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『満足死――寝たきりゼロの思想』

奥野 修司 20070220 講談社(現代新書1880)221+3p.


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作成:的場和子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)*
 *http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/mk04.htm

■奥野 修司 20070220 『満足死――寝たきりゼロの思想』,講談社,現代新書1880,221+3p. ISBN978-4-06-149880-8 720  [amazon][kinokuniya] ※ d01.

■内容

(「MARC」データベースより)

■著者略歴

(カバー折り返しより:抜粋)

 奥野修司 1948年大阪府生まれ。立命館大学卒業。78年から日系移民調査のため南米へ。帰国後、フリージャーナリストとして活躍。
著書
 『ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の17年』
 『隠蔽 父と母の<いじめ>情報公開戦記』
 『皇太子誕生』
 『ナツコ 沖縄密貿易の女王』−2006年講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞
 『心にナイフをしのばせて』

■目次

  プロローグ
第1章 寝たきりゼロの町
相手の波長にあわせた医療/高齢化率47%/居眠り先生/寝たきりゼロの町へ/望みは在宅死/妻の腕の中で 眠る/患者と死を語る/診療は一日24時間
第2章 全村病院構想
二十三歳の軍医殿/結核との戦いと公衆衛生/予防医学をやりたい/一生涯一カルテ/成人病と生活習慣病/私 は村の当直医/全村病院構想
第3章 満足死宣言
「満足そうな死でした」/安楽死とカレン事件/一人称の死/幸せとは健康度/安楽死事件/「満足死の会」設 立/リヴィング・ウィル/かかりつけ医の条件/40キロ先まで往診/患者の聞く権利と義務/時代が求める満足死
第4章 「満足死」的生き方
人は3度死ぬ/満足死は満足生/国保料を下げた/人間の心は死の間際まで変わる/満足死にかかりつけ医は必 要か/現実論としての満足死/満足死が実現できる時代/老人と生/老人神話/管轄外へも往診/老々ボランティア/齢を数えるな
第5章 それぞれの満足死
余命一ヶ月/嫁には感謝しちゅう/四万十帯とひとつになる/老人下宿/末期がんで水も飲めなくなって/家族 の介護に安らいだ/在宅療養は理想か
第6章 ケア完備の町づくり
近村から村長がやってきた/リッチになれば健康になる/無視された保健文化賞受賞/住民の請願運動/行政が 協力すればもっと医療費を下げられた/都市化する佐賀町/子供の介護に期待するな/スキンシップの欠落が介護力低下を招いた/ケア完備集落構想/診療所の 危機/メタボリック症候群
第7章 半歩先の満足死
これからの医療/健康販売店/医療は十人十色/臨床保健師/販売スキルはSAY&DO/リスクファクターよ りナラティブで/ナラティブが動機付けになった例/佐賀町には近未来の日本がある/
エピローグ

あとがき
主要参考文献
「満足死の会」連絡先

◆内容

高知県幡多郡佐賀町。地域医療 プロローグ
「疋田は自分が関わった患者が死去したとき家族とき、その通夜で病歴と死因を説明にしていることにしている。遺族に故人の死を納得してもらうと同時に、 「満足する死とは何かを、家族の師として考えてもらいたい」からである。[10]

 疋田が「満足死」という概念を始めて学会に発表したのは1979年である。満足死と尊厳死はどこが違うのだろうか。通夜の帰り、雪明りでぼんやり光る路を歩きながら疋田にたずねた。

 疋田善平医師の言葉
 「「わたしはよくこう言うんです。あんた畑に行って腹が減ったとき、フランス料理を食べるのと、握り飯とではどっちがええ?たいてい握り飯で満足するといいます。握り飯をたらふく食べておいしかったと満足する。その気持ちが死の時に、ああよかった、わしはこれで満足や、と思うのと同じことです。」」[15]

「「人間の尊厳は理屈ではいろいろ言われますが、その人が本当に尊厳を保っているかどうか、誰が判定するんですか。尊厳という言葉のなかには、どこか他人の目を意識しているニュアンスがありませんか。チューブを何本もつけられ、スパゲティ状態で死にたくないと思うからと違いますか。つまり、尊厳死というのは二人称三人称の死なんです。」…「…満足死は死を判定するのはあくまでも自分です。本人が希望し、その希望通りにするんです。だから一人称の死なんです。満足死の思想は自分が主体ですから、自分を主張せんといかん。もっとも、満足死が一般論として通用するためには告知とインフォームドコンセントが常識の域に達していないといかん。…」」[16]

「ええか、大抵の人は、リヴィング・ウィルにスパゲティ状態になってまで延命してほしくないとは書きますが、本音は『自宅でぽっくり死にたい』ですよ。ぽっくりというのは、倒れてから死ぬまで一週間程度らしいです。それなら、満足な死を迎えたければ、死ぬ直前まで元気でおらんといかんということやろ? つまり、満足死は死を目標にするんじゃなしに、生を目標にせんといかんということや。 今をどう満足に生きるか、その積み重ねが満足死につながるとちがうか。」[17]

つづく。


UP:20070714 REV:20071117
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