『モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類』
岡本 裕一朗 20061220 光文社,270p.
last update:20110401
■岡本 裕一朗 20061220 『モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類』,光文社,270p. ISBN-10:4334033830 ISBN-13:978-4334033835 \798 [amazon]/[kinokuniya] ※
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
臓器売買、代理母…ヒトは「パンツをはいたモノ」になり、やがて「使い捨て」られるのか?人間のモノ化(物質化・単一化)、「モノ・サピエンス化」がはじまったのは、広義にとらえれば人類の誕生とともに、少し限定すれば近代以降と考えられる。本書では、それをポストモダンの時代以降と想定。一九七〇年代から八〇年代にかけて、ポストモダンは世界的に大流行したが、この時代に「モノ・サピエンス化」が本格的にはじまったとする。さらにこの傾向に拍車がかかったのは、なんといっても九〇年代から。本書のテーマは「九〇年代以降の人間の状況」であり、このテーマに、さまざまな現象を通して迫っていく。
内容(「MARC」データベースより)
臓器売買、代理母…。ヒトは「パンツをはいたモノ」になり、やがて「使い捨て」られるのか? 「モノ・サピエンス化」(=人間のモノ化)に拍車がかかった1990年代以降の人間の状況に、さまざまな現象を通して迫る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岡本 裕一朗
1954年福岡生まれ。’84年九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得。玉川大学文学部教授(哲学・倫理学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
プロローグ ヒトの「使い捨て」時代がはじまった
「ゴミ」として捨てられるヒト
「医用用ゴミ」なら問題なし?
難病治療の可能性としての中絶胎児
葬式で死体を写メールする人々
死人から消えた「オーラ」
「モノ化」の定義
一九九〇年代以降の人間の状況
第1章 モノ化するブランド
(1)「超消費社会」における自由
ブランド市場は「不況でも活況」
消費者社会のパラドックス
「消費者社会」―必要のないモノを消費する社会
「超」消費社会―すべてをモノとして消費する社会
「欲望」―生存に必要のない欲求
「自由」イコール「選択肢」が多いこと
消費者社会で生き残るために必要なこと
(2)あらゆるモノが使い捨てられる社会
見せびらかしの消費
見世物としての消費
「差異」から「格差へ」
高いからこそみんなが欲しがるブランド品
「差異の戯れ」から「差異の管理」へ
「流行の戦略」を採用したブランド業界
使い捨てられるブランド品
時代に逆行する「もったいない」
第2章 モノ化するカラダ
「消費者」の視点がすべて
ブルセラと援助交際
素人の玄人化
「商品の自由な売買」という原理
労働力としてのカラダ
エンコーの背景にあるロックやミルの思想
カラダからモノへ
レンタル商品の末路
第3章 モノ化する労働
かつてはカッコイイ生き方だった「フリーター」
「消費の対象」としての仕事
「やりたい仕事」と「自分探し」
若者だけではなくなった
企業のホンネ
「社会の安全弁」と呼ばれる理由
「自己決定」と「自己責任」
第4章 モノ化する命
(1)「遺伝子改変」社会
BT革命
試験管ベビーの誕生
便利な「ネット・バンキング」システム
増える代理母への需要
「クローン人間」に対する誤解
遺伝子診断による受精卵の識別
「遺伝子組み換え人間」を選択する時代
(2)資源となった人体
臓器売ります・買います
臓器移植は諸刃の剣
慢性的な臓器不足
臓器社会主義と臓器資本主義
人体パーツビジネス
中絶胎児の細胞の増殖能力
ES細胞作製の陰で行われていること
「可能的なヒトの殺害」
第5章 モノ化する遺伝子
(1)コードとしての家族
ヒトは生まれながらに不平等
世襲がものをいう政治の世界
政界と実業界の不可視のネットワーク
医者が再生産されるしくみ
人間の「被投性」
家族はコードである
ブランド・ファミリーの行く末
(2)能力主義は平等か
「家柄主義から能力主義へ」の反動
徒競争が運動会から消える理由
能力主義と「生まれの差異」
近づいてきたヒトの遺伝子改変時代
遺伝子の「勝ち組」と「負け組」?
遺伝子操作は「敗者復活戦」か
消費者優生学の時代
第6章 モノ化する思考
(1)「カラスの勝手」主義
一九八〇年代以降の気分を表現
文化相対主義
「女子割札」は文化か
情緒主義
感情帝国主義
明るいニヒリズム
消費者社会との高い親和性
(2)「人生いろいろ」主義
国民の無意識的な感覚をひと言で表現
ネオリベラリズム
リバタりアニズム
ネオコンサバティズム
ジャイアニズム
「立場の変更可能性」を想像しない
「おカネ」に一元化する「自由」
第7章 モノ化する社会
(1)規律社会から管理社会へ
ICタグを導入する小学校
「プライバシーの侵害」と非難
「GPS首輪」をつけているのと同じ
張り巡らされる監視ネットワーク
フーコーのパープティコン
遠い過去となった『1984年』
規律社会から管理社会へ
規律は生産者、管理は消費者
(2)見世物化するメディア
フーコーの「見落とし」
シノプティコン
「コイズミ劇場」という名の見世物政治
文化産業論―生産者社会のシノプティコン
消費者社会のシノプティコン
拉致被害者家族会と首相との会談におけるメディアコントロール
管理されることで加速する「モノ化」
エピローグ 「人間の尊厳」の終焉と新しい時代のはじまり
「モノ・サピエンス」化への流れ
アメリカでは右派、ヨーロッパでは左派が反対
「人間の尊厳」という概念の曖昧さ
エンハンスメント・テクノロジー
費用・安全性・有効性の三要素
「バイオテクノロジーの世紀」
バイオテクノロジーの進展がもたらす政治体制の分裂
「モノ・サピエンス」の尊厳
あとがき
参考文献
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:樋口 也寸志