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『「法令遵守」が日本を滅ぼす』

郷原 信郎 20070120 新潮社(新潮新書),190p.

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last update:20150830

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■郷原 信郎(ごうはら・のぶお) 20070120 『「法令遵守」が日本を滅ぼす』,新潮社(新潮新書),190p.  ISBN-10: 4106101971 ISBN-13: 978-4106101977 680+税  [amazon][kinokuniya]

■内容

「申し訳ございません。違法行為を二度と起こさないよう、コンプライアンスを徹底いたします」とは、不祥事を起こした際の謝罪会見での常套句。 だが、こうした「コンプライアンスとは単に法を守ること」と考える法令遵守原理主義そのものが、会社はおろか、この国の根幹をも深く着実に蝕んでいるのだ。 世の中に蔓延する「コンプライアンス病」の弊害を取り上げ、法治国家とは名ばかりの日本の実情を明らかにする。

■著者略歴

1955(昭和30)年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事などを経て、2005年から桐蔭横浜大学法科大学院教授、同大学コンプライアンス研究センター長。 警察大学校専門講師、防衛施設庁や国土交通省の公正入札調査会議委員、文部科学省の研究費不正対策検討会委員、内閣府のタウンミーティング調査委員会委員、 シンドラーエレベータのアドバイザリー委員会委員長、不二家の「信頼回復対策会議」議長なども務める。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

■目次

まえがき

第1章 日本は法治国家か
非公式システムとしての談合
官民一体の違法制度づくり
合理的な富の配分システム
公然と行なわれた違法行為
生じ始めた弊害
隠蔽を生んだ制裁強化
独占禁止法の不幸な生い立ち
企業は放っておけば悪事を働く?
全面開花した独禁法
企業に脅威の課徴金
公取委と独禁法の敗北
形だけの談合排除宣言
証拠隠しと徹底抗戦
白旗を上げたゼネコン
そして危機に陥る公共工事

第2章 「法令遵守」が企業をダメにする
ライブドア事件は事件か?
かねてから批判されていた経営手法
唐突な検察の違法判定
危うい「村上ファンド事件」の捜査
大きく歪んだ法律の意義
インサイダー取引容疑は成立するのか
形式的には法律を守ったライブドア
法令遵守が市場をダメにする
法の失敗が招いた耐震強度偽装事件
安全を支えたのは「信用」と「倫理」
建築基準法の幻想
法の強化は安全確保につながらない
不正車検事件の本末転倒
パロマ事故はなぜ事件になったのか
法令遵守が引き起こした社会的非難

第3章 官とマスコミが弊害を助長する
「法令遵守」の弊害
組織の隙間が危ない
法の背後には何があるのか
国家予算という法令
法に基づかない行政指導
経済社会から切り離された官僚たち
遺法か否かにこだわるマスコミ報道
当局の判断に追従する記者クラブ
コスト・パフォーマンスのよい「善玉」「悪玉」報道

第4章 日本の法律は象徴に過ぎない
特殊な日本の司法
法律家は巫女のような存在
象徴に過ぎなかった経済法令
密接に関連しあう法律たち
経済活動に介入し始めた検察
特捜検察の武器は「贈収賄」
世論に敏感な捜査方針
求められる経済検察としての役割

第5章 「フルセット・コンプライアンス」という考え方
フルセット・コンプライアンスの五つの要素
潜在的な社会要請を把握せよ
組織づくりに完成はない
いかに組織を機能させるか
頭を下げただけでは不祥事再発は防げない
世間に問題を認識させる
パロマが陥った罠
東横インに足りなかったもの

終章 眼を持つ組織になる
法令は環境変化を知る手がかり
環境変化と企業活動
組織は「環境への適応」で進化する
眼を持つ組織になる

あとがき

〈主要参考文献〉
渡邉文幸『指揮権発動』信山社
Parker, Andrew 2003 In the Blink of an Eye: The Cause of the Most Dramatic Event in the History of Life,The Free Press,352p.  = 20060303 渡辺 政隆・今西 康子 訳 『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』,草思社,382p.  ISBN-10: 4794214782 ISBN-13: 978-4794214782 2200+税  [amazon][kinokuniya]
大鹿靖明『ヒルズ黙示録――検証・ライブドア』朝日新聞社
大鹿靖明『ヒルズ黙示録――最終章』朝日新聞社
公正取引委員会事務総局編『独占禁止政策五十年史』
20050822「特集 止まらない品質トラブル」『日経アーキテクチュア』日経BP社
岩橋健定「耐震性能不足建築物問題の論点整理」『コーポレートコンプライアンス』6,桐蔭横浜大学コンプライアンス研究センター

■引用


まえがき

 日本は果たして法治国家だろうか。そのことを私が真剣に考えるようになったのは、今から4年前、長崎地検次席検事の職にあった頃です。 次の文章は、「法の日週間」にちなんで当時地元紙に寄稿した随筆の一部です。

《先日、七月から長崎地方検察庁で検察実務修習中の司法修習生に講話をする機会がありました。その冒頭で、「日本は法治国家だと思いますか」と尋ねて挙手を求めたところ、 六人全員が手を挙げました。若き法曹の卵たちは、日本が「法治国家」であることにいささかの疑念も持っていないようです。
 確かに、日本には憲法があり、数多くの法律が制定され、国や地方の行政も法律に基>004>づいて行われています。 市民生活もさまざまな場面で法律とのかかわりを持たざるを得ませんし、企業活動のルールも法律で定められています。 しかし、社会の現実を見ると、わが国が実質的な意味で法律によって治められている国だと言えるかどうかは疑問です。
 自動車会社のリコール隠し事件、食品の偽装表示事件、助成金の不正受給事件など企業の違法行為、秘書給与の流用、政治資金の違法な処理、 公共工事の口利きなどの政治家をめぐる不正事件が、相次いで表面化しています。これらは、一部の不届きな企業や個人による特異な事例でしょうか。
 (中略)
 法律が定める制度は、内容が社会の実情に適合し、個人や企業の側に法律を順守する意識が定着していれば、その機能が十分に発揮されます。この場合、法律違反行為に対して、 その程度と悪質性に応じた制裁を科すことが違反行為を抑止し制度を健全に維持する上で大きな役割を果たします。
 しかし、従来のわが国のように、法律に基づかない行政指導によって個人や企業の活動がコントロールされ、非公式な話し合いによる解決が常態化している場合には、 法律>005>で定める制度は、しばしば社会の実態と乖離し、違法行為が常態化することになります。そこでは、 法律に基づく制裁を科することで法律順守を確保するという手法は用いられず、法律に定められた罰則が実際に適用されることもほとんどありません。 ところが、たまたま内部告発などで違法行為が表面化すると、行為者や企業に対して厳しい社会的非難が浴びせられ、 ここぞとばかりに刑事罰などの制裁が科されることになります。
 しかし、それだけでは本当の問題の解決にはなりません。それ以上に重要なことは、 法律が十分に機能していないという現実とその背景となっている構造的要因をどのようにして是正するかです。》

 この文章の中で指摘している「法治国家ではない日本」の実情は、その後も基本的に変わっていません。
 変わっていないどころか、事態は一層深刻になっています。企業不祥事、官庁不祥事などの違法行為の摘発は、その後もとどまるところを知らず、そのたびに、 新聞紙上で持ち出される言葉が、「法令遵守」という意味で語られる「コンプライアンス」です。>006>
 不祥事を起こした企業、官庁の謝罪会見の決まり文句は「法令遵守が不十分だった。コンプライアンスの徹底を図りたい」。 コンプライアンス確立のためにコストを惜しんではならないというのは、今や経営の常識です。コンプライアンスに関するセミナーが各地・各所で行なわれ、 コンプライアンス確立のためのコンサルティング会社は大盛況です。
 その一方で、法令と実態の乖離という問題が解消されたかと言うと、決してそうではありません。本書で詳しく述べていきますが、公共調達をめぐる談合問題、 ライブドア・村上ファンド事件、耐震強度偽装事件など、最近社会問題となった経済事件の多くは、何らかの形で法令やその運用が経済実態と乖離していることが背景になっています。 それにもかかわらず、単純な「法令遵守」のひと言で問題を片付けてしまおうとすることで、問題が解決するどころか、一層深刻な事態を招いているのです。
 このように法令やその運用と経済実態との乖離が一層深刻な状況になっている背景には、国家公務員倫理法などの影響で、 法令の作成や執行を行なう官庁の公務員と民間人との接触が少なくなり、官庁側の認識が経済社会の実情とズレてしまっているという現>007>実があります。
 そして、そのようなズレを是正することができず、それを一層ひどくしてしまうのが、官庁発表報道、「法令遵守的報道」をたれ流す御用マスコミの存在です。 官庁とマスコミが結びついた圧倒的なプレッシャーの下では、企業側には、単純に法令遵守を行なうことしか選択肢はないように思えます。
 こうして世の中が「法令遵守」に埋め尽くされる状況の中で、多くの賢明な組織人達は、法令遵守という意味のコンプライアンスが、 多くの弊害をもたらしていることに気づき始めています。抽象的に法令遵守を宣言し、社員に厳命するだけの経営者の動機が、 命令に反して社員が行なった違法行為が発覚した場合の「言い訳」を用意しておくことに過ぎないこと、 法令遵守によって組織内には違法リスクを恐れて新たな試みを敬遠する「事なかれ主義」が蔓延し、モチベーションを低下させ、 組織内に閉塞感を漂わせる結果になっていることを感じています。
 しかし、そのことを表立って口にする者はほとんどいません。法治国家においては法令遵守は当然のことであり、それを意味するコンプライアンスに異を唱えることは、 法>008>治国家の国民にあるまじき言動と軽蔑されるのが怖いからです。
 日本は、決して無法国家ではありません。明治期以降、欧米から近代法が輸入され、大陸法と英米法が混合した精緻な法体系が確立された「法令国家」です。 しかし、戦後の経済復興、高度成長を支えた官僚統制的経済体制の下での法令は、現行憲法下での天皇と同様に「象徴としての存在」にとどまり、その間、 市民社会、経済社会における現実の機能は限られたものでしかありませんでした。それが、日本が本当の意味の法治国家となり得ない要因となったのです。
 日本は、戦争による経済の崩壊の危機から僅か四半世紀余りで、世界第2位の経済大国へと奇跡の経済復興を遂げました。しかし、それを支えてきた官僚統制的経済は、 一方で「市民社会・経済社会と法令との乖離」「法令と実態の乖離」という副産物を生じさせました。それが「非法治国家たる法令国家」という、 他にはほとんど例がないであろう奇妙な組合せを生じさせたのです。
 このような状況の下で、「法令を守れば良い」「法令にしたがって物事の是非を判断すれば良い」という、通常の法治国家においては当然の法令遵守を単純に推し進めてい>009>けば、 社会の混乱と矛盾が極限に達することは確実です。その結果もたらされる国家の衰退は、第二次世界大戦後の奇跡の経済復興と同程度に、 歴史上稀な出来事として後世に語り継がれることになるかも知れません。

 今こそ、日本社会における法令の位置づけとそれを遵守することの意味を根本から問い直し、真の法治国家を実現するための方策を真剣に考えなければいけません。 本書では、法令をただ漫然と遵守すれば良いという「法令遵守」が弊害をもたらしている事例を取り上げ、それが官庁やマスコミの考え方や行動とどのように結びついているのか、 私たちはそれに対してどうしていったら良いのかを考えてみたいと思います。(pp.003-009)
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第3章 官とマスコミが弊害を助長する
国家予算という法令
 官庁では、高度成長期までの経済社会の実態に適合したシステムがいまだに厳然と続いており、そんな官庁が作る法令やその運用が、 現在の日本の経済社会の実情に合わなくなっていることが問題となっています。そうした時代遅れのシステムの典型が「予算中心主義」です。
 日本の財政制度は、単年度予算主義です。それはある意味では、「予算という法令」の遵守を中心とする制度と見ることもできます。(p.105)

 予算と決算にどのようにウエイトを置いていくかは、国の財政についての基本的な考え方の問題です。最近のように経済社会が激変している状況の下では、 予算中心主義は一層大きな弊害をもたらすことになります。
 アメリカをはじめ先進諸外国の多くは、近年、会計検査組織などを活用して、支出の適法性に加えて経済性、効率性、有効性も含めた決算審査を重視する傾向を強めています。 予算中心主義で、会計検査がいまだ適法性のチェックだけに偏っている日本のような制度は国際的に見ても稀です。(p.108)
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終章 眼を持つ組織になる
眼を持つ組織になる
 5億4000万年余り前、古生代カンブリア紀初頭の話です。その時、生物は爆発的に進化しました。生命の誕生から30億年以上、 バクテリアやクラゲのような生物ばかりで遅々として進まなかった進化が一気に進み、三葉虫などの多種多様な生物が生まれた>180>のです。
 進化の大爆発はなぜ起きたのか。最近有力になっているのが「光スイッチ説」です。 この時代に、何かの原因で地中上の光の量が増加しました。それに生物が反応し、初めて「眼」を持つようになったことが、彼らを劇的に変えたというのです。(pp.179-180)

 同じことが、人間の組織についても言えるのではないでしょうか。
 組織は、急激な社会環境の変化の中で、その活動を環境全体に適応させていかなければいけません。現在起きている変化のスピードは、 昔とは比較にならないほど急激なものになっています。しかし、組織の意思決定のメカニズムと、そこで働く人の基本的な>181>考え方はそう変わっていません。それでは、 かつてのような緩慢な変化には対応できても、急激な変化には対応できないのです。
 組織にとって不可欠なのは、社会の要請と周囲の環境変化をすばやく認識する鋭敏性です。それができるのは、単なる上命下服のトップダウンの形態でも、 根回し中心のボトムアップの組織でもありません。組織の構成員全体が鋭敏性を持ち合わせ、それが組織全体の鋭敏性として高まっていくことです。
 つまり、組織が「眼」を持つことです。構成員一人一人の鋭敏性が組織としての鋭敏性に昇華し、社会環境という光に反応し始めたとき、組織には「眼」が生まれます。
 そこから、組織の爆発的進化が始まるのです。(pp.180-181)
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■出版社の紹介

不二家、パロマ、東横イン、ライブドア、そして各地で発覚し続ける談合問題──うわべだけのコンプライアンスこそが、組織を蝕む元凶だった!

「申し訳ございません。違法行為を二度と起こさないよう、コンプライアンスを徹底いたします」とは、不祥事を起こした際の謝罪会見での常套句。 だが、こうした「コンプライアンスとは単に法を守ること」と考える法令遵守原理主義そのものが、会社はおろか、この国の根幹をも深く着実に蝕んでいるのだ。 世の中に蔓延する「コンプライアンス病」の弊害を取り上げ、法治国家とは名ばかりの日本の実情を明らかにする。

■言及

◆郷原 信郎(ごうはら・のぶお) 20090220 『思考停止社会――「遵守」に蝕まれる日本』,講談社(講談社新書1978),210p.  ISBN-10: 4062879786 ISBN-13: 978-4062879781 740+税  [amazon][kinokuniya]


*作成:北村 健太郎
UP:20150830 REV:
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