『悪と暴力の倫理学』
熊野 純彦・麻生 博之 編 20061228 ナカニシヤ出版,273p.
last update:20111213
■熊野 純彦・麻生 博之 編 20061228 『悪と暴力の倫理学』,ナカニシヤ出版,273p. ISBN-10:4779500982 ISBN-13:978-4779500985 \2520 [amazon]/[kinokuniya] ※ e08 v02 g03 l03 bp f04 m34 le03 dj01 1p
■内容
内容(「BOOK」データベースより)
奇しくも時代と社会を表出している「悪と暴力」の思考やその現場を哲学・倫理学の存在論的根源性として問い返す。
内容(「MARC」データベースより)
悪と暴力の多様な現象を真正面から論じた倫理学。奇しくも時代と社会を表出している「悪と暴力」の思考やその現場を哲学・倫理学の存在論的根源性として問い返す。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
熊野 純彦
1958年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。倫理学専攻。東京大学文学部助教授
麻生 博之
1965年生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程修了。哲学・倫理学専攻。東京経済大学助教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■目次
まえがき
0 他者・倫理・暴力――総論にかえて
1 問題の原型
2 思考の現在
3 暴力の現場
T 問題の原型に向かって
1 悪の起源――シェリングの思考に基づいて
1 はじめに
2 悪の可能性の構造
3 人間における自己決定
4 おわりに
2 苦しみの意味を求めて――レヴィナスから見る悪と苦しみ
1 はじめに
2 意味を与える「意識」
3 「存在は悪である」
4 悪と苦しみの「正当化しえなさ」
5 意味と全体性
6 苦しみのもうひとつの意味
3 「エコノミー」あるいは「超越論的暴力」――デリダの「エコノミー」論
1 はじめに
2 「エクリチュール」と「代理」
3 「エリクチュール」と暴力
4 一般「エコノミー」と限定的「エコノミー」
4 親鸞における“悪”と“宿業”――「ひと千人ころしてんや」をめぐって
1 『歎異抄』について
2 「ひと千人ころしてんや」について
U 思考のアクチュアリティを賭けて
5 聖なるファシズム
1 はじめに
2 全体主義
3 主権
4 聖なるもの
5 おわりに
6 リベラリズムの身体――方法論的個人主義批判の試み
1 問題設定
2 リベラリズムの「不自由」
3 共同的自由に向けて――リベラリズムの「個人性」の乗り越えのために
7 “帝国”の暴力――グローバリゼーションにおける生政治のありようをめぐって
1 グローバリゼーションと〈帝国〉
2 生権力の暴力
3 対抗権力としての生
4 生政治の暴力
5 今日の世界と生政治
8 “語られたこと”としての歴史と暴力
1 序
2 「出来事」と「語られたこと」
3 主体の成立にかかわる力
4 歴史と倫理
5 結論
V 暴力の現場からの思考
9 〈家族〉と暴力
1 はじめに――私にとっての暴力
2 家族間の暴力の「問題化」
3 家族間の権力関係
4 おわりに――「非」暴力の模索
10 生殖医療技術における「暴力」――多胎減数手術と女性の自己決定
1 「減数(減胎)手術」と「多胎妊娠」
2 数の選択が「質の選択」につながる
3 母体保護法「改正」で「減数」は認められるか
4 女性のリプロダクティブ・ライツと「人殺し」
11 破壊のあとの鎖列――水俣の経験から
1 相対の論理
2 レスポンスの不在
3 純粋補完
4 「もやい」、ないしは物質の交錯
12 パレスチナ/イスラエルにおける暴力とテロリズム
1 暴力の円環
2 映画『ミュンヘン』から読み取れるもの
3 映画『パラダイス・ナウ』から読み取れるもの
4 制御不能な暴力
あとがき
■引用
■書評・紹介
■言及
*作成:樋口 也寸志