■■第9章 新薬開発:貧しい人々を除外すべきか?

 ◇なおしてみたところ:489→576/20100125:+175→270→334→475→688→748→821

 ・改段落されるべきがされていない:4箇所
 ・チャーチルのところ
 ・思索による生産物→
 ・甚大な→莫大な
 ・そのいやらしさ(odiousness)→そのことの忌まわしさ
 ・ちょろまかす(expropriate)→取り上げる
 ・吊るし上げられたり(hold up)→挙げられ
 ・コストフリーでさえあるような必須薬品→無料……
 ・→無計画でケースバイケースになりがち
 ・限界的(marginal)なやり方→片手間[marginal]に
 ・干渉→介入
 ・プラン/計画 不統一→計画
 等々等々

この論文の前のバージョンである"Human Rights and Global Health: A Research Program"の初版は▲ Metaphilosophy▲の特別号、 Christian Barry と Thomas Pogge編▲Global Institutions and Responsibilities: Achieving Global Justice▲36/1.2 (January 2005)であり、2005年にBlackwellからでた拡大版の選集として再版されている。このバージョンは、2003年4月からの1学年、 Department of Clinical Bioethics of the National Institutes of Healthで過ごした時に執筆したものであり、そのチーフであったEzekiel Emanuelと同僚たちからの示唆やコメントに深く感謝する。Australian Research Council、BUPA財団 、 欧州委員会European Commissionからの助成金に感謝する。プロジェクトはキャンベラのオーストラリア国立大学、Centre for Applied Philosophy and Public Ethics(CAPPE) に本部を置く小チームで継続されており、Judith Whitworth、Michael Selgelid、Matt Rimmer、Kieran Donaghue、Kit Wellman、Doris Schroeder、Christian Barry、Daniel Star、Jason Grossman、 Ling Tongが主要メンバーである。カルガリー、ケンブリッジ、そしてサンフランシスコからのAidan Hollis、Laura Biron、そして Leila Chirayathはチームに欠くことのできない貢献をした。Julian Cockbain、Miltos Ladikao、 Jamie Love、Onora O’Neill、Michael Ravvin、 Henrik Syse、Andrew Williams他、多くの人々がさまざまな方法で我々の努力を支援してくれた。

■9.0 序

 毎年およそ1,800万人が、予防や治療や処置が可能な疾患によって避けることのできる死を迎えている。これは1日5万件の死であり、総死亡数の3分の1を占めている(注136参照)。さらに数千万人がこうした病でひどく苦しめられている。加えて数千万人が、家族の早すぎる死や重い疾病によって打ちのめされている★339。これらの疾病はまた、多くの貧しい国々やコミュニティの経済や貧しい家計に過大な負担をかけており、それによってその貧困を永続させ、結果としてその構成員の健康を損なっている。
 この高い死亡率と罹患率はけっしてランダムに分布しているわけではない。さまざまな社会的事由により、有色人種の成人と子どもたちが不釣合いに深刻な不健康に苦しんでおり★340、さらにその中でも女性と女児がとくにひどい状態にある★341。この不均等分布の最も重要な要因は貧困である。ほぼすべての避けることのできる死亡や疾病は、貧しい国々の、それもとくに最も貧しい住人の間で起きている★342。  この巨大なグローバル疾病負荷[global burden of disease](GBD)に制度改革を通じて戦いを挑むにあたっては、様々な方法がある。4章から8章で探求したアプローチは深刻な貧困の撲滅に焦点を当てている。これまで見てきたように、比較的小規模で現実的に達成可能な制度改革――それはグローバル所得な分配の1%未満を移転させるにすぎない――さえあれば世界全体の深刻な貧困を終わらせるに十分である。全人類の所得の下半分の人々は、世界総生産のわずか3%以下で十分生活してゆくことができる。だが、のこりの[上半分の]我々が不健康状態を避けるための助けとしている、適切な栄養や安全な飲料水・適切な衣類や住居・基本的な衛生・蚊帳といったものへのアクセスが可能になれば、彼らの状態はさらによくなるだろう。
 避けうる多大な死や疾病に対処するもう一つの方法として、医学的介入――ワクチンや、治療や処置――へのアクセス改善の保証がある。この問題に取り込もうとする2つの方法は相補的である。つまり、ひどい貧困を撲滅することはGBDを大きく減少させ、必須薬へのアクセス改善によってGBDを減らすことは、深刻な貧困を大きく減らすことに――貧しい人々が自らの経済状況をよくできるよう自身の働く能力と自己管理能力とを強化することによって――つながるだろう。この章では、後者のアプローチの例示として、GBDの劇的減少を阻害する決定要因をいかにして取り除くことができるのか、そのあらましを述べる。
 現行の製薬に関する知的所有権制度は道徳的にきわめて問題である。この事実は、国際的な保健衛生の専門家の間では長らく認知されてきたことだが、エイズ危機の結果としてより広く理解されるようになった。AIDS危機では、貧しい患者の死活に関わるニードが、研究や(新薬)開発への投資の回収という製薬会社のニードと競合させられたのである★343。それでも、この広範な認識は簡単には政治改革へと転換されない。一部の人々は、ウィンストン・チャーチルが民主制についてそう信じていたように、現行システムは最悪だが他のすべてよりはましなものであるとと信じている。改革に親しみを感じている他の人々も、正確には何が現行システムの欠点であるのかについては合意がなく、ごちゃごちゃしたいくつもの代替改革案を提唱してきた。
 我々は、科学・統計学・医学・公衆衛生学・経済学・法学・道徳哲学・政治哲学からもたらされる関連事実や洞察に十分に裏づけられた、具体的で特定化された改革計画を必要としている。この計画は、実行に移す準備のできた、かつ、政策立案者や健康問題に取り組む機関や組織、メディアや一般大衆に対してひとつの明確な焦点を供しうると言ってもよい程度のものでなければならない。実行に移される機会を得るためには、その計画は政治的にも実行可能であり、現実的でなければならない。▲実行可能▲であるためには、計画がいったん実行に移されたならば、それ自身が政府や製薬企業や一般大衆(これら3つの鍵となる支持層は改革後の体制においても同様の位置を占めると仮定して)から支援を得なければならない。▲政治的に現実的▲であるためには、その計画が、政府・製薬会社・一般大衆(これら3つの支持層が現行制度下でそうであるままと仮定して)にとって☆道徳的にも打算的にも魅力を有していなければならない。この両方のレベルにおいて、誘因両立的でない[not incentive-compatible うまく誘因に適応しない]改革案は成功しない。ここで含意されている重要なことの一つは、我々が共通かつ至上のゴールであるところの必須薬へのユニバーサル・アクセスに到達するにあたって、製薬会社と協調するのか、それともまったく協調しないのか、という点である。
 本章では、具体的かつ実行可能で、政治的にも現実的な、現行の国家的およびグローバルな諸ルールに対するひとつの改革案を素描する。それは、製薬業界を、世界中の貧しい人々の深刻な健康問題に取り組むことに向かわせる、ゆるぎない、信頼の置ける金銭的誘因を与えるだろう。この案が採用された場合でも、全世界でヘルス・ケアに費やされている費用にさほど多くを加えることにはならない。実際、全体的に考えれば、とくに現在のGBDによる多大な経済損失に留意するなら、改革は実質的にはコスト減となるだろう。さらにいえば、それは、グローバルな医療ケア支出について、国家間および世代間で、また、健康を享受している幸運な人たちと深刻な医療状況に苦しんでいる不運な人たちとの間で、より公平なコスト分配となる。
 こういった計画を実施するか否か、そしてどのように実施するのかについての決定は、各国政府、および、WTOやWHOなどのようなそれらの国際組織次第である。しかし終局的には、これら政府はそれらが代表している人々に説明責任を負っているのであり、翻って、その人々こそが政府や組織の決定に最終的な責任を有しているのだ◇。現行の制度的アレンジメントによって生産され再生産されている莫大な疾病負荷の減少に向けた、より見込みのある改革オプションを探求し評価することは、広範に共有された責任であり喫緊の課題でもある◇。

■9.1 TRIPS合意とその余波

 この15年間、米国と他の富裕な国々は、知的財産権の堅固で一律な保護を世界貿易システムの基本構造に組み入れようと懸命に働きかけてきたし、それに成功してきた。このイニシアティブには、WTO設立を導いたいわゆるウルグアイラウンドで定式化された知的財産権の貿易関連の側面に関する協定▲Trade-Related Aspects of Intellectual Property Rights▲、すなわちTRIPS協定が含まれていた。これには追加的な諸条項(「TRIPS-plus」)を含む一連の二国間FTA[自由貿易協定]が続いた。それらの追加的条項によって、特許保有者はその諸々の独占権を、TRIPS合意で護られる20年間をはるかに超えて延長ないし「不朽のもの」とすることが可能となったし★344、他の様々な方法によって――例えばデータの排他的使用に関する諸条項を通じて、また強制ライセンスの効果的な使用に対する制限や政治的圧力を通じて★345――、ジェネリック薬の製造が挫かれ、妨げられ、遅らされることになった。
 知的財産権は、音楽・映画・絵画・詩・散文といった創造的な仕事が無許可の改変から護られること、またその作者が彼らの作品の再生産からの印税や使用許可料といった収入を得ること、これらを担保するのに資する。著作権よりもさらに重大なのはソフトウエアと技術に対する権利であり、とくに(食料となる植物の種子といった)生物組織、医学的に有用な分子、新薬開発に必要な製薬研究手段についての独占特許である★346。こういった種類の特許は、それが直接的にせよ間接的にせよ貧しい人々の基本的な食物や必須薬へのアクセスを全世界で妨害している以上、道徳的に問題がある。この問題の緊要性は、地球規模の栄養不良や疾病の頻度を見れば明らかである。
 知的活動による生産物の素晴らしいところは、その受益者の数と費用が独立しているところにある。小説を創り上げる知的労働は、何百万の読者がいても、1人もいなくても、まったく同じである。音楽やソフトウエアの構築、新種の動物や植物の開発、新しい型の医学的に有用な分子の発見といったことも同様である。こういった知的労作によって、何百万人もが新たな費用なしに益を得ることができる。たしかに、多くに便益をもたらすためには、知的成果は物理的に複数のコピーへと――典型的には、書籍やCDへと、種子へと、DNA分子のトークンへと、錠剤へと、あるいはワクチンへと――変換されなければならない。これら知的な創造や発見による製品も、追加的コピーが作られるにつれて――典型的にはある減少率で――上昇するコストはつきものである。しかし、こういった物理的再生産は、知的創造労働そのものからは分離可能であり、知的創造労働の費用を上昇させることはない。物理的再生産に含まれる知的創造労働の部分は、その限界生産物に関しては、まったくコストがかかっていないのである。よって、少なくとも貧しい人々は、こういった知的創造労働部分には無料でアクセスできるべきである、すなわち、物理的再生産に対する(その需要を満たすための追加的コピーの製造に対する)市場価格のみを支払うべきである、と考えたがる人も出てくるだろう。
 しかし、近年の壮大な知的財産権イニシアティブは正反対の方向に進んでいる。その主導的理念は、知的成果から派生した利益は、だれによってであれ、どこにおいてであれ、支払われなければならない、そして未払いの便益はいかなるものであっても、窃盗・著作権侵害・偽造、それ以上の悪であるというものだ。たとえまったく追加費用がかからなくても、ただ乗りはけっして―――たとえ彼らが絶望的に貧しくても、どんなにそれを必要としていても――許されない★347。独占的な価格設定権を与えることによってこの主導的理念を実行することは、知的財産部分――薬品の場合は10から30の因子――を含む商品の価格を大きく押し上げることになる。
 その限界生産にまったくコストがかからない商品からそのように人々を締め出すことが理にかなうこともある。いくつかのケースでは、こういった商品へのアクセスは、他の人々がまったくアクセスできない場合に、より価値のある、高い評価に値するものとなる。例えば、新しい強力なコンピュータソフトは投資銀行にとって莫大な価値のあるものとなるが、それは競合他社が同様のプログラムへのアクセスを欠いているかぎりにおいてである。人目を引くハンドバックのデザインはそれを身に付ける人に相当のプライドと喜びを与えるが、それは彼女らがごく少数派であるかぎりにおいてだ。そういった場合では強制された排除性が理にかなっている可能性がある。というのは、アクセスの拡大は――イノベーションの労苦にまったく何も付け加えないのだが――そのイノベーションの排他的受益者であったはずの人々にコストを課すことになるからだ。
 この理論的根拠はアクセス拡大が総じて正の外部効果をもたらす新薬開発の場合には存在しない。たしかに、他の人々が疾病に陥り、病者であり続け、早すぎる死を迎えている時に、我々が益を得る場面はある。しかし、そのことの忌まわしさはひとまず措くとしても、こういった便益はそのコストによって相殺される。コストのなかでも最も目につくのは、結果的に生じる経済的負担と公衆衛生への危険である。貧しい人々が新薬開発から締め出されるよりもむしろ無料供給を受けた場合の方が、全体としては、裕福な人々たちにとっても益になる。我々には、危険な疾病を、エイズのように貧困層には多大な負担であり万人にとっても脅威であるものとして横行させるよりは、天然痘のように大幅に削減し根絶することを望む方が、合理性があるのだ。ならばなぜ、知的財産所有者への法外な使用料を全世界に強要することを主張して、貧しい人々を新薬開発の便益から排除せねばならないのか。
 2005年以前、インドの法律では、特許は生産過程にのみ認められ、その製品にはまったく認められていなかった。結果として、インドの隆盛なジェネリック薬製造産業は――よく知られていてあちこちで特許をとっている薬の新しい製造過程を開発しつつ――こういった薬を世界の貧しい地域の人々に廉価で供給することとなった。

●引用文ー文頭下げて小活字使用 ここから●
しかし、1994年にインドがWTOの知的財産権に関する条約に署名したとき、2005年1月までに製品にも特許をかけることが要求された。この規則は自由貿易にはほとんど関係がなく、むしろアメリカとヨーロッパの製薬業界によるロビー活動との関係が大きかった。インド政府は新薬のコピー産業を実質的に終わらせる規則を制定した。世界の貧しい人々にとってこれは2重の衝撃だった。入手可能な薬剤の供給が断たれたうえに、ブランド薬のコスト低下をもたらすジェネリック業界の競争が取り去られてしまったのである。★348。●ここまで引用文●

 いったい何がインドの製薬業者から世界の最貧層に命を救う薬物が供給されることを我々が妨害するのを正当化できるというのか。この論難に対する応答のひとつとして、自らの発明の使用をコントロールするという、あらゆる発明者にとっての自然権が主張されるかもしれない。しかしこの主張は重大な困難に直面する。これからそのうちの4つに焦点を当てる。
 困難の1つは、この発明者の自然権がとくにTRIPS/TRIPS-plus合意によって保護対象とされ、国家の立法によって実施されるようなものとしての外形を持つのはなぜかの説明に関するものである。つまり、この自然権が、独占特許・著作権・商標によって今のところ法的に保護されている知的な成果のすべてをカバーしているのは、そして、それのみしかカバーしないのはなぜなのかである。なぜ、この自然権が今のWTO保護下でグローバル化されているのとまったく同じ適用範囲や適用期間を持たねばならないのか。これまでにも各国のさまざまな知的財産権レジームが存在したわけで、それらのうちのいずれもが――さらにはそれら以外の多くが――グローバルに制度化されることがありえたのである。それらのレジームは、開発者の利益と潜在的受益者の利益との間でどうバランスを取るかについて大きく異なっている。特許の寿命は長いものも短いものもあるし、特許が侵害されてもよいような諸条件(や期間)を、さらには、開発者/開発されたもの/それを利用する人々/利用の仕方などの性質に応じてあれこれの場面でなされる諸々の差別的な取り扱いを定めるにあたって、大幅な余地が残されているのである。
 もう1つの困難は、特許化された植物の種や製薬に関連することだが、この開発者の自然権は、(食物や薬を欠く)貧困層の生きる権利がこの自然権に譲歩するよう縮小されるべきである――その反対ではなく――ほどに、重いものであることを証明することである★349。また、製薬会社のみが知的財産権の排他的な受け手として優遇されることをこの自然権によって示すのも、その製品が政府や税制優遇財団による基金を受けた大学や公的研究機関で行われる基礎研究に大きく依存しているとしたら、困難である★350。それらの製品が、より広く周囲の社会的インフラや前世紀の人類の知的尽力によって今あるのは言うまでもないことである。
 だが、ここでは、自らの発明の使用をコントロールする開発者の自然権などというものをそもそも正当化することの根本的な困難に焦点をあてよう。最も所有に親和的な権利に関する説明――右派リバタリアンのそれ――といえども、ある物理的対象物[physical object]の創発的創造が、たんにの対象物▲トークン▲の私的所有権だけでなく、その▲タイプ▲の対象物すべての私的所有権までをもその創発者にもたらすのはいかにしてか、を説明するのは難しいだろう。[●訳注:「トークンtoken」とは論理学や言語学の用語であり、「生起型」などと訳される。ある特定の「タイプtype」(同一の単語・記号・表現・文)に対して、その具体使用例がトークンである。]これらの説明では、自らが正当に所有する原材料から何かを生産した人は、その生産物を所有することになるとともに他者がそれを使うことに対する拒否権も付与されことになる、とするロックの見解に訴えている。また、これらの説明は、ある個人がもつ自らの労働の産物に対する権原[entitlement]が他の人々のニーズを――それがどれほど切実であろうと――凌駕することを公理とみなしている。それゆえ、ロバート・ノージックは、ある医学研究者は彼が発明したある薬を、生存のために必要とする人々からであろうと取り上げてよいのだと主張する。この見解を裏付けるにあたって、ノージックは明示的にロック的但書きを持ち出している。「医学研究者は……彼が専有[appropriate]したものであれば何であれ、それを他の人々から剥奪しても彼らの境遇を悪化させたことにはならない。他の人々は、彼が専有したのとまったく同じ資材[materials]を簡単に手に入れることができるのだ。つまり、この研究者による化学物質の専有もしくは購買は、ロック的但書きを侵害するようなかたちでその化学物質を希少にしてしまうことはないのだ」★351。
 このような思考によって、その医学研究者には他の人々が▲彼ら自身が▲正当に所有する類似化学資料を用いて彼の研究活動を模倣することまでも拒否する権原が与えられると結論付ける理論的根拠は得られない。たしかに、ノージックは特許を是認している。特許というものは、特許で守られる発明が存在しない場合よりも他の人々の境遇を悪化させるものではないと彼は書いているし、ゆえに彼は、それぞれの特許が及ぶ範囲からそれとまったく同じ発明を単独で達成できたことを証明できる人々は除外しているのだ★352。だがこのような判断は、彼の理論のなかのどこにもその根拠を持ってなどいない。ある獲得[an acquisition]が他の人々の境遇を悪化させないことは、その獲得が妥当であることの必要条件だが十分条件ではない。それは、ある人はいかにして自らをある▲タイプ▲の所有者とすることができるのか――つまり、自分の正当に所有するものを組み合わせたある人が、そのことによって、他の人たちが彼らの正当に所有するものを用いて為せることに対する拒否権を獲得するなどということがいかにして可能なのか――を説明することにはならないのだ。想像してみるとよい。ジョンは、特定の料理については少しだけ樹皮を加えた方ががさらに彼好みになることを発見した。そして彼は、▲樹皮が含まれる料理▲というタイプの所有者であると自ら宣言したとしよう。たまたま他の人々は誰も自分の料理に樹皮を入れることを好まなかったので、ジョンの主張する拒否権によってだれも境遇悪化させられることはなかった。だが、そのときでさえ、ジョンの自然権による主張はなおも正当化されないままである。なぜ、他の人々が彼らの料理に樹皮を加えることを拒否する権原がジョンに付与されねばならないというのか。ノージックの理論は、このような権原をなんら裏付けるものではない。
 実際には、ノージックの理論は、発明ないし発見が他の人々にとって有益となりうるようなもっと適切なケースにおいて、上述のような権原に反対する理由をもたらす。分かりやすくするために、先の例の樹皮をキノコに置き換えてみよう。キノコを加えることは、大部分の人にとって多くの料理を美味しくすることになる。そのようなケースにおいて、ノージックの理論は、▲キノコを加えた料理▲というタイプの所有者であると自ら宣言するジョンの自然権――これにはそのような料理の製造に対する拒否権も付随する――に対して、不利に作用する。そうすることで、ジョンは他の人々の境遇を悪化させるだろう。彼は彼らの同意もなく補償することもなしに、他の人々のものの一部を取り上げることになる。ジョンがそれをするとしたら、他の人々の財産権行使に対して厄介な条件を一方的に押し付けることになるのだ。つまり、彼らは▲彼ら自身▲の料理に▲彼ら自身▲のキノコを加えることを控えなければならないか、キノコを加えるという特典のためにジョンが要求するどのような料金でも支払わねばならないか、さもなければ、キノコを加えるというアイデアをジョンとはまったく無関係に思い付いたことを証明せねばならないのである。のような一方的押し付けの自然権をジョンが持っている、などと考えることは馬鹿げているし非リバタリアン的でもある★353。
 以上すべてを医薬品に適用するに際して、自らが合成した有形医薬品を自分で保持する、ないし結果的に多数が死ぬ場合でも法外な値段でそれを売る、そういった医学研究者の権利にノージックが付けていた条件を想起しよう。ノージックによれば、その研究者がそうする権利を有するのは、彼がそれによって他の人々の境遇を悪化させていないし希少性を創り出してもいないからであった。だが、それはノージックが論じている研究者――彼は、彼が自身の所有する化学物質から合成した医薬品(トークン)についてのみ権利を主張している――に関しては真であるとしても、当該タイプについて権利を主張する研究者に関しては誤りである。後者の研究者は、他の人々からその医薬品を発明する機会を――彼らは独立にそれをしたのだとの証明がない場合には――剥奪することによって、彼らの境遇を悪化させている。さらに、他の人々の所有物の特定の使用方法へのアクセスを彼らに与えることができるのは自分だけなのだと主張することによって、彼は希少性を創り出してしまっている。ノージック自らが前者の研究者の権原を擁護するに際して述べていることは、この場合、上で主張された後者の権原を否定するのである。ノージックの論証は、たんに後者の主張を裏付けられないだけでなく、さらに、他の人々に後者の発明を複製する自由の余地を残しておくよう要請してもいるのである。研究者は、結果として多くが死ぬ場合でも、自身の知識と医薬品を完全に自分で保持してかまわないし、分析させることも再生産させることも許可しないと契約として約束した人々だけにその医薬品を売るのもかまわない。しかし、彼は、同じタイプの医薬品を自前で合成する第三者に対して拒否権を獲得することは――たとえ、その第三者たちが彼の先行発明について聞いていたり、または、紛失ないし廃棄されたその医薬品サンプルを見つけたりしていた場合であっても――できないのだ★354。ノージックに見られるようなリバタリアン的および義務論的な説明は、特定の▲タイプ▲の医薬品の知的財産を裏付けるどころか、実際には、そのような財産権そのものを論駁するのである。すなわち、ある一定量の医薬品(トークン)が排他的に所有されてよいのは、その所有権が同タイプの医薬品を生産する他の人々の自由を揺るがせることがないからであり、その限りにおいてのみなのだ。ある有体物[substance]の▲タイプ▲を自分だけで専有しようとする人々は、十分かつ同じくらいよく他者に残すことがないので、ロック的但書きを侵害するの◇である★355。

■9.2 有益な帰結による立論

 (法的な)知的財産権を(道徳的な)自然権に訴えて護ろうとするのは圧倒的に困難なので、現在進行中の知的財産権イニシアティブを擁護する人のほとんどは、代わりに、そういった法的保護は知的イノベーションを動機付けるといった、知的成果における所有権を保護することの有益な帰結を主張する。近年の経験から示唆されるのは、植物の種子や医薬品における知的財産権は、人真似の努力やぎりぎりの駆け引き――規則の制定に影響を与えようとする試み、および、それら規則を濫用的に利用しようとする試み―――を誘発するということである★356。それでも、知的財産権が本当に新しい種子や薬物に結びつく研究活動を促進しているのも事実である。よって、有益な帰結による立論を無視するわけにはいかない。
 この立論を評価するためには、次のように問うてみる必要がある。今のようなかたちを取っているグローバルな知的財産権レジームは、多様な諸々の人口集団の福祉[well-being]にどのような影響を与えているだろうか。この問いを吟味するにあたって、生まれつつあるこのレジームを受け入れるのか、それとも◇イノベーションへの希望すべてを放棄するのかと我々に迫ってくる誤った二分法を避けることが非常に重要である★357。第3の可能性が示されたのは少し前のことだった。その時には、豊かな国のほとんどにおいて知的財産権が法的に認められたが、貧しい国のほとんどにおいては認められなかったか、同程度のものではまったくなかった。この第3の可能性が存在することには2つの含意がある。第1に、たんに知的財産権がまったく存在しないよりは現行レジームの方が望ましいと示すだけでは、帰結に基づく現行レジーム擁護論は成功しないという点である。第2に、帰結に基づく現在進行中の知的財産権イニシアティブ擁護論は、それが(特許で保護された種子や医薬品へのアクセスの減少によって)貧困層にもたらす損失が、(独占特許による企業所得の増大、および新たな種子や医薬品の開発を促進することによって)富裕層にもたらす利益よりも大きいなら、失当であるということだ。妥当な計算――それらはいずれであれ貧しい人々が福祉に富んだ人々の福祉よりも劣るとすることはない――に基づくなら、新しいグローバル知的財産権レジームはもっと[先進国と途上国における取り扱いの]差異を認めていた先行レジームにはるかに劣るものである。
 これを理解するために、影響を受ける4つの主要集団の観点から、このレジーム移行を考察してみよう。
●箇条書きここから
@)株主と研究者のいる製薬企業およびバイオテクノロジー企業に在籍する潜在的開発者
A)現実のおよび潜在的な患者としての豊かな人々
B)株主と研究者のいるジェネリック薬製造企業
C)現実のおよび潜在的な患者としての貧しい人々●箇条書きここまで

 製薬企業とバイオテクノロジー企業は、その株主と研究者とともに、医薬品における知的財産権をグローバルに執行することから益を得る。彼らはいまや法を使って特許薬のジェネリック版の製造・販売をあらゆるところで抑え付けることができる。その独占をこのようなかたちでグローバルに強制することにより、特許を所有する企業には自社薬の廉価版や非ライセンス版から患者を切り離すことが可能になり、それによって、販売量とライセンス版価格の両方を押し上げることができる。
 豊かな患者および潜在的患者にとって、状況は複雑である。一方では、彼らが必要とする廉価な非ライセンス版の薬を買う機会を失うことになるのだが、他方では、新薬開発への誘因が高まることを通して、彼らに利用可能となるより進んだ医学的武器をもたらしてくれる、より迅速な医薬イノベーションに期待することができる。現在進行中の知的財産権イニシアティブが、全体的に考えれば、より強い開発誘因を通して、この集団にかなりの便益を与えると信じる理由がある。安いジェネリックから高価なライセンス版の特許薬に強制的に切り替えさせられる裕福な高齢者層という少数派は、製薬イノベーションのコスト分担を負わされるので、純損失者[net loser]となる可能性がある。しかし、若い(ので製薬イノベーションのペースからより大きく影響を受ける)とか、健康である(ので現在は特許薬を必要としていない)とか、あるいは、特許薬のジェネリック版をいずれにせよ利用するつもりがないまたは利用できないといった、これら豊かな人々の大多数にとって、より強力な創発誘因の利点は決定的なものである公算が高い。
 独占特許のグローバルな執行は、ジェネリック薬製造企業そしてその株主と研究者にとっては後退を意味する。彼らは特許薬の非ライセンス版を、お金を節約したいと切望する豊かな人々にも、単純にはるかに高価なライセンス版には手が出ない貧しい人々にも、販売する機会を失う。しかし、これらの企業は自らに課される新しい規制環境に順応することができる。とくにインドでは、多くの製薬会社が裕福な人々の慢性疾患にたいする研究や新薬開発に切り替えることによって、より富裕な国々の患者たちに奉仕するよう自らを急速に再編成してきている★358。
 貧しい患者および潜在的患者が関連する第4の集団である。新たにグローバル化された特許レジームは彼らを先進の必須薬品から結果的に締め出す。その薬品が彼らには手の届かないものとなるし、彼らのためにその薬品を購入する国民医療システム・国際開発機関・非政府組織などのキャパシティを著しく弱めるからだ。エイズやその他の処置可能かつ治療可能な疾病による何百万もの死は、ジェネリック薬の製造および取引への締め付けに起因するものである。これら先進薬品を市場での独占価格で買えない人々は、富裕な人々よりずっと数が多いし、利害もより切実である。それゆえ、近年締め付けの厳しくなった知的財産権のレジームが社会的に有害であると判断されねばならないことは――貧しい人々の利益が裕福な人々のそれよりも軽んじられることのない誠実な計算に基づくなら――明らかである。自分自身とその有権者に利益となる製薬イノベーションへの誘因を強化するために、世界で最も富裕な人口層の代表者たちは、それよりはるかに多く存在するはるかに貧しい人々(および彼らのために働いている諸組織)が安い医薬品を競争市場価格で進んで供給してくれる人たちから購入する機会を破壊してきたのである。
 締め付けの厳しくなった知的財産権規則が製薬イノベーションを促進するのなら、貧しい人々も結果として益を得られるではないかという反論がありうる。彼ら貧しい人々に押し付けられる20年の遅れは、富裕な人々が享受するアクセスとの比較では、不変でありつづけるだろう。しかしこの遅れは、TRIPS以前の体制が継続した場合に貧しい人々が享受していたであろうものとの比較では、縮まるかもしれないのだ。例えば、締め付けの厳しくなった知的財産権規則が製薬イノベーションを20%加速させると仮定しよう。すると、次の100年間で、TRIPS以前の体制が継続した場合の120年分に相当する製薬イノベーションがもたらされることになる。20年遅れにもかかわらず、120年後の貧しい人々は、TRIPS以前の体制が継続した場合に彼らが享受したであろうものと同じくらいの境遇を得るだろうし、もっと未来の貧しい人々はさらによい境遇にあるだろう。
□この反論は、特許が失効するまでの間に、病原菌の耐性の強まりによっていくつかの薬は治療薬としての価値をほとんど失ってしまうという事実を無視している。その生存と健康とがそれら医薬品へのアクセスに▲いま現在▲かかっている何百万の人々に向かい合うなら、この反論を強く主張することはさらに困難である。そのうえ、そこには、我々がこの節で念頭に置いてきた2つのレジーム――生まれつつあるTRIPS/TRIPS-plusレジームと、それ以前の[先進国と途上国とで]より差別的に扱うレジーム――を超えていくよう我々を方向付ける現実の洞察が含まれている。つまり、製薬イノベーションが支払いをする患者によって駆動されているのだとしたら、そのとき、貧困層の既存薬へのアクセスと、彼ら貧困層の健康問題を製薬研究アジェンダに含めることとの間にはトレードオフが存在するということである。この論点については次節で述べる。
□とはいえ、まずは次のように問うことにしよう。もしこの新レジームがグローバル貧困層にとってそれほど悪いものであるなら、なぜ彼らはそれに賛同したのか。WTOへの加入は任意であり、結局のところ、貧しい国々は署名することを選んだのである。そして彼らは、彼ら自身の利益に関して、我々のような部外者よりもはるかに信頼のおけるはるかに正当な判断をするのではないのか。
□この不服申し立てがなぜうまくいかないかを理解するためには、次の3点に留意する必要がある。第1に、WTO合意に先立つ折衝とそれに続く修正において、貧しい国々の代表者たちは「ノウハウの欠如によってもたついていた。多くはウルグアイラウンドにおいて彼らが署名して同意した事柄についてほとんど理解していなかった」★359。その当時、貧しい国々の代表者たちは、最も強力な国々と貿易圏の間だけでの排他的な(「緑の間◇」[訳註:White Houseの2階にある部屋]での)会合で起草された約28,000ページの条約文書を目にしていた。貧困諸国代表団のほとんどは、富裕国市場へのアクセス拡大を希望しつつ彼らが署名した条約について、その完全な意味合いやその帰結を理解することなど到底できなかったのだ。
□第2に、貧しい国々の大部分はこの[新レジームの]押し付けに反抗するのに必要な交渉力を欠いていた。西側諸国のあらゆる自由貿易レトリックとは裏腹に、貧しい国々は我々の巨大な市場にアクセスするためにとてつもなく高い代償を支払うことを強制されているのだ。貧しい国のすべてが、その市場を富裕な国々の企業や銀行により広く開放することを要求されているし、高くつくことになるそれら富裕国の知的所有権の強制執行に自らが参与することまでも求められている。世界知的所有権機関[The World Intellectual Property Organization: WIPO]は国連の一専門機関であり、貧しい国々が知的財産権を強制執行するのを「助ける」ことを任務としている。この強制執行に関わるコストは政府の基本的社会サービス支出にまで食い込んでくる。「貿易手続きを改善し、技術的財産権および知的財産権の基準を確立させるという付託を履行するには、最貧諸国の開発予算1年分よりも費用がかかる」★360。さらに、外国企業のための特許料の徴収もまた貧しい国々での価格上昇をもたらすのだが、そこには、種子や必須医薬品に課される価格も含まれている。外国の知的財産権の強制執行に際して十分に積極的でないとみなされた場合、それらの国々は合衆国通商代表部[USTR]のいわゆる301報告書に記載される。その報告書では、現時点でおよそ40ヶ国が懲戒対象に挙げられ、実際のあるいは潜在的な貿易制裁対象とされている(www.ustr.gov)★361。外国企業のための独占レント徴収に際して十分に積極的であると見なされた貧しい国々は貿易制裁を免れるが、それらの国々でさえ富裕国市場への完全アクセスに類するものはまったく得られない。それらの市場は、割り当て・関税・反ダンピング規制・輸出信用状・国内生産者への巨額の補助金などによって◇強固に保護され続けているのだ。こういった保護主義的手段が最も◇厳しく◆、まさに、さもなければ貧しい国々が最も競争力を発揮できるはずの――布地、履物、農作物といった――分野である。グローバル貿易システムの幹部たちが定期的に嘆くことだが★362、そのような富裕国の保護主義は、年間およそ1兆ドルの逸失貿易収入というかたちで貧困諸国にコストをもたらしている★363。
□第3に留意せねばならないのは、貧しい国では政治権力がきわめて偏って分布しているのが普通であることだ。ある国際条約がある国の貧しい多数派にとっては災厄であるとしても、富裕な国々が提起したその条約に署名することはその国の政治経済エリートにとっては都合がよいかもしれないの◇である。それが彼らにとって好都合となりうるのは、彼らに貿易の機会を提供するとか、政治的支援や外交上の承認を勝ち取るとか、武器へのアクセスを強化するとか、彼らの思慮深い資産移転や国外での資産維持の能力を保護するとかいったことによる。だから、統治エリートの合意は一般住民にとっての利益を測る妥当な指標にはならない。この点は、実際にWTO合意に署名した諸国の統治者リストを見れば明らかになる。その中には、ナイジェリアの軍事独裁者サニ・アバチャ、ミャンマーの軍事政権SLORC[State Law and Order Restoration Council]、インドネシアの腐敗政治家スハルト、ジンバブエのロベルト・ムガベ、ザイールのモブツ・セセ・セコ、その他それほど知られてはいないが同様の腐敗的で残虐な専制者の群れを見ることができる。こういった統治者の合意が彼ら自身の利益を参照した場合には合理的であるとしても、その合意は彼らに抑圧されている人民にとっても最善の利益であったなどということにはならない。
□この第3点をよく考えてみると、世界経済の新ルールに関する◇よく知られた別の擁護論をただすことにもなる。この擁護論が指摘するところでは、彼らにとって不利になるような諸ルールに人々を従わせることは、それらの人々が前もって自らそのルールに合意していた場合には、不公平ではない。Volenti non fit iniuria――なされる気のある人々になされることに不正義はない。この擁護論◇の問題は、それはせいぜい現状を正当化するだけであり、それでさえも、その統治者の署名から国民たちの合意を読み取ることができる限りにおいてのことである。しかし、リストにあげたような国々では、国民が彼らの統治者に同意していると考えることが妥当だとは思えない。ある暴君が軍隊の力で人民を従わせることに成功しているという事実によって、彼が抑圧している人々を代表して合意する権利が彼に与えられるなどということが◇いかにしてありうるというのか。この成功によって、▲我々には▲この統治者の署名をその人民たちの同意と見なすことが可能になるのか。合意というものについての妥当な説明であればすべからく、その答えは否である。彼らの統治者による前もっての合意を持ち出すことによって、いま必須薬品から排除されている人々の不平を無効にするなどということは、その統治者に彼の人民を代表して合意するための道徳的地位が欠如している場合には、我々にはできないのだ。また、この統治者にある程度の道徳的地位がある場合であっても、彼の同意によってその人民たちの不可譲であるはずの人権が放棄されるなどということは、やはりありえない。その人民たち――ここには子供が含まれており、彼らこそが影響を受ける人々の多数派なのだ――は、豊かな国々の知的所有権イニシアティブによって必須薬品への保障されたアクセスを奪われているのである。
□しかし、ある国で実効的な権力を行使している者がその人民を代表して行為する権原を付与されるというのはひとつの受容された原理ではないだろうか。そのとおりである。実際、ある国で実効的権力を保持している個人ないし集団であれば――彼らがそれをどのように獲得し行使するかにかかわりなく――いかなるものであれ、その国の資源を売ってその売り上げの利益を処分する、その国の名義で借入れをしそれによってその国に利払い義務を押し付ける、その国を代表して条約に署名しそれによってその国の現在及び未来の人民の行動を制約する、国家歳入を使って国内を制圧する手段を購入する、といったことをする権原を付与された存在として承認するというのが現行の国際慣行なのである。この承認慣行は我々にとってきわめて重要なのだが、その主要な理由は、我々は、自分たちの必要とする自然資源への合法的な権利を、たまたま実効的権力を有する者であれば誰からであろうと得ることができてしまうからなのだ。この慣行は貧しい国々の統治者・エリート・軍司令官などにも人気がある。だが、この国際慣行が世界の貧しい人々に与える影響は悲惨なものである(第4および第6章を参照)。というのも、最も腐敗しており正当性のない軍事政権や独裁者でさえ、この慣行によって自らの立場を強くすることができるからだ。そういった統治者は、人々のよりよい統治への努力を外国から購入した武器で暴力的に抑圧できる。その武器の支払いは、人々の自然資源を外国人に売ることによって、そして人々の将来を外国の銀行や政府に質入れすることによってなされるのである。また、その慣行は、▲事実上▲の権力がもたらす報酬を著しく高めることによって、クーデターの試みや内戦――これらいずれにおいても、近隣諸国のご都合主義的な軍事介入を誘発することが多い――を惹起するのである。そして多くの(とくに資源の豊富な)国々では、これらの特権によって、民主的に選出された志の高い指導者であっても、国家歳入の着服を抑え込むことはまったく不可能になる。軍幹部を法律に服従させるあらゆる試みが危険をはらんでいるのだ。なぜなら、それら軍幹部はクーデターによって彼らの国家財源へのアクセスが回復し強化されることをよく知っているからだ。さらに、その国家財源はクーデターの後でも資源売却によって再び満たすことができるし、なおも国内制圧手段の支払いに使えるのである。国家間承認というこの現行慣行は、新たにグローバル化された知的財産権レジームがグローバル貧困層を害しているという告発への抗弁となるどころか、こういった危害のさらなる事例なのだ。
□我々がこれまで見てきたのは、社会的便益について妥当な計算をすれば、豊かな国々による知的財産イニシアティブは間違った方向だということだ。それは、グローバル貧困層を救命のための特許薬から切り離すことによって、彼らの間により多くの追加的な早すぎる死を、予測可能であるにもかかわらず、引き起こしている。貧しい国々のジェリアック薬製造業者は、これらの薬を世界中の貧しい地域で使えるように、より安く製造できていたのだが、彼らはもはやそれを許されない。そして、それらの薬はいまや独占的価格でしか入手できないのだが、その独占的価格は(長期の)限界生産費用よりはるかに高いのが通例である★364。

■9.3 必須薬品の研究開発を促進するよりよい手法に向けて

□さしあたり、次のように想定しよう。製薬イノベーションのためのグローバルな制度を設計するに際して、我々が裕福な人の利益を貧しい人々の利益より重んじることはない、と。ならば、我々は、救命に必要な種子や医薬品に埋め込まれている知的成果を、貧しい人々に無料で利用可能にしておくよう望むはずである。しかし、この無料での利用可能性は――TRIPS合意の前は一般的だったのだが――2つの大きな問題を未解決のまま残すことになる。1つの問題は、多くの貧しい国々の医療システムはあまりにも未発達であるため、貧しい人々に、安く買えるまたは(寄付によって)無料になった必須薬品に対してさえも、効果的なアクセスを与えることができないというものだ。
 もう1つの問題は、貧しい人々が裕福な人々の間ではきわめて稀な深刻な健康問題に直面するという事実に由来する。これらの限定的な健康問題は様々な貧困関連の要因による。例えば、グローバル貧困層は、最低限の適切な栄養摂取・きれいな水、最低限の適切な衣服・住居・衛生設備、充分な睡眠や休養、最低限度の健康関連の知識や助言といったものへのアクセスを欠いている。また、貧しい人々が暮らしている地域では、(疾病を媒介する病害昆虫や、寄生虫、危険な汚染といった)環境的な危険因子を制御するためになされるべきことがほとんど何もされていない――のに対して、これら危険因子は同じような気候と地理環境を有する富裕な地域(南フロリダなど)◇では成功裡に撲滅されてきている。
□グローバル貧困層に限定された健康問題はグローバル疾病付負荷(GBD)の相当な部分を占めているのだが、支払いをする患者たちからその研究開発費用を回収することを製薬開発企業に強いるレジームの下では、それらは予想通りに無視されている。予見されるように、このようなレジームは製薬研究を富裕層の健康問題に向わせ、より大きな貧困層の医療ニードからは逸らせてしまう。はるかに多くの金や創意が、世界の貧困層を大量に殺してしまう疾病に効果のある医薬品の開発に向けてではなく、脱毛やにきびの治療薬の発見に向けて、あるいは、新しい疾病の発見やその治療の方法に向けて、投資されているのだ。10/90ギャップ★365●[訳注:世界人口の90%に影響を与える医療問題に対して、全世界の研究資金の10%しか使われていないこと]に関する通俗的な語りは今や誇張となっているとしても、問題が現実に存在するのはたしかである。マラリア、肺炎、下痢、結核、これらを合わせるとGBDの21%を占めるが、それらは健康関連の研究に投入された公的および私的なあらゆる資金のうち0.31%を受けているに過ぎない★366。さらに言えば、熱帯地方に特有の疾病がほとんど無視される傾向にある。1975年から1999年の間に認可された1,393種の新薬のうち、とくに熱帯病に適応ありとされたのはわずかに13のみであり、この13のうちでも、5つが獣医学研究の副産物であり、2つは軍の委託によるものだった。それ以外に、3つは結核適応だった★367。次の5年間には163種類の新薬がもたらされたが、うち5つが熱帯病のためのもので、結核用のものは1つもなかった。熱帯病と結核で疾病負荷全体の12%を占めているにもかかわらずである★368。
□安全で効果的な新薬を市場に乗せることは、それに伴う研究開発の作業と並んで入念なテストやその後の認可プロセスも計算に入れると、とてつもなく高くつく★369。加えて、そのような努力の大部分がその過程のいずれかの段階で挫折する。薬物が安全でないあるいは十分に効果的でないとか副作用があるとかいったことが判明する場合や、それ以外の何らかの理由で政府の認可を拒否される場合である。新薬開発に従事する人々は、このように、その投資すべてを失うというリスク、それもかなり高いリスクを抱える。
 そんな莫大な投資コストとリスクを考えれば、創発的な製薬研究が自由市場システムで行われることはほとんどないはすである。その理由は、創発者はその失敗の費用すべてを負うが、その成功から利潤を上げることはおそらくできないからである。というのも、競合者はその発明を模倣ないし再工作[retro-engineer]する(創発者の努力に事実上ただ乗りする)はずであり、その後に、その価格を長期の限界生産費用近くまで下げていくだろうからである。これは、集合的に非合理な(パレート次善以下の)帰結を導く市場の失敗の古典的事例であり、そこでは市場に任せていては医療開発が供給不足となる。
 古典的な解法はTRIPSレジームを通じてグローバル化されているのだが、それは、発明者企業にその発明に対する一時的な独占――典型的には、特許出願申請時から20年間――を与える特許ルールによって上述の市場の失敗を矯正するというものである。その期間中は、競合者たちには新規開発薬を複製したり販売したりすることはすべて禁止されるので、当該特許保有者は利潤を最大化する独占価格でそれを販売することができるわけだが、その価格はその製品の長期的な限界生産費用よりもかなり高く、往々にして、はるかに高い★370。このようにして、開発企業は研究費と諸経費に加えて、その企業が手がけたが結実には至らなかった研究開発コストの一部をも回収するのである。
 この解法は市場の失敗のひとつ(医療開発の供給不足)を矯正する。しかし、その独占的性質により別の市場の失敗が生じる。特許が続いている間は、その新薬の利潤最大化販売価格は、その限界生産費用よりはるかに高いものとなるだろう。この[販売価格と限界生産費との]膨大な差額は、死過重損失[deadweight loss]を惹起するので社会的に有害である。つまり、それは相互に便益となる潜在的買い手への販売を排除してしまうのだ。このとき、その潜在的買い手は生産費よりは高く支払うつもりもあるしそうすることもできるが、はるかに高い独占価格についてはそうではない。もし、修正ルールによってこのような潜在的取引が活性化させるのだとしたら、多くの患者が利益を得るだろう。それは、利潤の上がる販売が増えることになるし、一般的には規模の経済によって生産の単位コストを減少させることにもなるだろうから、製薬会社にとっても同じことだろう。  死過重損失はあらゆる独占特許に共通の現象である。それらはすべて、国民経済およびグローバル経済に相当規模の経済損失を押し付ける。とはいえ、必須薬品は、そこでは死過重損失が例外的なまでに甚大であるという点で、特別な事例である。多くの貧しい人々がソフトフェア・映画・音楽に対しておおよそ限界生産費でなら払う用意もあるし払える場合でさえも彼らがそれらへのアクセスを欠いているという事態はたしかに望ましくないことであるのかもしれないが、そのような損失は、相互に利益となる必須薬の販売を阻害している現行特許レジームから生じている、何百万人もの早すぎる死や想像を絶する病苦とは比べものにならない。
 ここで、「必須薬品[essential medicines]」と私が言うのは、人間の健康と生存にとってきわめて重大であるような、既存薬品[known medicines]のことである点を明確にしておこう。WHOが必須薬[essential drugs]のリストを整備しているが、それはWHOがすべての政府に対して自国民にアクセス可能とするよう促したり期待したりする薬である。このリストは費用効果的であることを意図して作成されている。重要ではあっても高価である薬の多くは、貧しい国々がそれらを無理なく供給できるとは思えないので、リストには載らない。たしかに、現行の特許レジームとそれによって生じる高価格を前提とすることは、いくつかの特定の文脈では妥当なことなのだろう。しかし、本章で扱っている特異な文脈においては、薬品の重要性は価格とは独立に定義される。その目的は、いま重要薬品へのアクセスを妨げている高価格という障害はいかにすれば除去できるのか、という問いに鋭く焦点を当てることなのだ。このように[必須薬品の定義を]明確にしておくことで、独占価格はWHOによってリスト化されたものとしての必須薬へのアクセスをこれまでほとんど妨害していないという趣旨の、真実でありよく繰り返される馬鹿げた反論への戒めとなるはずである。

■9.4 差別的な価格設定

 独占価格権力を伴う第2の市場の失敗を避けるための基本的な改革戦略が2つある。差別的価格設定戦略と公共財戦略である。▲差別的価格設定戦略▲[the differential-pricing strategy]はさまざまに異なる形態をとる。その1つはTRIPS以前の時代への回帰が含まれている。当時は、先進医薬品の特許独占は豊かな国々だけで認められ強制実施されており、貧しい国々のほとんどではそうではなかった。別の形態としては、開発企業自らに様々な顧客対して様々な価格で特許薬品を提供させるものであり、これにより、富裕層への販売による高い利鞘を、貧困層への低利鞘での販売を諦めることなく、実現できる。第3の形態は、TRIPS規則下でも認められているのだが、公の緊急事態の際に切迫して必要とされる発明品について政府が強制ライセンスを発行する権利である。この権利を行使すれば、政府は特許保護されたある発明の値段を下げることができるのだが、その手法は、当該特許の保持者に対して、その販売収入の一定のパーセンテージ(典型的には10%以下)での支払いと引き換えに他の生産者に認可を与えるよう強制するというものである。合衆国は合衆国法典第28編第1498条[28 USC 1498]でこの権利を、特にライセンス発行人が政府機関あるいは政府の請負人であるケースで定めているものの★371、おそらく国際的に自国製薬会社にとって不利益となる先例を作るのを避けるためなのだろうが、医薬品の場合にこの権利を発動することに消極的であり続けている。例えば、2001年の炭疽菌騒動のとき、合衆国政府は、ジェネリック薬を購入するよりも、バイエル社[Bayer]に特許薬シプロフロキサシンを1錠あたり0.95ドル(卸売価格4.67ドル)で売るよう圧力をかけることを選んだのである。カナダはこのケースで強制ライセンスを発動したが、4日後には圧力のため取り下げている(www.cptech.org/ip/health/cl/cipro)。よくいわれるのは、貧しい国々は公衆衛生上の危機に対処するために、特にエイズのパンデミックに対処するために強制実施権を主張すべきだということである。たくさんの貧しい国々が強制実施権を発動してきたものの、合衆国やその他豊かな国々からの反対(注361参照)の妨害がひどいため、貧しい国々のほとんどはこの選択肢を自ら行使することができない。
 様々な消費者グループに様々な価格で製品が売られるのは普通に見られることである。それでも、差別的価格設定という解法によって独占特許から生じる第2の市場の失敗を克服することは、供給不足という第1の市場の失敗を再び持ち込むことなしには、不可能なのだ。この理由は2つの要因の組み合わせによる。第1の要因はこのときに生じる――相対的な観点と絶対的な観点の双方における――価格差の大きさである。新薬開発を促進するためには、裕福な人びとに課する薬価はかなり高価に、すなわち限界生産費の何倍もに設定される必要がある。さらに、世界の貧しい人びとのアクセスを保証するためには、彼らに課される薬価は低いもの――限界費用をさほど上回らないもの――である必要がある。このような巨大な価格差――例えば、1月分の治療にかかる費用が、メキシコで100ドルに対し、合衆国では3,000ドルであるというような――を実施するのは困難である。というのも、それによって、貧困国向けとされたはずの医薬品を豊かな国々へと転換する(例えば密輸する)強力な誘因が生じてしまうからだ。これらの誘因がとくに強い働くのは、薬品が、豊かな国々での小売価格に比して、小さく軽いからである。こういった転用を阻止するのは困難であり、納入業者、小売業者、バイヤーといったさまざまなカテゴリーの人々がお互いに知り合うことを阻止するのは不可能である。
 貧しい国々での廉価販売で追加的利益を追求している特許保有者たちは、このとき、豊かな国々の市場で見送ることになる利潤よりも、転用によって、はるかに劣るものとなってしまいかねない(いずれにせよ小さな)利益を追求するというリスクを冒しているのだ。このリスクを念頭に置くなら、特許保有者たちが差別的価格設定によって自ら第2の市場の失敗を克服しようと努力することなど普通はなく、そうせよという圧力に抵抗したり、彼らに対し強制実施権を押し付けようとする試みと戦ったりするのである。結果として、差別的価格設定では充分な足場を築くことはできず、その長期的な限界生産費よりも上の値段で薬を買う意志も能力もあるたくさんの貧しい患者がこの薬から除外されてしまう。彼らはそれよりはるかに高い独占価格には手が出ないのだから★372。
 たしかに、製薬会社からの、そして多くの場合その政府からの強力な反対を押し切って、ある政府が強制実施権の執行に成功するのであれば、転用による純損失は単純に特許保有者に負わされることになる。だが、そういった強制実施権は、とくにそれがより一般的にみられるようになると、供給不足という第1の市場の失敗を再び起こす。すなわち、開発の成功・テスト・行政の承認といった不確実性のうえに、企業にはその独占価格権力の完全な行使を通じて投資を回収することが許されるのか否か、さらにはどの程度それが許されるのかについての追加的な予見不可能性が加わると、製薬企業は必須薬品の研究にはあまり支出をしなくなるだろう。
 最後に、そして最も重要なことだが、差別的価格設定による解法では、裕福な人々が極めて稀にしか罹患しない疾病が無視されることは変わらない。差別的価格設定はある薬品への競争価格でのアクセスを貧困層に与えることができるが、それはその薬品が現に存在する限りにおいてのことだ。さらに言えば、その薬が存在するのは、それを需要するマーケットが、その開発への投資を――その薬品を独占価格で購入する意思を示すことによって――利潤の上げられるものにしてくれる富裕層の間でも十分に存在する限りにおいてのことだろう。現行レジーム下でおろそかにされている疾病と研究分野のほぼすべてが、差別的価格設定レジーム下でも同様に無視され続けるだろう。

■9.5 必須薬アクセスを拡大するための公共財戦略

 これら深刻な問題を見れば、差別的価格設定戦略が現行制度を実質的に改善する改革案をもたらすかどうかは不確実である。そこで、これからは公共財戦略[public-good strategy]を探求する方がより見込みのあること、すなわち現行独占特許レジームの主な弊害を回避しつつもその重要な利点を保持できるような改革案の定式化を導く公算が高いという想定のもとに議論を進める。難しいのは、魅力的でありかつ運用できる改革案をより大きなこの公共財戦略という領域の内部に創り上げることなのである。
 このような改革案は3つの構成要素からなると考えられる。すなわち、▲オープン・アクセス▲、▲代替誘因[alternative incentives]▲、▲財源調達▲、である。第1に、新しい必須薬品を開発する(研究、テスト、行政認可獲得の)ためのあらゆる努力の知的成果は公共財として提供されるべきであり、それにより、すべての製薬企業が、開発者に対して許可を求めたり支払いをしたりすることなく、その薬を製造してよいことになる。この改革は、新しい必須薬品の価格を長期の限界生産費近くまで下げさせる競争を許容することにより、(独占価格設定の権力に付随する)第2の市場の失敗を除去するだろう。一国ないしわずか数カ国だけでしか実行されないとしたら、我々が差別的価格設定で見たような問題が生じるだろう。すなわち、薬の開発が公共財として扱われる国で製造された廉価薬が、独占特許レジームを固守している国々に流れ込み、後者の国々での研究誘因を掘り崩すことになる。それゆえ、この改革は、現行のTRIPSレジームがそうであるように、その規模においてグローバルでなければならない。つまり、改革の第1の内容は、新しい必須薬品開発を目的とした努力の知的成果は、その開発者からの許可や開発者への支払いなしに、あらゆる製薬企業がどこででも使用することを許される公共財として供給されるようになる、ということなのだ。
 単独で履行された場合、このようなオープン・アクセスは製薬研究の誘因を破壊するだろう。この結果を避けるためには、開発者には何か別の報酬が提示されねばならない。改革案のこの第2の構成要素を具体化する方法には様々なものがありうる。それらの方法は大まかには「プッシュ」プログラムと「プル」プログラムに分けられるだろう。プッシュ・プログラムとは、一部の特定の開発者――おそらくは、製薬企業あるいは大学、(合衆国におけるNIHのような)国家の健康機関など――を選抜して資金援助し、特定の研究活動に従事させるというものである。ここでの理念は、十分な資金援助を与えられることで、この選抜された開発者が望ましいイノベーションを発展させるだろうから、しかる後、そのイノベーションは、競争市場価格での広範な入手可能性を担保することを目的として、競合する製薬企業たちの生産に無料で供することができるようになる、というものである。
 それに対して、プル・プログラムはあらゆる潜在的開発者が対象とされ、最初に価値ある発明に到達した者にはそれが誰であれ報酬が与えられることを約束する。プル・プログラムには、プッシュ・プログラムを上回る、相互に連関した2つの利点がある。すなわち、失敗した研究活動に支払われることはけっしてないし、開発者がより早い成功を目指して懸命に働く強力な金銭的誘因を生じさせる。この利点の裏面としてあるのは、このような真剣な研究努力を引き出すためには、報酬が失敗のリスクを償うに充分なほど巨額でなければならないことだ。研究が失敗する可能性として、追求された薬品が完成不可能なものであると判明する、あるいは誰か別の開発者が最初にそこに到達する、のいずれかがあるという意味で、このリスクには2つの側面がある。潜在的開発者が新薬を開発しようという誘因をもつのは、成功報酬が――失敗の可能性を割り引いたうえで――研究開発の期待コストよりも十分に大きい限りにおいてである。この点ではプル・プログラムは現行レジームと似ている。
 例えば、ある製薬企業Cによる何らかの特定の研究活動に関する決定が、3つのありうる帰結それぞれについての以下の期待値情報に基づいてなされると想定しよう。Cが最初に成功する確率は25%であり、そのときのコスト見積もりは4,400万ドルから6,000万ドルの間である。ある競合者が最初にそこに到達する可能性は60%であり、その時点でCは1,000万ドルから6,000万ドルの支出を発生させているだろう。それが純粋に成功不可能であることをCが発見する可能性は15%であり、その時点でCは2,000万ドルから6,000万ドルの支出を発生させているだろう。この3つの支出幅において確率分布は均等であると仮定すると、その企業はこの潜在的研究活動の期待コストは4,000万ドルと評価するだろう★373。この期待コストと見合うためには、報酬は1億6,000万ドルと評価されねばならない★374。研究活動は、リスクだけでなくその間の企業資金の使用という[機会費用上の]損失ももたらすので、Cが合理的にこの研究を遂行するのは、報酬が1億6,000万ドルをかなり上回る場合に限られるだろう。この事例においては、効果的なプル・プログラムであるならば、だいたい2億ドルの報酬が――その4分の1くらいのコストがかかる研究活動を引き出すために――提示されねばならないだろう。それに対して、プッシュ・プログラムであればひとつの選抜開発者に対してだいたい6,000万ドルを支払うことになるだろう。
 このような相当の差額にもかかわらず、次の3つの理由から、プル・プログラムはプッシュ・プログラムより効果的である可能性がある。[第1に]プッシュ・プログラムは、競合する複数の開発者でなくただ1つの開発者だけをその問題にとり組ませるので、失敗する公算がより大きい★375。[第2に]プル・プログラムの場合には開発者それぞれの試行の判断は▲開発者たち自身▲で――すなわちより適格性のあるより良い動議付けで――その能力の評価を行うのに対し、[プッシュ・プログラムでは]開発者が何らかの部外者の信頼に基づいて選ばれるので、プッシュ・プログラムは失敗する公算がより大きい。[第3に]選抜された開発者は、できるだけ早い成功に向けて一生懸命かつ費用効果的に研究する誘因が弱いので、プッシュ・プログラムは失敗する公算がより大きい。プッシュ・プログラムは失敗する公算がより大きいというこの難点だけでなく、そのような失敗に対しても完全な支払いが行われる――これに対してプル・プログラムでは失敗に対して支払われることはまったくない――という事実まで追加される。この事実により、プッシュ・プログラムは政治的に支持されることが難しくなってきている。
 公共財戦略が最善に追求されるのはプッシュ・プログラムによってかプル・プログラムによってかという問いへの一般的な答えはない。どちらのタイプもそれぞれに異なる文脈ではより優れている可能性があるし、公共財戦略はいずれのタイプにも依拠することができるという点が重要である。ここからは、2つの理由からプル・プログラムを探求しようと思う。それは世界大の経済生活にますます浸透しつつある私企業/自由市場の精神というものにより合致するからである。また、産業支援を生み出すことによって、さらには、失敗した研究活動には納税者のお金が支払われないことを担保することによって、政治的により持続可能でもあるからだ。
 目下のところ、プル・プログラムというカテゴリーの中で最もよく見られるのが懸賞金制度[prizes]だろう。これは、一定の詳細要件[specifications]を満たす医薬品を最初に生産した開発者にあらかじめ固定された報酬を与えるというものである。報酬は、典型的には、まとまった金額の支払い、あるいは新しい薬品をあらかじめ定められた値段で決められた量だけ購入することを前もって約束するといった形式を取る。そういった懸賞金制度はこれまでにかなりの工夫を凝らして提案されてきた★376。それらが、現行の独占特許による報酬を補完できることは明らかだし、現在無視されている疾病に対する医薬品開発を刺激するという可能性も持っている。
 とはいうものの、懸賞金制度は4つの重大な欠点を持つ。第1に、どの疾病が研究されるべきか、目指されるべき治療薬がどのように特定されるべきか、詳細項目を満たすこれらの治療薬に対して提示されるべき報酬はどの程度かといったことを決定する上で政治家や官僚、専門家が重要な役割を担う。研究の方向性を決定するに際して、以上のような諸決定には、能力不足、汚職、特許会社集団や患者集団によるロビー活動、駆け引きなどに起因するかなりの非効率がつきまとう公算が高い。理想的には、計画立案者たちは最も費用効率的なイノベーションを刺激することを目標とすべきである。しかし、その目標を至上命題とする誘因は彼ら自身にとっては弱い。そして、特定の研究活動について開発者にかかるコストに関する情報は質の低いものとなる公算が高い。というのも、潜在的な開発者には費用と自らの努力がもたらすインパクトの両方を誇張する理由があるからだ★377。弱い誘因と質の低い情報を考慮するなら、立案者たちによる懸賞金競争の設計は最適を深刻に下回るものとなる公算が大きい。
 この問題は、懸賞金制度には過剰な詳細要件がつきものであるという事実から生じる問題によっていっそう深刻になる。懸賞金制度は正確なゴールラインを設定する必要があるので、少なくとも、医薬品はどの疾病を攻撃すべきか、最低限どの程度効果的であるべきか(改善の程度や持続期間、患者のパーセンテージ)、副作用はどの程度のひどさか(深刻さと頻度)、その薬品は最低限どの程度使いやすくあるべきか(さまざまな温度に対する安定性、投与間隔および投与法)といったことを特定することになる。これら詳細要件は問題含みである。なぜなら、この懸賞金制度をこういったさまざまな側面で最適に特定化するためには、立案者が必要とするのはまさに、自分たちの懸賞金が誰による獲得を促進することになるのかについての知識にほかならないからだ。こういった知識は事前には欠けているので、彼らの詳細要件は、たとえ彼らが公衆衛生の改善という目的に専心している場合でも、最適を深刻に下回るものとなる公算が大きい。この準最適問題は2つの形態をとりうる。立案者が、少なくとも1の項目[parameter]に関して過大な要求をする可能性があり、その結果、企業は追求されている解法に近いものが彼らの射程範囲内にあるにもかかわらずあきらめてしまう。あるいは立案者が、いくつかの項目に関して不十分な要求しかしない可能性もあり、その結果、企業は時間と費用を節約することを企図して、もっとよくできるのに懸賞金を得るのにかろうじて充分な程度の製品しか納入しなくなる★378。
 懸賞金制度のさらなる難点は、それらの依存している財源が、無計画でケースバイケースになりがちなことである。これは、恣意的および政治的な要因が、懸賞金競争の対象となる特定の疾患介入の類型を選択する際に、避けがたく入り込んでくるからである。さらにまた、全体的な財源配分も一貫性のないものになりがちである。なぜなら、政府には、財政問題に直面した際には、計画されていた懸賞金競争をスキップしたり延期したりする傾向があるし、他のスポンサーの振る舞いもまた外生要因によって(例えば、彼らのPR活動のニーズによって、あるいは当期に税控除を得られる地位を維持するためにはどの程度の金額を「処分する」必要があるかによって)不都合に影響をうける公算が大きいからだ。
 第4の、非常に深刻な懸賞金制度の難点は、それが「最後の1マイル」問題に対処できないということだ。この問題は、貧困層に最も影響のある現在無視されている疾病の文脈ではとくに深刻である。ある新しい必須薬品が大量に入手可能である、ないしは、ジェネリック製薬業者でも非常に安価に製造できるという事実は、それだけでは貧しい階層にその薬剤への現実のアクセスを与えるわけではないのだ(注381付近の本文を比較参照せよ)。この考察は、懸賞金制度が実際には完全な意味でのプル解法ではないことを明らかにする。懸賞金は、開発者を、安全で効果的な新薬開発の方に、さらにはその大量生産の方に引っぱる。だが懸賞金は、その新薬を、残りの道を通って、それを必要とする患者たちへと引っぱることまではしてくれないのだ★379

■9.6 薬品供給のための完全なプル計画

 以上4つの欠陥を克服したプル・プログラムの必須条件を紹介しよう。基本的な考え方は、必須薬品向けの新たな種類のグローバル特許を――現行の独占特許制度を補完するかたちで――設けるということだ。この新たなグローバル特許では、特許の有効期間中は、GBDにあたえた影響に比例して公的財源から報酬を受け取る権利が特許保有者に与えられる★380。新設の「GBD特許」というこのアイデアは、外部の専門家や官僚ではなく開発者自身に研究の方向性を委ねることによって、懸賞金制度が持つ最初の2つの難点を回避している。開発者は何を発明すべきかを教えられることはない。潜在的な開発者のそれぞれが、GBDの減少に最も費用効果的に貢献できると自ら信ずる研究活動であればなんでもやってみようという誘因を与えられる。完全プル・スキーム下では、製薬研究は、政策決定者の推察や関心によってではなく、むしろ、競合する開発者の調整されることのない諸々の決定によって駆動される。完全プル・スキームとは、中央計画的解法を競争市場的解法で置き換えるものなのだ。
 完全プル・スキームは、ひとつのシステミックな市場構築的解法を提示することによって、懸賞金制度の第3の難点を回避しているのである。そしてこの解法は、いったんグローバルな制度的構造[architecture]の中に組み込まれれば、あらゆる深刻な健康問題を無限の将来にわたってカバーすることになる。立法による割り当てや寄付者の優先的な関心といった気まぐれからは独立しているので、このようなスキームは、機能するものに対して――それがどれだけよく機能するかに応じて――報酬を与えるのだ。バイオテクノロジー企業や製薬企業の利潤は、彼らの活動が世界中の人間の健康にどの程度影響を与えるかによって駆動されることになる。
 完全プル・スキームは、報酬を本当に重要なことに――つまり、現実に観察されるGBDの削減に――基づかせることによって、懸賞金制度の第4の難点を回避する。このように具体化されてはじめて、公共財戦略は、現行特許レジーム下では劇的に欠如している必須薬への実質的アクセスを、貧困層に効果的に保障できるようになるのだ。完全プル・スキームは、開発者の誘因を以下のような大いに望ましい方向性で軌道修正させるはずである:

●箇条書きここから
・GBD特許保有者のすべてが、(例えばインド、ブラジル、南アフリカなどでは既に十分根付いている)廉価なジェネリック薬製造業者がその薬を大量生産する試みを、奨励し、支持し、さらは助成までする理由をもつことになる。というのも、そのような大量生産は、貧しい患者にとってその薬品の購買可能性と入手可能性を高めるし、ひいては、それら薬品のGBDに対するに望ましい影響を高めることにもなるからだ。このような諸々の利益の調和こそ現行レジームとの大きな違いである。現行レジームでは高くつく訴訟によって甚大な浪費が生じるが、それらの訴訟は、ジェネリック製造企業を特許保有者と闘わせることになる。前者は成功した薬品に対するあらゆる特許に異議申し立てする強い誘因を持ち、後者はその独占レントを擁護・拡張・延長する自身の能力によって稼ぎが大きくなる。ジェネリック薬製企業がGBD特許に異議申し立てする誘因はまったくない。なぜなら、彼らにはそんな異議申し立てなどすることなしにその特許薬品を複製する――これこそまさにGBD特許保有者が彼らにして欲しいと望んでいることなのである――自由があるからだ。

 ・GBD特許保有者は、もっと広範に、その薬品から益を得る者すべてが実質的なアクセスを持つことを担保するという誘因をもつ。その際、それら特許保有企業は、それを必要とする非常に貧しい人々でさえそれが購買可能となるように、その開発薬品が廉価で――おそらくその限界生産費を下回って――売られることを担保するよう努力するはずである。先進薬品がより低価格になることは貧しい人にも豊かな人にも同じく益となる。それは、彼らが薬、保険、国民保険システムのいずれかまたはすべてに対して支払う額が小さくなるためであるし、効果もなく危険な偽薬を違法に製造したり販売したりする誘因を大幅に低下させるためでもある。

 ・GBD特許保有者は、マーケティングの努力を実際にその薬から益を得る人々だけに限定するのが合理的となる。その報酬は、売られた量にも現に内服された量にさえも依存せず、ただ健康へのインパクトのみに依存するのであり、このインパクトはその薬が[ターゲット疾病に]適応のない場合にはネガティブにもなりうるのだ。この妥当な誘因は現行レジームでは総じて欠けている。そこでは特許保有者たちに対して、その薬が益を与えない人々、さらには、それによって危害を蒙る可能性さえある人々にまでその薬が使用してもらえるよう、自分たちの薬品を「誇大宣伝する」強力な誘因を与えてしまう。

 ・現行の特許レジームには、新しい対処法[treatments]に関する研究に有利になり、新しい根治法[cures]やワクチンについての研究には不利になるという強力なバイアスがかかっている(最も儲けにつながる患者は、永久にその日常薬の服用に依存してくれる人々である)。それに対して、完全プル・スキームではそのようなバイアスは持続しないし、最も費用効果的な方法でGBDを減少させるような薬品の開発へと潜在的な開発者を専念させるだろう。これは、あらゆるところでより効果的なヘルス・ケア供給へと――さらには(人々を継続的な服薬から解放する医薬品によって)よりよい健康状態へも――つながるはずである。
 ・ほかにも、あらゆる開発企業が有するだろう誘因がある。それは、その企業の医薬品が患者たちに最適に使用されるよう(服薬量やコンプライアンスなど)彼らが完全な指導と適切な処方を受けることを担保するという誘因である。そうなれば、広範で効果的な配置を通じて、それら薬品は公衆衛生へのインパクトを最大限にもたらすだろう。現行レジーム下でのこの誘因の欠如(それは懸賞金制度では対処できない)は、貧困地域に届けられる薬の効果を、たとえそれが寄付されたものであるとしても、大幅に低減させてしまう★381。
 欠陥のあるコンプライアンスは薬剤耐性[drug resistance]を引き起こし、さらにそれを加速させる。この薬剤耐性は、ある疾病が貧しい階層と裕福な階層の双方に生じさせるリスクと健康負担を著しく増大させる可能性がある(多剤耐性結核はその主要事例である)★382。

 ・さらには、貧しい国々を儲けにならない市場として無視するのではなく、諸々の開発企業は、彼らの発明がそれらの地で発揮するインパクトを強めるために、それらの国々の保健システムを改善させる方向で協働するという誘因をもつようになるだろう。●箇条書きここまで

 これらの手法すべてにおいて、この改革は開発企業の利益を、患者のそれおよびジェネリック製造業者のそれと連繋させ調和させることになるだろう――これらは現行レジームでは鋭く対立させられる諸利益であり、懸賞金制度下でもせいぜい独立であろう諸利益なのである★383。また、この改革は開発企業たちの道徳的利益と打算的な利益をも連携させる。対照的に、現行レジーム下では、それら企業が最大限の報酬を獲得するのは、彼らが貧しい人たちの廉価での必須薬アクセスを奪い、貧困特有の疾病を研究することから逃げる時なのである。懸賞金制度の下でさえ、報酬を得た彼らの開発薬が健康増進へ与えるインパクトを強めようとする開発者のあらゆる試みは、彼らの収支決算にとっては損失となるのだ。
 このように、完全プル・スキームは現状の最も重大な道徳的欠陥を――懸賞金制度よりもうまく――克服する。現行レジームにおいては、開発企業が新薬を開発しようという誘因をもつのは、彼らが得るであろう一時的な独占価格設定権力の期待価値が――失敗の確率を割り引いたうえで――開発および特許申請のコストすべてを上回る場合に限られる。つまり、長期の限界生産費を継続的に上回る価格で買うことが可能であり買うつもりもある人々が僅かしか存在しないような薬品を開発する誘因を、彼らはまったく持たないのだ。完全プル・スキームはこの欠陥を克服するわけだが、それは現在無視されている諸々の深刻かつ広範な疾病(注365-8を参照)について最も決定的である。完全プル・スキームは新薬開発の報酬とそれら新薬のGBDへのインパクトを結びつけ、それにより、人類に対する悪影響を最も費用効率的に減少させられるような疾病へと開発企業を誘引するのである。医薬品開発者がある特定疾病に対する闘いに参加しようとするこの新しい誘因は、その疾病がより深刻でより共通のものであればあるほど、より強くなるだろう★384。
 このような新しい報酬体系は、(それに関する適切な概念のいずれに基づこうとも)GBDにはほとんど関係ないが富裕層がどうしても避けたいと願うような疾病からは注意を逸らしてしまうのではないかという心配があるだろう。この心配には、改革案の適用を必須薬――すなわち、健康や生存にとって死活的な薬――に限定することによって、すくなくとも大部分は対応可能である。例えば、脱毛やニキビ、勃起不全などといった、それ以外の健康状態に対応する薬は現行の独占特許レジーム下で存続することが可能であり、誘因や報酬が低減するわけではない。この手法において残るのは、短期的な調整問題だけである。新しい報酬体系が導入されると、開発者たちは、より利潤の出る必須薬開発という新しい機会のために、僅かしか利潤の出ない非必須薬開発の機会は見合わせることになるだろう★385。だが、バイオテクノロジー企業や製薬企業は、(別のところで利用可能な投資機会と比較して)儲けになる利潤機会のすべてに乗じることをまたもや企図して、新しい資本を引きつけたり研究能力を向上させたりするだろう。
 必須薬と非必須薬の区別を改革案に組み入れることは、この区別がどのように定義されるベきかについての政治的闘争、そしてある特定の開発がどのように分類されるべきかについての法廷闘争という妖怪を生じさせる。これらの危険は、開発企業に自らの発明を彼らの好きなように分類させ、そのうえで、GBDに相当な影響を及ぼしそうなあらゆる発明については、それを――改革後のルール下で――特許の対象とすることを企業自らが選択するような方向で報酬体系を設計することによって、回避することが可能である。このような選択の自由には追加的な2つの利点がある。[第1に]それは、独占特許を要求する自然権の存在を――9.1での議論にもかかわらず――信じている人々と妥協できる。また[第2に]、それは新しい諸ルールの円滑かつ急速な導入を大幅に促進する。というのも、伝統的な独占特許を得るために研究活動を既に行ってきた諸企業の正当な期待を裏切ることはまったくないだろうからだ。この改革案は、バイオテクノロジー企業や製薬企業が現在享受している儲けになる研究機会での重大な損失をもたらすことなしに、現在無視されている疾病を研究する新たな利潤機会を彼らに得させることにより――さらには、人類に益をもたらす存在として彼らの道徳水準を回復することにより――、バイオテクノロジー企業や製薬企業にとって▲魅力的▲であるはずなのだ。
 公共財戦略のなかに含まれるこの完全プル方式の主眼はは、つまるところ、ひとつの修正された製薬特許を創設することだったのである。それは、開発薬がGDBに与えるインパクトに比例した報酬によって、その薬品の一時的な独占という伝統的な報酬を、置き換えるものである。この改革は現行特許レジームの大幅な再構築を要求したりはしない。医薬品特許に関する現行の申請手続きと報酬手続きはそのまま適法であり、あらゆる特許保有者に約束される永続的な選択肢が追加されるだけである。この選択肢は、特許薬品の製造に対する世界規模での拒否権を、その薬品がグローバル保健に対して与えたインパクトに比例した報酬を定期的に支払ってもらう権利と引き換えに、放棄するというものだ。このように、伝統的な特許をGBD特許に変換することによって、特許保有者にはその特許で保護された知識の主要部分を、その新薬を世界規模で自由なジェネリック製造に利用可能とすることによって、ひとつの公共財へと転換する選択の余地が生じる。特許保有者は自身の発明に対する所有権[proprietary rights]すべてを保持する。
 この改革のこの第2の構成要素[オルタナティブの報酬]には、上で計画されたような新しい必須薬品を開発する誘因を財源手当する方法が必要とされるわけだが、全世界で毎年およそ450億から900億ドルかかるだろう。(正確な見積りは難しい。各年の費用がどの程度になるかは、開発された医薬品がどれだけGBD減少に効果的であったかによる★386。ここで提案されているスキームが大きな資金コストを伴うのは、それがGBDの減少に実際につながった場合であり、その場合に限られる。)そうなると、この改革案の第3の構成要素とは、これらのコストに関する、公正で、実行可能で、政治的に現実味のある配分方法を発展させることである。そのような配分を引き受けるに際して、有志各国はGBD削減単位あたり一定の金額を拠出することを約束するだろう。この各国ごとの分担額は国民総所得(GNI)に――非常に貧しい国々を免除するために、例えば一人当たりGNIに比例させることによって一定の累進性を導入しつつ――比例させるのがよいだろう。この割り当て制度は、具体的で強制力のある国際条約に正式に記されるべきであるが、それは潜在的な開発者に最大限の保証を提供するためである。バイオテクノロジー企業や製薬企業のあいだで、約束された報酬が本当に実現するかどうかについての疑いが広まってしまうと、このスキームの誘因効果が弱まるし、それによって、その目的まで挫折させられてしまう。
 ここで素描されている完全プル・スキームに対する深刻な異論があるとすれば、それは、このスキームが新薬という解法のみに排他的に焦点を当てているというものだろう。GBD削減に関連のある人為的にコントロール可能な要因はたくさんあるし、医薬品へのアクセスは、いかに重要とはいえ、それらのうちの1つに過ぎない。他の決定的な要因とは、安全な飲料水の確保、適切な栄養、清潔な衛生設備、適切な衛生学、(蚊帳などの)保護用具、病原媒介動物への対策、特許切れ医薬品、その他多数である。同じ疾病に対する代替的でおそらくはもっと費用効果的な手法があるというのに、なぜ新しい医薬品開発にのみ報酬を与えるべきなのか。
 その答えは、我々は、新しい製薬による解決のみに制限するべきではないし、および私がここに描いた完全プル計画は、実のところ、新薬という解法のみに限定されるものではないというものだ。いったん企業が新薬のGBD特許を取得したなら、その報酬は、その薬品がどれだけそのターゲット疾病(適応とされる疾病)に帰せられる死亡率および罹患率の増減に対してどれだけ影響するかによって決まる。新薬の質以外にも、他のたくさんの要因がその新薬の[GBDに与える]インパクトを左右する。これら多数の要因すべてがもたらすそれぞれの効果を、信頼できかつ透明性のある手法でひとつひとつ取り出すことは不可能である。このとき、この複雑性を扱う最善の方法は、この新薬が利用可能となる以前にそのターゲット疾病によってもたらされていた死亡率と罹患率の変遷の推定値を背景にして、その新薬のインパクトを評価することである。
 このようなかたちで、GBD特許保有者は、彼らのコントロールの及ばない諸要因――例えば病原菌を媒介する蚊の発生に影響する気候――にまで責任を負うことになる。しかし、これは灯油や庭家具の生産に投資する企業についても同じである。それらは企業活動にとっての日常的なリスクであり、多くの地理的領域にわたって、また特許期間の長い年月にわたって、合理的に予見しやすくなっていくようなリスクである。さらに企業はこういったリスクを様々な方法で――例えば保険によって――防ぐ[hedge]ことができる。GBD特許保有者には、彼らが関与できる人為的に制御可能な重大要因――例えば、貧しい国々でのヘルス・ケア供給の質――に対しても責任がある。それらヘルス・ケア供給の改善を支援することにより、GBD特許保有者はその薬品のインパクトを大きくすることができる。薬品のインパクトは、医師や看護師たちが患者の手の届くところにいるか否か、彼らがその薬を知っているか否か、彼らが手元に持っているか否か、彼らが処方するか否か、患者が最善かつ充分な投薬量でその薬にアクセスすることを彼らが担保しているか否か、患者たちに適切な使用法を指導しているか否か、といったことに強く影響を受けるのである。
 医師や看護師へのよりよいアクセスは、GBD特許薬のよりよい供給に加えて、その人口集団に対する他の望ましい効果を及ぼすだろう。とくに、人々がそもそも病気にかかることから自らを守れるようになる。ヘルス・ケア供給の改善を支援することにより、GBD特許保有者は、その際、ターゲット疾病の発生頻度を、その薬品を使わない(さらにはその薬品へのニーズを減少させてしまう)ような方法によっても、減少させることになるだろう。このような減少は歓迎されるべきだし、それが報酬の対象となる資格なしとする理由もない。このとき、GBD特許とは、その特許保有者にいくぶん幅広い取り分[stake]を与えるものだと考えてよいのかもしれない。つまり、たんにその特許薬品を使ったおかげで防止されたターゲット疾病による危害についてだけでなく、ターゲット疾病の(予測よりも害の少ない方向への)変化についても、特許保有者に取り分を与えるのである。この改革計画のこの特徴について、2つ以上の企業が同じ疾病を対象とするGBD特許を持っている場合(これについては次節で扱う)、あるいはGBD特許保有者の努力が公的機関やNGOによって増強ないし補完されている場合には、さらに明示化されねばならないことは明らかだろう。
 彼らの医薬品へのユニバーサル・アクセスにとっての実世界での障害を克服したり、 ターゲット疾病によってどの程度の危害が生じるかという点に影響を及ぼす他の因果的要因に取り組んだりするだけの能力が、GBD特許保有者――主に製薬企業とバイオテクノロジー企業――にあるのかと疑問に思う人もいるだろう。これら企業は現時点で既に設立されているので、実際のところ、これらの企業がそのような問題について考えたり、そのような問題を扱えるよう装備を整えたりする誘因はまったくない。むろん、きちんと支払う顧客たちに振りかかる危害を逸らすために彼らの薬が効果的であることには、これらの企業も強い関心を持つ。だが、現行特許レジームは、ターゲット疾病の▲グローバルな▲発生頻度を削減する誘因を開発者にまったく与えていない。むしろ逆である。つまり、特許保有者の薬品がターゲット疾病を除去してしまったら、それは自身の市場を破壊することになるのだ! また、特許保有者の薬品がターゲット疾病の発生頻度を減少させるかぎり、それは特許保有者自身の市場を縮小させるのだ。現行特許レジームは特許保有者の利潤を2つの要因に結びつけている。すなわち、最適に利潤を上げるために、

●箇条書きここから
 ・特許保有者は、支払いをする患者たち(ないしは、例えばワクチン接種プログラムのケースでの、支払いをする国々)[のみ]をターゲット疾病そして/またはその有害症状から保護するのに効果を発揮するような、そんな薬品を持つ必要がある。そして、
 ・このターゲット疾病は勢いを増したり拡散したりを続けねばならないし、とりわけ、特許薬によって大幅に減退させられたり根絶させられたりしては▲ならない▲。 ●箇条書きここまで

しばしば言われていることとは反対に、必要としている薬品に独占価格を支払えない貧しい人々は、そのとき、特許保有者の収支にとって無益でも瑣末でもない。むしろ、そのような貧しい人々は、特許保有者たちが独占価格で売っている薬の対象となっている伝染性疾患を存続させ続けるという、有益かつ利潤となる機能を提供しているのである。もし、効果的なマラリア防止にアクセスできずにいる人々の数がさほど多くなければ、裕福な旅行者たちがそれらに対する保護手段を独占価格で購入することはないだろう。というのも、そのときには、マラリアはフロリダやイタリアで現在そうあるよりも脅威ではなくなっているだろうからだ。
 現行の薬品特許レジームは非常に正道から外れた[perverse]ものであるため、製薬企業の役員たちは、彼らがその株主や従業員に対する信託責任に真剣であるかぎりは、彼らが合法的にできることなら何でもする、彼らが合法的に怠ってよいことであればすべて怠る、顧客ではない人たちの間でターゲット疾病の発生を増加させたり減少を阻止したりする、といった理由をもつことになる。このことをわきまえれば、そのような企業は彼らの薬品へのユニバーサル・アクセスにとっての実世界における障害を克服するには準備不足であり、それら薬品がそのターゲット疾病の発生頻度に与えるインパクトを左右する他の因果的要因に対処するにも準備不足であることは(かなり正確に)見通せる。ターゲット疾病の発生頻度に対してその薬品の与える削減効果が小さいほど、その薬についての特許を所有する人々の利潤機会はより大きくより持続可能となる。製薬企業やバイオテクノロジー企業が自社薬のインパクトを強めるには準備不足であるというのは、これら企業についての必然的事実ではなく、彼らが現行特許レジームによってどのように規制され、どのように誘因を与えられているのかということから予測できる結果なのである。このレジームを守るために彼らの現状での能力不足を例示するというのは堂々巡りの議論である。
 邪悪な諸々の企業がいかに人々よりも、健康よりも、動物の福祉よりも、環境よりも、利潤のを重く見ているか、について嘆く声はたくさん上がっている。これらの嘆きは真実ではあるが、たいてい間違った方向へ進んでいる。この邪悪さの▲根元▲は、諸企業がどのようにビジネスをしているのかではなく、▲我々▲がどのように彼らを規制し誘因をあたえているのかにある。もし我々が、人々が喫煙すれば企業に巨額の富がもたらされるよう市場を構築するなら、企業は人々に喫煙させようと一生懸命になるだろう。もし我々が、人々が喫煙を止めれば企業に巨額の富がもたらされるよう市場を構築するなら、企業は人々に喫煙を止めさせようと一生懸命になるだろう。製薬開発業者が、ターゲット疾病の繁栄によって失い、その衰退や根絶によって得られるような金銭的利害[stake]をもつように特許レジームを構築し直すことが我々の責任なのである。もし我々が現行の誘因を逆転させられるなら、自由企業の計り知れない力が、貧しい人々にいたるところで悲惨や早すぎる死をもたらしている諸々の重大疾病に▲対抗▲するために、結集されるだろう。何千億ドルもの時価総額を有するよく組織された利潤志向の諸企業――ファイザーの時価総額1,700億ドルは、3,870万人を擁するアフリカの最貧24カ国のGNI合計のほぼ2倍であり、2006年の売上高487億ドルはそれの半分にも相当する★387――が、彼らの適切な薬品に基づいた効果的な疾病削減の戦略を世界の最も困難な諸地域で構築するする術を知らないだろうと想定するとしたら、これら自由企業の力を大幅に過小評価することになるだろう。
 私のこれまでの応答は反対意見を完全に克服するものではない。例えば単純な下痢のように、新しい薬剤があまり役立たない疾病が存在する。このような疾病に取り組むことによって――おそらくは、特許切れ薬品や、清潔な飲料水、下水設備などへのアクセスを確実にすることによって――、GBDを削減した人々は、新薬でGBD削減に貢献する製薬開発者と同じように報酬が与えられるべきではないのか。まったくもってそうされるべきだろう。製薬開発を統べる諸ルールのためのこの改革計画は、より大きな保健改革プロジェクトの中心構成単位[module]であると考えることができる。ひとたびこの中心構成単位が完全に具体化されたなら、それは――同様の方向性で――人類の健康に不可欠な他の社会的要因にも拡張されることは間違いない。それでもなお、この中心構成単位から始めることが理に適っているのだ。この構成単位の完全な具体化は、ありうる諸々の拡張にとっての有用なパラダイムを提供してくれるし、それを実行することは更なる改革へのはずみとなるだろう。
 だが、なぜ▲この▲構成単位から始め、新薬を中心に据えるべきなのだろうか。きれいな飲料水や健康的な栄養補給へのユニバーサル・アクセスを目指す世界的プログラムにその資金を回した方が、それらの資金は貧しい人々の健康を保護することにより貢献するのではないのか。おそらくそうだろう。しかし何十年もの苦い経験から明らかなのは、豊かな国々はきれいな飲料水や計画ピー・ナッツ[Plumpy’Nut]★388の供給に何千億ドルも費やすつもりなどないということだ。現にあるような世界にあっては、国外での深刻な病気や貧困と戦うためにそれだけの額を支出するなどという考えはまったく釣り合わない[incongruous]。そういった目的はあちこちでせいぜい数百万ドルを費やすに値する程度のものであり、11桁もの額に値するものでないことは明らかなのだ。対照的に、国内企業を支援するためにそれだけの額を使うという考えは馴染みのあることだし一般的である――実際に、豊かな国々は、毎年、農業分野だけで輸出クレジットや補助金(これらは海外での貧困をいっそう悪化させる)に▲数千億ドル▲も費やしている。政治的に現実的な進め方は、これら2つの目的を、国内企業を支援しもするし世界規模での深刻な貧困や疾病と闘いもするという計画を通じて、ひとつに結び付けることであろう。私の素描した完全プル計画はまさにこの記述にあてはまるよう設計されている。この計画にかかる資金のもっとよい支出方法があるのかもしれないが、そのような代替計画は、それら計画があてにしている財源を動員できないのであれば、やはり役に立たない。製薬企業やバイオテクノロジー企業の利害と連携することによって、我々の完全プル計画はより成功の見込みがあるのである。

■9.7 基本的な完全プル理念の詳記と実行

 基本的な完全プル理念は十分妥当であると見なしてよいだろうが、それが実行可能でかつ政治的に現実的な理念であることを証明するような手法によってこの理念を具体的に詳細化するためには、必要な仕事がまだいくつもある。こういった詳記を懸命にしなければならないのは、この計画がひとたび詳細に示されたならば世界中の各国政府はそれを草案通りに実行するだろうというナイーブな期待に基づくわけではではないからだ。各国政府が――彼らがそのような計画にそもそも興味を持つ必要もあるが★389――専門家集団を伴った延長交渉のなかで草案の書き直しをすることの方がありそうなことである。それでもなお詳細化が重要なのは概念の吟味のため――すなわち、現実世界の複雑性にうまく対処できるようなこの計画の詳細化方法が少なくとも1つは存在することを示すため――である。
 この改革理念の詳細化がうまくいくためには、最低限、以下を必要とする。すなわち、GBDの適切な尺度の定義、GBD削減1単位あたりの金銭報酬の決定、GBDを▲事後的に▲評価したり、数年後のGBD推定値の妥当なベースラインにしたりするための十分なデータを収集する方法、貢献したGBD特許保有者間でGBDの削減分を配分する詳細な規則、腐敗と賭博[gaming]を抑制する適切なメカニズム、報酬の財源調達に向けて国際的に受容可能な条約で裏づけられたスケジュール、段階的導入期間のための特別ルール、などである。
 我々はこれらの困難な諸問題に本当に懸命に取り組んでいるが、これに関する詳細な準備状況の報告はここでは紙幅を取り過ぎることになるだろう。代わりに、この改革案が政治的に現実的であるための必須事項を参照しつつ詳細化と実行についてコメントさせてもらおう。現実的であるためには、この計画は、現に存在している2つの支持層との対立を避けねばならないし、もっと言えばそれらに訴えかけねばならない。その2つの支持層とはバイオテクノロジー企業と製薬企業、そしてより裕福な人口集団である。後者は納税者として、計画の財源を担うためにその粗所得1%の何分の一かを拠出しなければならない人々である。
 人々は健康や長生きを他の何よりも気にかけているが、製薬産業は他の産業より愛されたり尊敬を受けたりしているわけではない。実際、世評によれば大製薬企業はたばこ産業と武器産業とまったく同じである。この不評は大きな政治的負担[liabilty]である。製薬産業に対する不満はよく聞かれるところだ。すなわち、純粋に革新的な研究はあまりに少ない、マーケティングや医師たちの操作があまりに多い、独占特許で保護される価格の釣り上げ[price-gouging]、貧しい国々でジェネリック薬の生産・輸入・配布に反対するという人殺し的な強制実施行動、などである。
 各々の製薬企業がこういった不満を避けるために自分たちの側でできることはあまりないとよく言われるし、それは妥当性のないことでもない。これら企業はお互いに競争しているし、片手間[marginal]にという以上に「立派に[nicely]」ふるまう企業はまちがいなく他の企業に譲ることになり、最終的には市場から締め出されてしまうだろう。であるなら、何千万もの早すぎる死や想像を絶する人間の悲惨を引き起こしているのは血に塗れた利益への邪悪な欲望ではない。原因はむしろ、製薬業者に対してもその評判と利潤の観点で害となる集合行為問題[collective action problem]である。私の望みは、製薬業界にも同時に便益をもたらすような方法で、貧しい人々の必須薬へのアクセスを奪う障壁を取りのぞくことである。我々に必要なのは規制改革であり、貧しい人々から先進薬品アクセスを取り上げるよう製薬企業を動機付けるのではなく、そういったアクセスを促進するよう製薬企業を動機付ける、そんな規制改革である。
 現行ルール下で各製薬企業は単独でこの問題を解決できないが、こういったルール改革を通して、この問題を解決するために彼らも集合的にはかなりのことができる。現行ルールの中心的欠陥は、すでに見てきたように、現行ルールが製薬研究を動機付けるために――必須薬品の場合でさえも――採用している独占価格設定権力である。独占のみをその唯一の報酬とさせられることによって、製薬企業は道徳的に擁護できない立場に置かれる。すなわち、必須薬の研究と開発を維持するために、彼らは貧しい人々が限界費用近くで必須薬にアクセスするのを能動的に妨げなければならない。この板ばさみは、必須薬品の研究開発向けの新たな報酬制度を創設するようなルール変更をするだけで、克服できるのだ。
 知的財産権から巨額の利益を得ている人々は、現行の知的財産権レジームの改革はすべて、開けたくもないパンドラの箱であると見なしている。製薬業者たちは任意の改革案を結束して支援することもできるだろう。しかし、いったん国内および国家間の政治的フォーラムで改革の審議が開始されれば、彼らの提案が採用される保証はどこにもない。であるなら、物事をそのままにしておく方が――この選択は現行レジームが負わせている恐ろしい苦痛に耐えている人々ないしそれを気に掛けている人々にさらなる怒りと反発を生み出すというリスクはあるものの――安全なのだ。改革をもっと懸念するのは、あの巨大な親TRIPS連合[pro-TRIPS coalition]の一翼を担っていた他産業――ソフトウエア産業、エンターテイメント産業、アグリビジネスなど――の企業たちだろう。これら企業そしてその所有者や経営者たちといえども、独占の強制実施という聖壇の上で数百万もの人々が犠牲にされるのを見たくはないだろう。それでも、自分はこの惨事にそれほどの関わりはしていないのだと自ら見なすことによって、この犠牲を止めるために豊富すぎるほどの定期的な所得を危険にさらすことに対しては、製薬業界の人々以上に消極的となるのだ。
 改革が政治的に成功するチャンスを少しでも掴むためには、2つの要素が決め手となる。第1に、改革の目的は明確に限定されていなければならない。すなわち、改革は必須薬品のみを対象とするものであって、他の医薬品、ソフトウエア、音楽、映画、肥料、さらには種子なども、その対象とはしない。そして、従来型の特許を選ぶ自由を常に残しておくことで、改革が製薬開発企業の利潤にとって脅威となることもない。つまりこの改革は、彼らが現在享受している利潤機会を少しも失わせることなく、利潤が見込めるうえに道徳的に緊要な研究開発への新機会を彼らに与えてやるものなのである。第2に、関連の諸業界、特に製薬業界にとっては、この改革プロセスがこの制限を遵守することが担保される必要がある。第2の要素を満たすのは非常に難しい。貧困層が先進薬品から排除されている現状は容認できないと思っている多くの人々が、必須薬品のみに焦点化することを明確に承認し受容するような、そんなひとつの共通改革案に挙って賛同する必要があるのだ。ひとつの控え目な改革案であっても――製薬業界をはるかに超える広範な世界的連合に支持されるならば――この改革案への完全な支持を傾注するための確信をこの業界に与えることができるだろう。このような連合を築くためには、たとえそれが公的財源を必要とするのだとしてもこの計画を支持するよう一般市民たちに納得してもらう必要がある――これは次節で論じる課題である。我々は(多くの健康関連NGOに顕著に見られる)より急進的な改革志向者たちをも、たとえその改革は独占特許を温存し製薬産業の利潤機会を拡張するのだとしても、この計画を支持してくれるよう説得せねばならないのである。
 以下の点を繰り返し述べることで本節を締め括ることにしよう。完全プル改革案は、必須薬品へのユニバーサル・アクセスという我々の共通かつ至上命題的な目標に我々が到達するに際して、我々は製薬産業と連携するのか、それともまったく連携しないかのどちらかなのだという信念に基づいている。そのような連携は詳細化の段階から始まる。完全プル計画の諸ルールは、開発企業の仕事を複雑化したり重要な研究活動に水を差したりする不可避的なリスクや不確実性を増やしてしまうことのないように、明瞭かつ透明性あるものとして設計されねばならない。特定のGBD削減の報酬を貢献した製薬開発者たちの間で配分するためのルールを設計するに際して、最前線の医療専門家や統計学者だけでなく、製薬企業も特別に役立つ存在となることができる。これらのルールは、何にもまして、GBDの原因として作用しているさまざまな疾病の境界線を明確に線引きするための妥当な方法を提供せねばならず、ここにおいて、死亡や疾病に関して相互作用している複数の原因に対処するだけでなく、それらの仮想的な原因にも対処するのである★390。そのうえで、これら原因の削減を多数の医薬開発者たちに割り当てるための妥当なルールを提供するものでなければならない。こういった後者のルールは、様々な企業による多数のGBD特許薬が同じ疾患に――代替的な介入として、あるいは(現在HIV、結核、マラリアに対する闘いで使われている「ドラッグ・カクテル」に見られるような)結合的な介入として――作用しているような諸ケースに対処しなければならない。これら両方のケースにおいて、反実仮想分析[counterfactual analysis]という公衆衛生の方法論が有益[informative]だろう。しかし反実仮想分析はそれ自体でこの配分を決定することはできない。というのも、(理由を1つだけ挙げるなら)反実仮想分析は通常「加算型分離[additive decomposition]」をもたらすことはないからだ。すなわち、反実仮想分析で様々な原因に帰される[個別の]GBD削減分を足し合わせても、それらの原因が一緒になって生み出す[現実の]総GDB削減分には届かないのである。この問題の解決法には様々なものがあるし、報酬を先発貢献者と後発貢献者との間で配分する方法にも様々なものがある。自然なあるいは明白な解決法は存在しないのであり、このときこの改革案は、部分的には諸々の実用的理由に基づいて選択される方法論的慣例に従うものとなるだろう。
 我々のチームが提供するのは、言うまでもなく、ひとつのモデル的な解決法である。だが、完全プル・スキームの美点とは、現実に実行される解決法が製薬企業やバイオテクノロジー企業と▲ともに▲解決できるという事実にある。単位あたりGBD削減への金銭的報酬がひとたび特定されたなら、配分ルールに関しては完全プル・スキームが諸々の利害の調和を担保してくれる。この計画の財源負担をする市民はできる限り大きなGBD削減がもたらされてこの計画が成功するよう望む。開発企業も同じく成功を望むが、そこには自らの利潤の最大化という理由も加わっている。これら企業は、いまだ開発されていない医薬品に関する実質的な無知のヴェール下で交渉するので、彼らの集合的な利害こそが[個々の企業の利害ではなく]その交渉戦略を方向付けることになる。彼らは、自分たちの集合的な[製薬業界としての]報酬取り分が最大となるよう配分ルールが設計されることを望む。彼らは、とくに、不確実性が減少するよう、諸ルールが明確かつ透明性あるものとなることを望むだろう。彼らは自分たちの間で効果的な連携やシナジーが作り出されるようなかたちで誘因が形成されることを望むだろう。彼らは、費用のかかる論争を避けるために、廉価で信頼できる仲裁メカニズムを設置することを望むだろう★391。そのとき、諸々の利害の調和は、たんにこの計画の実施においてだけでなく、その計画の詳細化においてすでに存在しているのだ――これによって、この計画の中心的理念はたんなる実行可能性だけでなく政治的現実性にもあるという上述の主張をさらに裏付けることになる。

■9.8 裕福な市民とその代表者たちに計画を正当化する

 毎年何百万人もの命を救い、無数の人びとを伝染性疾患から護る改革案は、道義上避けがたいものであると、とくにそれにかかる費用が全世界の収入のわずか1%のとき、多くの富裕な国々は、わたしに躊躇なく同意するだろう。しかし、このような改革を政治的に達成するためには、我々は具体的かつ政治的に現実的な1つの改革案に合意する必要がある。我々人間の世界というものは思い通りにはいかないもので、おおいなる道徳的収穫を少ない財政的費用で約束する、妥当と思われる改革の筋道がたくさん存在する。これはある意味では喜ばしいことで、それを行おうといったん人間性が政治的意思の結束を鼓舞すれば、世界の貧困を終結するのは、難しいことでも高くつくことでもない。しかしそれは別の意味では悪くも取れ、▲1つ▲の共通の改革作戦への調整がより難しくなることを意味している。
 我々が改革を追求している不正義な諸ルールが存在するのは、他の人びとがそれら支持することになんとか共同できているからである。農業関連産業、ソフトウェア、エンターテインメント、製薬といった諸業界は、彼らが自らの政府をして世界中に押し付けさせたある共同の(TRIPS/TRIPSplus)戦略の推進という自分たちの政治的影響力を及ぼすために、彼らの間にあった諸々の相違を克服したのだった。貧しい人びとの保護を追求している人々が、多大なそしてしばしば成功もおさめた、様々の努力をしてきたことは否定するべくもない。しかし我々は、ひとつの共同の政治戦略で共同できたことはなかったし、それゆえ、我々の拡散した努力は不正義な制度がもつ強力かつ継続的な困窮化インパクトによって大きく妨害されてきたのだ。大きなそして不断の努力があれば、不正義なルールによるこの向かい風をいくらかは継続的に中立化できるだろう。気の利いた[intelligent]政治的動員があれば、こういったルールを改革し、それによって世界の貧困を本当に根絶できたかもしれない。これまでのところ、我々はこの第2の戦局、つまり政治の戦局において貧弱にしかやってこなかった。我々は、さまざまな声で語り、無秩序に山積みされた生半可な改革アイデアを提出し続けている。それらの多くは、たとえ我々がなんとかその支持で共同できた場合であっても、政治的には非現実的であった。
 ここで、貧困を永続化させる構造的な不正義を終わらせすることに参与する人々に対してこの改革案を私なりに正当化させるとしたら、次のようなものとなる。すなわち、製薬企業やバイオテクノロジー企業の利益と妥協することにより、完全プル計画は――同程度の影響力を持つ他のあらゆる計画よりも圧倒的に――政治的現実性をもつ。それを実行することはグローバル貧困層の巨大な負担を取り除くし、それによって、彼らには自らを解放するためにはるかに効果的な連携をすることが可能となる。この案の実行はひとつのモデルを確立することにもなるのだが、そのモデルは、清浄な飲料水、適切な衛生、住居、基本的な教育、最低限の適切な雇用の欠如といった貧困を永続させる他の要因を撲滅するという目的で反復されうる。この完全プルの理念は、いったん製薬の領域で立ち上がり動きはじめれば、他の領域での補完的な改革努力の動議付けとなるだろう★392。
 政府を説き伏せてこの計画を実行させるためには、この計画は彼らの支持者たち、すなわち企業や市民たちに支持される可能性があることを彼らに明らかにする必要がある。これまで、私はこの計画がどうすれば製薬企業やバイオテクノロジー企業にアピールできるのかについて多く語ってきた。ここでは、どうすればこの計画がその費用や実行可能性について心配している一般市民層にアピールできるか考察してみよう。
 先ほど、この計画の年間費用は最高でも450億ドルから900億ドルだろうと見積もった。世界中の国々が参加した場合、450億ドルとは2005年のグローバル生産の0.1%であり、900億ドルとは同0.2%である。この数字は、人類のうち貧しい方の半分を除外してもたいして変わらない。彼らの総所得はグローバル生産の2%未満なのだから。(2005年のデータによれば、彼らを除外することは課税ベースを45兆ドルから44兆ドルに減少させるだけであり、無視できる減少である。)しかし、このパーセンテージは、一部の国々が参加を拒否すると想定される場合には、上昇する。米国――グローバル生産のおよそ30%に相当――が参加しないだけでも、それ以外の国々の納税者たちはその粗所得の0.14%から0.28%という最高拠出額を求められることになるだろう。グローバル生産の半分を代表する国々が参加しない場合、残りの納税者たちはその粗所得の0.2から0.4%という最高拠出額に求められることになるだろう。グローバル生産の3分の2を代表する国々が参加しない場合、残りの納税者たちはその粗所得の0.3から0.6%という最高拠出額を求められることになるだろう。疑り深い納税者たち、とくに豊かな国々の納税者たちに対して、彼らがそのような拠出を支持するよう説得するために何と言えるのだろうか。
 このような支出は、打算[prudential considerations]によって支持できるかもしれない。この計画によって貧困層の間で蔓延し集中している疾病に非常に大きな変化が起こるのはたしかである。そのうえ、この計画の影響は、より富裕な人々の間でよく見られる深刻な疾病のほとんどにも拡大されていく。その重要な理由のひとつは、そういった[豊かな国でよく見られる]疾病は、現在の貧困層の死亡率と疾病率のほとんどをもたらしている甚大な災難を激減させることに完全プル計画が成功すればするほど、貧困層の間でもよく見られるようになると予想できるからである。製薬開発者は、伝染性疾病の急速な減少は、寿命の延長を通して、今のところ比較的豊かな人々の間でよく見られる慢性疾患(心臓病のような)の発生頻度が貧しい人々の間で増加することにつながるだろうと期待するかもしれない。そしてこの期待は、製薬開発者が自らの新しい必須薬品のうちより多くについてGBD特許を[取ることを]選択する選理由となる。たとえ患者1人当たりの利潤ではこれまでの特許を選択した場合の方が相当大きいとしても、多くのケースにおいて、GBD特許という選択のおかげで、製薬開発者たちには、はるかに大きな患者集団を確保することによって、▲全体的な▲利潤をより大きくすることができるようになる(どちらの特許がより大きな利潤をもたらすかについて製薬開発者たちが確信を持てないかぎり、多くはGBD特許の選択に傾くだろう。彼らは、それが経済的に実行可能な場合には、グローバル・ヘルスへの貢献者であることを望むし、そう見られることを望むからだ)。安価なGBD特許薬開発の財源を支援することにより、豊かな国々の納税者たちも自身にとっての相当な益を得ることができるのだが、それは、低価格の薬剤、低い保険料、国民ヘルス・ケア歳出の削減、といったかたちのいずれかまたはすべてとして現れる。たしかに、このように患者から納税者への――豊かな国々の内部での――費用移転は、より健康な市民の犠牲の上でより不健康な市民に益を与えるものである。しかし、幸運の効果をこのように穏やかに緩和させるというのは、実際のところ、道徳的に訴求力がある。それはとくに次のような理由による。すなわち、先進医薬品を利用する必要がまったくあるいはほとんどないような幸運な人々であってもなお製薬研究から便益を得るからだ。それらの研究は、仮に彼らがこれまでに深刻な病になっていたとしたら、彼らも最上の医学知識と医薬品にアクセスしていただろうと知ることから派生する心の平穏をもたらすのである。
 第2の打算的な理由は、製薬研究を貧困層の利益に対しても感度の高いものとすることによって、我々は、貧しい国々の恐るべき公衆衛生の問題群への我々の懸念をかたちのあるものとして表明することができるので、これらの国々と親善(関係)を築くことになるというものである。この立論には対になる道徳的な立論[a moral twin]がある。すなわち、貧しい国々における死亡と罹病の程度という観点からすれば、貧しい人びとの利益を[この計画の意図に]含めることに賛成することは道徳的に強制されているというものだ。
 対をなすこれらの立論にはより広い含意がある。この改革案は、同じ製薬研究を[現行の特許レジームとは]別のやり方で奨励するだけでなく、開発企業がその解決策を模索する医学的状態の範囲を拡張することにもなる。現行レジームでは無理からぬことに、これら企業は熱帯地方の疾病についてはほとんど興味を示さない。というのも、例えば彼らが効果的な薬剤を開発しても、それを販売したり販売許可を与えたりすることで利潤を得ることはできないだろうからだ。私が提案した代替レジームでは、開発企業は、GBDへの潜在的インパクトの大きな薬品を開発することによって相当な利潤をあげることができるだろう。はしか・マラリア・結核は、年間ゆうに300万人超える人びと死に追いやっており、その大部分は子供である。さらに、肺炎だけでそれ以上の人が命を落としている。新薬はこれらの疾病のインパクトを劇的に軽減できるだろう。
 さらに3つの打算的な理由がある。この改革は豊かな国々のなかに一流の医学研究職を創出するだろう。それにより、より強力かつ多角的な医学的介入の蓄積と組み合わされた急速な医学知識の進展を我々が得ることで、未来の公衆衛生上の緊急事態に対してより効果的に対応することが可能となる。くわえて、世界的に人類の健康状態が改善すれば、我々が侵略的な疾病[invasive diseases]によって直面する脅威は減少するだろう。SARSの勃発と鳥インフルエンザ騒動はこの2点を分かりやすく例示するものとなる。すなわち、危険な疾病は貧しい国の田舎から先進諸国の都市へと急速に伝播する可能性がある。そして貧しい人々の医療ニーズを現在おろそかにすることで、我々が突然こういった問題に直面したとき、それらに対処する準備ができないままになってしまう。
 それ以上にこの改革は、世界中での回避可能な苦悩や死を大幅に削減するので――同程度の支出を伴う、近年我々が行ってきた「人道主義的介入」や、我々の政府と国際金融機関が貧困諸国の(往々にして腐敗しておりかつ抑圧的でもある)統治者とエリートにまで拡大する巨額の持続不可能な融資よりも――はるかに費用効率的だし、貧しい国々での受けもずっとよいだろう、最後に、我々の時代における道徳的に突出した問題――すなわち、貧困諸国においての、恐ろしいまでの、貧困誘発的な、概して回避可能な死亡と罹患――の克服に向けて国内的にも国際的にも他者たちと協働するという、社会上および道徳上の重大な利益がある。
 最後の点をちょっとした道徳計算で補っておこう。我々は折りにふれて、一人の子供の命を救うためにいくばくか小額のお金を与えなさいと我々を勧誘してくる広告に出くわす。そういった勧誘がどれだけ信頼できるかということは措くとして、それらの勧誘は、完全に見ず知らずの人間の命を救うために私たちがいくら進んで支払うつもりがあるのかと我々を挑発しているのかもしれない。まず、あなたが遠くにいる子供の命を救うために確実に犠牲に(この言い方が正しいとするならば)できる、とても控えめな額を思い浮かべてみよう。さて、ここで自分の国がこの完全プル計画に参加することをあなたは支持すべきかどうか、自分自身に問うてみよう。非常に高い見積もりに基づくならば――そこでは、GBDが半分も削減されるほどこの計画が奏を功すること、そして非常に豊かな国の一部が参加しないことが想定されている――、あなたの国が参加することは、拠出金がピークになる数年間は、あなたにとって自分の粗所得の0.6%を費用負担させられることなのである。この数字を1年間に回避される死亡数900万で割ってみよう。そうすると、この計画を支持しても、(あなたの年間粗所得が15万ドル以下と仮定するなら)あなたは回避される死ひとつにつき100分の1セント未満を支払うことに同意しているにすぎないことがわかるだろう。そして、ここには回避可能な疾病が生じさせている忌まわしい苦痛は計算に入れていないが、それらは回避可能な疾病による死亡を[数としては]上回るものである。たしかに、当該計画はGBD削減にさほど成功しない可能性はおおいにある。しかし、成否にかかわらず、当該計画の費用‐便益の比率は一定である。というのも、当該計画が5分の1しか成功しない(GBDを1/10しか減らせない)場合、あなたにとっての費用負担も5分の1だけなのだから★393。
 この計算はグローバル生産の3分の2に相当する国々が参加しないと想定していた。だが、当該計画がそもそも実行に移されたら、それによってより多くの参加が生じる公算が大きいように思える。それは真である。この計画が新薬の利用者・製造業者・開発者にもたらす便益、そして公衆衛生にもたらす便益がグローバルであるとしたら、一部の国々はただ乗りできてしまうだろう。だが、このただ乗りという方針を採用することが道徳的にまともであり政治的にも好都合であると考える国はほとんどないだろう。GBD特許レジームが非参加国のバイオテクノロジー企業や製薬企業やジェネリック企業を排除する場合には特にそうである。
 合衆国および/または欧州連合の支持があり、多くの発展途上国に参加してもらえるなら、この完全プル計画が、この10年間が終わるまでに、グローバルな経済体系のなかに入り込むことはありうるだろう。