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『生殖医療の何が問題か』

伊藤 晴夫 20061110 緑風出版,208p.


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■伊藤 晴夫 20061110『生殖医療の何が問題か』,緑風出版,208p. ISBN: 4846106209 ISBN-13: 9784846106201 1785 [amazon][kinokuniya] ※ p


■内容(「BOOK」データベースより)
生命科学・生殖医療の進展はめざましい。生殖医療は、確かに不妊で悩むカップル、「子どもがもてない」とあきらめていた人たちへの福音である。しかし問題は、そこから始まる。現在、不妊症や少子化を背景に代理出産が注目されているが、それは男女の産み分けや障害児の排除へつながる可能性がある。そして、無制限な生殖医療の応用がはじまり、その果てにデザイナー・ベビーが誕生しないとも限らない。いったい、「いのち」の操作は、どこまで許されるべきなのか。遺伝子操作を経た新しい人類誕生の扉はすでに叩かれている。われわれは明瞭な意志をもって「選択」すべき岐路に立たされている。いのちとは何か、人間とは何か…。いま、われわれに必要なのは、豊かな想像力である。本書は、日本不妊学会の理事長を務めた第一人者が、生殖医療の現状と問題点を分かりやすく解説し、どこまで許されるのかを問う。

■内容(「MARC」データベースより)
「いのち」の操作は、どこまで許されるべきなのか。われわれは明瞭な意志を持って「選択」すべき岐路に立たされている。日本不妊学会の理事長を務めた第一 人者が、生殖医療の現状と問題点をわかりやすく解説。

■目次

はじめに

序章 ヒトがヒトをつくることについて
フィクションから考える「いのち」のかたち
鉄腕アトムと人工生命

第1章 なぜ、いま考えなければならないのか
すばらしくも勇ましき新世界
坂の上に立つわたしたち
人間とショウジョウバエ
ダンベルを持ち上げる幼児

第2章 いま、「いのち」のなにが問題なのか
きっかけは不妊症治療
不妊症対策の変遷
死後の生殖補助医療
代理出産(代理懐胎)について
遺伝上の親を知る権利(人工授精および養子)
ダウン症児が消える
着床前遺伝子診断(受精卵診断)
クローン人間
ヒトクローン胚研究

第3章 私が考える「いのち」の原則
生命倫理の四原則
日本人の古層と「いのち」の倫理
利己と利他との往復運動
優生思想を排除する
商業主義を排除する
性感染症対策

終章 人類の未来とわれわれの「選択」
「アイスマン」の衝撃
「人間圏」という座標軸
いまこそ民主主義の季節

主要参考文献一覧
あとがき

■本書の内容の要約・引用・紹介(作成:山本奈美)

 「子どもを持ち、幸福を追求することは当然の権利であり、その権利が自治体の不受理によって侵害された」(『朝日新聞』2005年5月24日、本文より引用)
 これは、米国で代理出産によって子どもをもうけた日本の夫婦が、その産まれた子の出生届が不受理になった際に発表したコメントである。現在の日本では、母子関係は「出産の事実をもって母とする」という判断がなされており、日本産科婦人科学会では代理出産を禁じている。そのため、認められている国で代理出産を試みるカップルが出てきているのが現状だ。
 近年めざましく発達した生殖医療は、自然懐胎では子を持てない個人・カップルに「子どもを育てる権利」をもたらした。同姓のカップル、シングルで子を育てたい女性だけでなく、夫(やパートナー)亡き後も凍結精子で妊娠・出産する女性もでてきた。
 しかし同時にこの技術は、「どういう子を育てる」という、いのちの選別までを可能にしている。羊水検査や着床前遺伝子診断(受精卵診断)は容易に受けることができ、批判はあるものの「障害児である可能性(あくまでも「可能性」なのだが・・・)」が検査で告げられると、堕胎が行われている。同書によると、出生前診断の結果、「ある地区ではダウン症と奇形児がほとんどいなくなった」(P96)という。
 もはや「特別なこと」ではなくなっている出生前診断の次は、「クローン人間」の「生産」である。「リプロダクティブ・クローン」と呼ばれる、不妊対策としてのクローン人間をつくることもさながら、治療目的でクローン人間をつくることもすでに始まっているという。これを「セラピューティク・クローン」といい、拒否反応を起こさない移植用の臓器・組織をつくることを主に目的としている。国際社会は現時点ではクローン人間作りの禁止で一致しているが、医療目的では意見が分かれているという。本人のクローンからつくった臓器・組織は拒否反応がゼロか極めて少ないからだ。国連総会では2005年3月、医療目的の研究も含めて人間のクローンを全面禁止する宣言が賛成多数で採択されたが、「人間の尊厳に反する技術として認められない」との姿勢をつらぬく米国・イタリア・ドイツなどに比べて、「可能性のある技術に道を閉ざすべきではない」と反対した国々もあるという。日本、英国、韓国などは研究を進める方向を取る。
 この技術は「いのちを選択可能にする」だけでなく、「いのちの選択を市場に任せる」という問題もはらむ。ドナーから卵子や精子の提供を受け、代理出産による出産が行われている米国では、顕著に「いのちのマーケット化」が見られる:インターネットでの「いのちの取引」はその最たる例ではないだろうか。本文から引用すると、
「アメリカではすでに優秀なドナーから卵子や精子の提供を受け、代理出産による出産が行われている。特にインターネットによる取引が盛んである。例えば、ホームページをクリックすると、提供者の顔写真がズラリと並んでいて、慎重、体重、健康状態、髪や目の色などの項目が並ぶ。さらに知能や容姿も洗濯できる。卵子の場合、約60万円が相場のようだが、有名大学を卒業していたり、特別な資格を持っている場合には付加価値がつき、値段が二倍以上に高くなる。」(P45)
筆者も警笛を鳴らす:「宗教的な利他主義などによる「人助け的発送」による代理懐妊・出産の引き受けは、比較的問題が少ないといえるが、最も憂慮されることは、経済的弱者や第三世界の女性が請け負わざるを得ない状況に追い込まれる可能性である(P89)」。本書には書かれていないが、これはすでに現実のこととなっている。
 筆者は、生殖医療の世界では、商業主義の介入を避けなければならないと考える(P152)。(この場合、商業主義とは、@身体の一部ないし身体の産生物の商品化、A生殖医療技術の商業化と定義づけられている。)「経済的弱者である開発途上国の女性が搾取されるかもしれないという危惧をもたらすもの」だからと筆者は言う。その一方で、現実面での規制が難しいのが現状だとも述べる。日本(や一国)で規制されたとしても外国で生殖医療を受けられること、匿名の精子・卵子では不安があるため、高価でも納得できる精子・卵子が希望されること、市場原理に任せた方が学問・技術が発達するという現段階での現状などが、その理由に述べられている。
 「ヒトがヒトを作る」のはクローン人間もデザイナーズ・ベビーも一緒だ、と否定し、生殖医療への商業主義の介入を危惧する筆者。しかしながら、現時点では「一部の金持ち」に限定される新しい高価なテクノロジーは、そのうち「最初は高価だったが誰もが持つことになった携帯や電化製品」のように、技術の高度化とともに値段が下がる、と筆者は予測する。生殖医療に従事する者として賛成はできないが、進むであろう、と考える筆者だが、議論が一部の「専門家」や学会のみに委ねられていることに、終章で大きな危惧を示している。わからないという一般市民が多いが、いま議論・選択をしなければ、とりかえしがつかないことを選択してしまうことになるかもしれない、というのだ。
 筆者のこの警笛に私は同感する。今は高価だから手の届く話しではないにしても、もし誰もが自由に産まれてくる子を「デザイン」できるような世の中になったら、どうするのか。「いのちの選択」をしていることに気づかずに、容易に行われてしまうのではないだろうか。現在の羊水検査はその前段階とも言える。「障害児である可能性がXXX分の1あります」と告げられたカップルは、悩みつつも堕胎する−いのちの選択をしていると気づかずに。ダウン症がどういうことか、いわゆる「障害児」と生きていくことについて全く考えたことがなかったカップルにとって、「選択をすることの意味」を考えるために与えられた時間と情報はあまりにも少ないのが現状だ。このような現状では、デザイナーズ・ベビーもクローン人間も、なし崩し的に行われてしまってもおかしくない、と背筋の凍る思いだ。
 専門家のみで議論されている現状を分かりやすく一般市民に伝えるために同書は書かれたという。この点を評価し、筆者が呼びかけるように一般市民の私たちも、「いのちの選択」について真剣に今議論しないと、取り返しのつかない社会がやってくるかもしれない。
■言及

◆立岩 真也 2013 『私的所有論 第2版』,生活書院・文庫版

*作成:山本奈美
UP:20080418 REV: 20081115
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