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『「心」をめぐる知のグローバル化と自律的個人像――「心」の聖化とマネジメント』
山田 陽子 20070120 学文社,202+xiip.
last update: 20120927
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■山田 陽子 20070120 『「心」をめぐる知のグローバル化と自律的個人像――「心」の聖化とマネジメント』,学文社,202+xiip. ISBN-10: 4762016306 ISBN-13: 978-4762016301 \4000+税
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※ e01 s sm
■内容
・
[外部リンク]学文社HP
より
現代社会において進行する「心理学化」にはどのような意味があるのか.本書では「心のケア」や「心の教育」を文化的・道徳的現象とみなし,社会学的分析を加える.「心」や人格をめぐる社会学理論の再構成と,「心」をめぐるコミュニケーションの参与観察などを通して,現代社会において支配的な人間観や自己の在り方,道徳の今日的様相を解明する.
■目次
はじめに i-ix
目次 x-xii
第1章 「心」をめぐる知のグローバル化 1-33
第1節 文化的現象としての「心のケア」 1-5
第2節 「心」をめぐる知のグローバル化――「心」言説の系譜 5-11
第3節 「心」の商品化,「心」をめぐる知の商品化 11-14
第4節 心理学化 14-17
第5節 「心理主義化」再考 17-25
注 25-33
第2章 「心」をめぐる知の社会的諸機能 34-57
第1節 管理 34-37
第2節 解放 38-43
第3節 解放による管理 43-45
第4節 二項対立を超えて 45-50
注 50-57
第3章 「人格崇拝」の展開――デュルケム,ゴフマン,ホックシールド 58-86
第1節 「人格」への畏敬 60-67
第2節 「カオ」への儀礼 67-75
第3節 「心」に対する宗教的配慮 75-83
注 83-86
第4章 「心」の聖化 87-119
第1節 「心」をめぐる知が普及する社会的土壌 87-101
1-1. 現代的自己の在り方と心理学化 87-97
1-2. 「管理されない心」への憧憬 98-101
第2節 「人格崇拝」から「心」の崇拝へ 102-111
第3節 「司祭」としての心理学的知識 111-118
注 118-119
第5章 マジックワードとしての「心」 120-141
第1節 道徳と心理学的知識の結節点としての「心」 122-131
第2節 ストレス反応としての少年犯罪――「心」というシンボルの操作 131-137
注 137-141
第6章 「心」をめぐるコミュニケーション 142-184
第1節 心理学的知識の普及形態 142-146
1-1. 教育相談の担い手の変化 143-144
1-2. 心理学的知識の組織的編成 144-146
第2節 「心」を可視化する技術 146-152
2-1. 「心の授業」 146-149
2-2. 放課後のリラクゼーション 149
2-3. 簡略化される心理学的技術 150-152
第3節 感情マネジメントの結果としての「人格崇拝」 152-167
3-1. アサーション・トレーニング 154-159
3-2. アサーション・トレーニングにおける「人格崇拝」 159-163
3-3. 道徳の遵守と戦略的対人コミュニケーションの間 164-167
第4節 「心」をめぐる知のグローバル化と現代の自律的個人像 168-184
4-1. 複雑な現実の身体化――ストレス・マネジメント 168-172
4-2. 「心」の聖化とマネジメント 172-179
注 179-184
あとがき 185-187
引用文献 189-197
索引 198-202
■引用
◆相容れないはずの〈道徳的規範の強制〉と〈個人の独自性/多様性の尊重〉を結びつけるマジックワードとしての「心」
〔中教審答申「新しい時代を拓く心を育てるために」(1998年)において〕興味深いのは,逸脱行動や問題行動の生起に道徳の衰退を読み取り,それゆえ家庭や地域におけるしつけの見直しや学校における道徳教育の創意工夫などによって道徳を復興しようとする流れと,スクールカウンセリングの拡充や教員のカウンセリング・マインドなどの心理学的な手法によって問題行動に対処しようとする流れが,「心の教育」という名のもとで交差している点である.
道徳的なものと心理学的知識が「心の教育」において結びついているが,両者の結合はどのようにして可能になったのだろうか.道徳と心理学的知識は相容れない特質を持っている〔中略〕. 〔中略〕道徳とは強制的性格を有し,命令し,禁止する規則の体系である.道徳律は,個人の欲望を束縛し抑制し,堅固な意思を培い,努力と目的をもって首尾一貫した行動をすることを教える.道徳は,個々人の感情や好みといった偶発的な要素に左右されない揺ぎないもの,それ自体で善なるものである. 〔中略〕
それでは一方,カウンセリングや心理療法的な考え方はどのような特質を有するのか〔中略〕スクールカウンセラーの役割として挙げられれているのは,「子どもたちをはじめ,保護者の抱える悩みを受け止める」こと,子どもや保護者や教師に「適切な助言を行ったり,保護者と教員の仲立ちを行うこと」である.教師のカウンセリング・マインドも強調されているが,カウンセリング・マインドとは「相手の話をじっくりと聞く,相手と同じ目の高さで考える,相手への深い関心を払う,相手を信頼して自己実現を助ける」ことであるとされる.
これらのことから,心理学的知識が道徳の持つ強制的性格とは逆の方向性をもったものであることが理解できる〔中略〕(124-6; 亀甲カッコ内コンテンツ作成者加筆).
このように,相容れない特徴を持ち,逆の方向性を有する道徳と心理学的知識が「心の教育」において結びついている〔中略〕最初に気付くのは,「心の危機」や「心の教育」という名前である〔中略〕命名によって漠然とした事物連関に顔が与えられる.それは新しい領域,新しい現象を創り出し,その目新しさゆえに人びとの興味をひきつける.「心の危機」や「心の教育」,「心の専門家」という名前は新しい問題領域を創り出す.
〔中略〕
ただし,この新しく創り出された「心の危機」という問題には,厳密な定義が与えられていない〔中略〕.
どのような条件を満たせば「心の危機」であるといえるのか,どのような症状を呈すると「心の危機」であるのかということに関する厳密な定義や規準は示されていない.「心の危機」には,すべての子どもたちに降りかかる可能性のあるさまざまな不運や不幸,誰にでも起こりうる問題が事例の深刻さや大きさとは関わりなく含まれている.
したがって,すべての子どもが「心の危機」という問題の当事者として位置づけられることになる(127-8).
「心の危機」や「心の教育」では,「心」とは何を指すのかということはさほど議論されないままに,いじめやキレるといった逸脱行動,殺人事件,道徳や倫理,しつけ,カウンセリングなどが一括して「心」の問題として相互に関連づけられ,「心」が危機にあるとの認識のもとに「心」を豊かにすることや「心」を教育することが説かれている.「心」は非常に幅広い現象や事柄をすべて一括りにすることができる便利な言葉として流通している.
「心」という多義的で正体不明のシンボルが危機であるという主張は,殺人やいじめに対して,しつけの低下や道徳の荒廃という解釈を与えて道徳的に糾弾し,道徳の衰退を懸念して道徳の復興を唱えるという反応を生じさせる一方,それらに心理学的な説明を与えて心理療法やカウンセリングの対象として取り込むことも等しく可能にする.そして,ここにこそ道徳と心理学的なものが結びつく結節点が確認できるのである(131).
■書評・紹介
◆寺崎正啓,200709**,「現代的『心』の状況を読む――その成立条件と変遷から:山田陽子著『「心」をめぐる知のグローバル化と自律的個人像――「心」の聖化とマネジメント』」『国際文化学(神戸大学)』17: 47-51. ISSN: 13451014
◆土井隆義,20080331,「山田陽子著『「心」をめぐる知のグローバル化と自律的個人像――「心」の聖化とマネジメント』」『社会学評論』58(4): 624-6. ISSN: 00215414; 18842755[online]
(
[外部リンク]J-Stage
で全文閲覧可.PDFファイル)
◆井上芳保,20080530,「山田陽子著『「心」をめぐる知のグローバル化と自律的個人像――「心」の聖化とマネジメント』」*『ソシオロジ』53(1): 138-49. ISSN: 05841380
*著者の「書評に応えて」含む
■言及
■受賞
◆第7回日本社会学史学会奨励賞 受賞
*作成:
藤原 信行
UP: 20110330 REV: 20120927
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