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『介護が裁かれるとき』

横田 一 20070125 岩波書店 212+2p. ISBN9784000224741 1600


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 作成:的場和子(立命館大学大学院先端総合学術研究科)*
 *http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/mk04.htm


■横田 一 20070125 『介護が裁かれるとき』 岩波書店 212+2p. ISBN9784000224741 1600  △
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■内容

(「MARC」データベースより)
 介護施設での母の死に疑問をもった著者は、施設について調べ、介護裁判の当事者に。全国の介護事故の被害者、施設で働く人への取材を重ねる…。よりよい 高齢社会のために、今何ができるのかを問いかける渾身のルポ。

■著者略歴

(書籍より)
横田 一(よこたはじめ)
1946年東京都生まれ.1970年早稲田大学法学部卒業。同年4月毎日新聞社入社.大阪社会部、岡山支局(75年ブルガリア留学).鳥取支局次長、東京 本社教育取材班、同・内政取材班、文化報道センター副部長、学生新聞編集部長(毎日小学生新聞、中学生新聞各編集長)、生活化底部編集委員などを経て、現 在編集局情報調査部アーカイブセンター。
共著書
 、『ときめきのハプスブルグ オーストリア2000年』(毎日新聞社),『こどもが危ない・どう救う』(エール出版)など

■目次

はじめに
第1章 「争いのない事実」が争いに
母が事故に……/母の変化/空白の「15分間」/「とどめの一撃」/施設は見ておくべし/安い「老いの命」 /査定の権限は保険会社に/「失った時間は戻らない」が……/アメリカのすごさ
第2章 各地で行なわれた「孤独な闘い」
「介護保険ご意見番」の地元で/“魔の四十八時間”/寝たきりは命のSOS/闇に消えるトラブル/頭を抱え る弁護士たち/ワープロ打ちの書面とともに/孤独な闘いのはじまり/「国会議員になって……/厚労省からの一通の手紙/母が転んだ?/看護師の不思議な対 応/損保の弁護士/もっと発言を
第3章 敵意と歓待の間
『死んで世間に訴えようと思った」/もつれる計算/あご外し/福祉の心とは/ケアという「契約」の不平等性 /「判決はおかしい」/はじめての裁判/「勝利」、しかし、続くケア/「何も変わっていない」/85歳の嘆き・「みなし介護」は問題/施設が「敗れた」あ とで
第4章 ゆがんだ証言
「質の向上を」/15秒間の死角/証人尋問から見えてきたこと/隠そうとしたこと/交わらぬ視線/述べられ た「ストーリー」/裁判官のつくった争点整理案/退屈な主尋問/「かけもち介助」/分断ケア/しりもちか、仰向けか/急ぐ排泄介助/「半分ずりおちてい る」/崩れる証言/裁判官たちの質問/がらんとした法廷/これまでにない介護意見書/「死亡までの経過に関する意見書」/弱い再発防止への実感
第5章 安らかなる「死」を日常へ
解剖される施設での死/「あんなに重い人を……」/施設は拒めない/手薄な療養環境・突然死の予兆は?/ 「突然死に無理解だ」/福祉のターミナルケア/「看取り」という報酬
おわりに
文献

◆内容
介護訴訟の当事者となった著者が、自らの体験を語ると同時に、介護をめぐって争われた事例を取材し紹介。
おわりに
…特養ホームの8割近くは「社会福祉法人」…地元の名士や資産家が土地などを寄付、国や地方自治体から補助金を得て、建物を造ってきた。そうした施設を訪 れるたびに「官」、つまり管理職に入っている天下り職員の影を感じた。
 では、ケアの内実について、「これこそ理想のモデル」という施設を官(国、地方自治体)は設けてきたか。答えはノーである。
 テスト事業に金をばら撒き、評判が良いと政策として導入してきた。…広い敷地を持つ介護施設を歩くと、…施策の変遷をなぞるように増築している社会福祉 法人に出会うことがある。お年寄りの一人ひとりの体は違うとはいえ、何がケアのスタンダードかを示す代わりにつまみ食い的に目立つものを導入する厚労省に 振り回されているとさえ思え、経営者の苦労がしのばれる。国にケアの理念が無いということだ。
 “福祉は人なり”ケアスタッフを増やす、彼らの質の向上に本気で金をかけるといった肝心要をおざなりにしてきた。[203-4]

それにしても、ケアをめぐる裁判はやっかいである。…親を世話してくれる人たちに深く感謝するのはあたりまえだが、本来感じなくてもよい負い目まで家族は 引き受けてしまう。
 私が「裁判所に通っている」と口にしたとき、好奇な視線を投げ、眉をひそめる人も少なくはなかった。…母の死に同情を示しつつも善意の集団にかみついた 恩知らずをなじるような顔つきになる。
 一連の反応は、わたしたち日本人を取り巻く法感覚、介護に対するステレオタイプを象徴している。要約すれば。こんなふうになるだろう。
 一 自分の家でケアできないから、預けている。借りがある。少々の不都合は目をつぶれ。
 一 老人の身体はもともと弱い。ケガの原因を宿している。遠からず、この世からもいなくなる。
 一 面倒見てもらっていたのに、それを逆手にとって、賠償金を請求するとは。福祉をゼニにする輩だ。
 一 けんかざた、警察ざた、裁判ざたはいかん。もし、わが家で同じことがあり、「訴えよう」などと家族会議で言いだそうものなら、袋だたきにあうだろ う。
 一 弁護士を探すのは、ひと苦労だ。費用や手間もかかる(審理が始まったら、誰が出廷するのか。みな仕事を持ち、それほどヒマではない)。
 一 法廷で証言し、相手の弁護士や裁判官から尋問されるのはごめんこうむりたい。[206-7]

 なぜわたしが「法廷」という場で介護トラブルを取材しなくてはならなかったのか。説明するまでも無いだろう。施設という密室で起こる大小さまざまな事 故、苦情、そして悲劇について、「どうぞ何でも聞いてください。すべてお話しますから」と椅子を進めてくれるところなどまずないからである。端著をつかん で取材に入ったところで、「もう解決済みです」、「プライバシーを守るため言えません」と電話を切られる。施設からも弁護士からも、そして時には被害者の 家族からも。介護の世界のベールはすこぶる厚い。その点、憲法で公開を定めた裁判という広場は絶好の取材フィールドとなる。
 この本で取り上げたのは、なんらかの形で肉親である高齢者の「命=人間の尊厳」が踏みにじられたという思いから、司法に救済を求め、あるいは求めようと したケースである。よりよいケアや福祉の充実を願って本人や家族は歯を食いしばって法廷に立ち、勝てば溜飲を下げ、負ければ悔し涙を流す。[210- 211]


UP:20070714 REV:
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