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『生活保護物語――「落とし穴社会」半世紀の現実から』

浦田 克己 20070110 日本機関紙出版センター,167p. 1300


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■浦田 克己 20070110 『生活保護物語――「落とし穴社会」半世紀の現実から』,日本機関紙出版センター,167p.
   ISBN:4889008446 ISBN-13: 978-4889008449 1300 [amazon] b i03j

■内容(「BOOK」データベースより)
不安いっぱいの「落とし穴社会」。それをカバーしてきた生活保護は、いまや構造改革で機能マヒ状態に。第一線の現場経験をもつ、元ケースワーカーが提言。

■内容(「MARC」データベースより)
不安いっぱいの「落とし穴社会」。それをカバーしてきた生活保護は、いまや構造改革で機能マヒ状態に。元ケースワーカーが、第一線の現場経験をもとに、これからの日本をどうすればいいのか提言する。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
浦田 克己
今までほとんど知られていませんでしたが、国民年金暮しのお年寄りで、年金額が政府の定めた最低生活費に満たない場合なども、他に利用できる資産や貯金や、援助できる家族がいなければ、生活保護を受けて年金と最低生活費との差額を受給することもできるのです。
それなのに生活保護を利用している人が少なかったのは、今まで「生活保護」がアンタッチャブルな制度のように隠匿され、存在そのものに関心を持つ人が少なかった上に、申請するために必要な知識やノウハウがなく、相談に行っても、多くの人が申請書すらもらえなかったからなのです。
「もうだめだ」という時、セーフティネットの上に落ちるか、こぼれて地面に叩きつけられるか・・・。
福祉もお役所の仕事です。規定の要件を研究し、! 「受け止めてもらう」ための努力も必要とされる時代になっています。

■著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
◆大田 のりこ
早稲田大学卒後、出版会社、化粧品メーカー開発担当を経て、出産を期に退社。現在、フリーエディター
◆大山 典宏
1941年生れ。大阪府出身。1960年大阪市役所就職。1965年大阪市立大学法学部2部卒業。2002年3月大阪市役所退職。現在、大阪樟蔭女子大学非常勤講師。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

 はじめに

 私の偶然

 一、貧乏の落とし穴、いろいろ
 二、何でも「まかせなさい」生活保護
 三、セーフティーネットは何重にも必要
 四、自立について
 五、貧乏の責任・貧乏の資格
 六、貧乏のない社会へ
 七、福祉事務所を去って

 おわりに


■引用
◆何でも「まかせなさい」生活保護
 「このようにして、まるで「何でも屋」のように、まさに「原因の如何を問わず」、「無差別平等に」生活に困った人々を生活保護に流し込んで、国民の生活の緊急避難措置として、生活保護が機能してきました。「任せてんか」と言わんばかりに…。しかし、本当にこれでいいのだろうか、と疑問は残るのです。」(p.66)

 「今のように「何でも生活保護」というのは、原因を作った責任者を免罪することに繋がるように思います。それは同時に保護受給者を差別するスティグマ(烙印・レッテル)を強める役割をもはたしているのだと思います。「貧乏の落とし穴」を仕掛けた責任者を不問にして、何でもいいからと生活保護を適用することによって、「貧乏の落とし穴」に不運にも落ちてしまった人達の人間の尊厳を踏みにじっているのだと思います。責任者を明確にして、その責任をとらせることが、その被害者の尊厳を守ることになるのではないでしょうか。」(p.67)

◆自立は人間の生きる姿

 「問題なのは、先にも触れたように、貧困の原因が社会的であるという認識が社会福祉の前提であるのに、「自立の助長」への援助としてのケースワークが個人としての保護受給者への援助となっていることです。ケースワークは対人援助としてのその個人への援助であって、社会改造とか社会変革を行う仕事でないことは明らかです。原因が社会的であれば社会的対策が必要なのに、まるで個人に問題があるかのようなケースワーク的援助が制度化されていることに、問題を複雑にさせる原因があるのです。
 と言っても私は、個人に全く問題がないというのではありません。個人には誰でもいっぱい問題があります。だけどそれは保護を受けるようになった人だけに問題がある訳ではない。それなのに、保護を受けている人にだけ問題があるかのような援助或いはケースワークが必要だというのは、何か偏見を前提としているように思います。もし人間の個人的な諸問題を援助するケースワークが必要だというのなら、何も生活保護だけに必要とはならないのではないか、という意見もあります。」(p.97)

◆社会福祉の理念
 「もともと、自由放任の資本主義が多くの貧困者や不健康を生み出し、生命を犠牲にしてきました。その結果、治安が乱れ社会の腐敗を生み出したのを受けて、様々な社会事業が発生しました。社会福祉や社会保障は、貧困の原因が社会的なものであるという科学的認識から出発しています。従って、社会的な防貧対策として工場法をはじめとする様々な労働保護制度が生まれてきました。貧乏の責任は社会にある。これが現代資本主義社会の定着した思想です。
 これに土足で踏み込んで「自己責任」を押し付けようとするのが「ニューリベラリズム」です。<121<この考えは、資本家が投資をする場合の思想です。資本家は、どの社会にどれだけ投資するか、あるいはしないか、の判断をする時は、まさに「自己責任」そのものです。つい最近のライブドアや村上ファンドの投資行動を見ればわかるとおりです。しかし、資本も生産手段も何も持たない労働者に、同じ考えを持たせようとするのは、資本家の身勝手です。それなら、資本家と同じように、資本や生産手段を労働者に持たせてから、それを言うべきでしょう。でもそうなれば、もはや労働者ではなく彼は資本家の仲間入りをすることになるでしょう。労働者がいなくなっては資本家が儲かるわけはないのですから、体は労働者のままで、頭だけ資本家にならせようというわけです。
 最近の社会保障・社会福祉改革といわれているものは、すべてこういう考えから出ていると私は思っています。
 資本家の行動範囲を広げたい。世界中で自由に活動して競争に勝ちたい。そのために労働者の労働条件をもっと引き下げたい。その邪魔をしているのは社会福祉や社会保障だ。というのが資本家の考えであると思われます。そのために「貧乏の責任は本人にある」、「努力した者が報われる」のであって、「努力の足りない者は貧乏に苦しんで当然」なのだと、「自己責任論」を煽っています。」(pp.121-122)

◆貧乏の条件
 「このように、生活保護まで落ちる前に、そこまで落ちないための様々な社会福祉や社会保障の制度が、「応益負担」の名でどんどん自己負担を引き上げ、その中身を小さくして、セーフティーネットの役割を果たさなくなってしまっているのです。だからストンと「最後の砦」と言われる生活保護まで直接落ちてくるわけですから、いわば生活保護は「最後の砦」だといわれるけれども、「最初にして最後の砦」という状況になってしまっているのです。」(p.132)

 「生活保護法では「健康で文化的な最低限度の生活」をする権利を国民に保障した日本国憲法を具体化したものですから、その基準が日本国民の「貧乏の条件」である訳です。しかし、現在の生活保護法の運用では、「貧乏の条件」以下であっても生活保護を受けられない人がたくさんいるのです。」(p.132)

「「貧乏の条件」が満たされても、福祉事務所が承認してくれなければ「貧乏の資格」がないことになります。最後の、そして唯一のセーフティーネットが破れて穴だらけになっているのです。だからそのセーフティーネットが、落ちてきた人を誰でも救うわけではなく、中にはそのまま地獄何丁目かに落ちていってしまう人が、しばしばでてくることになります。」(p.132)


UP:20080208 REV:

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