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内田 樹 20070130 講談社,p.231 ■内田 樹 20070130 『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』,講談社,231p. ISBN-10: 4062138271 ISBN-13: 978-4062138277 1470 [amazon] ■商品の説明 下流志向 我が国の格差問題の原因について、1つの衝撃的な解答を示す書。若年層が社会から逸脱し下流に落ちるのは環境ややる気の問題ではなく、まともな生活を営む うえで決定的な能力が欠落していることによると説く。著者の専門は文学・思想史であり、統計的な分析や実地調査に基づく分析は用いていない。しかし、人間 のあり方そのものを深く洞察する手法で「学び」と「労働」を放棄する若者の思考のメカニズムを、説得力をもって解明していく。 我が国で下流に落ちる若者たちは、人類史上初めて登場したタイプではないかと言う。彼らは生きるために必要な知識を学ぶという当然の行為を否定する。その 裏には「無知のままで生きる不安を感じずにいられる」という絶望的な特徴があると指摘する。これは貧困や劣悪な生活環境によって「教育を受けたいが受けら れない」といった、従来存在した下層社会の問題とは根本的に異なる。彼らにとって教育や労働は強制された「苦役」でしかなく、避けられるものならば避けて 通りたい面倒ごとにすぎないと言う。 そうした若者が増殖する原因の1つは「孤立化」だと言い、社会の目に見えない相互扶助ネットワークから一度逸脱してしまうと、下流生活が定着化してしまう と憂える。 (日経ビジネス 2007/03/26 Copyright(c)2001 日経BP企画..All rights reserved.) 出版社/著者からの内容紹介 日本の子どもたちの勉強時間は年々短くなり、いまや世界でも最低水準になってしまった。彼らは、積極的に「学び」から逃避している。その結果が学力低下を 招いているのである。 また、若者たちも「労働」から逃避している。85万人といわれるニートは、自らの意思で知識や技術を身につけることを拒否して、自分探しをしながら階層下 降している。 格差社会ニッポンのなか、逃げ続ける新しいタイプの弱者たち。このままでは日本社会に未来はない。 なぜこのような事態が訪れたのか、処方箋はあるか──いまもっとも注目される論者が、難問に挑む! ■著者について 内田 樹(うちだ たつる) 1950年東京生まれ。東京大学仏文科卒。東京都立大学人文科学研究科博士課程を中退後、同大学人文学部助手を経て、現在は神戸女学院大学文学部教授。専 門はフランス現代思想。『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『「おじさん」的思考』(晶文社)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、『先生はえらい』 (ちくまプリマー新書)など著書多数。 ■引用(安部彰) 今の「自己決定・自己責任」論だと、力のある人間は家庭を捨てて自立して、誰にも頼らない代わりに、自分が獲得した社会的リソースは誰ともシェアしない ということになります。たしかに力のある人はそれでもいいかもしれない。家族なんか自己実現の障害でしかないということは強い人間にとっては正論です。で も家族というのは自立できないメンバーも含んでいる。幼児や老人や障害者を多くの家族は含んでいて、力のあるメンバーが自分たちの稼いできたものを、相対 的弱者と分かち合うというかたちで支援してきた。自己決定・自己責任論の立場に立つと、弱者は弱者であることの自己責任を自分で引き受けなければならな い。もちろん自己責任を引き受け切れないから、そういう「余計な仕事」は行政が引き受けるべきだということになります。自己決定・自己責任論と高度福祉社 会論は実は背中合わせなんです。 フェミニストたちは自己決定・自己責任論と社会福祉の充実を同時に要求してきました。それは老人や病人の介護を家族に、特に女性に押しつける家族主義が 社会福祉の充実を停滞させてきたという歴史があるからです。だから、フェミニストが家族制度の解体と、行政が弱者を支援する福祉制度の充実を同時に要求し てきたというのは平仄が合っている。でも、幼児や老人など、家族内でいちばん脆弱な存在の介護負担を「押しつけ合う」という問題の立て方それ自体のうちに 「弱者は健常者の自己実現の障害である」という発想が依然として伏流しているとしたら、これはやはり問題だろうと思います。 誰でも、幼児であった時期があり、時には病気にもなるし、必ずいつかは老人になる。自分自身の人生のうち、自己責任・自己決定を引き受けることのできる ほど健康で「強い主体」である時期だけが「自分」であって、それ以外の全期間の「弱い主体」としての自分は「自分ではない」という考え方にはやっぱり無理 がある。「幼児や病人や老人の面倒を押しつけられると私の自己実現の障害になるから、そういうものの面倒は行政が見ろ」と声高に言える人は、「幼児であ り、病人であり、老人である自分」を勘定に入れ忘れている。かつて自分がそうであり、これから自分がそうなるかもしれないものとして「家庭内弱者」をとら えたときにはじめて、家族内の誰かに過度の負担をかけることもなく、行政に丸投げするのでもなく、弱者たちをどういうふうに細やかにすくい上げてゆくかと いう問題が「自己救済」の問題として立てられることになる。(: 199-201) デリケートな濃淡のある親密圏(: 201) 地縁的なものであれ、血縁の共同体であれ、とにかく複数の人間で構成される相互扶助組織(: 202) 親密圏というのはリスクヘッジのための共同体(: 202) 弱者(家族がつくれないひと)は自分のリスクをヘッジしてくれるような中間共同体(親密圏)を作ることをイデオロギー的にも(自己決定・自己責任論、自分 探し)、実践的にも(収入・学歴の格差)禁じられている。(: 202-203) 弱者が弱者であるのは孤立しているから(: 203) 「自分探しはもう止めて、親密圏を作りましょう。あれこれと迷惑をかけ合うくらいのことは、将来のリスクをヘッジするコストとしては安いもんです」という 言い方だって、ある日いきなり「常識」になるかもしれない。(: 203) 「健康で文化的な最低限の権利を営む生活」を担保(しようとするのであれば)(かれらが)(かならずしも老人や障害者のような受動的な社会的弱者ではな い)「労働からの逃走者」(であるにもかかわらず)ニートがニートになったのは自己責任だけでなく、「ある時代に支配的だったイデオロギーの犠牲者」であ るという考え方を納税者が受け容れる必要がある。(: 206-207) ニートを孤立させてはならない(: 207) 「自己決定したことについては自己責任がある」というロジックこそがニートを作り出した……つまり、(その)ロジックを正論として認めれば、僕たちの社会 はこれからも無数のニートを生み出し続けることになる。「君たちを扶養するための社会的コストは引き受けない」と言えば、当の「君たち」が激増するという 逆説的な事態の中に僕たちはいるわけです。「君たちは飢えることのリスクを自己決定して引き受けたけれど、私たちは君たちを飢えさせない」というロジック を「常識」に登録することだけがニートのもたらす社会的コストを最小化できる。(: 207-208) 「もうニートになった人」については、その人権を守る方途を考え、「これからニートになりそうな人」には「やめた方がいいよ」と説得する。「ニート対策」 にいちばん欠けているのは、この……「常識の二枚腰」だと思うんです。ニートがニートになってしまうのは、要するに「世の中が冷たい」と思っているからで す。ですから、「世の中、それほど冷たくないよ」ということをアナウンスしてあげて、実際に手をさしのべれば、そこからゆっくりとでも事態は変わってくる んじゃないか、と。(: 209) (高齢者ニートの悲惨な姿をみれば)少なくともニート予備軍の諸君は少し方向転換するかもしれない。でも、そっちに行ってはいけないというシグナルは、ま だまだ発信力が弱い。(: 209) 彼らは経済合理性に基づいて、等価交換原則に従って、学びを拒否し、労働を拒否してるわけですから、経済合理性と等価交換原則が世の中の最終真理じゃない ということを彼らに実感させる以外には打つ手がない(: 209) 作成:橋口 昌治(立命館大学大学院先端総合 学術研究科) UP:20071105 ◇「若年者雇用問題」文献表 ◇哲学/政治哲学(political philosophy)/倫理学 |