究員(PD)。現在、流通経済大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次
序章 シティズンシップと日本近代
第1章 問いと視点
第2章 軍事救護法(一九一七年)と「国家」―二つの国家論と二つの権利論
第3章 救護法(一九二九年)と「社会」―義務としての生存権
第4章 救護法の運用と方面委員制度―「社会」に浸透される「国家」
第5章 “戦時革新”の言説(一九三〇年代後半)―人的資源と生産力
第6章 社会事業法(一九三八年)の制定―発展段階論という物語
第7章 母子保護法(一九三七年)の形成―女たちの“公職”
第8章 生存の義務
終章 戦後への問い

■引用

「「大正デモクラシー」から「戦時体制」へ。この時代の変化は、言葉の上にも如実に表れた。大正デモクラシー期と呼ばれた時代には、従来官憲が最も忌避した「社会」という言葉が、政府内外で盛んに用いられるようになった。一九三〇年代後半になると、新しい時代への「転換」が叫ばれ、「非常時」という特殊な時期であることが強調された。同時に、「社会」という言葉は「国家」という言葉に取って代わられていった。その一方で、それぞれの時代に特徴的なこうした言葉を取り込みながら、繰り返し再生産されていく論理や主張があった。あるいは逆に、同類のボキャブラリーを用いながら、論理が組み替えられていくこともあった。言説における「大正デモクラシー」から「戦時体制」へという時代の変化は、歴史の断絶か連続かという単純な問題設定では捉えきれないようである。」(p.14)

「――「一体としての社会」において、全体と部分は不可分であり、「社会」を離れて集団も個人もあり得ない。個人と「社会」が一体である限り、個人の利害と「社会」の利害は一致する――。大正デモクラシー期の社会事業を意味づけたのはこの"社会イデオロギー"であった。」(p.259)

「戦前日本の救貧は、個人の権利でもなく、「国家」が「上から」一方的に施与する恩恵でもなく、「国民」の義務であった。選挙や徴兵や教育などの制度と同様に、救貧制度もまた、日本「国民(臣民)」という地位身分にともなう権利義務と密接に関連するものとして形成されていった。救貧とは、シティズンシップの外部に落ちこぼれてしまった困窮者を、「国家・社会」の営みに参加・貢献できる状態まで引き上げていくことであった。戦前日本の救貧論のなかで執拗に繰り返された「救貧とは人格の完成を通じて〈全体〉の営みに参加せしめることである」という理念は、"シティズンシップへの過程"としての救済の、イデアリズム的解釈に他ならない。救貧とは、シティズンシップの外部において、単に困窮者の物質的な条件を救済するものであってはならず、内面の精神的な救済によって、困窮者をシティズンシップの保有者の領域へと、教え導いてくるものでなければならなかった。」(p.277-278

序章 シティズンシップと日本近代
「「生存の権利というより生存の義務」「最後の一人まで国家の犠牲たらしめる生存権」
 日本国憲法の生存権の理念を知る人の耳には、異様に響く言葉であろう。けれども、私たちにとっては違和感のあるこの言葉こそ、戦前日本の救貧制度の在り方を象徴的に表すものであった。そしてそれは、日本に特殊な文化的伝統や、近代の未熟さゆえのものではなく、日本近代そのものが作り出した、ほとんど論理的帰結とも言える産物であった。」(p1‐2)

第8章 生存の義務
 1.変わらぬ理念
「大正期に「社会」という新しい言葉で呼ばれても、総力戦期に「国家」と呼び替えられても、唯一の倫理によって個人を内面から一体化させる〈全体〉という概念は変わらなかった。その〈全体〉のなかに「所を得させ〔全体の中で職分を果たすこと。明治元年の天皇の宸翰より〕」、〈全体〉への義務を果たさせること、すなわち“参加の手引き”としての救済が、大正デモクラシー期から戦時体制期を通じて変わらず志向された日本の救貧制度のあり方であった。そして、このような救貧理念の雛型は、(中略)明治期自由民権運動における「国民」形成の議論のなかにみいだせるのである。
 この救貧理念は、対等の二者関係における権利―義務としての救済ではなく――したがって個人の生存の権利ではなく――、かといって、支配関係における「上から」の恣意的で一方的な施与、つまり「国家」の恩恵としての救済でもない。対等であれ支配関係であれ、救済するものとされる者との二者関係そのものを否定し、個人と〈全体〉とが不可分の一体であるという前提にたったうえでの“〈全体〉が〈全体〉に対して負う義務”としての救済であった。」(p273)
■書評
・遠藤美奈(2007)「書評 冨江直子著『救貧のなかの日本近代』(ミネルヴァ書房、2007年)」『季刊・社会保障研究』第43巻第3号 307−311
「本書は、「基本的人権」としての「救済」の不在のあり方を示す。それを反転させれば、「基本的人権」としての「救済」を実在のものとするための前提条件が浮かび上がってこよう。例えばそのような条件として、政策を構成している政治的言説の中で、個人が「社会」や「国家」と呼ばれる〈全体〉に内在し一体化したものとして消し去られるのではなく、自律した存在として現前することや、救済を担う「国家」が個人に外在する機構としての機関「国家」として語られること、救済が〈全体〉の理想・利益への奉仕とは切り離されることなどがあげられる。」(p310)


UP:20070831 REV:1003 20080809 角崎 洋平
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